第6話
『…………』
雷雲が視界中に広がり、視界が真っ暗になる。
「おいカズマ?」
ハヤミは無線に問いかけカズマの返答を待った。
しかし聞こえてくるのは、雷に合わせて聞こえてくるノイズだけ。
「カズマ?」
『………………』
速度計は今までの機速を維持。高度計も異常なし。
アークエンジェルは雲を突き抜け、ふたたび空の上を飛んでいた。
「カズマ!? いるんだろ!?」
ハヤミは必死になって周りを見渡した。しかしそこにはいるはずの僚機がいない。
ハヤミはふと自分がヘルメットとバイザーを降ろしたままだったのを思い出し、バイザーを急いで持ち上げた。
確かにそこには空があった。
再構成を続ける拡張空間とまったく同じ青い空と、雷雲と、どこまでも広がる白い雲。渦状の嵐。はるか彼方にはフォックスの機体が、こちらを牽制するように空を飛んでいる。
しばらくハヤミは上を見て唖然とした。
「フォックスがいる? なぜ、この空に?」
アークエンジェルのコクピット正面ディスプレイには相変わらず『敵影なし』の表示が出ているが、よく見れば自機の航路が規定航路から大きく外れたまま修正されていない。
自動航行装置は作動しているが、アークエンジェルが航路に戻らず勝手に飛び続けている?
ハヤミは急いで自動操縦装置を切り手動操縦の手順を踏んだ。だが、上空には相変わらずフォックスが飛んでいる。
「ここは、どこだ?」
真っ白な雲間。どこまでも続く空。渦状の嵐。それは先ほど見ていた空とまったく同じだったが航路が違う。
頭上のフォックス。ハヤミは自分の頭に手を当てて、バイザーが上がっているのを触れて確認した。
今は切っているとはいえ、自動航行に戻しても規定航路に戻ることができずカズマとはぐれる事なんかないはずだ。
いやそれよりも……あのフォックスは何者なんだろう。
試しにバイザーを降ろしてみると、まだ模擬空中戦の拡張空間プログラムは作動していた。
バイザーを覗いたままキーを叩き、フォックスにコマンドを下してみる。
すると拡張空間上のフォックスが動き出し、ゆっくりと高度を下げてきた。
バイザーを上げても、空の上のフォックスと拡張空間上のフォックスは同じ動きをしている。
「……疲れてるのかな?」
そんなのは認めたくない、認められるわけがない。だってフォックスはもう死んでいるはずだしこの世界には自分たちジオの人間しかいないはずだし……地球には、誰もいないはずだろう?
フォックスの機影はゆっくりと高度を下げながら雲の中に突入していき、しばらくするとレーダーの索敵範囲からも消えてしまう。
放射線を放つ雲の中に紛れたのだろう。そうなると、レーダーで敵機を探すことは難しい。だがレーダー上から隠れたフォックスとはまた別に、新しい光点がレーダーディスプレイの中に表示された。
「なんだ?」
光点は、ゆっくりとハヤミの飛ぶ空域低高度からやってきている。
位置は正面。距離はまだあるとはいえ、このままの速度同士で近づき続ければ衝突するかもしれない。
「カズマか? いやそれにしては……」
機種不明。敵味方識別装置はそう判断している。
ハヤミはとつぜん現れた識別不明機に対し、接触を試みるべく無線の周波数帯を切り替えた。
「前方を飛行する機体、応答せよ。聞こえるか?」
まず最初に国際基準に照らし合わせた共通無線周波数帯で問いかけた。
しかし、正面から近づいてくる不明機は応答せず、また進路も変更しようとしない。
「応答しろ! こちらはジオノーティラス空軍のハヤミ・アツシ少尉だ。前方の機体応答しろ!」
ハヤミは酸素マスクの中で叫び続けた。
だが、耳元を覆うヘッドホンからは大気中の微弱ノイズしか拾わない。
遠くで雷雲がまたたき、大きなノイズが聞こえる。
「どういうことだ、ここら辺はもう何度も見に来てるだろ? 今さら敵機なんて、人間なんて、もうどこにもいないはずないじゃないか」
ハヤミは汗ばむ掌を握り直し、グローブの裾を締め直して操縦桿を強く握りしめた。
相変わらず国籍不明機はこちらに向かって飛んできているし、しかもいつの間にかフォックスの光点まで現れてレーダー上に表示される。
額から汗が噴き出て、この信じられない状況の中、ハヤミは静かに深呼吸を繰り返した。
酸素マスクの中で、何度も繰り返し息をする。
敵機なのか。フォックスがいる?
そんなはずはない。
念を押すように、ハヤミはバイザーの脇を指先で叩き位置を確認する。そして自分は……マザーの創り出す疑似拡張空間に飲み込まれていない。
妙なプレッシャー。
レーダー上の光点たちが近づいて、見えてきた。
「!?」
一瞬だけ、すぐ脇を見覚えのある機影が通り抜けていった。
白い翼に、後退翼。巨大な尾翼に、大きなエンブレムマーク。すべてがスローモーションのように、ハヤミにははっきりと見えた。
「フォックス!」
急いで振り返ったがもう見えなかった。代わりに、間髪入れず別の警告音が耳元に鳴り響く。
「!?」
光点の正体が分かった。それはとんでもなく巨大な、翼を大きく羽ばたかせる竜のような生き物だった。
なぜ巨大な生物が? あんなのがこの地球に?
いろいろと頭の脇をよぎったが、そんな疑問を考えている内に距離感を誤りすぐ目の前まで近づいてしまう。
「うお! クソッダメだ間に合わねェ!!」
ハヤミは大きく操縦桿を脇にそらし回避軌道にうつった。
羽ばたく翼がアークエンジェルの脇を通り過ぎ、大きな雄叫びがすれ違い越しに聞こえる。
だが同時に、コクピットを震わせる大きな衝撃が速見を襲った。
視界が反転し警告表示が一気に増える。
操縦桿が突然軽くなり、、フットペダルが震え出す。
『ワーニング! ライトウィング ストール!』
視界が一気に暗くなり、雲の中をアークエンジェルが飛びだす。
「な、なんだ!?」
しかも対地高度計がぐるぐると回りだし、高度計の指す針がぐんぐんとゼロに近づいて言っている。
操縦桿もうまく応えない。ペダルが震え、アークエンジェルは自機の失速状態をハヤミに知らせようとしている。
あらゆる警告音が耳元で鳴り響き、しかも高度は落ちだし、油圧低下や電気系統の故障、燃料漏れや酸素量低下などの表示がディスプレイに一気に表示されだした。
『プルアップ! プルアップ!』
「うるせえチクショウ! やってる!」
持ち上がらないアークエンジェルの翼をなんとか持ち上げさせようと、壊れた油圧系統を一度区切って、第二油圧系統に切り替えるようコマンドを入れる。
大きな音が鳴り、油圧系の切り替わりを示すポンプが作動した音が聞こえた。
燃料漏れはタンクを切り替えてなんとか持ち直し、電気系統は予備に切り替え、操縦系統は一時的に回復する。
しかしどこかで、今度は気落ち悪い音を発した。
次の瞬間、風景がグルグルと回りだす。
「うぐっ!?」
操縦桿は動く。しかし機体制御がまったく効かなくなり、ついに地面が見えだした。
流れる水滴の量が多くなり、大地の稜線がはっきりと見えだし、高度計の針が限りなくゼロに近づきつつある。ハヤミは覚悟を決めて頭を座席に押しつけ、脱出用のピンを勢いよく抜いた。
脱出シーケンスは作動しなかった。
同時にディスプレイに大量の警告表示が再度点滅し始め、ガラス面の向こう側に地面がうつる。アークエンジェルは動作を停止。
機体は大きく地面に叩きつけられると、一瞬だけふわりと空中に浮いて、折れた翼を何かに引っかけつつ横に滑って、どこまでも滑り続けて大地に突き刺さり、砕けて、動きを止めた。
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