第18話 優香の心
優香は、毎日、父の仇を討つことを考えている。しかし、同時に、新之助が大好きでたまらない事も分かっている。大好きでたまらない者を、父の仇として殺さなければならない。
昼間、牛の乳しぼりや、新之助の甥や姪と遊んでいると、気がまぎれる。
しかし、風呂に入って、夜寝る時になると、頭の中はその思いで押しつぶされそうになる。
いっそのこと、新之助を殺して自分も死のうか? と思ったことも、一度や二度では無かった。しかし、里の人たちの好意を受けている身にはそれさえ許されない気がした。
イエヤスの手のものから守って頂いている者が、自死してしまったら、里の人々にご恩を返せない事になってしまうのが優香の中で許せないからだ。
そんな思いを新之助の姉のおイチも感じているらしく、以前こんな事を言ってくれたりもした。
「優香さん、そんなに思い詰めているのなら、いっそ私の弟を殺しても良いよ。その代わり殺す前に新之助の子種を授かって、弟の子供を産めば良いのさ。そうすれば、新之助の血は続く事になるからね」
しかしそうなると、新之助の子供にとっては、実の母親が父の仇となってしまう。子供を不幸にするのは余りにも忍びないと思うと、優香にはその方法も取れない。
今はまだ優香の小屋を作っているという理由があるので、仇討ちを伸ばす大義名分になっていた。
しかし、いよいよ明日には小屋が完成してしまう。そうなってしまったら、優香の中で仇討ちを待つ理由が無くなってしまうのだった。
やっぱり和尚様に相談してみましょう。
そう考えた優香は、おイチの子供達を早めに寝かしつけてから、そっと里を離れて古い崩れかけた寺に向かった。
その寺は、本来は近隣の村の菩提寺なのだが、長引く戦乱のために寺の外壁は崩れかけていた。
寺の住職は、よく出来た和尚様で、付近の村の菩提寺にもかかわらず、かくれ里の者の弔いを嫌な顔も見せず引き受けてくれていた。
優香は、一度和尚様に聞いたことがある。
「なぜ和尚様は、何の関係もない里の者を弔っていらっしゃるのですか?」
「死んだ者を弔うのに、村も里もないじゃろう? みんな仏様になれば一緒じゃよ。仏様に念仏を唱えるのが坊主の仕事じゃからの」
和尚様はそう言って、カンラ、カンラ、と声を上げて笑うのだった。
優香の着物も、和尚様は何の理由も聞かずに快く預かってくれていた。優香の着物は、当然城主の姫様が着る着物だ。従って、誰が見ても明らかに高級な生地からなる着物なのだ。そんな着物を、年端もゆかない娘から突然預かって欲しいと言われたら、その背景を勘繰るのが人の常だ。しかし和尚様は一切聞かずに預かってくださったのだ。
「人にはそれぞれ縁があるからノォ、ワシはお前さんを気に行っただけじゃよ。ほれ、袖すり合うも多生の縁、と言うじゃろうが。きっとお前さんとワシは別の世界ではお隣さんだったのじゃよ。ほっ、ほっ、ほ」
和尚様は、そうやって笑って、優香から理由を一切聞かなかった
そんな訳で、優香は人として尊敬している和尚様に相談に来たのだった。
「今晩は、住職様」
「おお、姫様、どうしたのじゃこんな時間に」
優香は、着物を預かってしばらくしてから、改めて自分の身の上を和尚様に話していた。和尚様は姫様をやさしく慰めるだけで、それ以上の事を聞こうとはしなかった。
「実はご相談があるのでございます」
「おお、それならお上がんなさい。何も出す物は無いが、お湯ぐらいなら何とかするぞ」
そう言って、白湯を出してくれた。白湯を口で冷まして、一口すすってから、優香は話し始めた。
「実は、ご相談とは新之助様の事でございます。明日、私の小屋が完成するので、仇討ちを待ち続けた理由が無くなるのでございます」
優香は、苦しい自分の胸の内を和尚に素直に話し出した。
「新之助様は、私の父の仇でございますので、仇討ちをしなければなりません。しかし、和尚様には正直に申しますが、私は新之助様を好いてございます。好きな男を殺す事は出来ません。しかし父の仇討ちもしなければなりません。和尚様、私はどうしたら良いのでしょうか?」
「うーむ。もしも、ワシが姫様なら、死んでしまった者の事より、生きている者の事を優先するがノオ。姫様、お父上は本当にお主に仇を討ってくれと申されたのか?」
――― あの時、私が部屋に入った時には、父は既に斬られて倒れていた。だから、父とは会話出来なかった。しかし父は、父を切った者に向かって何かを伝えている様に見えた。部屋は暗くてよく分からなかったが、きっとアレが新之助様だったのだろう。―――
優香があの時の事を思い出している時に、和尚様が唐突に喋り始めた。
「新之助、幼名はシンと言うのじゃがの、あいつの父親はよく出来た男でなぁ、里の者から信頼も厚く何でもこなせる奴じゃった。しかし子種には恵まれなかった。三人連続で生まれた赤子が女の子じゃったが、四人目にして待望の男の子を授かったのだよ」
そこで、何かを思い出すように自分の目の前にある白湯を一口飲んだ。
「しかし母親は産後の肥立ちが悪く、シンを産んで直ぐに亡くなった。運の悪い事に、その当時、里には代わりに乳をくれる子持ちの女がいなくてな。結局は、里で飼っていた牛の乳を飲んで大きくなったのじゃ。今、お前さんが毎日乳を絞っている牛じゃよ」
「ああ! 私が毎朝・毎晩絞っている乳を、新之助様は赤ん坊の時に飲んでいたのですね……」
突然、優香の頭の中に、新之助が牛の乳を飲んでいる姿が見えて来た。優香の心の中に、新之助への想いが一気に広がって行くのが分かった。今まで我慢していた想いを、もう誰にも止める事は出来なかった。
優香の想いとは別に、和尚様の話は続いていた。
「シンが10歳の時じゃ、親父様が戦で亡くなってしまわれた。里の男は、昔は、山でイノシシやシカを取って村や町にその肉や革を売っていたのだが、日本中がイクサに巻き込まれてからは、あちらこちらの闘いに参加して金銭や薬を手に入れるようになっていたんじゃよ。シンの姉の旦那達も、皆、戦で命を落としている。シンは、本当は誰よりもイクサを憎んでいるのじゃ」
優香は、いつも夜一緒に寝ている子供たちに思いをはせた。
「牛の乳を飲んで育ったせいなのか、父親の血を引いたからなのか……。アヤツの体格と運動能力は、三河で敵うものはいないじゃろう。しかし怪物のような見かけに比べて、アヤツは、甥や姪の面倒をよく見る心優しい男じゃよ」
優香は、新之助がいつも甥っ子や姪っ子達と楽しそうに遊んでいる姿を思い出していた。
「アヤツは闘いに行くと、敵の大将首しか落とさなかった。一兵卒にも守るべき家族や畑があるのを知ってるからじゃ。大将さえ落とせば、イクサは終わるからノオ。しかし、その代償としてアヤツの身体は傷だらけじゃよ」
優香が河原で見た新之助の体には、それこそ数えれれない傷があった。
「あの時の城攻めの時も、そう思ったのだろう。城の女子供を戦火に巻き込まないように、真っ先にソナタの屋敷に乗り込んだのだそうだ」
和尚様は目をつぶり、何かを思い出すかのように話し出した。
「しかし、ソナタの父上と刃を交わして、初めて恐怖を感じたそうだ。ああ、俺の命もこれで終わりだ、と思ったそうじゃよ。ソナタの父親は恐ろしく強かったらしい。しかし、武闘団の雇われザムライが隣の部屋にいた嫡男を斬り殺した時の悲鳴を聞いて、ほんの一瞬だけ隙が生まれたらしい。シンは、その一瞬の隙をついて、かろうじて父親を斬ったそうじゃ」
和尚様は、そっと目を開けて優香をじっと見る。
優香も、和尚様の目を見つめる。
「殺生を禁じられた坊主には分からないが、刃を交わした者同士、命を交わらせた者同士として、通じるものがあったのだろう。シンに斬られた時に、ソナタの父親はシンに今生の頼みとして、ソナタをイエヤスから守って欲しいと頼んだそうじゃ。ソナタの父親の最期の頼み事は、仇討ちなどではなく、ソナタを守って欲しいという事じゃった」
和尚様は、また白湯を一口のんでから語りだす。
「ソナタの母は、嫡男がサムライに斬り殺されたのを見て自死したらしいとシンは言っておった。ソナタの父を斬ったのは確かにシンであろう、しかし弟君と母親には一切手出ししなかった、という事は信じてやってもらえまいか」
和尚様は、優香に頼み込むようなそぶりをする。
優香は、和尚様の気持ちが痛いようにわかった。
「この間、その武闘団に刀を返しに行ったそうじゃ。ソナタに刺されて、仇をうたれて死んでしまったら、借りた刀を返せなくなるという理由だそうじゃよ。まったくアイツらしいのお。しかし武闘団のオヤカタ様から選別としてくれてやると言われたそうじゃ。新之助のヤツは、選別がわりに渡された刀でも、もう触りたくもないと言って、この寺に投げ捨てて行ったわい。そう言う訳で、シンの刀は今この寺でソナタの着物の横に並べてあるわい」
和尚様の話を聞いている途中から、優香の目に光る物が現れ出していた。和尚様の話が終わる頃には、それは大きな涙の粒となって顔を伝って落ち、優香の手のひらを濡らしていた。
優香の心は決まった!
私は、これからは何があっても新之助様と共に生きていく。それが、父上の遺言であり、本当の意味の仇討ちになるのだから。そう思うと、優香の身体の中から何かが湧いてくるのを感じた。
「和尚様、ありがとうございます。私の気持ちは決まりました。私は、新之助様と二人で暮らします!」
「うん、うん。そうか、決めなすったか。それが良い、それが一番じゃ。仇討ちの結果の弔いは、ワシもやじゃからノオ」
そう言って、和尚様は大きく笑った。
「しかし姫様、今日はもう遅い。こんな古寺でも、夜露や野犬からオヌシを守れるので、今夜は泊まって行きなされ。明日の朝一番に、里に戻れば良いじゃろう?」
「ありがとうございます、和尚様。それではお言葉に甘えて今晩はこちらにお世話になりとうございます」
優香はそういって、和尚に深々と頭をさげた。
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