第2話 運命が道を分ける日

 人垣が周囲を取り囲む。

 私は涙で歪んだ視界の中、駆け寄って道に倒れるあやに声をかけ続けた。


「絢! 目を覚まして! 絢!」


 ワゴン車に轢かれた絢はピクリとも動かない。


「絢……お願い……目を覚まして……」


 自分の体から血の気が無くなっていくのが分かる。視界は涙で歪んで、絢の顔を正確に認識できない。音は聞こえているはずなのに、全てが遠い耳鳴りのようにしか耳に残らない。


「絢……生きて……お願いだから……」


 喉は涸れてしまって声が出ない。叫びすぎた代償だ。でもこんなの絢の痛みに比べればなんでもない。

 事故で負傷した人間には声をかけ続けるべきだ。「大丈夫」とか「助かるよ」とか、そういう声は負傷者の心の支えになると前になにかで見聞きしたことがある。


 絢が今、私の声を聞けているかは分からないけれど、私は声をかけ続けた。

 やがて救急車のサイレンが、その場の音を搔き消しながらやってくるまで。





 事故から二週間が経過した。

 絢の意識が戻ったという連絡を絢の家族から貰い、その日の学校を蹴飛ばして、私ははやる心臓を抑えつけながら総合病院に向かった。

 太陽が空から私を見下ろす正午過ぎのことだった。


 受付を過ぎて絢の眠る病室へ。

 意識を取り戻す前は家族以外の面会を謝絶させられていたので、今日は事故以来初めて絢と再会出来る日だ。この日をどれほど待ち望んでいたことか。


「三〇四号室は……こっちか!」


 廊下を駆けて絢のいる病室へ行くと、廊下に置かれた長椅子に、絢のご両親が座っていた。目の前の病室が絢の部屋のようだ。

 ご両親が、私の存在に気付いて振り返る。その顔は、酷く哀しげだった。


「あ……」


 ぞわり、と冷たいものが背筋を走る。

 意識を取り戻した娘を見て、そんな顔をするご両親ではないと私は知っていた。

 私と絢は何度もお互いの家に出入りしていたし、家族からも認知されていた。だから絢の意識が戻ったことを連絡してくれた。


 そんな人たちが、どうしてそんな哀しい表情を浮かべているんだろう?


「うちによく来てくれる洲崎すざき結梨ゆうりちゃんよね。来てくれてありがとう」


 絢のお母さんは、ゆっくりと頭を下げて私を歓迎してくれた。わざわざ本名を言ったのは、多分隣に座る父親に紹介するためでもあるのだろう。

 絢の父親と私は会ったことがないからだ。


「こんにちは……。

 あの、絢の意識は戻ったんですよね?」


 私は恐る恐る聞いてみた。

 すると、絢のお母さんは目に涙を滲ませて、ハンカチで拭い出した。

 その肩をお父さんが手を添えて支えてあげた。お父さんの目は優しさを湛えている。


「部屋に入って話してみなさい。そうすれば、


 そう言って、絢のお父さんは病室を指して中に入るよう促した。


 お父さんの言葉に引っかかりを感じつつも、絢に会いたい一心で私は病室の扉に手をかけた。


 そこは個室で、白くて大きなベッドと、間を仕切るカーテンが窓から吹く風に揺れていた。


 ベッドの上には枕に頭を預けた女子が一人、新たな来訪者である私の方に視線だけを向けていた。


 間違いなく、仲本なかもと絢本人だ。


 私は嬉しくて泣きそうになりながら、泣きながら再会というのもどうかと思って、頑張って涙をこらえた。


 私は駆け出したくなるような衝動を必死に抑えながらゆっくりとベッドの側まで近づき、用意されていた椅子に腰を下ろして絢の顔を見て微笑んだ。


「目が覚めて本当に良かったよ……。無事で本当に……本当に良かった……」


 ついさっき泣かないようにしようと思ったばかりなのに、瞳は勝手に濡れて視界を歪めてしまう。

 まだ体を起こすのは困難のようで寝たままだが、それもいつか治る。不治の病というわけじゃないんだ。

 ゆっくり時間をかけて治していけばいい。

私も毎日通えば、絢も退屈しないで済むかもしれない。


「あの日……飛び出した絢の手を掴めなくてごめんね。私が何か行動することが出来たら、絢に怪我させずに済んだかもしれないのに」


 溢れた後悔が止まらない。

 事故から今日まで何度も後悔した。

 絢に叱られてもいいと思っているくらいだ。それでもきっと絢は優しいから、怒ったりはしないんだろうな、と心の中で笑ってしまう。


「あ、ごめんね、私ばっかり話して。絢は大丈──」


 大丈夫? と言い切る前に、絢が口を開いた。


「あの……ごめんなさい」


「え?」


「……あなたは、誰ですか?」


 絢の瞳は、見知らぬ他人を見るような無感情なものだった。

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