第12話
※
縦穴を降りきると、そこは大きな鍾乳洞につながっていた。
正確には鍾乳洞ではないのかもしれない。一面はごつごつとした岩のようなものが露出しており、細い柱がケーブルを持ち上げ小さな照明が淡い光を灯して並んでいる。
天井の高さは、見上げても高さが見えない。横にあるはずの壁も、闇が深すぎて見渡せない。
ただ、どこかで見たようような風景だなと思った。
「ここはどこだ?」
少女が目の前で待っていたので、ハヤミは彼女のあとについて行くことにした。
少女が先をすすみ、しばらくすると深すぎる闇の中を駆けて行ってしまう。
どうせすぐ追いつくだろうと思っていたが、少し油断するとすぐ少女の姿は闇に紛れて見えなくなった。だがしばらくたつと、また少女の白い姿が見えてくる。
白い翼と、ひらひらの白い布の服は闇の中でよく目立った。それにケーブルに並んだ淡い照明が洞窟内を照らしているので、目をよく開けば闇の中でもある程度は見えてくる。
滝の音とか。水が跳ねる音とか。
その上を、少女が歩く音とか。ハヤミのブーツのかかとが岩肌を打ち鳴らす音とか。闇の中では、あらゆる音が響いて聞こえた。
また少女の姿が闇の中に隠れてしまったので、ハヤミは先を行く少女を呼び止めることにした。
「おい! ユーマぁ!」
おーいおーいおーいおーいおー…………
ハヤミの声はとどまる事なく響き、闇の中に広がった。
少女は答えなかった。
「ゆ、ユーマちゃんよぉ、そりゃあ無いんじゃないのか?」
ゆーまちゃんよおっゆーまちゃんよおゆーまちゃんよおゆーまち…………
闇の中にハヤミの声だけが広がる。
どこかで水滴が落ちる音。かすかな風。深い闇の中ではすべてが際限なく広がり、吸い込まれていく。
どこかで水が流れる音が聞こえた。
音のする方へ歩いていくと、少女が立って待っていた。
「どうしたんだ、こんなところで?」
沢が流れる音が一段と大きく聞こえるなか、ハヤミは少女に近づいた。すると足に冷たい感触を感じ、立ち止まって下を見た。
水が流れていた。しかもよくみると、小さな生き物がいる。
「生き物……生き物だ!」
ハヤミは薄暗い洞窟の中で水を跳ねながらじゃぶじゃぶと歩いた。
水は冷たく、水深も深くない。せいぜい膝下くらいかなと思ってざぶざぶと歩いた。
「わあ!」
突然底が抜けたような気がして、ハヤミは足を滑らせると腰から水の中にはまって倒れてしまった。
水温は思っていた以上に冷たく、手で体を支えているとその流れが予想以上に早いのが分かった。
それから咄嗟の勢いで川底についた手の下で、何かがもぞもぞと動いている。
「なんだ?」
手にとって持ち上げてみると、きらきら輝く長くて白っぽい魚だった。
見た目はジオでみたことのある魚とは違う、長らく洞窟内で独自の進化を遂げた魚なのだろう。ぱくぱくと口を動かし激しく尾を振って、ハヤミの手から逃れようと体をねじ曲げている。そのうち足下の、水深がもっと深い場所を、大きな魚がゆっくりと泳いでいった。
手にとった魚を水の中に逃がすとまた別の生き物たちが近づいてくる。エビや、かにのような生き物、水の中でゆっくりゆれている苔のような生き物。
水中の窪みには、黒くて不定形のひとでのような生き物がはまってゆらゆらと触手を動かしている。
ハヤミは立ちあがると、視線を上に向けた。
窓枠があった。暗い建物の跡は斜めになって、暗い洞窟内にまるで遺跡のようになってそびえている。
ここはかつて地下都市があった場所で、ハヤミが今見ているのは、かつてそこに人が住んでいた場所だった。
他にも大小様々なビルが並び立ち、どれも半分崩れながら風化している。
闇の中を照らす淡い照明はそれら朽ちた都市ビル群を照らしだし、地下構内はまるで一種の地下遺跡のようになっていた。水は、それら無人のビル群の真下を流れている。
ふと、美しいなと思った。これは不謹慎かもしれないが、人が住まなくなり整然と闇の中に立ち尽くす廃墟は、独特の美しさを表していた。
人類最後の戦いは、自滅と風化によって終わった。
そんな身も蓋もない思いが、ハヤミの頭によぎる。
翼の少女はハヤミの様子を見て、特に何も言わずに先へと進んだ。
しばらく少女について川沿いに進んでいくと、豪の一部が崩れて空が見えている場所にたどり着いた。
ぽっかりと屋根に穴が開いた天井板に、露出した地面と岩肌が太陽の光に照らされて綺麗な黄金色に輝いて見える。
崩落した天井開口部の周りには白い羽の鳥たちが集まって、長い首を交互に動かしてハヤミ達を出迎えた。少女は、水の中にばしゃばしゃと入っていって何かを探しているようだった。
「ん!」
「ん?」
少女は水の中に腕を入れると、しばらく水の中で腕を動かし何かを掴んで持ち上げた。
天井の穴から差し込む火の光が、少女の持ち上げた細い腕、わきわきと動く節足動物の足先からしたたった水滴に反射し綺麗に輝く。それは、エビのような生き物だった。
長い触角を生やし、何十本もの脚を動かし少女の腕の中でもがいている。肌の色は白く、しかし普通に考えているようなエビとはまったく違って、その大きさは普通のエビの三周り以上大きい。
少女は捕まえた真っ白なエビのような生き物を持ってくると、ハヤミの前に差し出した。
「……おお? これを、オレに?」
ハヤミは、昨日の晩に自分が食べたおかゆのようなものを思い出した。
渡されたエビのような生き物は、殻は透き通り中の肉が透けて見えるほど、白くて美しかった。
大きなハサミ、細い脚に、丸まった尾が激しく動く。
「ん、ん」
少女はうなずくと、さらに水面の中に手を伸ばし何かを掴んだ。
魚だった。
地下水に沈んだかつての都市群は、長い年月を経て地下湖と、この世界にたった一人生き残った少女専用の遊び場となっていた。
街の廃墟にはあちこちにたき火に使える枯れ枝や、かつてここが文明の中心だった頃に使われていた燃えるもの、ゴミや木片などを集めて、その周りにとった魚やエビなどを囲んで火をつけた。
ハヤミはこの不思議な地下空間に、自分が住んでいるジオの街を重ねていた。
ジオは今、衰退の危機を迎えている。今まで戦争を継続することでムリヤリ街の発展を推し進めてきていたが、街の下層から忍び寄る荒廃化、無秩序化、スラムや暴徒、管理社会であったはずのジオに無気力と絶望の影が広がりつつあるのを、人々は拡張世界の中にある、美しいジオだけを見て放置していたからだった。
ハヤミは危機感こそ持ってはいたが、自分ではどうしようもないと思って見て見ぬふりをしていた。
そうしてジオを出て、誰もいない空を飛び続け、いなくなった敵を探して一馬達と一緒にさまよっていた。
目の前で少女が、火にくべた魚が白い汁を吹きだしているのを見て棒をひっくり返した。その姿はごく普通であったが、翼が生えて、しかも白い服を着て、どこから見ても目立つはずなのに、ハヤミは空の上から見つけることができなかった。
「ヤヴィ ネ ムローゥテゲ ゥハ?」
焼き上がった大きな白いエビの串刺しをてにとって、少女がふたたび異国の言葉で話しかけてくる。ハヤミは黙って少女の差し出してきたエビと棒を受け取ったが、少女はまた心配そうな顔でハヤミを見ていた。
食べないのかと、顔と表情だけでハヤミに語りかけているようだった。
「ありがとな。ちょっと、オレたちのジオのことをな」
「スォ タケジェィオ? テヴメヅティデ ヴィ ズィヴェト?」
「んん、まあな」
少女の言わんとしている細かい内容は分からない。ハヤミは渡されたエビのようなものに、勢いよくかぶりついた。
そのとたん、熱くなった殻が歯の隙間に刺さり、熱した肉汁が口中に広がって口の脇から飛び出る。そのあまりの熱さにハヤミは大きな声を出してエビを口から離した。
「あっつ!」
突然の激痛が口の中に広がり、それからしびれと、痛みとともに口の中が麻痺したような感覚になった。だが麻痺したような感覚は甘いもので、それがいったい何なのかを理解するのにほんの少しだけ時間がかかる。
湯気のたつ甲殻類と、むき出しになった白身からは汁が溢れ、口の中に広がっているのはうま味だった。熱さもあったがそれ以上に、ハヤミは自分が持っているこの不思議な生き物の丸焼きが思っていた以上においしいのに、感激した。
少女はハヤミの顔を心配そうな顔で見ていたが、そのうち安心したのか自分のぶんの魚を手に取りおいしそうにほおばり出す。
「うまい、ものだな。ジオとも似てるけど、何もかもが違うな」
ハヤミは独り言のようにそう言うと、改めて目の前のエビ……甲殻類の殻を指で割ってから、湯気のたつ白身にかじりついた。
その日二度目の食事は、この不思議な地下世界の自然の生き物をいただくという質素なものだった。それも、ジオで噂されている「この地球には、自分たち以外には誰もいない」と信じられていた生き物そのものを食べているのだ。
ハヤミと少女はしばらく黙々と焼き甲骨類を食べていたが、気づけばハヤミは自分がどうしてこの世界にいて、ジオの地下都市に籠もって生きながらえているのか分からなくなってきた。
今食べているこの生き物や、地下湖に生きる生き物たち、鳥たちも、少女も、自分たちは見て見ぬふりをして生きている。
あるはずのない戦争を未だに続けながら、暗くて未来もないようなジオの地下世界に隠れるように棲んでその日を過ごし、今日も何もなかったと言って目を閉じ眠る。
だんだんハヤミは腹が立ってきた。なぜ腹が立ったのか分からなかったがとにかく腹が立った。今まで自分は、何のために空を飛んできたのだろうと思うと、悔しくてなぜか涙が出てきた。さっきまで熱かった焼いた串エビは冷め切って、殻ごとかみついてもさっきほどの味はしない。
思い切りかぶりついた。すぐにエビはなくなった。少女が勧めてきたもう一つのエビも受け取って、黙ってかじりついた。
崖に組まれた地下洞窟の最下層で、ハヤミと少女はたき火を囲んでしばらく黙って座り続けた。
頭上の鳥たちが、二人を不思議そうに見ている。聞こえるのは、薪が燃えてやぐらが崩れる時の音。
薪が破裂し火の粉が飛ぶと、それを見ていた少女が立ち上がった。
「ネ ナマハヨゥット ィタリ ヴ ネミ?」
「……はい?」
少女がなにか言っている。
自分に向かって何か提案しているのは分かるのだが、少女は悪意のない瞳でハヤミを見ていた。
「なんだかよくわからんけど、わかったよ」
のそのそと立ち上がり、ぱんぱんと手で叩いて尻についた砂を払う。
そこでふと思った。
なんだろう。今の少女の目。生き物の目でかわいらしくて、純真な少女そのものなのに、どこかで見たことのある瞳……機械が、自分を見ているときの目に似ているような気がしてふと立ち止まった。
見ると少女はすでに先に歩いて行っており急がないとまたこの湖畔に置いて行かれる。
「わーかったよ、どこまでもついていくよ。まったく」
不本意ながら今は少女の尻に敷かれているみたいだ。
ただ気になるのは、あの少女の目。心の隅に引っかかる。
空を飛んでいたとき、アークエンジェルの中でハヤミが常に感じたのと似ているような何かだった。
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