第10話
雲は流れ、いつしか空には青空が広がるようになっていた。
ハヤミは空が青いのは知っていた。青空には太陽があって、ゆっくりと東に向かって動くことは知っている。
月も同じように青空にあるのは知らなかった。
月の動きは太陽より遅く、また雲の流れも太陽や月とはまったく違う方へと流れていく。
自分は空を知っていたが、空がこんなに多様だったのは知らなかった。
知っていたのは、ジオ地下都市に張り巡らされている人工天井の空でのできごと。
本物の空を見たのは空を飛んでいるときと、ずっと前に地上に墜落したとき。
遠くに雷の音が聞こえた。その音はアークエンジェルに乗って飛んでいたときに聞いた音よりもずっと深みがあったし、また体の底まで響くような、なにか重厚なものさえ感じられた。
「前に地上に墜ちたのはいつだったかな」
ざっくりと、鍬をガラスの大地に刺して大きな窪みを作る。
表層のガラス面は意外にももろく、大きく鍬を振るって落とせばすぐに穴が開くような堅さだった。
「こんなところで、オレはいったい何をしてるんだ?」
地面にはたくさんの木が植えられており、それら一本一本が風になびく。
ガラスの大地に穴を開けて、等間隔に開けられたガラスの大地に木々は根をさす。
最近植えたのだろうか、まだ小さな木々たちが風に揺れている。
それから聞き覚えのある轟音が聞こえた。頭上に、白い飛行機雲が伸びている。
「あれは? ジオの戦闘機だ! 味方が来たんだ!」
ハヤミは少女に渡された鍬を捨てると、空に向かって大きく手を振った。
「おーい! ここだー! 助けてくれー!」
ハヤミは空に向かって大声で叫んだ。
しかし、空を飛ぶアークエンジェル達はハヤミに気づいていないのか、そのまま大きく空を横切って遠くへ行ってしまう。
ハヤミは空のアークエンジェルたちが見えなくなるまで手を振り続けたが、ついにアークエンジェルの姿は嵐の中に消え、轟音もだんだんと聞こえなくなり、また元に戻る。
ハヤミは腕を降るのをやめなかったが、しばらくたっても援軍の来る気配は来なかった。
「なんでだよ」
腕を振るのをやめ、力なくその場に立ち尽くすと空を見上げた。
「なんでオレがここにいるのに見つけられないんだよ! クソ!」
ハヤミはやるせない気持ちで地面を蹴った。
しばらくそうしていても、怒りと不条理に対する疑問しか沸いてこない。
周りに生える木々は風になびいてざわざわと音を鳴らすだけ。ハヤミは地面に転がせていた鍬をとると、力強くその場に突き刺した。
「なんで、見えてないんだよ」
ハヤミは何度も上を見て、ジオのアークエンジェル達が消えた彼方を見上げ、頭を振る。
そのときどこかで声がしたような木がした。
振り返ると、あの翼の生えた少女だった。少女はハヤミに、タダで飯を食べた罰として植林をハヤミに身振り手振りで命じた。
ハヤミはこんな体力仕事は初めてで、慣れない手つきで植林というか、地面に穴を掘る仕事を始めると少女は楽しそうに、鍬の持ち方や地面の堀りかたをハヤミに教えてくれた。
きっと人というものを見るのが久しぶりとか、初めてとか言う類なんだろう。
今ハヤミがアークエンジェル達に手を振ったのも見ていたようで、ハヤミと空の両方を興味深そうに見ていた。
ところがハヤミが空の戦闘機が消えた方を指さすと、少女はなにか悟ったように小さく首を振る。
「なんだよ。おまえも、アレに手を振ったことがあるのか?」
ハヤミの問いかけに、少女は答えなかった。
少女は木の中でも一段と高く太い木の枝に座り、しばらくにこにことしながらハヤミを見下ろし足をぶんぶん振っていた。だがそれにも飽きたのか、少したつと大きなあくびをして、そのまま身軽にすとんと地面に降りると勝手にどこかへ行ってしまう。
ここまでくると勝手にしろとハヤミは思ったが、よく考えるといろいろ妙だ。
なぜなら、この空域もかつてハヤミはカズマとさんざん飛んでいたし、地上偵察任務だって飽きるほど繰り返していたからだ。
周りを見てみると、木に、石の列に、小さな花畑まである。ここまでわかりやすい人工施設が並んでいて自分たちは見つけられなかったとなると、何かを疑うのが普通だ。
「なんで、オレたちは地上を見ていなかったんだろう?」
よく見ると、空には昨夜自分のアークエンジェルに衝突した翼竜に似た生き物が数匹、我が物顔で頭上を飛んでいる。
高度はさっきのアークエンジェルが飛んでいた所よりはるかに低い。
「なんでだ?」
ハヤミは周りを振り返り、空を見て、ジオがあるはずの方角と地平線を見て目を丸くした。
「オレたちは、いったい今まで何を見てたんだろう」
そう思うとこの地上がいったいどんな世界なのか、ハヤミは興味が湧いてきた。
今までハヤミはジオで教えられたとおり、地上は荒廃していて、人類はおろか生き物はすでにいない、だが自分たちは生きるために敢えて誰かが地上にいると思い込むために、こうやって無駄に空を飛んで、いつまでも一人で飛び続けていると言われていた。
実際ハヤミもそう思っていた。だが現実は違ったし、こうやって、地上には誰かがいる。何かがある。
ハヤミは鍬を置くと、少女が消えた方を目で見た。
「この先には何があるんだろう。人間も、自分たち以外に生きてるんじゃないのか」
そう思うのともう一つ、必然的な疑問が沸いてくる。
「あの子は何者だろう」
ハヤミは少女の消えた方に、ゆっくりと歩き出した。
※
ハヤミが歩く道の先には、長く木立が続いていた。
木と木の間には相変わらず小さな石碑が並んでいたが、次第に石と石の間の感覚が小さくなっていきそれ以外の物も混ざるようになる。
小銃や、朽ちた古いヘルメットや壊れた双眼鏡などが盛り上がった土の上に置いてあることもあり、小木はそれら盛り土の脇に、ひっそりと生えていることが多い。
壊れた戦闘機のイス、バイクの車輪や戦車の空薬莢が置かれているのもある。
中には膝をおって動かなくなったかつての二足戦車が、銃口を空にむけているだけのもあった。
死体がみつからなかったんだろうな。遺品のようなものが傍らに整理されて、地面に置かれている。
枯れた花が手向けられたあともある。
「あの子はここの生き残りなんだ」
道の先には、洞窟があった。
飛行空母の残骸には、下に伸びる地下道があるらしくどうやら少女はここに入っていったらしい。
入り口にはスイッチがあり、奥へ続く通路にはほぼ一定間隔で小さな照明灯があった。
奥からは何かの震動音が、かすかに聞こえる。
「噂には聞いたことがある。どこかの国が人造生物を創り出して、兵士の代わりに戦わせていたって」
ハヤミは壁沿いにかけられている小さな電球を頼りに、地下の奥へと進んでいった。
通路は狭く、低く、背中を曲げないと中に入りきれない。まるでどこかの秘密通路だ。
「もしもここが敵の基地なら」
しばらく狭い通路を進んでいると、通路の高さがとつぜん高くなった。脇にも壁はない。どこかの格納庫のような場所にハヤミは着いた。
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