旦那、近付く


「おうめぇ?」


たかの屋にて、平助の間抜けな声が鳴り響く。

正太郎は塞ぎ込んでいたことなど忘れたように、いつもの顔ぶれを呼び出していた。

もちろん、慎士館でのことを話すためである。


「なんかなあ、気になるんだよなあ」


頬肘をつき、小さく唇を尖らせる正太郎。

しかし、総司、一、平助には何のことやらさっぱりだ。


「白粉ってのがなあ…どうにも引っ掛かって仕方がねえ」


正太郎は、またもや平助の漬物をぽりぽりと咀嚼した。


――白粉。

滝川が言っていた、池田から匂ったという白粉のことである。

その二文字が頭から離れず、ぷかぷかと浮かぶ。

それは浮かんだまま、何の形にもなっていないが。


「滝川にそのことを聞いてから、何人かの門弟にも聞いてみたんだけどよ、誰も知らねえって言うんだ」

「それは、誰も池田さんから白粉の匂いを嗅いだことがないってことですか」

「そういうこった」


総司の言葉に、深く頷いてみせる。

なぜ滝川だけが白粉の匂いを覚えていたのだろう。

そのことが、どうしても気になって仕方がなかった。


「道場に行く前、池田さんはおうめと会っていたということなのか」


一も無表情ながら、ぽつりと呟く。

その言葉に、平助が「まさか」と笑った。


「池田さんはそんな人じゃねえよ」

「確かに、真面目な人だったよね。道場に行く前に女と会うなんてありえないよ」


一以外の二人が揃って反論し、一の顔にほんの少しだけ不満が表れる。


「どうして言い切れる?池田さんのことなど、俺たちはちゃんと知っているわけじゃない。そのことはこの間、タカにも言われたじゃないか」

「まあ…」


言葉を濁し、平助はちらりと正太郎を見る。

正太郎は「なんだよ」と彼を見返した。


「とにかく、まずはおうめに会って、白粉の匂いがするかどうかを確かめればいいですよね?」


さらりと話の方向を戻す総司。

正太郎は訝しげな顔をしつつ、「ああ」と返事をした。


「池田の周辺に女はおうめしか匂わねえからな。でもなあ…」


うーん。


彼はしきりと首を捻っている。


「なんだよ、何か気になることでもあんの?」

「そこなんだよ。何かが引っ掛かってんだが、それが何なのかいまいち分からねえ」

「ふーん」


さして気にも止めない様子で、平助が相槌を打つ。


「おうめに会ったら何か気付くかもしれやせんぜ」


正太郎の隣に座っていた利吉は、そう助言した。

それでも彼は、上の空で唸るだけである。


白粉のことが胸に引っ掛かっているのは確かなのだ。

なぜかと問われれば、答えに窮するけれど。

白粉に関することで、何かを見落としている…そんな気がするのだった。


眉を潜める彼を見て、利吉は小さく息を吐いた。


「旦那、とりあえず、おうめとはどう接触いたしやすか」

「そりゃおめえ、決まってんだろ?」


利吉の言葉に眉間を緩め、にやりと口角を上げる正太郎。

そして彼は、それぞれの顔を見回した。

その企んだ顔に、いい予感はしない。


「おうめはなかなかの器量よしだ。となりゃ、必然的にいろいろと決まってくらあな」

「…なんです、旦那。僕の方ばかりちらちら見て」


総司が気味悪そうに正太郎を見返す。

彼の笑みが、さらに広まった。


「総司、おめえさんはおうめと歳が同じだ」

「それがどうかしましたか」

「なかなかの色男、しかも同い年と聞きゃあ、おうめだって気を許すだろうよ」

「本気ですか?」


つまり正太郎は、総司におうめと接触してこいと言っているのである。

総司は不審そうに目を細める。

そんな彼に向かって、今度は顔を引き締めてみせる正太郎。


「実際、一と平助はまだ前髪の残ったお子ちゃまだ。気を許すどころか、飴でも与えられて追い払われるのがオチだと思うんだよな」

「真面目な顔して普通、こんなこと言うかよ」


平助がぶすっと頬を膨らませる。

一もしみじみと頷いた。

しかし、正太郎は彼らを無視して続ける。


「そんで親分はっつったら、ご面相はなかなかのもんだが、いかんせん三十路過ぎのおやじだ。しかも岡っ引きとくりゃ、警戒もされらあな。人間ってのは、警戒すると情報を選ぶんだ。言ってもいいことと言っちゃいけねえことを、勝手に線引きしちまう。ぽろっと漏らす話こそが大事だってのによ」

「それ、杉浦さまの受け売りじゃ…」

「だまらっしゃい」


正太郎はぴしりと利吉を黙らせる。

受け売りだろうがなんだろうが、正しいものは正しいのだ。


「そこでだ。総司、おめえさんならその点、お眼鏡にかなうってわけよ。歳は同じで人当たりのいい笑顔。加えていい面してやがるときた。落ちねえ女はいねえさ。おうめも気が弛んでついぽろっと、あれえーってなもんよ。なんなら傷心のおうめを二階に連れてって、慰めてきてやってもいいんだぜ?いいよなあ、色男は何をしたって許されるもんなあ」

「旦那、最後の方、言葉に嫌味が込もってやすよ」

「なーに、気のせいさ」


はははとおもしろくなさそうに笑う正太郎。

そんな彼を、総司は胡散臭そうな顔で見つめた。


「なんだかなあ…」

「なんだよ、何か文句でもあんのか?言っとくけどよ、手伝うって承知したのはおめえらだぜ」


それを言われては、反論の余地もない。

よって、総司は渋々「分かりました」と頷いた。


「よし。そうと決まりゃ、さっそく行こうぜ。美味ぇ茶を飲みに行こうじゃねえか」

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