二
「ああ、米澤か」
稽古をしていた沢村の所へ早速行くと、彼は汗を拭き拭き話をするために裏庭へと付いてきてくれた。
縁側に腰掛け、自分の前に立つ長身の正太郎を見上げている。
年は三十路手前くらいだろうか、えらの張ったいかつい顔に、苦々しそうな表情が浮かんでいた。
「米澤ってのか、果たし状を持ってきた男は」
正太郎がそう尋ねると、沢村はこくりと頷いた。
「まったく、思い込みが激しいのだ、あの男は。俺はただ馴染みの店で酒を飲んでただけだというのに、あやつめ」
ちっと舌が鳴る。
「俺は米澤のことなど知らなかったし、これっぽっちも気にかけていなかった。なのにあいつは、俺の所まで来て喚き散らしたのだ。貴様、今俺を睨んだだろう、それは俺を誰だか知っての態度かなどとのたまってな…俺はあんな薄汚い野郎に目を向けたことなど、今までもこれからもないわ!」
「…殊勝なこった」
ギリギリと歯を食いしばる彼を見て、正太郎は若干引き気味に相槌を打った。
「だから俺は言ってやった。誰も貴様なんぞ見ちゃいない、と。そうしたらなぜだかさらに機嫌が悪くなって、俺が飲んでいた徳利を床に投げ付けて帰っていった。せっかくの酒をだぞ。まったく、自分を制するということを知らんやつだ」
「なるほどな。確かにそりゃあひでえ話だ。それで、それはいってえいつの話だ?」
「…池田が死んだ日の二日前だ」
怒り心頭の沢村も、さすがに亡くなった仲間のことを口にする時は口調が沈んだ。
目を伏せ、悲しそうに影を落とす。
しかし正太郎は、そんな彼に頓着しなかった。
「じゃあ、その二日の間に米澤はおめえさんのことを調べ、果たし状を書いて持ってきたってわけか。行動力の塊だな。恐れ入るぜ」
「そんなところに恐れ入らんでもよかろう」
沢村の鼻の穴が膨らむ。
正太郎は肩をすくめた。
「沢村さん、その馴染みの店ってどこなんですか」
ふと、総司が横から口を挟んだ。
利吉が露骨に嫌そうな顔をする。
沢村は束の間「なぜ総司がそんなことを気にするのか」と思ったようだが、特に追求して考えなかったらしい。
すぐに「たかの屋だよ」と答えた。
「たかの屋というと、こっからそんなに遠くねえな」
顎に手を当てる平助。
「今から行くつもりか?あそこは夜しか店を開けんぞ」
そうなの?と平助は両眉を上げる。
それを受け、一は無表情に言った。
「夜か。ならば、おそらく米澤もそう遠くの者ではないはずだ。沢村さん、米澤について何か知っていますか」
「言われてみれば、ほとんど知らんな。果たし状も、なんやかんやと結局受け取らなかったし」
やっぱり受け取っておけばよかった、と沢村は腕を組む。
冗談じゃない、と沢村をよく知る三人は胸の内で呟いた。
正太郎と利吉は彼らの話を聞き、目配せをし合う。
これ以上の収穫はなさそうだぜ、と。
「そうか。よし分かった。もう稽古に戻っていいぜ。悪かったな、邪魔して」
「俺でよかったらいつでも付き合います。下手人のこと、頼みます」
沢村はそう言ってぺこりと頭を下げ、道場に戻っていった。
残された五人は互いに顔を見合わせる。
「たかの屋、な」
ぽつりと呟く正太郎。
利吉がそれを受け、素早く答えた。
「どうしやす、手下に行かせやしょうか」
「いんや、俺と親分で行こう。その方が早え」
「ちょっと待てよ。俺たちは?」
おいおい、と平助が不満そうだ。
しかし正太郎に「おめえらはまだ稽古中だろうが」と軽くあしらわれてしまう。
「今日は二人で行ってくるさ。おめえらには追って連絡する」
「手伝えって言ったのは旦那なのによお」
「まあ悪く思うな。それに、剣の腕は上げといて損はねえからよ」
「ちぇっ…ほんとに勝手なんだからな」
そう言うと平助は「行こうぜ」と他の二人を誘い、沢村の後を追いかけていった。
正太郎と利吉、今度は二人で顔を見合わせる。
「ほんじゃ、行くか」
正太郎はそう声を掛け、先に立って歩き始めた。
利吉もいつものようにその半歩後ろを陣取る。
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