第9話 その名は新之助
ジリジリジリ!
俺の横の目覚ましが勢い良く鳴っている。昨日は色々な意味で濃い1日だったから、爆睡していたようだ。
昨日は、優香と別れてから晩ごはんを食べてお風呂に入った事しか覚えていない。それ以外に何かしたような気もするが、全く記憶が無い。多分風呂から出た後に、すぐにベットに倒れ込んでしまったのだろう。
昨日は学校の準備をしないで爆睡してしまったものだから、今日の準備を一切してない。俺は今日の時間割りを見ながら、慌てて必要な物をカバンに突っ込む。
そうか今日の昼飯から弓道部のアイツにコーラをおごる約束をしてたっけ。サイフに少しだけ余計にお金を入れる。まあ、優香がお茶を奢ってくれるらしいからそれでチャラだな。そう考えながら、今日の準備を速攻で終わらせた。
あんまりモタモタしていると、優香の『朝ごはん、お邪魔しますターイム』になっちゃうから急いでダイニングに向かう。
「アラ、新之助。今日はやけに早いじゃない? アンタがこんなに早くダイニングに来るなんて、何か学校に用事でもあるの?」
「イヤァ、別に用事がある訳では無いけどさ。ほら、あまり遅くまで食べてると例のお隣さんが来ちゃうじゃないか。お袋も自分が作った朝メシを他人に見られるのはイヤだろう? お隣さん来る前に食べちゃおうかなと思ったのさ」
「まあ、私はそんな事別に気にして無いわよ。それにお隣りさんて、優香ちゃんの事でしょう? だったら、なおさら気にする理由なんか無いわよ。そもそも、アンタがこんなに早く起きて来るなんて思って無いから、まだ出来てないわよ。もう少し待ってね? そう言えば、昨日優香ちゃん、アンタのシャツを汚しちゃったから洗って返したいと言って持って帰っちゃったけど、一体何があったの? シャツの一枚や二枚、アンタがいつも汚して来るから、私は気にしていないのにね」
母親は、台所で忙しそうに朝ご飯の支度をしながら、俺に向かって話しかけてくる。
「うん、まあ大した汚れでは無いと俺も思うけどさ。優香が洗濯したいと言うんだから、まあ仕方ないよ。許してやってくれよ」
俺は、少し言いずらそうに返事をする。
「アラ、私は気にして無いけど、あちら様に洗濯までさせちゃって、こちらこそ申し訳ないと思っているのよ。流石に知らない人にシャツを洗わせて下さいと言われても断るわよ。まあ、相手が優香ちゃんだからオッケーしたと言うのもあるけどね。だって優香ちゃんは私の娘みたいなものだからね?」
「え! それって母親の義理の娘って事?」
俺はビックリして母親に質問する。
「朝から、なにマセタ事言ってんの。アンタみたいな男に優香ちゃんみたいな美人がお嫁さんに来てくれるわけないじゃない。ただ単に、彼女が小さい頃からのお隣さんで、よく知っている女の子と言う意味よ」
母親は、台所から大きな声で言い返す。
「え? まさか、あんた達付き合ってたりするの? もしもそうならお母さん嬉しいけどさ。でも、お願いだから避妊だけはしてね。結婚もしないで優香ちゃんを妊娠させたりしたら、私は優香ちゃんのご両親に顔向け出来ないわよ」
「オフクロの心配するのはそこかよ?」
なんかすごい具体的な話で、ズバリ核心をついて来るのが母親って言うヤツかな。
「大丈夫だよお袋の思っている様な関係じゃ無いから。俺の勝手な妄想だよ」
俺は郵便受けから取って来た新聞紙を広げながら、ボソボソと言う。
「えー? そうなの? なーんだ、つまんないの。チャンと避妊してさえくれれば、お隣の優香ちゃんとお付き合いしても良いのよ。まあ、優香ちゃんにその気があるのならね」
「なんか、朝ご飯前の会話じゃ無いような気がするけれどなー。お袋、いつ朝ご飯出来るの?」
「もうすぐ出来るから待ってなさい。それと今の話は真面目な話だから、チャンと考えるんだよ」
「えー? 優香と付き合うか、という話?」
「違うわよ! 避妊の話しよ。男は一度きりでも、女性は一生の事なのよ。子供が生まれれば、その子が大きくなるまで面倒見るのは女性なんだからね。アンタももう大人なんだから、生涯を共にしたいと思った女性を見つけたらチャンと考えるんだよ」
「わかったよ、そうするからさ。それより、早く飯を出してくれるかなー」
今日は母親を急かしたので、朝ご飯を食べている時に、優香の乱入は無かった。その代わり、優香の珍しいふくれ顔を見る事が出来た。いつも、誰にでも優しい優香だから、怒った時の顔やふくれっ面したりすることなんてほとんど無いと言って良い。
この俺でさえ、彼女のふくれっ面を見たのは数えるほどしかない。今回は、俺歴史の中でその貴重な一回にカウントされるだろう。
「もう! せっかく、新之助君の美味しそうに朝ご飯食べる姿を観られると思って来たのに! 今日のラッキーチャンスを一つ失ってしまったわ。プンスカ、プンスカ」
「まあまあ、そんなに膨れるなよ。可愛い顔がフグ見たいになってるぜ。(まあ、それは、それで可愛いけど)そんな顔してたら誰も振り向いてくれないんじゃ無いか?」
「それでも良いもん! 新之助君だけが振り向いてくれれば良いの!」
「わかったよ優香、そんなに膨れているなら、今日も一緒に帰ってやるからさあ。部活動終わるまで図書室で勉強するから」
「え! やったァ! ラッキー・チャンス、復活しましたァ!」
「全く優香は現金な奴だなア」
「あ、そうそう。朝ご飯見られないショックで忘れてた。はい、新之助君! 昨日借りてたシャツ、洗濯してアイロンかけてあるから使ってね」
「おう、ありがとう優香」
優香からシャツをもらい受けて、とりあえずテーブルに置いておく。今日帰ったら自分の部屋のクロゼットにしまえば良いかな。
「あら、そんなトコに置いちゃうの。新之助君の部屋に持ってかないの? せっかく、君の部屋に行けると思ったのに?」
「えー、小さい時はよく遊びに来てたじゃん、何をいまさら」
「だって、小さい時はおもちゃしか無かったじゃない。ゲームかおもちゃしかない部屋だったと思ったけど……。流石に今はそういう訳ではないでしょう? あ、まさかエッチな本とか出しっぱなしで、私に見られたくないのかな? それなら、ぜひ君の好きなエッチ本もチェツクしておかないとね」
「おいおい、オフクロといい、優香といい、朝からなんていう話をしているんだよ」
「え、お母様と同じ話をしてたのかしら? お母様に、隠してたエッチ本が見つかっちゃったの?」
「いや、それに関しては、ノーコメントだ」
さすがに、優香に面と向かって『セックスする時は避妊しろ、って言われた』なんて、口がさけても俺の口から言えない。頼むから母親と女同士の会話をしてくれ。
「しょうがないなあ、まだ少し時間があるから、俺の部屋まで付いて来るか?」
俺は優香に洗濯してもらったシャツを持って、優香と二人で自分の部屋に入っていった。もちろん、エッチ本なんて、普通の家探しでは見つからないところにしまってあるから、安心して優香を部屋にいれる事が出来た。(やはり、整理整頓は大事だなア。いつも、楽しんだ後にきちんとエッチ本を秘密の場所に片付けているからな。)
「どうだ?優香。エッチ本なんて、どこにもないだろう? そもそも、今はネットの時代なんだから、エッチ画像はパソコンやスマホを使って、全てネットで見るんだぜ。今の時代にエッチ本なんか売ってないだろう。大体、そんな事してなんの意味があるんだ? 男の子はみんな、エッチが好きに決まっているじゃないか」
「またまたー。そうやってムキになって否定する処が怪しいわ。だって、パソコンやスマホでエッチな画像があるサイトに行ったら、全て履歴が残るんでしょ? もしも履歴を消すのを忘れたら、パソコンやスマホを使って誰かに何かを説明しようとした時に大事故になるわよ」
優香は、俺に向かってしゃべりながら俺の部屋の隅々まで、目を皿のようにしてチェックしている。
「だからと言って、履歴を消してしまうと二度とお気に入りのエッチなサイトに飛べなくなるでしょ? だったら、お気に入りは写真集みないた本で持っていて、一時的な気の迷いは、パソコンやスマホでお楽しみした後で履歴を消せばいいんだと、普通は考えるわよ」
う! 流石、名探偵優香。やっぱり女の感は怖いなあ。でも流石に何処にしまっているかまでは分からないだろうな……。
「ってか、優香は、なんでそんなに俺のエッチ本を観たがるんだ? 女性が見ても、別に楽しくないと思うぞ、エッチ本なんて」
「だって、新之助君の好みの体系が分かるじゃない? おっぱいの大きい子が好きなのか、それともちいさい方が良いのか、とか。お尻は大きい方がいいか、小ぶりな方がいいか、とか」
「えー、そこまで言われると、何か恥ずかしくなってきたなア。まあ、一般的な男性はおっぱい大きい人が好きだけど、別に、俺的には女性の体系にこだわりは無いんだ。好きな人の体系、イコール、おれの好みの体系っていう事で、この件はおしまいにしようぜ。そろそろ行かないと、またバス停直前ダッシュになっちまうからな」
「うーん、何か中途半端な感じだけど、仕方ないわね。時間切れと言う事ね。この続きはまた次回ね。それじゃあ、バス停まで行きましょう? 新之助君」
優香は、名残惜しそうに俺の部屋をあとにする。
「新之助君のお母様ー、それでは言ってまいります。大事な新之助君をお借りしますね」
「優香ちゃんー、新之助ー。気を付けて行ってらっしゃいー!」
結局、俺がオフクロの声を聞いたのは、これが最後だった。
***
よーし、今日は余裕でバスに間に合うな。バスは、始発のバス停でお行儀良く待っている。
幸い目の前の横断歩道の信号は青だ。車道側の信号は赤だから、大型トラックもお行儀良く横断歩道の前で止まっている。俺たちは二人で横断歩道を渡って行く。
と、大型トラックの前を通り抜けようとした瞬間に、俺の背筋に嫌なものを感じて、俺の足は動かなくなった。誰かが俺の足を地面から引っ張っている感じだ。
俺が突然立ち止まってしまったので、優香だけ数歩先を行くカタチにになった。あれ? 新之助君どうしたの。優香がこちらを振り向いて声をかけた瞬間、何かに気がついて悲鳴を上げた。
「きゃーっ!」
大型トラックの横から、居眠り運転のワゴン車が猛スピードで優香に向かって行くのが俺の視界に入った瞬間、俺の中のリミッターが外れた。
多分、生涯最高のダッシュだと思う。やはり足のケガは回復してたんだ……。
恐怖で一歩も動けなくなっている優香を、俺は全力で弾き飛ばした。優香の位置に俺が入った瞬間、俺はフルスピードのワゴン車と衝突した。
ドン!!!
キキー!
「新之助、サマァー!!!」
まったく、俺に当たってからブレーキかけやがって。おれは薄れる意識の中でどうでもいいことを考えていた。
なぜか、優香が全身全霊を込めて俺の名前を叫んでいる声だけは、ハッキリと俺の脳裏に残った……
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