最20話 あなたに罰と

「……どうか、


「………………」


 胃が焼けるように熱い。口から体の奥に熱した鉄棒を突っ込まれてるみたいだ。

 あやは黙ったまま。私は振り返るのが怖くて仕方がなかった。背を向けたままこんな事を言っている辺り、やはり自分が大切なだけなんだろうな、と納得してしまった。


「……結梨ゆうり、変わったね」


「……?」


 少しして絢が口を開く。その声には先ほどまでの力強さはない。泣きそうなほど優しくて悲しい声だ。


「前の結梨は……頼りになって、いつも堂々とした振る舞いでカッコよかった」


「…………」


「今の結梨はまるで別人みたい。ずっと体を小さく丸めて、声も震えてる」


「…………」


「この三年間、ずっと自分をいじめてきたんでしょ。自分を独りきりの環境に置いて、自己否定して、傷つけて……そんなことしてたら、結梨が死んじゃうよ」


 やめて。


「少し痩せてるように見えるけど、ちゃんとご飯は食べてる? 髪だってきちんと手入れしてないでしょ。不摂生が祟って倒れたら大変なんだから」


 やめて。私を心配しないで。私に優しくしないで。声をかけないで。話さないで。もうどこかに行って。


「結梨、私はね。すごく怒ってるけど、それと同じくらいにあなたが心配。私が三年間、どんな気持ちでいたかなんて考えたことなかったでしょ」


「…………て」


「私は早くあなたに会いたかった。会って話をして、怒って喚いて口汚く喧嘩するつもりで今日ここに来た。

 だけど、早く会いたかったのはそれだけじゃない。怒りだけしかないなら、結梨に会おうなんて思わなかった」


「…………やめ、て」


「結梨に早く会いたかったのは、私が結梨をちゃんと許したかったから。結梨とまた一緒に──」


「もうやめて!」


 夜の川に響く私の汚い声。ここ最近大声を出すことが無かったから、声は裏返ってしまって余計聞くに耐えないものに聞こえただろう。


「わ……私は、貴女に赦してもらう資格がない。私みたいな、加害者は……貴女と向き合う資格もない。もう、お願いだから……帰ってください」


「…………」


 懇願する。

 お願いだから、もうこれ以上私に関わらないで。もうこれ以上貴女の人生に私を関わらせないで。

 もう二度と誰かを傷つけたりしないように、私は独りでいなくちゃいけない。それが、罪を犯した加害者の、あるべき姿なのだから。


「……結梨、こっちを向いて」


「…………嫌です」


 私には、貴女の顔を見る価値もない。


「いいから、こっちを見なさい」


「…………」


「さっきなんでもするって言ったでしょ。こっち見て」


 ……私は渋々体を絢の方に向ける。視線は地面に向けたまま、体だけは方向転換する。


「私の顔を見て」


「っ……」


 首が固定されたみたいに動かない。絢の顔を見ることなんて出来ない。見る資格もない。絢の足元を見るので精一杯だ。


 その絢の足がこちらに歩み寄ってきた。私はびくりと体を強張らせてしまって、逃げたくても逃げられなかった。

 絢の足が目前まで来て止まると、私の頬が両手でがっちり持たれて無理やり視線を上げられてしまった。


 そして、視線を上げた先には絢の顔があった。ぼろぼろと泣き崩れてしまっている、絢の顔が。


「────」


「私はね、結梨。記憶が戻った後、すぐに結梨の家に向かう事が出来なかった。

 ……怖かった。結梨と会って何を話せばいいのか分からなかった。結梨の気持ちも、私の気持ちも、もう何が何だか分からなくてぐちゃぐちゃしてて、記憶喪失の時よりよっぽど頭が混乱した」


「…………」


「だから、すぐに会いにいけなかった。臆病になってた……。ずるずると引きずって冬になってようやく覚悟を固められた。なのに、結梨はもう家を出て行った後だった」


 絢の顔から涙が流れる。私の顔もすでに涙でぼろぼろで、頬を掴んでいる絢の手が濡れて汚れてしまっていないか心配になる。絢はそんなこと気にもせず、鼻も目元も真っ赤にしながら話を続ける。


「……どうしてすぐに会わなかったんだろうって後悔した。ずっとずっと、後悔してた。

 私が弱気だったせいで、結梨を独りにさせちゃって……今日の結梨を見て、胸が引き裂かれそうなくらい、あのとき会おうとしなかった私を恨んだ」


「……ちが、う」


 私が会おうとしなかっただけだ。全部私のせいだ。どうして絢が後悔しなきゃいけないの。


「だから……ごめん、ごめんね……結梨……ごめん……ひとりにさせて……」


「違う……私が全部……」


 私が、悪いのに。謝らないでよ。泣かないでよ。私をもっと怒ってよ。蔑んでよ。

 そうじゃなきゃ、私のこの気持ちは、どう慰めればいいの?


「私が……全部悪いのに……」


「私も悪かった……親友を独りにさせて、ごめん」


「違う、絢は何も悪くない……わた、私が……」


 そこから先は二人とも声にならなかった。

 二人して泣きながら訳の分からない言葉を言い合って、抱き合っていた。何分も、何十分も。

 でもずっと泣くことは出来なくて、嫌でも落ち着き始めるくらいには時間が経ってからも、私たちは互いの体に腕を回して抱きついたままだった。


「…………」


「…………」


 涙が枯れて後には河原で抱き合っている謎の女二人が、涙や涙の跡でぐしゃぐしゃになった顔で向き合っているという光景だけだった。

 世間体も見栄も何もない。地面に直に座ってスカートは砂まみれ。はたから見ればかなり奇怪に映る、素の私たち。


「ねぇ、結梨。まだ、自分が許せない?」


「……うん」


「なら、私が結梨を恨んでてあげる」


「え?」


絢は、ぼろぼろの顔で笑った。


「私が結梨を責めてあげる。加害者を責めていいのは、被害者だけだもの。結梨が自分を加害者だって言い張り続けるなら、被害者わたしはずっと結梨を責め続けてあげる」


「…………」


「私自身、まだ結梨を許したわけじゃない。言いたいことだって沢山ある。これでもすごく怒ってるんだよ、私」


「…………」


「だから、さ。結梨は結梨自身を責めないで。もう自分を傷つけようとしないで」


 絢の瞳が真っ直ぐに私の目を覗く。

 絢の言葉が真っ直ぐに私の心をこじ開ける。


「結梨。もう、いいんだよ」


「っ……!」


 苦しいくらいに素直な絢の気持ち。

 枯れたはずの涙がまた視界を濡らす。


「……ごめん、ごめんね。絢……ごめんね」


 絢の胸元で泣いてしまう自分の弱さが恥ずかしい。けれどそんな私を、絢は優しく抱きとめて頭を撫でてくれた。

 絢は私の頭を撫でながら、意地悪っぽく話す。


「私は誰かさんみたいに『謝るの禁止』なんて言わないからね。これからも沢山謝ってもらうから。

 そうね……。、謝ってもらうんだから」


「────! うん、分かった……。私も、毎日面と向かって貴女に謝らせて」


「うん」


 暖かい、陽だまりみたいな笑みを浮かべる絢と、弱々しい笑顔をつくる私。

 私たちはまたしばらく抱き合って、私が落ち着いてから立ち上がった。


「帰ろっか、結梨」


「うん……分かった、絢」


 私たちは、二人手を繋いで土手を歩いていった。

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