読書くん


 私には好きな人がいる。


 私は彼のことを『読書くん』と呼んでいる。そのものずばり、いつも本を読んでいるからだ。


 読書くんは人気がある。とてもモテる。


 この高校には、女子の人気をかっさらう男子が五人いる。読書くんはそのうちの一人だ。


 私はずっと、読書くんをモテる男子として見ていた。顔もスタイルも頭も良く、紳士的だ。そりゃモテるよね、と思って遠くから眺めていた。



 ある日の放課後。読書くんが教室で女子に囲まれていた。チャンスだと思った。


 図書室に向かった。


 中に入ると、思った通り誰もいなかった。


 普段の図書室はとても人が多い。読書くんが図書室で本を読むからだ。読書くん目当ての女子が、わんさかと押し寄せる。

 私はそれを迷惑だとは思っていない。試験勉強に図書室を利用することもないし、本を借りることもない。私には関係のない場所だからだ。


 ただ、図書室でちょっとやってみたいことがあった。それをやる機会をうかがっていた。


 本棚から適当に一冊抜き取った。窓側の端の席についた。窓の外から、運動部や吹奏楽部の練習の声や音が聞こえてくる。

 机に本を置き、開いた。頬杖をついて、窓の外を眺めた。


 これがやりたかった。


 放課後に図書室で、本を読んだり、外を眺めたりする女子高生をやってみたかった。


 満足した。


 本を棚に戻し、帰ろうと思った。貸し出しカウンターに置いてあるノートに目がまった。《感想ノート》と書いてある。パラパラとめくってみると、いろいろな色のペンで、様々なことが書かれていた。ノートを手に取り、再び先ほどの席についた。


 ノートには本の感想だけではなく、全く関係のないことも書いてあった。関係ないことがほとんど、と言ってしまってよいのかもしれない。

 図書室のノートだけあって、読書くんに関することが多く書かれていた。


 今日もかっこいい、絶対に目が合った、読書くんとの相合い傘、それらに対する野次やじ。女子たちの読書くんへの想いがつづられていた。

 途中、一ページに一文字という大胆なノートの使い方をしているメッセージもあった。


 ふと、顔を上げた。心臓が止まるかと思った。声を上げなかった自分を心の中で褒めた。


 読書くんが本を読んでいた。二つ向こうの机の椅子に座っていた。離れてはいるが正面だ。向き合っていた。

 視線は本に向けられていて、私が見ていることには気づいていなかった。それをいいことに、私は読書くんを観察した。


 そして、好きになってしまった。


 その日突然好きになったわけではない。いや、好きになっていたのかもしれない。その日をきっかけに、目で追うようになった。


 読書くんは私の中で、学校のすごくモテる男子から、思わず目で追ってしまうほど好きな人になった。


 本に向ける視線が好き。本に触れるあの手が好き。本を読みながら、ふと変わる表情が好き。

 読書くんが持つ本になれたらいいのに、なんて思いながら見つめる日々を送っていた。



「ねえ、あなた。彼のことが好きなの?」


 友だちでも、知り合いでもない女子に声をかけられた。でも、私は彼女を知っていた。この高校一の美少女だからだ。


 美少女さんはこう続けた。


「無駄よ。彼には好きな人がいるの。そのには、絶対に勝てないわ」


 美少女さんは、きれいな顔を少し歪ませ、見下したような表情をした。ふんっと鼻で笑うと、振り返り行ってしまった。


 恥ずかしかった。そのとやらに勝てないと言われたことが、ではない。読書くんのことが好きだとバレていたことが恥ずかしかった。

 友だちにも誰にも言っていない。本気で好きだとは言えない。それくらい手の届かない人だと思っている。

 隠していたはずだったのに、気持ちがれてしまっていたことが恥ずかしかった。


 あまり見つめないように、気をつけようと思った。見過ぎているのだと思った。でも、私の目は言うことを聞いてくれなかった。どうしても、読書くんのことを目が追ってしまう。もう目をつむるしかないのではないかと思うほどに。



 般若はんにゃのような形相をした美少女さんを見かけた。ある女子と一緒だった。有名な女子だ。


 その女子は、普通よりちょっといい感じの女子だ。美少女さんのように、校内一の美少女でもなければ、秀才というわけでもない。運動神経がずば抜けているということもない。何事もちゅうじょうからじょうな女子だ。


 この女子の何が有名か。それは魅力だ。たぶん魅力がすごいんだよ、と言われている。


 なぜ、たぶん、と付くか。それはわからないからだ。私たちにはわからない。でも、きっとそうなんだ、と思ってしまう。


 この学校のモテ男子五人全員と仲が良い。噂では、全員がメロメロだという話だ。


 その魅力さんが、美少女さんと一緒に歩いていた。般若と化している美少女さんにおくすることなく、平然とついていっていた。


 二人のあとを追いかけた。


 空き教室に、二人は入っていった。出入り口のドアは閉まっている。話し声は聞こえてくるが、何を言っているのかまではわからない。

 教室の壁の下側についている小窓に触れてみた。一箇所だけ鍵がかかっていなかった。そっと小窓を開けた。


「あなた、普通じゃないわね」


 美少女さんの声が聞こえてきた。


「どういう意味でしょうか?」


「そのままの意味よ。普通じゃないわ」


「意味がわかりません」


「そうかしら? はっきり言わないとわからないかしら? 私は私の役目を放棄しているのよ。あなたが彼と、うまくいくはずがないのよ」


「そうなんですか? 彼とは、どなたのことでしょうか?」


「とぼけないで。生徒会長のことよ!」


「ゲームと同じで、生徒会長のことが好きなんですね。好きになったんですか? それとも、推しだったんですか? 珍しいですね。生徒会長推しの人に初めて会いましたよ」


「や、やっぱり……。あなた、転生者ね……」


「ふふ。ビックリですよね。まさか、自分の他にも転生者がいるだなんて。絡んでくるはずの先輩が絡んでこないから、おかしいなとは思ってたんですよ」


 魅力さんはケラケラと笑いだした。


「えっと、なんでしたっけ? なんで先輩が悪役を演じてないのに、生徒会長と私の親密度が上がっているのか、でしたっけ? 違いましたっけ? まあ、いいか。そんなの簡単じゃないですか。私はヒロインなんですよ。しかも、このゲームの全貌を知っているんですよ。先輩もですよね? 先輩だったら、どうしますか? どうやって、親密度上げますか?」


「そ、それは……、アイテムを使って……、あっ!」


「そうですよ。別に先輩と絡まなくても上げる方法はあるんですよ。今頃、気づいたんですか?」


「で、でも、彼とエンディングを迎えるためには、私がいないと……」


「ええ、そうですね。先輩とのイベントも必要です。あ、そうだ。さっきは少し言葉が足りなかったので、言い直しますね。の生徒会長推しの人に、初めて会いましたよ。前世で会えていたら良かったのに。楽しく語り合えたかもしれないのに、残念です」


 ずっと人を小馬鹿にしたような口調だった魅力さんだったが、最後のほうは少しだけ寂しそうな感じに聞こえた。


 バタバタと足音が聞こえてきた。私は一目散にその場を離れた。隣の空き教室のドアが開いていた。そこに逃げ込んだ。


 ドアから廊下をのぞいた。


 美少女さんの悲鳴みたいな声が聞こえてきた。「違う、違うの!」と何度も聞こえてきた。

 しばらくすると、生徒会長に肩を抱かれるように支えられながら魅力さんが出てきた。美少女さんは出てこなかった。


 魅力さんたちが出ていった教室を、そっと覗いた。


 床に美少女さんがしゃがみ込んでいた。うずくまって、泣いていた。「こんなはずじゃなかったのに」と嘆いていた。


 私には、二人の会話の意味がよくわからなかった。天性のなんちゃらとか、私は顔が広いとか言っていた。

 意味不明なことばかりだったが、わかったこともあった。美少女さんも魅力さんも、生徒会長のことが好きだということはわかった。


 二人は恋のライバルだった。決着をつけるため、この教室にやってきた。そして、生徒会長は魅力さんを選んだ。美少女さんは失恋をしてしまった。だから、こうして泣いている。


 後日、生徒会長と仲睦まじく歩く魅力さんを見かけた。


 この世の終わりみたいな顔をした美少女さんも見かけた。一人ではなかった。周りに男子がたくさんいた。憂い顔も素敵だ、儚げで放っておけない、とかなんとか言っているのが聞こえてきた。



 私の視界には、今日も読書くんがいる。


 美少女さんと魅力さんの恋を目撃したからだろうか。少しだけ触発されてしまったような気がする。


 読書くんの視界に入ってみたい、と思う自分がいる。


 拾ってもらえるまで消しゴムでも落としてみようか。軽くぶつかってみようか。目の前で倒れてみようか。

 どれも迷惑行為のような感じがするのでやめた。


 普通に声をかけてみる、その勇気はまだない。とりあえず、共通の話題作りのために、同じ本を読んでみることにした。だが、私は読書くんがどんな本を読んでいるのかを知らない。誰かに聞けばよいだけなのだろうが、聞きたくない。想いがバレてしまう。


 結果、以前よりも熱心に読書くんのことを見つめることになった。本のタイトルを知りたくて、手元ばかりを見つめている。読書くんは本にカバーをつけない派らしく、表紙などはむき出しになっている。



 絶対に本のタイトルを突き止めてみせる。


 今日も手元に熱い視線を送るため、読書くんがいるであろう図書室を目指し歩いた。

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メガネさんと読書くん B星 @b_boshi

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