第7話 放課後の楽しみ

 普段ならば、お昼ご飯でお腹一杯になると、午後の授業は眠気との戦いだ。授業の内容なんかどうでも良い。とにかく頑張って起きる努力に全神経を集中する。

 それでもノートにはミミズがのたくったような文字が並んでいて、後で読み返しても全く分からない。

 最後には手のひらをつねったり、耳たぶを揉んだり、カラあくびをしたり、ありとあらゆる物理的な外部刺激を与える方法を使わざるを得ない。


 ただ、そこまで行くと、もう先生に隠す事は出来ない。


 そりゃあそうだ、明らかに授業と別の動きをしているまぶたの重そうな奴なんて、教壇から見たら一発で気がつくわな。

 でも、どうもそこまで行くと先生も諦めの境地に達するらしく、あえて指名しない先生が多い。まあ、絶対に先生の声が耳に入っていないから質問なんかしてもムリなのは目に見えている。今はそこで無理強いさせると、パワハラだ、セクハラだ、と騒がれる事も多いし。


 コイツはもうこの時間は使い物にならないと判断されて、アッサリと切られるんだね。


 ところが今日は、昼飯時にヒナ鳥になった美人の女子高生を思う存分堪能させて頂いたお陰で、眠気が一切襲って来ない。それどころか、ズーッと興奮状態が続いている。待て待て、俺。こんな調子では放課後までもたないぞ!


 放課後も優香とイチャイチャして帰るんだから自分のライフポイントを残しておかなくては。でも、興奮しているために、俺のライフポイントが急速に減っているのが感じられる。

 とにかく、先生の一声ひと声がビンビン俺の耳に入ってくるんだ。先生が黒板に書いている文字がギュンギュン俺の目に飛び込んで来るんだ。まるで全てが止まって見えるぜ。そうか、コレが超一流運動選手でも本当に特別な時にしか経験しない、究極の集中力、『ゾーン』と呼ばれる奴だな、きっと。


 優香と一緒に食べたお弁当にヤバイクスリでも入っていたのか? そんな事じゃ無いよなぁ、コレはお昼時間に優香の『アーン』している可愛い姿を見たお陰で、俺の神経が異常に高ぶったまま元に戻ってないだけだと思う。


 少し深呼吸して新鮮な酸素を入れて、ホホをつねって、手のひらをつねって……、あれ? これって眠いの我慢してる男子生徒がやる典型的な行動だよな?

 でも、精神の高ぶりを沈めないと、本当に夕方まで持たない。


 すーはー、すーはー、すーはー。

 ひっひっふー、ひっひっふー。


 よーし、高ぶりは収まって来た感じだ。あれ? 高ぶりが収まったら、なんか眠くなってきちゃった。そうだよな、睡魔が来るのが通常の状態なんだよな。なんだ、結局同じかよ。

 睡魔を退散させるために、深呼吸して、手のひらをつねつて、空あくびをして……、うーん、ごめん先生。

 駄目だ、今回の睡魔には勝てない。放課後のライフポイントも少し回復させないといけないし。このまま夢の世界にゴーするね、先生。


 ***


 キーンコーン

 カーンコーン!


 あーっ、やっと終わったっ! 今日も一日が短かったなぁ。まあ午後はほとんど意識が無かったから、そりゃあ当然か。


 さーて。優香が部活から帰って来るまで図書館に行ってもう一眠り、と、その前に昼間バタバタして残してしまった弁当を食べてしまいましょうかね。

 弁当を残して帰ったら、一生懸命作ってくれた母親に悪いもんね。毎日毎日作り続ける事自体が大変だと思うもん。俺には絶対に続かないな。自身を持って言えるぜ。

 図書室は飲食禁止だから、クラスのみんなが部活に行ってしまった誰もいない教室で、ユックリと、いただきまーす。


 早弁と昼間の優香との食事で、もうほとんど残っていなかったから、あっという間に食べ終わった。食べ終わった弁当箱を片付けていると、昼間の食事時に優香が使ってた箸が一緒に入っていたのに気がついた。


 あれ? なんで優香の箸がここにあるんだ? そうか、お昼時間が無くなりかけて慌てて片付けたから、彼女のお箸がその時に俺の弁当箱に紛れ込んだんんだな。

 でも、それじゃあ優香はどうやって自分の弁当の残りを食べたんだろうか? まさかお弁当の残りをまだ食べてないんじゃあないか? どうしよう? まさか箸だけ持って優香の部室なんか行ったら何を言われるかわかったもんじゃないぞ!


 でも、流石に箸が無いと弁当が食べられないから、困るんじゃ無いか? 仕方が無いので、俺の箸入れに入れた上でハンカチでくるんで、彼女の部室まで行く事にした。取り敢えず優香を呼び出してもらって渡せば良いだろう。

 流石に学校一の嫌われ者でも、相手が優香なら呼び出してもらえるんじゃ無いか? という甘い考えで彼女の部室に向かった。


 しかし、俺の考えが甘かったのは部室に行ってから痛感した。彼女の部室は教室から離れていて渡り廊下を渡らなければ行けないが、部室に向かう廊下を歩いているだけで、女子達からイキナリのブーイングを浴びせられ、部室の前にさえ行けない。

 これでは、優香を呼び出してももらえそうに無いな。流石、学校の女子嫌われ者ランキング上位者だぜ!


 うーん、そこで感心してても仕方が無いな俺も。そこで、クラスメートの男子で優香と同じ弓道部に所属しているヤツの名前を渡り廊下から弓道場の中庭に向かって大声で呼んだ。


「おーい! 秀丸ー! ちょっと出てくれー」


 しばらくすると、クラスメートはけげんな顔を見せながら弓道部室から現れた。


「なんだよ、新之助! ひまなお前と違って俺は女子達との練習で超忙しいんだけど。まあ、女子嫌われ者ランキング常連上位者が、神聖(女子多め)な弓道場に向かうなんて暴挙に出るのは余程の事なんだろう? 明日の昼飯にコーラ一本の奢りで許してやるぜ。どうしたんだ? 俺に出来る事なら相談に乗ってやるぞ」


「おう、サンキュー。秀丸。やはり持つべきものはクラスメートだな」


 女子の嫌われ者だけど、男子の中では普通に付き合える奴らがいるのは本当に助かる。もしも学校カーストがあったら、俺なんか女子ランキングでは最底辺なんだろうけど、男子ランキングでは何故か底辺で無いんだな、これが。


 そもそも、そんな学校カーストなんかぶっ壊れちまえば良いんだよな。まあ、優香は学校のみんなを平等に扱っているし、みんなもアイツを愛してくれているから、アイツが学校中を飛び回っているお陰で、少なくともこの学校では俺という例外を除いて、カースト制度は無いに等しい。


 俺も女子カーストで引っかかっているだけだし、俺は優香がいるから学校カーストにこだわり無いし。


 オット、話が逸れちゃったみたいだな、話を戻そう。


「おう、ゴメンな、コーラもう一本追加シテヤルから、優香を呼び出して欲しいんだ。頼むよこの通り! 武士の頼みだ!!」


俺はクラスメートの秀丸に拝みこむようにして頼んだ。


「オット! それは最高難度の頼み事だぞ、新之助! コーラの1本追加程度では聞けないなあ」


「クッソー、人の弱みにつけ込みやがって。仕方ないもう1本追加だ! これでどうだ」


「うーん3本は欲しいな、このイベントをクリアするには!」


「ばかやろー、それじゃあ間を取って2本だ、持ってけドロボー!」


「良し乗った! ここでオマエに吹っ掛けすぎたことが、後で優香チャンにバレるとオレ様が嫌われちゃうからな。それじゃあ追加3本で手打ちな!」


「クッソー、人の足元見やがって。俺の貴重な小遣いが一気になくなっちまった。でも、優香のためならここは耐える所だ、オトコ、新之助、我慢、我慢。武士は食わねど高楊枝だ!」


「よし、交渉成立だな。新之助毎度ありー。俺ってさあ、こういう商売ごと、すげー好きなんだよな。きっと俺の御先祖様は、昔からこんな交渉事が大好きだったんだろうなア。おれもそのDNAを受け継いでいるんだよきっと」


秀丸は、そう言いながらニコニコしていだが、ふと思い返すように言った。


「てかさ、新之助お前って元剣道部だろう? だったら部活仲間の小野田に頼めばよかったじゃん。そしたら俺にコーラをおごらないで済んだんじゃないか? たしか小野田なら女子の受けもいいから、速攻で優香ちゃんを連れだしてくれるんじゃね?」


「まあ、そうなんだけどな。ちょっと訳アリでな」

俺は秀丸に、他言無用の約束をしたうえで話し出した。


「なんかさ、優香が嫌がるんだよな。どんな奴に対してもニコニコして優しい優香なんだけどさ、小野田に対してだけはダメなんだと。小野田を見てると無性に悲しみと怒りがこみあげて来るんだそうだ。優香が言うには、前世で小野田に酷い仕打ちを受けたんだそうだ。ほら、恨みは七代まで祟るとかいうじゃん。きっと優香の御先祖様と小野田の御先祖様で因縁めいたことでもあったんじゃないか?」


「ふーん、まあ人生色々あるからな。七代前の御先祖様の話をされてもなぁ。でも本人がイヤなものは仕方ないしな。優香ちゃんも人の子なんだな、嫌いな奴がいるなんて、そういうところ、可愛いよな。いや、惚れ直すぜ。まったくお前にはもったいないぜ、ホントに。俺がもらってやるから、早く喧嘩別れしろよ」


 秀丸は、感心したような、不思議そうな顔をして俺に言い返す。それから、優香を連れてくるために弓道部に戻って行った。

 結局、クラスメートの秀丸に昼飯時にコーラ3本をおごる約束で、優香に会う事が出来たのだ。


「じゃあ、新之助、約束は忘れるなよ! 男とオトコの約束だからな」


秀丸は、優香を連れて来た後で俺に向かって意味深な笑顔を浮かべながら去って行った。


「分かった、武士に二言はない! 約束は守るよ……」


俺は部室に戻って行くクラスメートの秀丸の後ろ姿に、悔しそうに声をかけた。


「どうしたの? 新之助君? 彼との約束って何? 私に関係する事?」


 うーん、流石、女性のカンは鋭いなあ。ってか、ここまであからさまだと普通は気がつくか。別に他言するなとは言われてないし、そこまでアイツの肩を持つのもシャクだから今の掛け合いを全て優香に打ち明けた。


「えー、それは可哀想ねえ。彼もヒドイわね、私を呼び出すだけでコーラ3本なんて! 良いわ、私が新之助君に麦茶のペットボトル3本おごってあげるから」


「麦茶のペットボトル3本っていうのが、如何にも優香らしいなあ。でも、ありがとうな。嬉しいよ。ワザワザ部活動中に来てもらったのは、オマエの箸が俺の弁当箱に紛れ込んでたから渡しに来たんだよ。コレが無いと弁当の残り食べられないだろう?」


「わー、ワザワザありがとう! 実は探してたの! お気に入りだからどうしようと思っていたの。本当にありがとう! お弁当の残りは、もう家に帰ってから食べるつもりで諦めていたの」


優香は、俺が渡した箸入れを受け取った。


「あら、汚れないようにワザワザ新之助君の箸入れに入れてくれたのね。嬉しいわ。でも随分綺麗だけど、まさか新之助君、私の箸を舐めて無いわよね?」


「えー! 俺がそんなバカな事するなんて思ってんのか? そんなヤバイ奴みたいな事する訳ないだろう? 優香は俺をそんなヤバイ奴だと思ってたのか」


「えー、ゴメンなさい! そうよね、新之助君はそんな事出来る人じゃないものね。私が一番分かっているわよ……でも、本当は新之助君に私のお箸を舐めて欲しいかな? って思っているの」


 優香の最後の言葉は、少し小声で聞き取り難かった。しかし、部室に戻ろうとして彼女が踵を返す時にほんの一瞬だけ見えた彼女の耳たぶが、これ以上ないくらい真っ赤になっていたので、多分俺の聞き間違えでは無い、と思った。

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