第二章 時は戦国、姫様と里の男

第10話 その名は、しん

 オギャー、オギャー、オギャー


「おっ母、生まれたぞ! 立派なおちんちん付いてるぞ、男だぞ!

よくやった、おっ母! ついにオトコが生まれたぞ!」


 ここは日ノ本、三河の国、名もない小さな隠れ里。尾張のノブナガ様が全国統一する少し前の時代。


 上には姉3人、

 長女は「いち」

 次女は「ふた」

 三女は「ミツ」

 そして四番目の子供で男の子の名前は『しん』と名付けられた。


 母は産後の肥立ちが悪く、生まれたばかりの『しん』に母乳をやれなかった。運悪く、里の中には『もらい乳』をさせてくれる子持ちの女もいなかった。そのため、この時代では忌み嫌われていた『牛の乳』をこしたものを、母乳の代わりに『しん』に飲ませて育てていた。


 ***


 『しん』が14歳の時、隠れ里を頼って訳ありのお武家様がやって来た。どうやら戦乱の中、仕えていたお城が落城して逃げてきたらしい。『しん』の立派な体格を見て、何の気の迷いからなのか、刀の使い方を教えてくれた。


 ***


 それから3年が経ち、『しん』も17歳。体格も更に立派になって、もう教えていたお武家様も勝てないくらい立派な若者になっていた。


 その頃には、日本全国、毎日何処かでいくさが起きていた。里の生計を支える為に、男衆は隠れ里から出て戦に参加する事が多くなっていった。戦で手柄を立てれば、里では手に入れる事が出来ない貴重な薬や布、更には金を手に入れる事が出来たからだ。


「しん坊、お前も17だからそろそろ里の外で働いて来い。俺が仕官の場所を紹介してやるぞ。」


 時々里にやって来て、強そうな男を見つけると色々な戦闘集団に売り込みをかける、口利き屋のオヤジが『しん』に向かって、そう言った。


 落ち武者様から教えてもらった剣術は、山奥でイノシシやシカを仕留める時は余り役には立たない。

 それよりも、山あいを縦横無尽に駆け抜けることが出来る屈強な体格と動物が逃げる隙を与えない俊敏な反射神経。小さな野生の動物が、人の匂いに気がついて逃げる前に相手の気配を感じて捕まえる事が出来る野生の勘。

 これらを全て兼ね備えている『しん坊』にとっては、人間相手にしか使えない『剣術』は必要がないからだ。


 屈強で上背があるから、しん坊が繰り出す一の太刀は誰も受けきれなかった。しん坊が繰り出す一の太刀は、スピードだけでなく、その柔らかな手首の返しを伴う変幻自在の太刀筋があるからだった。

 相手の太刀がしん坊に届く前に、相手の太刀は宙を舞っていた。


 その噂を聞いて、三河の国のさまざまな場所から腕に覚えのある武芸者がやって来て立会いを申し込んでくる。

 しかしどの武芸者も、しん坊の一の太刀で自分の武器を弾き飛ばされて逃げ帰って行くか、一の太刀を受けた後の二の太刀で腕を折られたり、肩の骨を折られたりしてから、這々の体ほうほうのていで退散するばかりであった。


 そんな噂を聞きつけて、ある武将が大金を積んでしん坊を戦場に引きずり出したがっている、と言う噂が流れてきた。

 所詮は本格的な戦闘を一度も経験したことがない若者だから、一度でも本当の『生きるか・死ぬか』の経験をさせて、本当に使い物になるかを試してみたいとのことだった。

 そこで潰れればそれまでだし、もしも使い物になりそうなら掘り出し物として、自分の戦闘集団に引きずり込もうという魂胆だった。


 何でも、尾張のノブナガ様には「トウキチロウ」とか言う農民出の武将が付いていて、ノブナガ様の尾張統一に一役買っているらしい。今の時代は、百姓でも武将になれる、と言う事だと三河の国でも噂になっていた。


 しん坊としては、自分の力が金になるのなら里のためにもなるし、なによりも身につけた剣術が何処まで通用するか試したいと言う思いもあった。

 木刀では試した事の無い、真剣での闘いだ。運が悪ければ、骨折では済まない。手足の一本が無くなるし、下手をすれば命を落としかねない。イノシシやシカを仕留めて、肉を捌くのとは訳が違う。『殺すか、殺されるか』の世界だ。


 しかし、若いと言う事はそう言う事だ。


 自分の力を試してみたい! 人はいつか死ぬのだ。今まで姉ちゃん達に面倒見てもらって来た穀潰ごくつぶしが、ここで頑張れば、姉ちゃん孝行が出来る。

 その思いが、殺されるかもしれないと言う恐怖心を押しのけて、若者をその武将の軍団に仕官する道を進ませる事になった。


 ***


 最初の試練は、せいぜい数百人規模の先頭だった。

 闘いに出る前に、この武闘集団の長である、オヤカタ様の屋敷に、口利き屋と挨拶に行った。

 オヤカタ様によると、敵は小さな武家集団の四天王のうちの一人で、その武将を倒せば、あとは勝手に崩壊するぐらい弱っているらしい。しかし、その最後の一人が思いのほか粘り腰があり、攻めあぐねているとの事だった。


「今回の戦は規模が大きくないから、お前の初陣にしては良い機会だ。どんな武器が所望だ? ある程度の物は用意してやるぞ? 鎧や馬は武士でないお前には貸せないが、それ以外で何かあるか?」


 オヤカタ様は、その若者に興味本位にたずねた。


「ハイ、オヤカタ様。鎧は重そうなので最初から興味ありません。俺は馬より早く崖を駆け下りられるので馬もいりません。それよりも、致命傷を防ぐクサリかたびらと手ごろな長さの刀を二本分けて下さい」


 その若者は、オヤカタ様の少し意地悪な質問にひょうひょうと答えた。


「ホー、随分と生意気な口を聞くじゃないか、小僧。クサリかたびらなら幾らでも渡してやれるが、何故刀を二本も所望するのじゃ? 刀なぞ一本ぐらい落としたり無くしたりしても良いか、などと考えるなよ! 刀は武士の魂だから、粗末に扱ったら打ち首だぞ!」


 刀をおろそかにされては困ると思い、オヤカタ様はふたたび問うた。


「オヤカタ様、大丈夫だよ。俺は二本の刀を振り回すだけだから。決して粗末にする訳ではない」


「それこそ、刀を甘く見ておる、と言う事じゃ。木刀と違って刀は重いのだぞ。それを両手で振り回す事など無理に決まっておる!」


 オヤカタ様は、すこし怒るように声を荒げた。


「なら、ここで試してくださいよ、オヤカタ様。どれだけ滑らかに二本の刀を使うか見て頂きましょう!」


 そう言って、横にいる口利き屋がたまたま持ってきていた刀入れの箱から無造作に二本取り出して構えようとした。


「分かった、分かった! そこまで言うのならお前の言う事を信じよう」


 オヤカタ様は、片手をあげて、若者の動きを止めた。


「それでは、明日までに必要な物を準備するから明日の昼間の戦いに出るのだぞ! 因みに、お前の今の名前では我らも呼びにくい。お前に新しい名を授けるので、以降はその名を使え」


「オヤカタ様、承知しました。して、その名前は?」


「うぬ。元々の名前が『しん』だから、新しい名は、『新之助』、じゃ!」


 ***


 戦は、お互いの法螺貝による開始の合図で始まった。新之助は法螺貝の音色が終わる前に敵陣まで走り出していた。


 敵はあわてて弓を大量に放って来た。しかし毎日イノシシやシカと戦っている新之助にとっては、大量に飛んでくる矢の中で自分に命中する数本が見て取れた。避けれそうな矢は避けつつ、致命的になりそうな矢だけを二本の刀で軽くいなす。それを繰り返して敵陣に入ってしまえば、相打ちを恐れて敵はもう矢を放てない。


 次は槍だ。これも新之助から見たら避けるのは容易い。例え沢山の敵がいても、本当に自分の体に当たる槍は数本しかない。その槍を落ち着いて地面に叩きつければおしまいだ。丸裸にされた槍部隊も、それで突破する。


 矢も槍もみんな横一線に綺麗に並んでいる。味方を傷付けないためだ。だから、その列の一部分を冷静に突破出来れば大した事はない。


 次は騎馬隊。

 俺はシカの動きをヒズメの向きで予測出来る。馬も同じで、どちらに向かおうとしているか容易に想像出来る。俺に向かって来る馬の足を一本だけ傷付ければ、馬はバランスを失って倒れる。これで馬に乗っている武将達の動きは止まる。たったそれだけで、騎馬武者隊は通過出来る。


 そのまま走って行けば、もう目の前は敵の本陣だ。


 本陣に入ってもスピードは落とさない。本陣の武将達は敵がまだ来るとは思っていない。そりゃあそうだ、最前線からの伝令より早いんだもんな。

 そのまま走って大将の所まで行くと、あらかじめ準備している侍数人だけが反応する。しかしそいつらが刀を抜く前に手首や腕の骨を刀のミネ側でへし折れば敵ではない。


 最後に大将の首だけ落としたら、そのまま本陣を駆け抜けて全て終わりだ。


 そこまで半刻(現代の時間で一時間)もかからない。

 大将が倒れれば、雇われた兵士らはチリジリになるし、他のサムライも自分たちの身を守るので精一杯になる。

 この時点で、俺の戦は終了だ。大将の首は、後から攻めて来る俺の雇い主が拾ってくれるだろう。

 俺はそのままぐるっと回り道して雇い主が本陣に来るまで隠れている。敵討ちの相手にされるのは真っ平御免だ。


 大将の首を落として持ち帰れば、いい金になるんだろうが、返り討ちにあう可能性が高くなる。それよりも、サッサとやっつけた駄賃をもらえればそれで良いんだ。


 別に手柄を立てて偉くなるつもりは無い。


 そんな戦法を繰り返していると、相手もわかって来て、本陣だけ守備を強力にする軍勢も現れる。しかし、そうすると戦いの全面が手薄になり結局は本陣が丸裸にされてしまい、弓の一斉攻撃を受けて全滅する。


 さらに上を行く奴は、大将の座る場所に偽物をすわらせて身を守ろうとする奴だ。大体そういう手合いの大将は本陣に入った瞬間に気配でわかる。

 第一にサムライ達は大将を守ろうとしてない。サムライ達が守ろうとしている視線の先に居る奴が本物だ。俺はサムライ達の視線の先にいる奴の首をひねるだけだ。


 そんなことを半年も行なっていると、三河の国の中で噂が立つ。何でも、敵の大将首だけを狙う野獣がいて、そいつに狙われると絶対に逃げ切れない。

 もしも戦の相手が野獣を飼っている事が分かったら、戦う事を諦めて、直ぐに和議に持ち込め、という噂だ。


***


 お陰で、俺を雇っているオヤカタ様は、最近は上機嫌だ。俺のクサビかたびらと二本差しの刀も、だんだんと質が良くなって来ているのは気のせいだろうか?


 まあ、俺としては一回の戦でもらえる金が増えればそれで良い。その金で里の者達や、姉ちゃん達の暮らしが少しでも良くなれば、俺は嬉しい。


 それから更に半年が過ぎた頃、オヤカタ様から新しい仕事を与えられた。


 今度は城攻めだそうだ。


 小さな城だが、戦略上重要な場所にあるので、その城を落として欲しいとの事だった。まあ、普通の野戦とは勝手が違うがやる事は変わらない。敵の大将首を落とすだけだ。


 但し唯一の例外は、城内にはその城のサムライ達の家族が住んでいる事だった。今までは全て戦うために金で集められた雑兵とサムライ達だけだったから、ある意味気が楽だった。喧嘩のチョットひどい場合だと思っていられた。


 しかし城攻めとなると、そこには女・子供がいる。そいつらには絶対に手を出したく無い。オヤカタ様にはその事を伝えて、それでもいいと言うならその戦に出てやると言った。


 オヤカタ様はしばらく考えていたが……


「いたしかたないか。今回は三河の大殿、イエヤス様からの立っての頼みだしな。報酬金もべらぼうに多いし。それに、イエヤス様からの密命もあるからな……」


 オヤカタ様は腕を組んで難しい顔をしながら、うなる。


「お屋形様。何だい、その密命って?」


 俺は、何気なく聞いた。


「イヤ、ここだけの話だぞ。絶対に他言は無用だ。城攻めは確かに必要なのだが、その城主の娘を無傷で連れて帰って来て欲しい。そんな事が出来るほど器用なのはお前を置いていないと思う」


 オヤカタ様は周囲を気にしながら、俺に向かって少しだけ小さな声で告げた。


「え! 要するに、そこのお姫様を見初めたので城を潰してさらって来いと言うことか? 普通に城主同士で話をして縁組をすれば良いのに、何故こんな回りくどい事をするんだ? バカじゃないのか、そのイエヤスとかいう大殿は、なあ、お屋形様」


 俺は、あきれ顔をオヤカタ様に向ける。


「あくまでも噂だが、そこの姫も城主も色狂いのイエヤス様が嫌いらしい。娘が欲しければ、正々堂々と勝負しろ! と断られて、イエヤス様は尻尾を巻いて逃げて来たそうだ。しかし姫の事は忘れられず、俺たちに頼みこんできた、と言うことさ!」


 オヤカタ様も少し困ったという顔をして、俺の方を見る。


「何しろ相手は三河一の大殿様だからな。尾張のノブナガ様とも懇意だそうだから、やがてはこの日の本の半分くらいは手中に収めるかもしれん。そんな奴には逆らえんのだ」


 オヤカタ様は俺に向かって祈るように両手を合わせる。


「分かったよ……、お屋形様には恩があるしなぁ。それに女・子供に手を出さない約束さえ守ってくれれば、俺は城主の首を落とすだけだ。それ以外の事は知らないぜ」


「分かっている。人さらいはお前の仕事では無いからな……。その代わりといってはなんだが、報酬金はたっぷりと弾むからな、頼んだぞ!」


「全く……、俺も三河一の野獣だが、そのイエヤスと言う大殿様も別の意味の野獣だな」

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