第17話 隠れ里

 優香の境遇を聞いて、新之助の姉たちは同情し大いに歓迎してくれた。


 優香は、里の仕事として、牛の乳しぼりをする事になった。牛は、非常に賢く、臆病な動物だから、怪しい奴には絶体に乳を搾らせない。下手をすると蹴り殺されるぐらいだ。でも、優香を一目見た時から、安心して乳を搾らせてくれるのだった。


 優香は、新之助が寝泊まりしている小屋から少し離れた場所に、小さな優香用の小屋を建ててもらって、そこで生活する事になった。優香用の小屋を建てるのは、当然新之助の役目だった。


 「おれは、命を狙っている人のために小屋を作るのか?」、最初は反対した新之助だったが、姉たちの猛反発を受けてしぶしぶ承諾した。

 優香の小屋が出来るまでは、優香は新之助の姉である、おイチの小屋に寝泊まりする事になった。


 朝一番に起きて、牛小屋にエサのワラを入れてそれから朝の乳しぼりを行う。乳しぼりが終わってから、小屋に戻っておイチ達と里の飯を食べる。

 昼間は、新之助の姉たちの子供の世話をしたり、里の小さな畑作業も手伝いにでかける。

 夕方になると、再び牛小屋まで行って乳しぼりを行う。そして、おイチの小屋まで戻って子供たちと夕飯を食べる。

 夜は、子供たちと風呂に入ってから子供たちを寝かしつける。


 数日前までは、お城の中でご家来やお女中に囲まれて、お姫様としてなに不自由ない生活を送っていた優香にとっては全てが驚くことばかりだった。しかしこうやって体を動かして忙しくしていることで、一族の滅亡や将来の生活への不安な気持ちを一時的にも忘れることが出来るのは、優香にとっては幸せなことだった。


 昼間は、小屋を建てている新之助のところに行って、おイチと優香が一緒になって作った弁当を届ける。

 そして、新之助にスキあらば短刀で新之助を刺すことを試みる。しかし新之助にいつも軽くいなされて、日課の仇討ちは失敗するのだった。


 新之助は、一度冗談で優香に言った。


「俺を殺したければ、優香様が届けてくれる弁当に毒を盛ればいいじゃあないですか。そしたら、俺は一発でお陀仏だ」


 優香は少し笑いながら、でも目は笑ってない状態で答えた。


「新之助、……お前をそんな簡単な方法では殺しませぬ。わたしがこの短刀でお前の腹をかっさばいて殺さないと、わたしの気が収まらぬのです。……いや、わたしの裸体を見たお前さまの目ん玉をほじくりだすのが最初か。お前に裸を見せてしまったのが、わたしの一生の不覚でございますゆえ。次に、……お前の股間に付いているモノをちょん切って、魚のえさにしてから。最初にお前のモノなど覗き見しなければ良かった。それも後悔の一つでございます」


 優香は、自分の短刀を新之助に見えるように振りながら、遠くを見つめるようにして言う。


「それに、今殺しては私の小屋が出来ませんものね。早く私の小屋を作って、私に殺させてくださいませ……」


 優香はそう言いながら、新之助に向かって冷たくほほえむ。


 里の生活に慣れたおかげか、新之助の姉達の子供たちと毎日遊んでいるおかげか、里に入る前の混乱して取り乱していた優香はもうここにはいない。ただし、新之助への恨みだけは、日々蓄積されているようだった。


 優香様のほほえみは相変わらず美しいが、最近ではちょっと怖い美しさに変わったように見えるのは、新之助の勘違いだろうか?

 もう少ししたら、優香様の小屋も出来上がる。そうなれば、今度こそ、新之助には今生の別れが来ることになるかもしれなかった。


 ――― 新之助は、思った。

本音を言えば、俺は優香様と仲良く暮らせるのが一番良いのだがなー。でも、やはり父親を殺した相手とは仲良くはなれないのだろうなあ。

 俺だって姉貴を殺されたらソイツを恨むだろうし、ましてや仲良く暮らすことなぞ考えられんものな。

 新之助の心の中は寂しさで一杯だった。


 そういえば、借りていた二本の刀と、鎖かたびらをオヤカタ様に返さないとな。

 このまま、俺が優香様に仇討されてしまえば、刀と鎖かたびらを返しそびれてしまう。

 それに、イエヤスの状況も知りたいしな。


 よし、一度、小屋が出来る前に、オヤカタ様に会いに行くか。―――


 新之助は、旅に出ている間の優香のことを、おイチ姉に託してから、馬に乗って、オヤカタ様の屋敷に出向いて行った。


 ***


 新之助は、久しぶりにオヤカタ様の屋敷にやってきた。

 屋敷の門番から新之助が見える場所まで、新之助と馬が近づいて行くと、門番が門も閉めずに大慌てで屋敷の中に駆け込むのが見えた。


―――

「てえへんだー! てえへんだー! あの新之助が乗り込んできたー」


 門番の一声で、屋敷中が上へ下への大騒ぎになってしまった。

 屋敷中の雇われ侍達は大慌てで戦の準備を始める。お女中や使用人達は、屋敷の奥に大慌てで移動する。

 屋敷内は新之助が攻め込んで来たと勘違いして、オヤカタ様を除いて大混乱になってしまった。

―――


「おいおい、門番が逃げてどうすんだよ。せめて門を閉めて鍵ぐらいかけろよ」


 新之助は、門番のいない開け放しの門扉を素通りし、わけなく屋敷内に入る事ができた。


 門に入ると入口の所で馬から降りた。馬はそのまま放し飼いにしておく。馬留めに繋いでしまうと新之助に何かあった時に馬が逃げられなくなってしまうからだ。

 新之助は馬のたてがみを優しく撫でて声をかける。

「チョットまっててくれな、直ぐに戻って来るからな」

 馬は新之助をジッと見つめてから軽く頭を下げて、「ブヒヒーン」といなないた。


 新之助はゆっくりと敷地の中を歩く。新之助の両側には、刀に手をかけて緊張した面持ちで新之助を見守る多勢の武士達がいる。


 一触即発の緊張感が、その場所を支配しているようだったが、新之助はそのようなこともお構いなしに、ひょうひょうと敷地の奥にあるオヤカタ様の屋敷に向かう。


 そして、敷地の一番奥にある、オヤカタ様の屋敷のおもて玄関に入ってから、おもむろに声を上げた。


「たのもー。オヤカタ様にお目通りをお願いしたい」


 そこへ、オヤカタ様が落ち着いた調子で自ら玄関に表れた。


「おお、新之助! やっと来たか。そろそろお前が来る頃だと思っていた。お前は恐ろしそうな外見とは違ってホントは律儀な奴だからな。おおかた、オレが貸した刀と鎖かたびらを返しにでも来たんだろう?」


 オヤカタ様は、そう言ってガハハと笑う。


「ついでに、お前がさらった姫様も返してくれるとオレ様としてはうれしいんだがな」


「さすが、俺が見込んだオヤカタ様だな。俺が刀と鎖かたびらを返しに来ることまでお見通しとはな」


 新之助は笑いながらオヤカタ様とやりあう。


「しかし、お屋形様、あの色っぽいお姉ちゃん達を俺に合わせたのは失敗だったな。あんな事したら、かえって姫様を差し出す気なんか起きなくなるだろうと思わなかったのかい? あれのおかげで、俺は今、姫様から命を狙われている身だぜ」


「おお、そうかい! ならば、ぜひ姫様を俺たちに渡しちゃあくれまいか? そしたら、金は弾むぜ」


 オヤカタ様は、我が威を得たり、といった顔をして言った。


「いや! それだけは、絶対だめだ。俺は、城主様から、死に際に姫様を守ると約束してしまったんだ。だから、俺が死ぬまでその約束を守る必要がある。オヤカタ様、どうだい、ここで決着をつけるかい? 俺さえ殺せば、姫様はオヤカタ様のものだぜ」


「ばかやろう! お前とやり合って、勝てる訳ないだろう。お前の強さは、俺が一番知っている。新之助、お前が姫様に殺されたら、その後で姫様をさらいに行くよ。だから、早く姫様に殺されてくれ。それまでは、お前に預けた二本の刀と鎖かたびらは、お前に貸しといてやる」


 オヤカタ様は、おどけるように手を左右に振って、新之助の提案を即座に拒む。


「あ、それからな。イエヤス様には、城が焼け落ちたどさくさで、姫様には逃げられてしまい、いまだに探索中です、と伝えてある。お前が、盗んで里に隠しているなんて、これっぽっちも言ってないぞ。だから、安心して、姫に殺されてくれ」


 オヤカタ様は、イエヤスに報告した顛末も新之助に伝えた。


「おかげで、俺はイエヤス様からは大目玉を食らってしまった。まあ、おれもイエヤス様は好きでないから、良いけどな。まあ、結果としてイエヤス様に殺されなかっただけでも良しとしなければな。もしもイエヤス様にころされていたら、今頃はお前とこんな話なぞできんものな」


 オヤカタ様は、何かを思い出すように遠い目をしながら、新之助に語る。


「それと、城の中でお前が手首を砕いたサムライは、城主の首をイエヤス様に差し出して、イエヤス様の仕官に収まったそうだよ」


「え! あのサムライ、手首が砕けてたのか? そんなに強く打ったつもりはなかったんだけどな。あ、でも姫様をさらおうとしたから、結構強めに打っちまったかもしんねえなあ」


「新之助、お前が本気でなくても、刀で手首を叩けば、砕けちまうぜ。相変わらず、お前は恐ろしい奴だなアー。まあ、そういう訳だから、安心しな。イエヤスの軍勢は全然見当違いの方を探しているよ。だから、早く姫様に殺されてくれ!」


 オヤカタ様は、新之助に向かってニヤリとしながら告げた。

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