第5話

 雲に入ると雨粒が高速でガラスにへばりつき、滝のように後ろへ飛ばされていく。ハヤミはすぐにレーダーをオフ切った。

 レーダー波は空をまっすぐ飛んでいき、物体に当たって乱れて返ってくる。だが逆の目で見れば、レーダーを打つということはそこにハヤミが居ることを教えるようなものだった。

 雲の中で一切の電波式計器を切ると、機内には闇と轟音だけが響くようになる。乱流に包まれたこの世界で頼りになるのは、アナログ式の高度計と対気速度計、水平指示器、風見の糸、目と、勘だけだ。

「……さァ、どこからくる?」

 竜にも似た雷の群れが雲を飛び抜け、獣の咆哮に似た衝撃音と横殴りの突風がハヤミのアークエンジェルを弄ぶ。

 アナログ式高度計がサイコロの目のようにぐるぐると回り、指示を一定させない。機首先端部の風見糸は縦にも横にも流れたままで、風の流れは乱れたままだ。

 バイザー内の拡張空間はリアルタイムに更新されていた。ハヤミとカズマが飛んでいる現実と、フォックスたちのいる虚構は完全に同期している。

 ……何かいる。

 バイザー上には僅かな気流の乱れとして、でもバイザーを外してガラス面の向こうを見てみると何もない、僅かな気流の差がある。

 ハヤミは何度かバイザーの駆け外しを繰り返し、舌で上唇を舐めた。

 何かがいる。それが勘がそれを告げる。雲の中に標的がいる。

 射撃管制装置をオンにし弾道予測シミュレータを入れる。気流の僅かな乱れから距離を測り、射撃レーダーを入れ前方へと飛ばした。

 照準がターゲットを補足し照準が定まる。ミサイルがターゲットを捉えた。

 次の瞬間、ハヤミを包んでいた黒雲がなくなり、視界は一気に青空へと変わった。

 前を飛んでいたのはデータ化されたハヤミのアークエンジェル。仮想空間内で再現された、もう一人のハヤミだ。

 後ろにはカズマの機体がいた。

「クソ! うまくいかないか!」

 ハヤミはスロットルを吹かし急上昇を開始する。すかさずもう一人のハヤミ機も上昇を開始し、ハヤミとまったく同じ軌跡をたどって回避軌道をとった。

「クソが、オレ様のコピー野郎め!」

 ダミーのハヤミ機に乗るもう一人のハヤミが、コクピット越しにこちらを見ていた。ハヤミは中指をたてて自分自身の拡張ターゲット機に向けた。ほぼ同時に、向こうもこちらに中指を建ててくる。

「そんなところまでそっくりなのかよ」

 だが見とれている暇もなく、後ろからビームラインがアークエンジェルの翼端をかすめて空気を裂く。

 熱線を何百も束ねて圧縮し、あらゆる装甲版を融解する高出力ビームはデュアルファングの武器。

 ハヤミのアークエンジェルは、エンジン出力に任せて高々度に逃げた。

 すかさずハヤミの拡張ダミー機がハヤミの後ろにつき、バルカンをばらまく。

 機動性は大型なデュアルファングより圧倒的に早い。

 普通のダミーターゲットに比べて格段に早い。

 その上行動特性はハヤミそのまま。ラダーやエルロンを駆使してどこまでも追いかけてくる。

「クソが! さすがオレ様だな!」

 ハヤミは再び操縦桿を引き落とし、雲の中へ機体を突入させた。

 再びレーダーを切り、盲目の感性航行にうつる。

 そんな空の飛び方はハヤミ以外誰もしないものだったが、もちろんハヤミのダミー機も同じような飛び方で雲の中を飛んでいるのだろう。

 雲が渦を巻き風が唸り、稲妻が空を切り裂きアークエンジェルのカウルを振るわせる。

 下から降り注ぐ冷たい水滴をエンジンが吸い込み、ファンブレードに着氷有りとの警告灯が点いた。

 翼にも着氷の警告表示。だがハヤミは、雲の中の敵機に目をこらし、暗闇の中でじっと耐えた。

 だが予想外の敵の攻撃が、アークエンジェルを内側から浸食し始める。最初ハヤミは、ただの無線のノイズだと思っていた。

「無線を切り忘れていたか?」

 雷と共に波打つように鼓膜を突く微弱ノイズが、大きくなったり、小さくなったりしているうちになにか規則的な電気信号を発しているように、ハヤミには聞こえたのだ。

 だがヘッドセットが拾っているノイズはノイズではなく、アークエンジェルを外部からハッキングしようとしている者が発している音だった。

 そのうちヘッドセットに、身に慣れない電子的な音楽が聞こえ出す。

 嵐の音に混じって電子的な音が混線するようになると、アークエンジェルの機能の一部が突然ロック状態になった。

「ん?」

 ハヤミは慌てて格納式キーボードを引き出しコマンドを入力すると、突然終了した機能を再起動する。だがアークエンジェルはハヤミのコマンドを拒否した。

「くっそ、何だこれ……」

 ディスプレイにはエラーが表示され、外部からの侵入を警告する表示が灯されている。

 だが、操縦系はまだ奪われていないようだった。

 ハヤミはふたたびキーを叩くと、アークエンジェルのセントラルコンピュータに外部アクセスデバイスの停止と無効化を命じた。

 そして一呼吸置くと、完全にコントロールを奪われる前に決着をつけるべく雲の外へと機体を向ける。

 雲を出ると、青い空と太陽が覗いた。案の定そこにはアークエンジェルがいて、即座にハヤミの真後ろについて追いかけ始める。

「クソッタレ! カズマめどこに隠れてやがる!」

『教えるわけないだろハヤミぃ!』

 余裕の様子で、カズマが電波を飛ばしてきた。

 ハヤミがアークエンジェルのレーダーを入れると、黒雲の一つにはっきりと機影を捉えた。同時にカズマのデュアルファングの周りには、小型のポッドが併走しているのも見える。

「そこか!」。

 ハヤミはカズマの隠れていそうな雲間にバルカンを撃ち込んだ。

 黄色い火線が一直線で飛び出し雲の中に消える。撃った弾はアークエンジェルのコンピュータ内で演算処理した架空のものだが、バイザーに広がる拡張世界の中ではしっかりと出ている。

 デュアルファングがゆっくりと雲の上に姿を現し、バルカンポッドがハヤミを捉えて応戦した。

 バルカンポッドの射撃応戦を避けて雲の割れ目に逸れようとするが、後ろについて離れないもう一人のハヤミが邪魔をする。

「あっ!? っくそ!!」

 ぴたりと後ろについて距離をつめるもう一人のハヤミが、射撃レーダーを発射した。

 アークエンジェル内にミサイル警報が響く。

 ハヤミは操縦桿を動かした。だが操縦桿は反応しなかった。

「何だ?」

『バカめ! アンチプロトコルワームをお前のアークエンジェルに仕込ませてもらった。お前の機体は俺がもらった!』

 ハヤミのコクピット内に、コンピュータがハッキングされたという警報が灯る。

 機体のすぐ右側にはカズマのデュアルファング、そしてバイザーを覗けば左側に、ハヤミのパイロットデータを再現したダミープログラム。

 ハヤミの覗くバイザー上では拡張空間が次々に再構成されていく。

 その空の上で実在するカズマのデュアルファングとダミーデータのアークエンジェルが同時に空を飛び、カズマの乗るデュアルファングがハヤミのアークエンジェルの後ろについた。

『チェックメイトだハヤミ』

「ああそうかいそうかい。だが、勝ったとは思うなよ?」

『へっへっへ、負け惜しみかい?』

 無線を通して断続的に聞こえてくるカズマの声と共に、ミサイル警報装置が耳障りな警告音を発する。ハヤミは見えにくいコクピットの中で何度も後ろを振り向き、必死にコンピュータの再起動を図った。

「このまま終わると思うなよ」

『ああ、なんだって? 雷がうるさくてお前の遠吠えがよく聞こえなかったなー』

「うるせえカズマ野郎!」

 必死にキーボードを叩きコマンドを実行させる。

「早く、早く!」

 アークエンジェルに搭載されている予備のコンピュータが、機体に入り込んだアンチプロトコルワームを解析している。だが解析には時間がかかるし、後ろにいるカズマは解析の時間をくれないだろう。

『そろそろゲームオーバーの時間だ、覚悟しろハヤミ!』

「クッソ!」

 ミサイルが発射され被弾の秒読みが始まった。

 五、四、三、二、一……ミサイルが被弾し、ハヤミのアークエンジェルは破壊される。

 破壊される瞬間の再現データは再生されなかったものの、バイザー内にはハヤミの被撃墜を確認する表示が灯された。

 ハヤミはヘルメットをかぶったまま頭を横に振り、天を仰いだ。

「ちっくしょーうまくいかねえな!」

『……りまえ……ろーが! おまえと……』

「なんだー? よく聞こえねーぞ!」


 アークエンジェルが、カズマに仕込まれたプロトコルワームの特定を完了し、ワームの駆除と操縦系が回復する。

 ふたたび機体が薄雲の中に飛び込み視界がゼロになった。

 ハヤミははあとため息をついてふたたび操縦系をアークエンジェルのコンピュータに任せ自動航行にセットした。

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