第14話 これは間違った感情

「──なに、を言ってるの? あなた……」


 私が、葉波はなみさんのことを好きだった?

 この人は何を言ってるの? だって、私は結梨ゆうりと恋人で、付き合っていたはずだ。記憶喪失前からずっと。


「本当は、僕の事を好きだったかどうかをきちんと確かめた上で、断るつもりで今日ここに来たんだけどね。

 記憶喪失なんじゃ確かめようがないね」


「ま、待ってよ。何を言ってるのあなたは。意味わかんないこと言わないでよ」


 頭が割れそうなほどの激しい痛みが思考を麻痺させる。胸は警笛を鳴らすように心拍音が耳を圧迫し続ける。

 頭の奥から何かが蘇りそうになる。


「私は……結梨と付き合ってるの! 恋人なのよ!? どうしてあなたなんかを好きだなんて勘違いが──」


「……そうか。そういう設定にしてるんだね、洲崎すざきさんは」


「は?」


「ごめん。確かに僕の勘違いみたいだ。混乱させちゃったね」


 謝る葉波さんは、どこか哀しげな目をしている。何がそんなに哀しいんだ?

 葉波さんはスッと立ち上がる。


「今日はもう帰るよ」


「え?」


「早く怪我が治るといいね」


 それじゃ、とベッドから離れようとする葉波さん。頭痛が酷い。心臓は暴れまわってて、手足は金縛りにあったみたいに痺れて動かない。私が今正常に動かせるのは、声だけだった。


「待って!」


 声は私の意思とは反して彼を引き留めようとする。

 葉波さんが足を止めて振り返った。


「なに?」


「…………一つだけ、教えて」


 やめて。それ以上言わないで。動かないでよ私の口。違う。これは違う。私の意思じゃない。私の感情じゃない。結梨は私を愛してくれてる。何もかも忘れて独りになった私を、それでも愛してくれた。結梨を疑うなんてありえない。違う。私はちゃんと結梨の事が好きなはずだ。好きになれるはずだ。

 私だってちゃんと、結梨の事を愛してあげられるはずなのに……!



「…………私は、誰が好きなの?」


 声が震える。喉が渇いて、空気が飴みたいにベタつく。心臓も頭も痛すぎて、気絶してしまえたらどれだけ楽だろうと思った。


 彼は少し考えるフリをしてから、言った。


「君が望む相手を好きになればいいんじゃないかな」


 それだけ言って、葉波順平じゅんぺいと名乗る彼は病室を出て行った。


「私…………私は……」


 声が掠れる。思考が纏まらない。

 私……。

 私は誰だ……?


「私が、好きな………………」



 その後、午後二時を過ぎてから結梨がやってきた。


「今日は少し元気がないね、絢。大丈夫?」


 私の手を握って心配してくれる結梨。

 優しい眼差し。暖かな言葉。

 私と何度も重ねてくれた、柔らかな唇。


 何かを喋ろうとすると、余計なものまで溢れてしまいそうで、怖くて口をつぐむしかなかった。

 昼に来た来訪者の真偽を、結梨に聞くことが出来なかった。





 そして二日後の現在──


「ぷあっ……は、あっ……」


 私は結梨にキスをされている。

 結梨に首筋を、鎖骨を、耳を犯されている。私は何も考えられなくなるくらいに、結梨にめちゃくちゃにされる事を望んだ。

 結梨に支配されたかった。

 考えるのが怖かった。

 あれから二日間、考えても暗闇しか見えなくて、正体のわからない焦燥感も、湧き上がってきそうな黒い感情も、何もかも嫌になった。


 そして今日、結梨に葉波順平さんと会った事がバレた。もうそれからの私は、自分でも訳が分からなくなった。

 結梨に激しく快感を流し込まれ続ける中で、私は一つの結論に達した。


 めちゃくちゃにされて、頭真っ白にされて、それで結梨に支配される。それが正しい事だと信じた。

 記憶が有ろうと無かろうと、結梨に徹底的に支配されてしまえばもう関係ない。私は結梨のモノになって、この関係は永遠のものになる。


 でもそれは、何かが違う気がして、涙が勝手に流れて止まらなくなってしまった。

 結梨は泣いてる私をどう思ったんだろう。涙を優しく拭ってくれて、また快感をくれた。



 私の中のなにかが崩れていくように、砂利と埃を撒き散らす嫌な感触が、じわじわと広がっていった。

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