第11話

 格納庫は、自然終戦以前まで使われていた軍事用施設のようだった。

 あちこちに、破壊され燃えた跡の残る軽戦車やスクラップ同然の作業用機械が散らばっており、終戦間際に何か起こったことが見てとれる。

 終戦の日、ここの住人や軍人達は何を思いどうしていたのか。

 砲塔を回し、格納庫の奥に向けてまさに二十ミリ砲をうとうとしている形のまま動かなくなっている戦車は物を語らない。

 爆発した跡。見たこともない、破けた軍の衣服。

 ぼろぼろに破れ、それでもなんとか壁にかけられ耐えている、経年劣化した軍旗。

 上で物を音がして、振り向くとあの翼のはえた少女がいた。

 少女は遠くを見て何か思い出しているようだったが、しばらくするとハヤミの視線に気がつき振り返った。

 ある小さな国は、航空機でも車両でも艦船でもない、生物兵器の開発に成功していたらしい。

 その姿はかぎりなく人間のようでいて、人間ではなく、最終戦争末期には世界中で猛威を振るっていたとか。

「……生物兵器(キメラ)?」

 ハヤミは少女の翼と顔を見て、記憶の奥にあるかつて教わったことを思い出す。

 ハヤミは頭を振った。

「いやでも……いや、でもあれは」

 仮に条約か何かで禁止されていても、国が滅ぶ寸前になればどの国も必死になってあらゆる手段を打つだろう。

 現にその国は滅んだ。ジオが生き残ったのはたまたまだと、ジオの歴史学者は言っていた。

 背中に翼のある少女は、手元に広げていたぼろぼろの布を広げて表面をハヤミに見せた。古い布に描かれている軍旗のエンブレムと、ハヤミの軍服の袖に刺繍されている記章を指さして、次に自分自身を指さして、にっこりとほほえむ。

「敵同志、だよな。オレたち」

 少女はハヤミが言った言葉を理解しているとでも言いたげにうんうんとうなずくと、身軽な様子でその場に立ち上がり、高い残骸の端を危なげもなくするすると歩き出した。

 それからハヤミの頭上までやってくると、すとんとその場から飛び降りてゆっくりとお辞儀をする。

「イストゥールィャ ナヴォ レダ ムタナク ラゾ」

 少女の話す聞き慣れない言葉に、ハヤミは少し眉と眉の間にしわを寄せ注意深くそれらの言葉を聞いた。

「ミ」

 少女は、ゆっくりと自分の顔を指さしす。

「ゆま」

「……いや。それは、俺が付けた名前だろう?」

 少女の、冗談ともなんとも言えない微笑みに、ハヤミはほっとした。

「つまり、どういうことなんだよ。オレを捕虜にでもするつもりか?」

「ヤ ネ ホロヴォィ」

 少女はぶっきらぼうにそう答え、ハヤミの記章をちらりと見た。

「あ? これが、何か気になるのか?」

 ハヤミは肩の記章を前にかざし、少女がよく見えるようにしてあげた。

 少女はハヤミの記章を、まるで懐かしい何かを見ているような目つきで眺めていたが、しばらくすると少し俯いて黙り込む。

「な、なんだよ。どうしたんだよ」

「ヴィ ソルダティヴ、ヴレシィリィシュディイ スゥコヴォロティーシャ」

 一方的に話す少女の言葉に、ハヤミは何を言われているのか分からなかった。ただ何か伝えたいようすであるのは分かった。

 それが何であるのかは、分からないが。

「……いひひ」

 だが少女の方も、自分が言っている言葉がハヤミに通じていないのは分かっている様子だった。それでも何か伝えたいという重いと、通じないという思いに挟まれたような、困ったような笑顔で少女は笑う。

 その少女が突然、ハヤミに抱きついてきた。

「うおっ」

「ヴィン ヴ シャモティン」

 抱きつかれたハヤミは一瞬何が起こったのか分からず戸惑ったが、よくみると少女は泣いていた。

「あー……」

 確かに少女は、敵なんだと思う。

 この地下施設にしても、きっと戦中はジオとの壮絶な戦いを起こしていた中枢なんだろうし、そのせいで戦争は長期化して、地球がこんな有様になってしまったのかもしれない。

 けれどハヤミはどうだろう。

 ハヤミも軍人で、こうやって地球に人類がほとんどいなくなった今になってもなお、自分たちだけが生き残るために戦いを続けている。

 少女はどうだろう。

 この施設に残っていた人々は、どうなったのだろう。

 ハヤミが何も言えず黙っている間、少女はしばらくハヤミの胸の中でひとしきり泣いたあと、また体を離して笑顔になった。

「メニドゥゼショコダ、ティ チョカ ツェミヴォロー」

「何を言ってるのか分からないけど、お前がずっとさみしかったのは分かったよ」

 ハヤミは両手を挙げると、ぽんと少女の頭に手をのせた。

 少女は驚いていたが、ハヤミがそうやって頭の上に乗せた手をぐりぐりとしていると、そのうち諦めたような、観念したような顔になって抵抗するのをやめた。

 それから上の階で、空母のブリッジでハヤミがなくしていた拳銃をとりだすとぐるりと逆向きにしてハヤミに差し出す。

 ハヤミは少女の頭を撫でるのを辞めると、銃を受け取りコックをスライドさせた。

 中には弾が入っている。仮にここで何かあっても、銃は撃てる。

「これを? オレに? 返すのか?」

「ヴィナ ザキィンチラシュャ」

 そう言ってハヤミは両手で拳銃の形を真似して、ばんばんと銃を撃つ真似をした。

 ハヤミは受け取った拳銃をどうするかしばらくためらったがどうしようもなかったので、ホルスターに戻すことにした。

「ユ ヴェロトゥ ルチィ ヴェ ハヤミ!」

「な、何だって?」

「ユー ネィマ ハヤミ!」

「……」

 ハヤミは自分を指している少女の目から、その目がハヤミではなく、ハヤミが胸から下げているドッグタグに向いているのに気がついた。

「……これが読めるのか?」

 ハヤミの問いかけに、少女はふたたび大きく頷いて見せる。

 とびきりの笑顔で、その笑顔はジオに住む普通の少女と同じような、明るく元気そうな、さきほどまで泣いていたような少女とは思えない顔で微笑んだ。

「やっぱりおまえ、この国の」

 キメラだな、と言おうとしてやめた。

 少女は不思議そうな顔をしながらハヤミが何か言いかけたのを見ていたが、ハヤミはハヤミで、言う言葉と言ってはいけない言葉を頭の中で考えた。

 言えばすべてが壊れるような、言葉にしないほうがいい言葉が、あるような。

 少女は不思議そうな顔のまま小さく首を傾けたが、ハヤミの真意を知ってか知らずかそれ以上何か言おうとはしなかった。

 そもそも、少女の言う言葉をハヤミは理解できなかった。

 それでいて少女は、外見は、まるで古い神話に出てくる天使のようだ。

「イストゥールィャ ナヴォ レダ ムタナク ラゾ」

 風にめくれる少女の服に。

 覗く胸の谷間に、何かの人造クリスタルのような物が見える。

 言葉にしなくても、彼女が人間ではないキメラのような生き物であるのは分かる。

 たとえ戦争のために産み出された奴でも。

「戦争は、終わったんだな」

 地下格納庫内に風がふき、奥から聞こえる微振動音にハヤミと少女は振り返る。 

 この施設の奥には、まだ何かあるらしい。

 少女はハヤミを見て、一緒に奥に行こうと手を振った。

「はやみっ! ネヴォ ロストヴ ィーリャ!」

 地下道の中に少女の声がこだまして、少女は裸足で暗がりの中をかけてゆく。

 電灯が灯り、奥から覗く深淵の中を、古い堆積した埃が漂う。

 ここはかつて、世界の戦いでジオとの凄惨な戦いを繰り広げていたと思われる、かつての敵国の中枢の一つ。

 かつての大戦争の末期に、己の生存のためだけに国中のすべてを注ぎ込んで作られた当時の最先端技術の墓場。

 数多くの瓦礫。

 ゴミはなく、ほとんど綺麗に整えられていたが、朽ちた機械群は手を着けないままでそこら中に放置されている。

「なんて所だ」

 ジオも手が着けられなくなればこうなるのだろう。暗い格納庫の中を歩いていくと、微風と深淵の広がる大きな空洞の前に立った。

 少女はそこに立っていた。

 ここから先は、縦穴らしい。数多くのケーブルが穴から露出し、格納庫の外まで続いている。

「この先に、何かあるのか」

「ヤッ ネズィル ヴォ ネソ」

 少女はヘルメットをかぶり、穴の脇でスコップで穴を掘るマネをした。

「掘る? 穴を掘るのか?」

「う、んー……んん、ンンッ! ン!」

 暗闇の中で、少女は首を振って違うといった様子のジェスチャーをする。

 縦穴付近は土砂で埋められた跡があり、この小さな縦穴は少女が掘った別の物のようだった。

 穴には縄梯子が下ろされており、下に降りるにはここから梯子を使って行くしかないらしい。

 奥は全く見えないが、かなり深い所まで伸びているように見えた。

「んー、んっ! んん、ん、んーっ、ん!」

 言葉にできない言葉で少女は穴の奥に降りたいという意思を、身振り手振りでハヤミに伝えてくる。

 ハヤミは難しい顔で少女の意思を汲んでいたが、わかったと、伝わるかどうか分からないが少女に対して了承の意思を伝えた。

 少女の方はハヤミの意思が分かったらしく、大きく一回だけ嬉しそうにうなずいた。

「ちょっと待て。なあ、オレは君のことを、なんて呼べば良いんだ?」

 改めて少女の名前を知りたいと思ったハヤミは、もう一度念のために自分の胸に手を当てて、服の内側に隠していたタグを取り出し少女に見せた。

「オレの名前はハヤミ。ジオの少尉だ。いちおう君たちの国とオレたちは戦っていた敵同志だったが、オレは君たちと戦うつもりはないし、もう戦争は終わった。君の名前は?」

 ハヤミは、自分の言葉は半分も通じていないだろうと思いながらしゃべったが、できるだけ身振り手振りも含めて丁寧に、ゆっくりと自分の名前を説明した。

「名前だよ、名前」

「ねま」

「どうした、言えないのか? 無いわけじゃないだろう?」

 少女は背が低いので、ハヤミからすると少し下に見下ろす形になってしまうが、少女のほうはさらに下を見ていて、何か困ったような顔をしていた。

「ねま」

 少女は名前を名乗らない……なぜ名前を言わないのか、それとも言えない何かの事情があるのかハヤミには分からなかったが、それを聞こうとすると、今度はお互いの言葉の壁があって正しい意味を聞くことができない。

「……アン ユマ!」

「いや、それじゃないんだよユマちゃん。その名前じゃなくって、その……」

 少女は自分を指した。

 少女の名前が、ハヤミの命名した名前?

 あの安直な、ユーマ(未確認生命体)?

 少女は自分のことを、ユーマだと名乗った。

「いや名前だよ名前」

「ミゼラ ナヴォ ド ナィム?」

「うん。たぶんそれだ」

「アン ゆま」

「その名前じゃねーよ。いいか? オレの名前は、ハヤミ・アツシ。ユーマちゃんの名前は?」

「ミ」

 少女は難しい顔をして、改めて首をかしげた。

「ミ ネヴォロ ドゥ ナ ユマ!」

 元気な笑顔で、少女はユマだと名乗った。

 少女はユーマらしい。

 言うと少女は慣れた風にスコップを肩に担ぎ、空いた片手と両足だけで器用に穴の中に降りていった。

 置いて行かれたハヤミは、なんとなく話しをはぐらかされたような気がしながらその場でポカンとした。

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