旦那、探す
一
次の日。
正太郎と利吉は再び試衛館へと出向いていた。
稽古中のため、門弟たちが竹刀を打ち合う音や床を大きく鳴らす音が響いている。
「池田が倒れてたのはここだったよな」
正太郎は一人言のように呟き、裏庭にある井戸のすぐ側で腕を組む。
試衛館の裏庭はやはり日が当たらず、ひんやりと湿っぽい。
井戸はというと、まだ掘られて数年といったところで、蓋も腐ってなどいなかった。
条件はあまりよくないが、門弟たちが稽古の合間によく立ち入っていそうな場所だ。
「なんでこんな所で殺されたんだろうな」
「分かりやせん…門弟たちもよく井戸の水を浴びに来ますし、昼日中に殺すってのはちょいと無理がありやすね。それに、皆が道場にいる時に死体を運び込むってのも難しそうですが」
「けど、はじめに見つかったのは四ツ半ぐれえだったって話だぜ。池田を別の場所で殺って、明け方誰も道場にいねえ時を見計らってここに運んできたわけでもねえだろ。それまで誰も気付かねえなんてありえねえだろうし」
「そうすっと、どういうことですかい。死体が自分の足で歩いてきたってことですかい」
うーん、と正太郎の口から低い唸り声が洩れる。
「俺たちがここにやってきた時の池田の体は、死んでからだいぶ時間が経っていた。硬直の仕方から見ると、殺されたのは明け六つくれえだと思う」
「そんなに前ですか」
池田が発見されるまで、二刻半もの時がある。
殺されてから発見されるまでの空白が大きすぎる。
わけが分からねえ、と正太郎も眉を潜めた。
「その二刻半の間、池田はどこにいたんだ?」
狭い裏庭。
数歩も歩けば、縁側から道場内へと入ることができる。
隠しておけるような場所などなかった。
「そういえば、昨日はちょっとした事件が起こったんですよ」
不意に朗らかな声が聞こえてくる。
正太郎は後ろを振り向かず、返事をする。
「総司、人の背後に立つ時は気配を隠すんじゃねえよ。ま、平助は隠しきれてねえが」
「なんだよ、気付いてんじゃん」
そこで初めて、正太郎はいつもの三人に向き合った。
微笑を浮かべる総司、少しむくれている平助、無表情な一。
いつもの顔ぶれだ。
彼らも稽古中らしく、額に汗を浮かべて縁側に立っていた。
道場の扉はすべて開け放してあるため、現場の検分に現れた二人が見えて様子を見に来たのだろう。
「で、何だって?昨日、事件があっただって?」
「ええ」
総司が正太郎に近付く。
「事件って、何のことでえ」
「答える前に、旦那、僕たちと勝負してください」
目の前で優雅に微笑みかけられる。
背は正太郎の方が上なのに、なぜか見下ろされているような気がしてならない。
正太郎は、いつものへらへらした笑みを浮かべた。
「おめえ、同心の俺を脅すたあいい度胸だな」
「脅してませんよ。お願いです。かわいい子供の至極純粋なおねだり」
「都合のいい時だけ子供だとよ。笑っちまわあ」
けっと正太郎は口を尖らせる。
「旦那だって、都合のいい時だけ僕たちのことをガキだガキだって言うくせに」
「お子ちゃまって呼んだりよ」
「お前たちはおとなしく家で昼寝してろと言われたこともあるな。寝る子は育つぞ、と」
ちくちくと、少年たちからの嫌みを受ける正太郎。
日頃の行いが悪いからこういうことになるのだ。
「どうでもいいことばっか覚えてやがって…分かったよ」
「じゃあ旦那、勝負してくれんだな?」
「いや、しねえ」
「はあ?今分かったって…」
平助が正太郎に詰め寄る。
すると正太郎は、またもやにやりと笑った。
「勝負はしねえ。だが、おめえたちにいいことをさせてやる」
「なんだよ」
「捕り物の手伝いだ」
「はあ!?」
平助のバカでかい声が、試衛館中に響いた。
道場内から「平助、うるさいぞ」という声が聞こえてくる。
総司は少しだけ笑顔を引っ込め、一はほんの少し、興味を持ったような顔をした。
といっても、一の表情は喜怒哀楽に乏しいためよくよく見なければ分からなかったが。
「旦那!」
利吉の声が尖る。
「またこいつらを危険に巻き込む気ですかい?今回はこないだとまったく違う状況なんですぜ!」
正太郎はまあまあ、と彼を宥める。
「いいじゃねえか。こいつらだって人生経験の一つや二つ、積んでおかねえとな」
お得意のにやり笑いを浮かべる正太郎。
手伝えと言われた三人は「どうする?」と顔を見合わせた。
「ここはやっぱり…」
「手伝うしかないだろ。なんたって、同心の旦那直々のお願いだしよ」
「平助、なんだか楽しそうに見えるのは気のせいか?」
「気のせいじゃないよ、一くん」
「なんだよ二人とも。わくわくしねえの?」
純粋無垢な問い掛け。
総司と一はあるかなきかの苦笑を浮かべた。
「まあ旦那にはお世話になってるしね」
「池田さまの敵も取りたいしな」
「そう来ると思ったぜ」
正太郎はそう言い、一の背中をばしっと叩いた。
彼の表情はまったく変わらないが、前につんのめっている。
平助が、「旦那」と彼を呼んだ。
「俺たちは何をしたらいいんだ?」
「ちょいと待ちな。おめえさんたち、本気で手伝うつもりかい?」
利吉である。
断じて認めない、とその顔は言っていた。
「おうよ。なんか悪いことでもあるのかい、利吉の親分」
平助が答えた。
彼の朗らかな表情とは違い、利吉は仏頂面である。
「捕り物をなめてかかってもらっちゃあ困る。これでも俺たちゃ命張ってんだ。それをほいほいと軽々しく扱わないでもらいてえ」
「利吉」
正太郎が諭すように、ゆっくりと名前を呼ぶ。
「俺だって、何も考えなしなわけじゃねえよ。こいつらならできると思ったからこそ頼んだんだ。それに、三人とも剣に関してはいい腕してるぜ。たぶん」
「たぶんって…旦那、本当に大丈夫なんですかい?」
「たぶん」
利吉の目元がひくりと引きつった。
正太郎はゆっくりと彼から目を反らす。
「大丈夫ですよ、親分さん」
総司がにっこりと笑った。
胡散臭そうに彼を見る利吉。
「もし何か危険なことがあっても、自分の身は自分で守りますから」
「………」
利吉の口はいまだへの字のままだったが、総司の言葉を聞いて何も言えなくなったらしい。
顎を引くと、厳重に釘を刺した。
「危ねえと感じたらすぐに引くこと、必ずあっしと旦那の指示に従うこと、勝手なことをしねえこと。これだけは守ってもらうぜ。分かったな」
そして利吉はおとなしくなる。
少年たちはこくりと頷き、顔を引き締めた。
いい顔だ。
まだ納得はできないが、正太郎の言う通り彼らならうまくやるだろう。
「よし、決まりだ。これから頼むぜ」
正太郎は話を切り上げる頃合いを見定めるのが、本当に上手い。
パン、と手を叩くと、脱線していた話を元に戻した。
「で、事件ってのは?」
「ああ…大したことじゃないんですけどね」
総司はそう言って、池田が発見された日のことを話し始める。
「昨日、果たし状を持ってきた男がいたんですよ。それも、門の所で沢村…あ、果たし合いを申し込まれた相手が沢村善之丞さんっていうんですけど、その沢村はいるかって大きな声を出したもんですからね、ご近所さんまで試衛館に集まってきちゃって、ちょっとした騒ぎになったんです」
「ほう」
正太郎の眉間に皺が寄る。
一が総司の後に続いた。
「危うく喧嘩になるところだったな」
「沢村さんも血の気が多いからなあ。果たし状を持ってきた男を殴ろうとしたり。まあみんなでなんとか押さえたんだけどさ」
平助も加わる。
「ここの門弟たちは全員その果たし状騒動に参加してたのか?」
「参加してたというか…野次馬としてですけど、たぶんほとんどみんないたと思います」
「なるほど」
下手人はその騒動を狙い、ここに池田を運び込んだのだろうか。
だが、それには下手人が沢村の果たし合い騒動が起こることを事前に知っておかなければならないはずだ。
だとすれば、これは計画的な殺しである。
もしかしたら、思った以上に炙り出すのは大変かもしれない。
「とりあえず、沢村とかいうやつに話を聞くか」
正太郎は誰にともなくそう呟いた。
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