第17話 貴女に花束を

 その日は疲れていて、外も雨が降っていたから私はついうとうとと眠りについてしまっていた。昨日の結梨ゆうりとの激しい交わりの疲れが残っていたらしい。

 目を覚ましたのは午後四時手前。三時間近くも昼寝をしてしまった。


 でも、結梨が学校からここにやってくる前には起きられて少し安心した。


「早く来ないかな、結梨……」


 雨音が部屋を満たす。こんな日もたまになら悪くないと思える。病室は退屈だけど、結梨と一緒なら心地いい。

 私を支配してくれる結梨といるのはとても安心できる。


 私は窓を打つ雨音を聞きながら、結梨を待ち焦がれた。

 けれどその日。

 結梨が病室を訪れることはなかった。





 次の日も、次の日も、次の日も。

 結梨は病室にやって来ない。

 結梨の携帯に電話をかけても繋がらない。


「結梨…………」


 寂しくて、悲しくて、苦しい。

 会えないのがこんなにも辛い。

 夜は眠れなくて、朝は起きていられないほどの虚脱感が体をさいなむ。


 孤独な部屋には、結梨が来なくなった代わりに、いくつかの花が置かれるようになっていた。

 ベッドの横に置いてある机の上に花瓶が置かれ、そこには毎日色鮮やかな花が咲くようになっていた。


 シオン、ポインセチア、ヒガンバナ、エリカ、コチョウラン……。


 両親と名乗るあの人たちが、新しい花を携えて来るのだ。

 両親はニコニコしながら花瓶に花を挿し、綺麗ね、なんて言う。


 不思議とその花を見ていると、結梨に頭を撫でられていた時のような安心感が胸に広がっていく。

 記憶の奥の方がくすぐったくなる。目を閉じればそこに結梨がいるような気がする。

 優しい結梨。私の手を握ってくれて、私を好きだと言ってくれる結梨。私に口づけをしてくれる結梨。


 以前までの黒い感情は綺麗に洗い流された。

 けれど、ただ会いたい。結梨に会いたい。


 何か事故に巻き込まれてしまっていないかとか、ひょっとして私嫌われちゃったのかなとか、ふとした時に考えてしまうけれど、花を見ているとそんな考えは何処かに飛んでいった。


 そして、結梨が来なくなってから十日が過ぎた頃のこと。

 私は携帯の写真フォルダを眺めていた。結梨と私が映った写真。クラスメイトと楽しそうに笑う私の写真。ピアノの写真。

 こうして比較して見てみると、結梨と映った写真が圧倒的に多い。

 中学生の頃からずっと一緒だったのだから、当たり前といえば当たり前なのだけど。


「…………っ」


 頭の中で砂を噛んだような不快なノイズが走る。

 そうだ。結梨とは中学から一緒だった。入学式の日に私から声をかけたんだった。


「あれ………………」


 結梨に聞かせてもらった事実の列挙としてではなくて、


「あれ……私…………」


 不意に涙が零れる。

 覚えてる。私は確かに覚えてる。


「わた…………私の名前は、」


 私の名前は、仲本なかもとあやだ。

 結梨と中学で出会った、仲本絢だ。


 ──たった一つの記憶の再生。

 それしか思い出せないけれど、確かに私は自分の過去を覚えている。私には過去があった。


 それが嬉しくて、でも、一番に喜びを伝えたい相手がこの場にいないのが、とても辛かった。



 結局、花は私が退院する予定の日まで、種類や色を変えて贈られ続けた。


 退院する頃には贈られた花は立派な花束としてまとめられて、私を祝福してくれた。

 その場には当然結梨はいない。

 その花束を抱きしめながら、私は病院を後にした。


 両親にこの花はどうしたの、と聞いても秘密とか内緒としか言わない。両親が買ってきたものではなかったようだった。





 冬休みが開けて学校に行けるようになると、結梨が語って聞かせてくれたクラスメイトたちが私を祝ってくれた。


「元気だったー?」

「絢ちゃん久しぶり」

「もう怪我は平気なの?」


 久しぶりの再会で、私の席の周りには人が多く集まっていた。

 私は退院してからも少しずつ記憶を思い出してきているけれど、まだ全部とは言いがたく、クラスメイトの顔も思い出せていないので取り囲まれるのは大変だった。

 なんとか予鈴が鳴るまでみんなの相手をして、ほとんどの生徒が自分の席に戻って一安心する。

 落ち着いてから、改めて周囲を見回す。


 そこで教室内に結梨の姿がないことに気づいた。もう予鈴も鳴った時間だというのに、結梨だけがいない。


「ねぇ、結梨は来てないの?」


 私は近くにいた友達に話しかけてみる。

 記憶にない初対面同然の人に気安く話しかけるのは躊躇ためらわれたが、同級生なのだからこれぐらいは平気だと自分に言い聞かせる。


「結梨ちゃんならいないよ」


 そしてその女子友達は答えた。

 ……予想していた事ではあるけれど、結梨は学校をサボったということだ。病室に来なくなったのはおそらく、私と会いたくないからだろう。

 ……理由は分からないけれど。


 沈んだ私を見て首をかしげた友達が質問をしてきた。


「? 絢ちゃん、知らないの?」


「え? 何が?」


「結梨ちゃんが学校辞めたこと」


「…………え?」


 急に視界が狭くなる。ふらり、と全身から力が無くなったように感じる。


「去年の冬休み前にはもう辞めてたよ。絢ちゃん、仲が良かったからてっきり知ってるのかと思ってたけど」


「…………どうして」


 私の病室に結梨が来なくなった時期だ。

 どうして。なんで。何か重い病だとか、引っ越してしまったとか?


「さあ? 理由は知らないけど。突然辞めるって言って、次の日からは本当に来なくなったから」


「………………」


 結梨が学校を辞めた……。

 その事実が、私の心に大きな空洞をつくったような気がして、虚しさが全身を貫いた。



 結梨に、何があったのか。

 今の私には、それを知ることは出来なかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る