第19話 私に贖罪を/下

あや……どうしてここに…………」


「どうしてはこっちのセリフじゃない? どうしてこんな遠い場所にいるの、結梨ゆうり


 絢だ。紛れもなく絢が目の前に立っていた。

 何か言おうとして、私は言葉を飲み込んだ。震える膝を必死に抑える。泣きそうな目に喝を入れて堪える。

 客引きという仕事を投げ出して店内に逃げ出そうと一歩動いた途端、腕を絢に掴まれてしまった。


「待って。話を聞いて」


「………………」


 掴んだ腕を振りほどけない。がっちりと掴まれて固定されてしまったみたいだ。

 ……それとも、振りほどけないのは、私が絢と一緒にいたいと心のどこかで願っているからだろうか。だとしたら、とんだ意思の弱さだ。自分でも自分が滑稽だと自嘲する。


「…………離してください。仕事の邪魔です」


「ダメ。離さない」


 掴んだ腕に力が入る。


「…………人を呼びますよ」


「呼んでもいいから、私の話を聞いて」


「っ………………」


 絢の意思は固く、私の腕を離そうとしない。私とは大反対だ。

 サンタの格好をした店員が、通行人に腕を掴まれて固まっている姿は周囲にどう映っているだろう。道行く人々はこちらにちらりと視線を送ったりしているだけが、このままでは騒ぎになるかもしれない。

 私は少し考えてから、苦肉の策を提案する。


「……私の勤務時間はもう少しで終わりますから、それまでお店の中で待っていてください」


「……逃げる気でしょ」


「…………」


「逃げないって約束して。そしたら離してあげる」


「…………分かりましたから、離してください」


 そう言うと、絢はパッと手を離してくれた。私は絢の姿を見ないようにしながら歩いているから、絢が今どんな表情をしてるのかは分からない。


「じゃ、待ってるからね」


 お店に入って、後ろからそんな絢の声が耳に入ってきた。


「あれ、洲崎すざきさん。客引きは?」


 ケーキショップの店長に声をかけられて、私はびくりと肩を震わせた。

 人の声を聞くのすら怖がるなんて、私はどこまで弱いんだろう……。


「……すみません、変な人に絡まれちゃって逃げてきたんです」


「そうだったの。大丈夫? 奥で休んでていいからね。警察は?」


 店長は優しい人で、心配しながらスマホを取り出そうとしたのを見て、私は咄嗟に店長を止めた。


「いえ、大丈夫です。もう追い払いましたから。ただ、今日はもう上がってもいいですか?」


「ああ、もちろんいいよ。気をつけてね。それとも送って行こうか?」


「いえ、大丈夫です。お疲れ様でした」


 早足で店の裏に回り更衣室へ。

 更衣室には私以外の誰もいない。それを確認した途端、足から力が抜けてその場にへたり込んでしまう。


「……はぁ、はぁ、はっ、はぁ」


 呼吸を整えて、足に力が戻るまで五分ほどの時間を要した。なんとか立ち上がれても、今度は服を脱ぐだけの力がない。涙は止まらなくて、借り物の衣装には所々涙で濡れた斑点が出来てしまった。


 なんとか着替え終わったけれど、気分は回復しない。陰鬱いんうつとした面持ちで荷物を肩にかけて、更衣室を後にした。


 裏口から出ようかと思ったけれど、裏口の先に絢がいたら、なんてありえない妄想が足を止めた。

 ……たった三年会わなかっただけでこれだ。話すなんて無理だ。それにそもそも、私は絢と会話をしていいような人間じゃない。

 私は……そう。一言で言えば『クズ』が当てはまる。そんな人間が、絢に会っていいわけがない。ましてや話すなんて……。


 正面から出ることに決めた私は、努めて冷静に店内を横切っていく。店長や他の店員や客に変な目で見られていないか気が気じゃなかった。

 店内になるべく視線を向けず一直線に店を出る。


「……っ、はぁー……」


 外に出ると冷たい夜風が肌を刺す。時刻は午後八時を過ぎた頃だろう。一度深呼吸をすると、肺の中に冷たい空気が入り込んでいくのが伝わってくる。


「ちょっと。お店の中で待っててって言ったのはそっちなのに、さっさと出て行かないでよ」


「っ」


 後ろから声をかけられる。振り返らずとも分かる。絢の声だ。

 私は振り向かずにツカツカと歩き出す。


「あ、ちょっと!」


 当然だけど絢は追いかけてきた。大通りを外れて小道を歩き、人通りの少ない方へと行く。


「ねぇ、結梨。どうして無視するの」


 その間も絢は私に話しかけてきた。私は徹底して絢を無視し続けて、気がつけば大きな川が流れる河川敷まで来ていた。

 私は覚悟を決めて、河原に降りていく。川の側に人の姿はない。


「結梨、ちょっと」


「…………なんで」


 少し歩いたところで初めて絢に話しかけた。

 店員としてではなく、洲崎結梨として。


「なんで、ここにいるの……。どうして……こんなところに……」


「結梨のお母さんから聞いたの。心配だから様子を見てくれると助かるってお願いもされちゃった」


「…………」


「それと。さっきから言っているけど、話をしに来たの」


 絢の声はまるでそれが当然とばかりに力強い。私は振り返ることはせずに後ろに声をかける。


「……話って?」


「どうして逃げたの」


「っ!」


 胸が痛い。胸の辺りをぎゅっと握りながら続きを聞く。


「私、すごく怒ってるんだよ。結梨、急に病室に来なくなったと思えば高校まで辞めちゃってさ。

 それに……嘘をついたことも」


「…………思い、出したの?」


「最初は入院中に一つだけ思い出したの。そこから少しずつ思い出せて、学校に通うようになってから全部思い出せたわ」


 そんな早いうちに記憶が戻っていたのか……だとしたら、どうして私の家に来なかったのだろう。

 ……聞くのが怖い。喉が震える。唾を飲んでも渇きは癒せなくて、掠れた声しか出てこない。


「ご……、ごめんなさい……」


「それは何に対しての謝罪なの? 逃げた事に対して? 嘘をついた事について?」


「………………」


 立っていられないほどの目眩。心臓がうるさい。視界が狭い。暗い。呼吸ができない。

 この後に及んで私の体は、まるで被害者ぶるように弱っていく。私は紛う事なき加害者だと言うのに。嘘をついて人をけがし、他を蹴落として自分の欲望を叶えようとした怪物が私だ。それなのに被害者ぶるとは、私はどこまで矮小なクズなのだろうか。


「わ、わた……私の全部……」


「……?」


「私が関わったせいで……絢に酷い事を……全部、私が悪かった……。

 ……だから、ごめんなさい」


「………………」


 声が引きつっている。汚い濁声だみごえに聞こえるかもしれない。でもそれならそれで私に合っている気がして、なんなら一生そんな声になってくれたらいいのにと思う。

 当然だ。私はゆるされない事をした。

 罪を犯した。人を傷つけ、弄び、穢した。その事実と罪は一生消えることはない。

 私はけじめとして絢の前から姿を消したけど、言われてみれば確かにそれはだ。けじめとか罪の清算とか考えながら、やってることはただの自己保身。

 我ながら実に意地汚い。生き恥を晒しながら指摘されるまでそんな事にさえ気付かないなんて愚昧ぐまいにも程がある。


「私……に出来る、事ならなんでもします……だから、どうか、」


 涙が溢れる。下卑げびつらをしながら懇願する。


「……どうか、

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