第12話 俺と一緒に行ってくれ

 殿様が、俺に最期の一言を言ったと同時に、反対側の襖が勢いよく開いた。


「父上っ〜!」


 若い娘が勢いよく飛び出してくると、俺の足元で血だらけになっている殿様を見て叫んだ。


「父のカタキ、お覚悟ー!」


 と言いながら、自決用の短剣を胸の前でしっかりと握りしめて、俺に向かって突っ込んできた。


 さっきまで鬼神の強さの殿様と戦って来た俺から見たら、彼女の突撃をかわすのはなんの造作もなかった。彼女の攻撃をかわした刹那、姫様に当身を加えて、しばらく眠ってもらうことにした。


 反対側の部屋からは、昨日の夜のおサムライが入ってきた。開いた襖からは、隣の部屋で息絶えている、まだ小さい男の子が見えた。更にその横では、自決用の短剣で自らの首を刺して横たわっている年配の女の人も見えた。


 俺はおサムライに言った。


「なんで子供を切ったんですか? 女や子供はほっとけば良いんですよ」


「うるさい! お前の指図は受けん。例え子供であっても、男子はダメだ。嫡男として、この城を受け継ぐ事になるからな。だから子供のうちに殺しておくんだ」


「べつに、大きくなったらその時に考えればいいんですよん。子供なんて、どうなるか分からないんですから。大人になる前に病で死んじまうことだってあるでしょう?」


「うるさい!、うるさい。それよりお前、そこに倒れている姫をどうするつもりだ? お前もオヤカタ様から言われているのだろう? イエヤス様に姫を差し出すのだと」


「えー? 俺には見えないなあ。殿様が死んで、家族もみんな死んじまったんじゃないですか? ああそうか、このまま屋敷に火を放って城主家族を含めて一族郎党みんな死んだことにすればいいかな。おサムライさんは、ここに倒れている殿様の首を持って行って、イエヤス様に報告すれば、仕官の道も開けるかもしれませんよ」


「おい、おまえ! 何をいっているんだ。姫ならばそこに倒れているではないか」


おサムライは、さっきからイライラしながら俺の話に割り込んで来る。


「まったく、空気読めないんだからー。最近のサムライは困ったもんだなぁー。 じゃあ、俺は屋敷に火を放ってから退散しますんで、後はよろしくお願いします」


 俺は、オヤカタ様の軍団に所属するおサムライさんにそう告げると、気を失っている姫を肩に乗せて、さっさと出ていこうとした。


「貴様! 待て!」


 ビシュッ!


 そう言いながら、サムライのオジさんは俺に斬りかかって来た。


「あーあー! ぬるいなあ、オジさんの剣。こんなんだから、子供しか切れないんですよ!」


 ドッ!


 俺は、オジさんの剣をヒョイとかわして、返す刀で、オジさんの手首を刀の峯でたたきつけた。


「うおー!」


 オジさんはたまらず、たたかれた手首を押さえながらそこに崩れ落ちた。


「あ! ゴメンね。つい癖でオジさんの手首をたたいちゃったよ。それじゃあ、殿様の首を落とせないかな? まあ、骨は折れてないと思うから頑張れば大丈夫だよね。それじゃあ、俺は行くから、オヤカタ様には適当に言っといて」


 そう言うと俺は、気絶した姫様を肩に担いだままお殿様の部屋を出て行った。もちろん、隣の部屋で自決している奥方様の遺骸の前で「どうか成仏して下さい。娘さんは俺が命をかけて守ります。お殿様とも約束しましたからね」と両手を揃えながらつぶやいてきた。

 さて、火を放った事にしなきゃあな、と独り言を呟きながら、俺は最後の火薬玉を奥様と嫡男が倒れている部屋に投げ込んだ。


 ドーン!


 大きな音とともに、部屋の中から大きな炎が舞い上がった。

 俺は、城内の混乱に乗じて、馬小屋で暴れていた一番速そうな馬を連れ出してから、堂々と表門から抜け出した。


 城から抜け出す途中で、昨日の夜の農家のオッチャンにも偶然出くわした。


「アレ? ニイちゃんもう帰るのか? 戦いは終わったのか?」


「えへへ。腹が痛くなって来たので、そこらで野糞してくるんだ」


「え? お前さんの肩に乗ってるベッピンさんは誰だい? 随分綺麗な着物を着ていなさるけど?」


「まあまあ、農家のオッチャン。オッチャンにも、オッかちゃんに言えない事有るだろう? それと一緒だよ。じゃあな、オッチャン。もう態勢は決したから、敗残兵に気を付けて野垂れ死ぬんじゃあないぞ。家では、美人のオッかちゃんがオッちゃんの帰りを首を長くして待ってるんだろう? じゃあな!」


 農家のオッチャンにそう告げると、俺は肩に担いでいた姫様を馬に乗せてから、姫様の後ろに飛び乗った。

 幸いまだ日は高いから、馬で出来る限り移動するんだ。日が暮れるまで走り続ければ、確か俺の狩場小屋にたどり着けるはずだ。

 そこまでいけば、寝る場所と水場、それに非常食が置いてある。


 そもそも、今日は城主様を倒したら、さっさと帰るつもりでいたから、自分の分の昼飯と水しか持っていない。姫様を助ける事になったのは、全くの想定外だった。


「さて、日が暮れる前に小屋につかねば、な」

 

 俺は独り言をいった。

 ただし、その前に一度何処かの川で身体を洗おうとも思った。朝からここまでずっと動き続けてかなり汗をかいたのと、城主様の血糊がまだ身体のあちらこちらに残っているので、このまま一緒に馬で移動したら姫様の着物を汚してしまいそうだったからだ。


 俺は少し馬を走らせてから、小川のほとりまで馬で降りた。馬も喉が渇いていたみたいで、俺と姫様が背中からいなくなったら自分で川の水を飲み始めた。


「タップリ飲めよ、これから大分走ってもらうからな」


 水を飲んでいる馬のたてがみを優しく撫でながら、新之助は言った。


 さて、俺も川に入ってくるか。

 馬から下ろした姫様を、川のほとりから堤の上まで抱きかかえていく。そして、そこに生えている柔らかそうな草の上にそっと置く。それからもう一度川べりに降りてからクサビかたびらを脱いで、着物も脱ぐ。最後にはふんどしも脱いで、素っ裸になった。


 その屈強な体躯を、常人の域を超えて駆動させる事が出来る筋肉は、見せかけの物ではなく、イノシシやシカを倒すために山々を駆け抜けて来た事で鍛えられてきた筋肉だった。

 そして、新之助の体は一年以上戦ってきたために傷だらけだった。たとえ致命傷は免れても、無傷で終わる戦いなどないからだ。


 新之助が川で汗と血のりを洗い流している間に、堤の上の草の上に寝転がされていていた姫様が目をさました。


***


 うーん。

 ここは何処かしら? 私は何をしていたの?


 あ! そうよ、お父上の仇を取ろうとして敵に向かって行ったはずなのに……、私は仇相手に殺されなかったという事よね……。

 誰かが私を助けてくれたのかしら? なぜ、草の上に寝転がっているの? お城はどうなったのかしら? いくさは、どうなったの?

 あら、あそこに私の知っている、お城で飼っている馬が水を飲んでいるわ。


 アッ! その横に、殿方が裸で水浴びをしている。あの方に助けていただいたのかしら?


 姫様は裸の男性を見て、つい手で顔を覆ったが、指の隙間から男性のたくましい裸が目に飛び込んできていた。身体中傷跡だらけだが、首筋から臀部まで、引き締まった肉体が川の水に光ってキラキラしていた。

 姫様はその若者の肉体を見て『綺麗だ』と思った。子供の頃に見た父上の裸でも無く、弟の裸でも無い、若い男の肉体を始めて見たからなのか? それとも新之助の肉体が鍛えられた美しさを持っていたからなのか、それは姫様にも分からなかった。


 指の隙間からでもハッキリと分かる鍛えられた肉体は、やがてこちらを向いて川の

中を渡り始めた。どうやら川での水浴びが終わったのだろう。男性は裸を隠そうともせずに歩いてくる。男性の下半身にぶら下がっている物も、たくましい若者のそれなのであろう、弟の物とも全然違っているように思えた。

 水に濡れたその物が、余りにも美しいので姫様は目をそらす事が出来なかった。


 彼女は、自分の顔が少し赤らんでいる事を感じた。心なしか胸が高鳴っている。一体私の体は、どうしたのかしら? いつもと違う感じがする。お城で戦いがあって、父が殺されたから? かか様や弟はどうなったの?


 多くの疑問を残しながらも、男性が気が付く前に彼女はもう一度草むらに横たわって目を閉じた。

 胸のドウキよ! 早く止まりなさい。顔の火照りよ、早く冷めなさい! 彼女は自分自身に言い聞かせた。


***


 バシャ、バシャ。


 川から上がった新之助は、手ぬぐいで身体を叩く。こうする事で、水気を飛ばして身体が乾きやすくなるからだ。後は、馬に乗って走っていれば自然に乾くのだ。


 ふーッ。

 やっとサッパリした。さて姫様を起こして水を飲ませてから、俺の分の握り飯を与えて一気に走ろう。

 いつも山で狩をしている時の様に、俺は二、三日食べなくても大丈夫だ。まあ、水さえあれば人間一週間ぐらいは死なないらしい、里の長老も言っていたっけ。


 姫様を眠らせてここまで来てしまったが、俺が父上を殺した事を恨んでいるだろうから、起こしたらまた狙われるかなあ……。

 まあ、本当の事だから姫様に狙われるのは仕方ないが、今は大殿イエヤスから逃げ切る事が最優先だからな。

 とにかくなんとか説得して逃げ切ってから、改めて決闘でもするか? 身勝手な考え方だが、本当は許してもらえるのが一番なんだがな。


 色々と考えながら、まだ少し濡れている身体にフンドシを巻いて、その上から着物はおる。最後にワラジをはいてから、思った。

 そうか、姫様の思い出の物とか一切持ってこなかったな。本当に着の身着のままか、ワラジとか履くのかな? 足袋が無いと野原は歩けないか? 姫様が城から持ってきた物は、俺を狙った自害用の短刀ぐらいだな。しくじったか!


 俺もまだまだ修行が足りないなあ。もう少し『相手を思いやる気持ち』とやらを考える心のゆとりは必要だな。里に帰ったら、また姉じゃ逹に小言を言われてしまう。イノシシやシカ、ウマの気持ちは分かるんだがなあ……。


 川べりを上った堤の草むらには、姫様が横たわっている。まだ意識を失ったままなのか、目を閉じた無防備な状態だった。長くてつややかな髪の毛と長いまつげが印象的だ。

 城内にいたからなのだろう、化粧はしていないが女のたしなみとして、少し赤みの入ったベニをつけている。化粧をしてないせいか心持ち顔が赤らんでいるのが分かる。美しい着物のやや大きく膨らんだ胸の部分が緩やかに上下しているので、まだ気を失っているのだろう。


 城内にいた時は、部屋が薄暗くて分からなかったが、明るい日の下で見ると顔立ちも整った美しい女だというのが、世の中に疎い新之助にも分かった。


 はぁー。

 こりゃあイエヤス様が狙うのも分かるなあ! 多分三河の国一番のベッピンさんなんだろうなあー。俺も殿様だったら姫様みたいな女子を嫁に迎える事が出来るのかな、新之助はふとそう思った。


 新之助は、川の水を浸した手ぬぐいを姫様の頬に当てて、優しく声をかけた。香の物を持っているのか、姫様からは何とも言えない良い匂いがした。


「姫様、優香様、目を覚ましてください。イエヤスの追っ手から逃れるために、馬でさらに長距離を走りますよ。そのために、水と飯を取っていただきたいのです」


***


 既に目覚めて、こっそり新之助の裸を見ていた姫は、どのタイミングで目を覚ませば良いのか少し戸惑っていた。


 どうしましょう?

 すぐに目が覚めたら、実は既に目覚めていたのかと疑われてしまわないかしら? でも、余り目を覚まさないのも不自然だし。

 少しだけ待ってから、目を覚まそうかしら。まだドキドキが収まっていないし。こんな状態でこの殿方を見たら顔が真っ赤になってしまうもの。

 姫は、新之助が数回声をかけたタイミングで、やっと目覚めたふりをした。


***


「あら? ここはどこですか? 私は父の仇を取ろうとしてたはずですが。あなた様が、私を助けてくれたのですか?」


「はい、私は姫のお父君から依頼を受けてイエヤスの魔の手から姫をお救いに来たのです」


 姫は、その言葉を聞いて安堵した。やっぱり、この方は父を切った悪党からこの身を守ってくださったのね。


「ありがとうございます。何処のお武家様か存じませんが、私を魔の手から救って下さったのですね?」


「イエ、俺は武士ではありません。(お城を攻めるために)ある方(イエヤス)に雇われた、戦闘集団の一味です」


 きっと、父が密かにイエヤスの攻めに備えて用意した傭兵の方なのね。だからこそ、私をイエヤスの追っ手から逃がして下さるために、お城の馬を使っているのだわきっと、と優香は思った。


「所で、父を斬り殺した悪党は倒して下さったのですか?」


「イヤ、姫様を(イエヤスに姫様を差し出そうと狙ってきた、サムライから)助けただけです」


「そうですか……、下手人には逃げられてしまったのですね。でも、私を助けて下さったのなら、いつか敵討ちも出来ましょう。命があるだけでも感謝しなければ、なりません」


 新之助はここで姫の誤解を解くために全ての真実を語る事も出来た。

 しかし今はイエヤスの追っ手に追い付かれないためにも、出来る限り姫に協力して欲しいと考えた。いつかは真実を語る必要があるが、それはイエヤスの脅威が去った後だ、姫の誤解はその時までこのままにしておこう、と思った。


「さあ姫様、まだ先は長いですから、お口に合うか分かりませんが俺の握り飯を食べて下さい。水はここに竹で作った水筒が有りますので、この水をどうぞ」


「命を助けて頂いただけでなく、この様な施しを受けて、誠にかなじけのうございます。それでは、いただきます」


***


 実は姫様は、時々こっそりと質素な姿をして、領内を見回りるのが好きだった。そうすると農民の本当の生活や、農民逹の優しい心持ちに接する事が出来るからだ。

 そういう時に頂く食事は、城で食べる白米ではなく、玄米だった。だから玄米の握り飯には抵抗もなく、食べる事が出来た。空腹の時には、質素な握り飯も美味しく感じられた。

 握り飯を食べた後で、水を飲むために竹の水筒に口をつける時、この水筒はあの殿方が口をつけているはずだと思うと、川辺の裸体を思い出して一瞬躊躇したが、口を付けて美味しい水を頂いた。口を付けたところには姫のベニが少しだけ写った。それを見て何故か顔が少しだけ赤くなったのが自分でも恥ずかしかった。


***


「美味しく頂きました。ありがとうございます、お武家様」


「だから、俺は武士では無いからな。新之助と言う名前があるから、これからはそう呼んでくれ」


「分かりました、新之助様」


「呼び捨てでいいよ、お姫様」


「その様な訳には参りませぬ。私の命の恩人なのですから、新之助様と呼ばせていただきます。逆に、姫様と言うのはやめて頂きますでしょうか。私も、優香と言う名前が有りますので、名前で呼んで頂けますか?」


「分かったよ、優香姫」


「イヤ、姫は入りませぬ。優香で結構です」


「それでは、優香殿、俺と一緒に行ってくれますか?」


「はい、新之助様。どこまでもお供いたします」

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