第14話 二人だけの夜

 日が暮れる頃に、二人はやっと目的の小屋にたどり着いた。


 小屋の回りはうっそうとした林に囲まれており、遠くからはそこに小屋があるようには見えない場所だった。

 小屋のそばには、きれいな湧水が流れ込む小さな池もあった。二人は馬から降りて小屋に向かって歩いていく。新之助は、池の近くに生えている大きい木に馬を留める。馬は勝手にそこの池の水を飲み始めた。


 狩りをした動物の肉をさばいたり、動物の血で汚れた身体や武器を洗うためには、清らかな水が豊富に湧いている水場のそばに小屋を作るのが猟師としての常識だ。


 取り敢えず、飼い葉桶に寝床として使用しているワラをたっぷりと入れ、動物を誘き寄せるためのエサとして使うつもりで地面に埋めておいたニンジンを数本追加したら、長距離を走ってくれた馬に持っていった。

 水を飲んでいた馬は飼い葉桶のエサに気づいたようで、水を飲むのをやめて飼い葉桶のエサに美味そうにかぶりついた。


 新之助は飼い葉桶のエサにかぶりついている馬のタテガミを優しく撫でながら馬に聞こえるように言った。


「ありがとうな! お前がいてくれなければ、日が落ちる前にここにたどり着けなかった。たんまりとエサを食べて、ユックリと休んでくれよ! 後で寝床も作ってやるからな。明日もしっかり走ってもらうから、今日はユックリと休んでくれ」


 それから小屋に戻って、自分達の夕飯と今夜の寝床の準備を始めた。小屋といっても夜露を凌ぐ程度の質素な作りの建物だ。非常用の食べ物と寝る場所だけしかなかった。


 先ずは、小屋の中で火を起こし、灯りをともした。

 小屋の中には日持ちする乾燥食糧が多少なりとも置いてあるので、これで夕食を用意するのだ。

 新之助が馬の所にエサをもって行った時に、ついでに池から新鮮な水を水桶に汲んできていた。水桶から鍋に水を移して、火にかけてお湯を沸かす。

 小屋に保存してあった乾燥食糧と、そこらへんに早えていた野草を入れて、そこに玄米とヒエ、アワを入れて夕飯の鍋の準備をする。


 夕飯用の鍋とは別の鉄瓶にも、水を入れてこちらは身体を拭くためにお湯を沸かす。お湯が沸いたら桶に移して、小屋の前で休んでいた優香に差し出す。


「優香殿、お疲れ様でした。長丁場だったですが女の身でよく頑張りました。この湯で足と身体を拭いて下さい」


「ありがとうございます、新之助様。お湯を沸かしてくださったのですね。新之助様のご厚意、ありがたく頂戴いたします」


 そう言いながら、優香は足元と首筋をお湯に浸した手ぬぐいでゆっくりと拭いていく。首筋からはまだいい匂いがする。


 女子(おなご)とはこう言う者なのか? 周りにいる女といえば、姉3人か、里の者しか知らない新之助にとっては、振る舞いから何から全てが新鮮だった。


 夕飯ができる前に、馬の寝床を作るために小屋にあるワラを運び出す。小屋の中から小さな台車を出してワラを積んでいたら、足と首筋をお湯で吹いていた優香もやってきてワラの運び出しを手伝ってくれた。


「優香殿、せっかく汗を拭いたのにまた汚れてしまうのでは? お姫様はこんな作業をした事無いんじゃあないですか? 横で休んでいて下さい」


 新之助は優香に優しく言葉をかけた。


「いえ、新之助様。お城の姫君と言えども、私どもぐらいの城では働くのは当たり前です。男は外で戦っているのですから、女は男の倍は城内では働かないとなりませぬ。馬小屋の掃除などは朝飯前でございますよ! しかもあの馬は私達をここまで頑張って連れて来てくれた働き者ではございませぬか。その働きに正しい褒美を与えるのが、人の上に立つものの務めです」


 そう言いながらも、優香はお城の暮らしを思い出していた。母君も城主の奥方様でありながら、家臣達やその家族を気づかい、絶えず何が出来るかを考えている人であった。城主である父君ともいつも仲良くしていて、娘の私や弟ぎみにも分け隔てなく優しかった。

 しかし、優しさの中にあっても、躾だけはしっかりと身につけさせようと、甘やかされる事は一切なかった。やるべき事をしない時には、優しさのこもった、しかし厳しい態度で叱られたものだった。


 今になって考えれば、いつ如何なる時でも生きていける様に、厳しくも優しく躾けられていたのだ、と思えた。だからこそ、この突然の人生の転機にも、戸惑いながら前に進む事が出来るのだと思うと、今は亡き母君には感謝しかなかった。


「優香殿、どうなされたのですか? 泣いておられるのですか? 辛いのであれば、そこで休んで涙を拭いてはどうですか」


「新之助様、いえ、この仕事が辛くて泣いている訳ではありません。馬の寝床を作る手伝いも城の仕事の一つだったので、つい城の生活が思い出され、それにつられて母君の事を思い出していたら、涙が止まらなくなってしまったのです。ビックリさせてしまい、ごめんなさい」


 そう言って、優香は着物の袖口から手ぬぐいを取り出して目からこぼれ落ちそうになっていた涙をそっとぬぐう。


「ところで新之助様、母は苦しまずに亡くなったのでしょうか?」


「ごめんな、悲しい事を思い出させてしまったか……。俺は優香殿の母君の死に目は見てないのです。でも、きっと苦しまずに亡くなったんだと思う。優香殿を見ていると、さぞかし立派な母君だったのだろうな」


 新之助は、優香の問いに悲しそうに答えた。


「俺は、物事付いた頃には『とうちゃん』も『かあちゃん』もいなくて、姉キ3人に育ててもらったから、親のありがたみを知らないんだ」


 新之助は、持ってきたワラを整えながら、すこし寂しそうに自嘲気味に笑う。


「まあ、それは申し訳ありませんでした。新之助様の辛い過去を思い出させてしまいましたわね」


 優香も申し訳なさそうに話をする。


「イヤ、辛い思い出と言うより、優香殿が羨ましいなあ、という思いの方が強いんです。さあ、馬の寝る場所も出来たから、小屋に戻って夕飯にしましょうか!」


 ヒエやアワ、玄米と草少々の鍋は、質素なものではあったが、丸一日走り続けて空腹な二人にとってはご馳走に思えた。


「ご馳走様でした!」

 優香はリンとした声で、五穀豊穣の神様に感謝の祈りを捧げていた。


「優香殿も今日は疲れたでしょう? 飯を食い終わったら、水場で身体を洗って早く寝ましょう。最初は俺が行ってまいりますので、優香殿はここゆっくりとくつろいでいてください。優香殿は、俺が体を洗って戻ってきてから、ユックリと身体を洗ってくれば良い。大丈夫です、優香殿のハダカを覗いたりしませんから!」


 新之助はそう言うと、優香の方を向いてニコリとしてから池の方に向かって歩いて行った。

  新之助のその言葉を聞いて、優香はドキリとした。


(そうよね、私が新之助様の裸を河原でこっそりと覗いたのはご存知ないはずよ。でも優香! このまま新之助様に黙ってて、明日も二人で逃亡の旅が出来るかしら? 私にはこれ以上隠す事が出来ないわ。このまま隠し事を持っていたら二人の間に大きな溝が出来てしまい、いざという時に相手を信頼して行動する事が出来なくなってしまう……。そうだ、すごく恥ずかしいけれど良い方法がある。幸い今日は満月だから、その方法しか無いわ!)


 優香が今日の昼間のことをツラツラと考えていると、新之助が身体を洗って戻ってきた。確かに、濡れた髪の毛も艶やかなになって、顔からは新之助の気持ち良さが見て取れた。


「あー、冷たくて気持ちいいですよ優香殿。俺は見張ってますので、池に行って身体を洗って来てください」


「はい、分かりました、新之助様。それでは、身体を洗って参ります」


 湧き水から流れこんで来る池の水は、澄んでいた。着物と肌着を脱いで池のそばに置くと、一糸まとわぬ裸になって池にそっと入った。池と言っても、湧き水がコンコンと新しい水が流れ込んでくるので、結構冷たくて気持ちが良い。


 最初は顔から、首筋、肩、乳房、背中、お腹、腰、女の部分、そして足の付け根から足首にかけて、ユックリと時間をかけて洗った。

 これから新之助様に見て頂くのだから、綺麗にしておかなければ。そう思うと、一層丁寧になった。


 足首まで洗い終わると、深呼吸をしてから、もう一度自分がこれから行う事を考えた。


(大丈夫? 本当に後悔しないのね? 殿方に肌をさらす、と言う事をちゃんと理解しているわよね。)


 優香は、もう一度頭の中で考える。


(大丈夫、優香、自分を信じなさい! 今日一日の短い間だけど、新之助様は信頼するに足りる人よ! 優香、自分のカンを信じなさい!)


 そう自分自身に言い聞かせてから、おもむろに、小屋に届くぐらいの、でも林の向こうには聞こえない程度の、少し大きな声で、こう言った。


「新之助様ー、チョットいらして下さい。大変でございますー!」


 そういう風に言ってからほんの少しすると、ガサガサとヤブを突っ切って新之助がやってくる気配を感じた。

 新之助は、まだ姿を見せない。


「優香殿! どうしたのですか? 何か不都合でもありましたか? もうお召し物を羽織っていらっしゃいますか? そちらに言っても良いでしょうか?」


 優香はハッキリと言った。


「はい! 大丈夫ですよ新之助様。直ぐに池のほとりまでいらして下さい」


 ガサガサ、再びヤブを切り裂いて、今度こそ新之助が現れた。

 新之助は、一瞬優香がまだハダカである事に気がつかなかった。

 しかし、直ぐに優香が一糸まとわぬ裸である事に気づくと、慌てて顔を背けて言った。


「姫様、なんてお姿なんですか! 早くお召し物を羽織って下さい!」


 そこで、優香は昼間の話を新之助に聞かせた。


「実は私は、昼間の河原で新之助様の裸を覗き見ていたのでございます。でもその事を今まで隠して来ました。しかし心苦しくて、もう私はその事を隠し通すことが出来ません。ですから私も、新之助様に私の裸を見て頂きたいと存じます。恥ずかしいですが、どうぞ私をご覧下さいませ」


 自分で言った言葉にドキドキした。私はこんなに大胆な事ができるのだ! やはり、今日一日の刺激が私を変えたのだろうか?


「新之助様、ハッキリと見て下さいませ!」


 優香は、もう一度はっきりと新之助に言った。新之助は、ノロノロと顔を姫様の裸体に向けた。

 最初は後ろ姿だった。一糸まとわぬ、若い女子の裸体だ。満月が、その裸体を静かに、しかしハッキリと照らし出している。

 首筋にはわずかなうなじが池の水をしたたらせてキラキラ光っている。肩口から腰にかけての緩やかな曲線は、毎日馬に乗って鍛えられて程よく絞られているのか、月の光による物なのか、肩甲骨の下の影が艶めかしく見える。

 腰から足につながるふくよかな臀部は、男なら夢にまで見るような丸みを帯びていた。


(もう後ろ姿は良いかしら? 前をいきなり見せるのは、やはり少し恥ずかしいから両手を使って隠した状態で前を向きましょう、優香!)


 後ろ姿を十分に見せた後で、姫様はユックリと裸体を新之助に向けた。顔は恥ずかしさで真っ赤になっているのが、月の明かりでもよくわかる。

 乳房は左腕で、下半身の女の部分は右腕で隠している状態だ。


 新之助は、もうこの状態でも十二分だと思って声をかけようとした。しかし「もう少しですから、しっかりと見て下さい」、と優香が小さいがハッキリとした声で言った。


(もう少しですから、新之助様。しっかりと私を見てて下さいね)


 顔は恥ずかしさで真っ赤なのだが、それとは別に体の芯はうずいている気がするのだ。大好きな殿方に見られているという、女の喜びというものがあるのだとしたら、正に今がその時かもしれないと、優香はおぼろげに感じていた。


(優香、頑張れ! 最初は乳房よ!)


 乳房を隠していた左腕を動かして、乳房をさらした。ふくよかな胸は彼女の息づかいに合わせてゆるかに上下していた。若さからか、はち切れんばかりの乳房はツンと上を向き、薄ピンク色の乳輪と小ぶりの乳首をしっかりと支えている。乳首には水滴が付いてキラキラと光っている。


(次で最後よ! 優香、自身を持って。新之助様に見て頂くのよ!)


 次に下の部分を隠していた右腕を動かして、薄っすらと毛が生えている下の部分もさらした。月の光の影になっているからなのか、うっすらと生えている体毛のせいなのか、女の部分はハッキリとは見えない。

 しかし池の水が毛の部分から滴って来ているのが見てとれた。


 身体中に新之助様の視線を感じる。もうどうにかなってしまいそう。

 優香は見られている恥ずかしさと、身体の疼きを嫌という程感じていた。


 ああ、もう限界だわ。


 全身何処を見ても美しい。まるで、月の光を浴びに天上からやってきた天女さまのようだ。新之助は思っていた。


 新之助が、その美しさに我を忘れて見とれていると、


「新之助様! ちゃんと見て下さいましたか? これが一糸まとわぬ優香でございます。優香の生まれたまんまの姿でございます。この姿にはウソ偽りはございません! これで、おあいこでございますよねっ!」


 そこまで言うと、姫様の体はイキナリ池の中に隠れるようにしゃがみ込んだ。

 池の水には、月の影が反射して綺麗だった。


 新之助は、そこまでして自分に接してくれる優香が愛おしく思えた。

 優香に隠し事をしている自分を恥ずかしく思った。イエヤスの追っ手から逃げ切ったら、ハッキリと説明して謝なければならないと思った。

 その結果優香に殺されるなら本望だ、と思った。


「おう! ありがとうな! 優香様、これでおあいこでございますな。俺は向こう側で見張っているから、身体を拭いて上がって来てくだされ」


 優香が肌着だけを着て戻って来た。着物は丁寧に畳んで両手の上に乗っていた。

 肌着の下に、さっきの裸体があると思うと、新之助の心の臓は小太鼓の様に早くなった。

 新之助は、優香の裸体を見て思った。たとえ城主の姫様であっても、やはりオナゴだ。里の姉ちゃん達と一片の違いもない。

(あ! 姉ちゃん達よりも優香様の方が断然綺麗だけどな)


 新之助には、今回の優香様の行動によって、今までの領主の娘と隠れ里の野党の関係から、逃げる娘と助ける男の関係に少しだけ近づけたように感じられるのであった。


***


「じゃあ、優香様は小屋の中で寝てくだされ。馬のために大分ワラを使っちまったが、一人分ぐらいは残っている筈だ。あ、火ダネは消しておいてくれ。火事になったら元も子もないないからな」


 新之助は優香にそう告げて、支度道具を持ちだす準備をする。


「俺は馬と一緒になって見張りついでに、外で寝るからな。いつイエヤスの追っ手が来ても良い様にしておかないとな!」


「分かりました、新之助様。それではおやすみなさいませ」


「おう! 姫様もお休み!」


 そう言って、新之助は小屋の外に出て、既に寝ている馬の首に寄りかかる様に横になった。


 しかし、新之助は優香様の裸体が目の奥に焼き付いていて、なかなか寝付けない。あの身体を思い出すたびに体の芯がほてるのが悩ましかった。


(早く寝ないと朝が辛いぞ、新之助!)


***


 その頃、小屋の中では、今日1日を振り返りながら、明日からの自分の人生を思いつつ眠りにつく優香がいた。


 天の神様、私の人生はこれからどうなっていくのでしょうか? 人並みな幸せを求める事は出来るのでしょうか?

 新之助様の様な素敵な殿方とお会いできてありがとうございました。新之助様と二人なら明日もきっと生きていけるわ。

 おやすみなさいませ……、


そう思いながら優香は深い眠りにつくのであった。

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