第7話 耳鳴りは消えない
いつものように
「今日はいつもより少し遅かったね」
「ごめんね。しばらく用事で遅くなっちゃうの。なるべく早くここに来るようにはしてるんだけど」
「いいの、気にしないで。用事を優先してもいいんだよ」
ベッドの横に置かれた椅子に座ると、寝ていた絢は恐る恐る布団の中から手を出してきた。
私は一瞬意味を図りかねたが、すぐに察して手を握ってあげた。
「……暖かいね、絢の手」
「そうかな……。ずっとベッドで寝てるからかな」
「…………何か思い出せた?」
「ううん、何も」
「そっか」
両手で絢の手を優しく包んであげる。絢の手は白くてすべすべしていた。
私は絢の手を握りながら、昨日の話を聞いてみた。
「……私たちが恋人っていう話は飲み込めた?」
「…………うん」
絢は少し迷いながらも頷く。握っている手が少し強張ったのが分かった。
「女の子同士で恋人になるって、実感が湧かないけれど……それは多分私が記憶を無くしているからなんだよね。
ん、と言い切る前に絢の唇に指を添えて言葉を閉じ込める。
「謝るのは禁止、だよ」
「……そうだったね」
絢は申し訳なさそうに笑って、手に入っていた力を抜いた。
「大丈夫。私はずっと絢の味方だよ」
「うん。ありがとう、結梨」
私は絢の手に顔を近づけて、そっと手の甲に口づけをした。
「ひゃ」
突然のキスに絢は驚いて変な声を出した。
「も、もう……びっくりしたじゃん」
「ごめんごめん。絢が可愛かったからつい」
「かわっ……!」
正直な感想を述べると絢は耳まで真っ赤にしてしまった。
絢のこういう反応は新鮮で楽しい。記憶喪失中はほとんど別人だと思ってたけど、やっぱり所々に絢っぽさがあって、それがより一層私の中の感情を熱くさせた。
「も〜……結梨のいじわる……」
「ごめんってば」
絢は拗ねて手をベッドの中に引っ込めてしまった。その反応も含めてすごく可愛い。
「次急にしたら怒るからね……」
「分かった。次からは許可を取るよ。前は急にしても怒らなかったから、調子に乗っちゃった」
「…………記憶喪失前の、私?」
「そう。恋人だもの、それくらいはしてたよ」
「そうなんだ…………」
少しだけ落ち込む絢。記憶が戻らないのを負い目に感じてるのだろう。
……そんな過去は本当は無いのに、必死に思い出そうとする絢。その姿はどこか哀しいけれど、私からすればその姿はすごく嬉しかった。
思い出そうとするということは、それだけ私との関係を大事にしようとしてくれているという事なのだから。
「今日はもう帰るね。また明日来るから」
「う、うん。また明日ね、結梨」
「また明日。好きだよ、絢」
「あぅ…………」
顔を真っ赤にした絢に見送られながら、私は病室を後にした。
恋人として絢の手を握れる。
恋人として絢の顔を見れる。
恋人として絢に愛を囁ける。
私は昂ぶる感情を抑えつけながら、病院を出て行った。
◇
結梨が部屋を出た後も、私の心は空っぽで、何も思い出せないのが歯がゆくて。
でも、結梨は私の事を好きでいてくれる。これはきっと幸せな事だ。
記憶を失った私を、それでも愛してくれる人がいる。それは幸福な事だ。
……でも、耳障りな金属音のようなものが、耳にずっと残っているような気がした。
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