第13話 逃げる二人
***
その頃、オヤカタ様のところには、新之助が姫をさらって逃げたというしらせが早馬にて届いていた。
「なんだと! 一体どうしたんだ? 女子供には興味がないと言っていたから安心していたのに! なんの気の迷いなんだ? あれだけ人サライを嫌がっていた新之助がなぜ今になって姫様をさらったのだ。もしもこの事実がイエヤス様にバレたら、俺たちは破滅だぞ」
「オヤカタ様、直ぐに討伐部隊を出して、新之助を襲いましょう! そして姫様を取り返すのです」
知らせを持ってきた側近の一人が、オヤカタ様に具申する。
「馬鹿野郎! 俺たちの中で、新之助にかなう奴なんかいないだろう! あいつ一人に、俺たち全員が束になってかかっても勝てる自信が無い」
オヤカタ様は、腕を組んでウロウロと部屋の中を歩きながら考える。頭の中は疑問だらけだ
「正攻法では無理だ。あいつの弱点は女、子供に優しい所だ。うん、多分、姫様の色香にたぶらかされたんだろう。そうか、向こうが色香で新之助をたぶらかしたのなら、こっちも色気で迫れば良いんだ」
オヤカタ様は自分の考えに、思わず自分の手を打ち鳴らした。
「俺たちの中で色気のある女を何人か集めて、新之助をたぶらかしてくるんだ、その隙きに姫を奪い返す。その作戦しか無いだろう」
オヤカタ様は、自分の考えた作戦を実行するために大急ぎで周りにいる人間に声をかける。
「直ぐにお色気討伐部隊を編成して、新之助を追いかけるぞ。どうせ行き先は自分の里しかないはずだからな。里に入る前に追いついて待ち伏せするんだ! 急げ、急げ!」
***
その頃、新之助と優香姫は二人で馬に乗っていた。日が暮れる前に、新之助が狩猟の時に使って入る小さな小屋に到着すれば、安心して夜を過ごせる。
まだこの時代には、森の中には狼を始めとしたケモノ達が出没していた。だから出来る限り安全に夜を過ごすには、たとえ小さな小屋であっても野宿するよりは数十倍も安全なのだ。
かと言って、人家のある大きな村に泊めてもらおうとしたら、綺麗な着物を着たうら若き女と屈強な男の二人連れといった、明らかに目立つ組み合わせになる。
そうなると、その情報は確実にイエヤスの元に入ってしまうだろう。
そうやってイエヤスの追っ手に居場所を知られてしまえば、どこに行っても逃げ切る事は出来ないだろう。何しろ相手は三河一の大領主なのだから。
なるべく人家の少ない、しかし馬が走りやすい道を見つけながら新之助は馬を走らせていた。
新之助が帰り際に城内の馬小屋で見つけた馬は、非常に扱いやすかった。城で飼われているだけあって多分頭も良いのだろう、乗り手に負担をかけない様な走り方をしてくれていた。そのため、姫と二人で乗っていてもあまり疲れは感じられなかった。
また、新之助の前に乗っている姫も城主の娘として乗馬をたしなんで来たのだろう。馬の走る揺れに合わせて綺麗に腰を動かしていた。これが、もしも乗馬の経験が無い者と一緒に乗ると、馬の走るリズムに乗り手が合わせる事が出来なくて、馬も辛いが乗っている方も辛い事になる。
新之助と優香姫は、馬の走るリズムに対応してそれぞれの腰を優雅に動かしているのだった。
***
良し!
このペースならば、なんとか日が落ちる前に、俺の小屋に到着しそうだな。お城で馬を調達しておいて正解だったな。しかしこの姫様も馬の乗り方が上手だなあ。多分、随分と馬に乗ってきたのだろう。
小さくても城主の娘だから器量良しの箱入り娘かと思ったが、人は見かけによらないものだな、腰の動かし方で経験の度合いがわかるというものだ。
新之助は予想以上に順調な逃走に満足していた。オヤカタ様からの追手が迫って来る事も知らずに。
***
馬に乗る事自体は、小さな時から馬小屋に出入りし馬達と触れ合ってきた優香にとっては苦にならなかった。また、二人で馬に乗ることも小さい時から父に乗せてもらって遠出もしてきたので特別なことでは無かった。
しかし今は、優香は馬に乗っていることとは別のことで頭が一杯になっていた。
二人で馬に乗るためには、二人が馬の上でお互いにピッタリと身体を付けていなければ、馬に負担がかかってしまう。
優香の背中には、先程河原でのぞき見たばかりのたくましい胸が、馬の動きに合わせるかのようにグイグイ押して来る。さらに優香の腰にも、同じ様にグイグイと新之助のモノが当たって来るのだ。
こんな事は子供の頃に父と二人で乗った時には、全く意識した事ことは無かった。しかしほんの先程、河原で裸を見たばかりのたくましい身体が馬の走るリズムに合わせて、グングンと背後から突いてくるのだ。優香は、その度に身体が火照って来るのを感じていた。
どうしましょう!
こんなに身体が火照ってしまったら、絶対に新之助様に気がつかれてしまう!
でも、日が暮れる前に目的地に到着しないとイエヤスの追っ手にも追いつかれるかもしれないし。
ああっ!
本当に新之助様から顔が見えなくて良かったわ。だって絶対に顔が真っ赤になっているはずですもの。一体ぜんたい私の身体はどうしてしまったのかしら?
命を助けて頂いた上にイエヤスの魔の手から守って下さろうとしている、この若武者のことが気になって仕方ないし。
頭の中は、背後で私を守ろうとして頑張ってくれる方の事で一杯になってしまっている。私はこれからどうなってしまうのかしら?
***
「優香殿、大丈夫ですか? 息がだいぶ荒くなって来てますね? 具合が悪いのですか?だいぶ走り続けてますから、お疲れになりましたか? 一度小休止しましょう。馬にも水を与えてあげたいし」
新之助は、姫にそう話しかけると、水ベリに馬を止めた。
予定よりだいぶ早く走って来たので、ここで少し休憩しても間に合うだろう。それに今無理をして馬が倒れたら元も子もない。
オマエは良い馬だなぁ、まるで俺の行こうとしている場所が分かっているような走りをする。
新之助は馬のたてがみを優しく撫でてやりながら馬に話しかける。
馬は、川の水を美味しそうにバシャバシャと飲み始めた。
***
馬は良いわねぇ……。
私も新之助様に優しく撫でて欲しいわ……、え? どうしたのかしら私、いったい何を行っているの?
優香は、馬と新之助がたわむれている姿を見て、自分がふと思ったことに驚きを隠せなかった。
そうだ、顔の火照りを取るために、私も自分の手ぬぐいを濡らして顔を拭きましょう。着物の袖から、手ぬぐいを取り出して川の水に浸す。軽く絞って少し濡れた状態にしてから、顔から首筋にかけて軽く撫でる。冷んやりして凄く気持ちが良い。
新之助も自分の手ぬぐいを川に入れて首筋を拭いてから、手で水をすくって顔を洗っている。やはりここまで馬を走らせて来たので相当汗をかいているのだろう。
優香が、新之助の方をボンヤリと見ていると、新之助がそれに気がついたようで声をかけて来た。
「あんまりジロジロ見ないで下さい。ベッピンさんに見られるとこちらも緊張してしまいます。あ! そうだ今のうちにお手洗いに行って来ませんか? 俺もションベンしたくなったので、川下の茂みに行って来ます」
新之助はそう言って川下の茂みを指す。
「姫様、おっと、優香殿でしたね、優香殿も私と反対側でお小水を済ませてください。ここで休憩したら、後は一気に今夜泊まる所まで走ってしまいましょう。そうすれば大分遠くまで逃げた事になります」
「はい、承知致しました。新之助様」
新之助の声に返事をしながら、優香は新之助から少し離れた背の高いアシが生い茂る草むらの奥に入って腰を下ろした。
「はぁー!。取り敢えず新之助さまに気付かれる前に何とか身体と顔の火照りは取れそうだわ。本当に私ったらどうしたのかしら?」
優香は、まだ赤みの残っている両頬を手で軽く押さえながら、そう自分に言い聞かせた。
着物の帯をほどいて、それから着物を脱ぎ、そばの草むらにおびと一緒に丁寧に畳んで置く。それから、お小水が跳ねない位置まで移動してから、肌襦袢(はだじゅばん)を止めている細ヒモをほどく。そしておもむろに腰巻きの裾を胴体の部分まで持ち上げれば、若くて健康的な優香の下半身は丸出しになる。
普段は城内の屋敷にあるカワヤでするのが普通だった。しかし馬で遠出をした時には、やはり我慢できなくて川べりや草むらでコッソリとした事がある。そのために、たとえお姫様と言えども、野外でオシッコをする時のコツはある程度経験済みだった。
丸出しの下半身の状態から足を広げて中腰になり、そのままユックリと全身の力を抜けば、体の中に溜まっていた水分が勢いよく外に出るという寸法だ。
この時ばかりは、弟の様にフンドシの隙間からおチンチンをヒョイと出して、誰はばかる事なく小便が出来る男の身体が羨ましかった。
「それにしても、弟のおチンチンも大人になったら、さっき見た新之助様の様になるのかしら? 女には分からない事ばかりだわ」
ボソリと独り言を言いながら、濡れた部分に予め用意した和紙を当ててふいた。それから腰巻きと肌襦袢を元に戻して、ヒモを縛り直し、更に着物を着て帯を締めた。
優香が草むらから戻って来る頃には、馬は水を飲み終わって河原の草を食べていた。あれだけの距離を、優香と新之助を乗せて走って来たのだ。やはり喉も乾くし、腹も減っただろう。
城の馬小屋では、いつも見かけている馬だが、今は凄く愛おしく感じる。近づいていって、新之助がやっていた様にタテガミを優しく撫でてやる。
馬は安心しきっているのか、優香が撫でている間も大人しく草を食べていた。
新之助は、と見ると竹の水筒に川の水を詰めて最後の出発の準備をしていた。
その時になって始めて、優香は自分がこれからどこに行くのか知らされていないことに気がついた。
「ところで新之助様、私達はこれからいったい何処に行くのでしょうか? 三河の国一帯は、イエヤス様の息がかかっていて、何処のお城に逃げても助けてもらえないでしょう」
「優香殿、確かにその通りだ。お前様のお父上には、イエヤスの手から守ってやってくれと頼まれたが、具体的に何処に逃がしてくれ、という指示は聞いていないのだ」
新之助様は、竹筒を肩にかけている布袋にしまいながら答えてくれた。
「そこで、取り敢えずは俺の生まれた場所である山の向こうの隠れ里に身をひそめていただこうと考えている。ほとぼりが冷めたら、どこか小さな町に出て、優香殿の遠い親戚筋を頼ったらいかがか、と思っている」
「やはり、私達一族は滅んだという事ですね……。落城のドサクサに紛れ何処かに逃げおおせていて、何処かで私と待ち合わせをしている……という事は無いのですね」
優香は改めて自分のコレからの身を思う。
「すまん、お前の弟や母君まで救い出す事は出来なかったのだ。(弟ぎみは、既にあのサムライに切られていたし、母君は自害なさっていたからな……)」
新之助様は、苦しそうな口調で答えた。
「俺の里でほとぼりが冷めるまで暮らしてくれ。みんな悪い奴では無い。ただし、俺の姉者達は口が悪いかもしれぬがな。でも決して悪い様にはしない、約束する」
新之助はお姉さまのことに触れるとき、少し笑いながら言った。
「ただし、今から山向こうの里に行くとなると、途中で日が落ちる。夜の山は危険だから、今晩は山の手前にある俺の狩猟用の小屋で一泊する」
新之助は遠くに見える山々の方を指差す。
「そして、明日の朝早くに出発すれば、明日中には里に入れるだろう」
「はい、分かりました。新之助様には何から何までしていただき、本当に感謝しております」
そう言いながら、優香は新之助に向かって深々と頭を下げた。彼女の艶やかで長い黒髪が、サラリと落ちて彼女の頭を隠す。
「それでは、日もかげって参りましたので、急ぎましょう。新之助様!」
「おう! 優香殿は強いなあ! 突然の変化にも柔軟な対応を見せておられる。もしも俺だったら、混乱して取り乱してしまうだろう。やはり、姫様と呼ぶに値するお方じゃ!」
「新之助様、私はそこまで強くはございません。今だって、強がっている様に見えるのでございましょうが、本当はこのまま泣き崩れてしまいたい思いで一杯なのです。お父上や母上、弟に会うことも叶わず、これから私はどうなってしまうのかも分からず。今のたった一つの救いは、こうやって新之助様に助けていただき、支えて頂けている事なんです」
そのように話しながら、彼女の頬にはうっすらと光る物が見えていた。
しかし新之助はあえてその涙を見なかったことにして、こう言った。
「さあ優香殿、俺と馬に乗って小屋まで参りましょう!」
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