第二十六話 仇を討つ
「てめえは、この間の……! こんなところにまで来やがったのか!」
部屋の入り口に立つ三人を見て、真っ先に反応したのはラピナムだった。
ダーヴィト・バウムガルトは、そちらに視線を向ける。ラピナムは長髪男を睨んでおり、その口ぶりから考えても、友好的な関係でないのは明らかだった。
続いて声を上げたのは、ダーヴィトの息子ダミアンだ。
「何をしに来たのだ、ピペタ・ピペト!」
その名を耳にしたダーヴィトに、緊張が走る。ピペタ・ピペトといえば、王都騎士団の剣術大会で、ダミアンの優勝を阻んだ男。三人の格好を見れば、それらしき人物は一人しかいない。
振り返って確認するまでもなく、ダミアンは騎士鎧の男に対して、憎悪の視線を送りつけていた。
「いやあ、本来なら、正面から乗り込むべきじゃないんだが……。こいつが『
ぽりぽりと頭を掻きながら、長髪男がピペタに目を向ける。
「
聞き返すクラトレス・ヴィグラム。ひどく狼狽した有様で、酒のグラスを取り落としたのに自分では気づかず、手はグラスを持つ形のままになっていた。
そんなクラトレスに目を向けようともせず、ピペタが答える。
「そうだ。私は、ロジーヌ殿の
「……あたしたちは、その助っ人みたいなものだと思っておくれ」
黒ローブの女が小声で付け加えているが、ダーヴィトたちは誰も、彼女を見ていなかった。
彼らの目の前で今、ピペタが腰から騎士剣を引き抜いて、正面に構えたからである!
「父上! 武器を取ってきます!」
一番に体が動いたのは、ダミアンだった。
部屋の裏口――入り口とは反対側にある小さな扉――に向かって駆け出す。正面の入り口には三人が立ち塞がっているので、別のところから部屋を出ようというのだ。
「あっ、待て!」
「行け、ピペタ! ここの三人は、俺たちに任せろ!」
そのダミアンを追って、ピペタも走り出した。
剣を構えたまま部屋を突っ切るピペタに対して、クラトレスもラピナムも手を出せない。クラトレスは仕方ないにしても、ラピナムは何をやっているのか……。ダーヴィトは不満に思うが、よく見れば、長髪男が目でラピナムを牽制しているらしい。なるほど、ラピナムは彼と因縁あるようだし、迂闊に動いて隙を作りたくなかったのだろう。
「まあ、いいだろう。ピペタの相手は、ダミアンに任せるとするか」
試合では敗れたダミアンだが、ここはバウムガルト家の屋敷、いわばホーム・グラウンドだ。それにダミアンが口にした『武器』というのも、普通の騎士剣のことではあるまい。ならば、今度こそ負けるはずはない。
冷静にダーヴィトは、そう考える。ピペタは『ロジーヌ殿の
「ならば……」
ダーヴィトは、近くの剣に手を伸ばした。
酒宴の場なので騎士鎧は着ていないが、それでも手が届くところに騎士剣を置いておくのが、騎士の嗜みだ。まだ若いダミアンには理解できないらしく、剣を用意していなかったが、ダーヴィトはダミアンとは違う。
愛用の剣を構えながら、ダーヴィトは、不敵な笑みを浮かべて呟く。
「……わしたちは、この二人を成敗すれば良いのだな」
ピペタもそうだが、ダーヴィトたちを殺すつもりで乗り込んできた以上、こいつらは「押し入ってきた賊」という扱いに出来る。だから返り討ちにしても、誰からも責められることはないだろう。
クラトレスは戦力にならないが、こちらには、本業が殺し屋のラピナムもいる。それに、長髪男も黒ローブの女も、ピペタのような剣士ではない。ならば騎士剣を手にした自分の敵ではないだろう、とダーヴィトは判断していた。
特に男の方は、何の武器も持っていないように見える。女の方は、水晶玉のような球体を抱えているが、あれを鈍器にするつもりなのだろうか……?
これから始まる戦いにダーヴィトが考えを巡らせている間、騎士でも殺し屋でもないクラトレスは、一歩も二歩も遅れた反応を見せていた。
「
わけがわからない、という顔をするクラトレス。
そんな彼に向かって、
「助っ人っていうのは……。こういうことさ!」
長髪の男が走り出した!
――――――――――――
横目でチラッとラピナムの様子を見つつも、メンチンは一瞬で、クラトレスとの距離を詰めていた。
「はっ!」
走り出した時にはグッと後ろへ引いていた右の拳も、今や、前に突き出した格好だ。しかも、鋭い手刀の形に変わっている。
完全な素手ではない。いつものように、黒い厚手の
実は、この黒い
「な、何を……?」
まともに言葉にならないクラトレスは、驚きのあまり、身を守ることも忘れて棒立ちになっていた。
魔法の
「……!」
クラトレスは苦痛の声すら発することも出来ずに、ただ表情を引きつらせただけ。
その心臓をメンチンは、クラトレスの顔の近くへ、見せつけるようにして掲げてから……。
「こいつはもう、あんたには不要だろ?」
笑顔で告げながら、ポイっと投げ捨てる。
その持ち主は既に絶命しており、その場にガクリと崩れ落ちるのだった。
――――――――――――
メンチンによる殺しは、一瞬の早業だった。
「……ちっ!」
目の前でクラトレスを始末されて、忌々しげに舌打ちするラピナム。
ラピナムは用心棒という立場でクラトレスに同行してきたのだから、本来ならば、この凶行を未然に防ぐ義務があった。だがメンチンと戦った経験のあるラピナムは、その実力を把握していたが故に、迂闊に動けなかったのだ。
クラトレスを殺したばかりのメンチンは今、ラピナムに対して背中を向けており、ある意味、後ろがガラ空きだ。こちらから仕掛けるのであれば、今が好機かもしれないが……。
「けっ! それより命が大切だ!」
雇い主が亡くなった以上、この場に残っていても意味がない。先に逃げさせてもらう!
瞬時に判断したラピナムは、部屋の入り口へと向かった。
ダミアンが出ていった裏口は、ピペタという剣士がダミアンを追って出たばかり。そちらと鉢合わせするのは避けたい。正面の入り口には、真っ黒な服装の女が一人、依然として立ちはだかっているが、メンチンやピペタと戦うよりはマシだろう。メンチンが戦闘態勢を取り戻す前に、女一人くらいならば倒せるはず!
それがラピナムの考えだった。懐に手を忍ばせて、愛用のナイフを握りしめながら、ラピナムは、脱出成功を確信していたのだが……。
――――――――――――
ピペタがダミアンを追いかけていき、メンチンも部屋に突入した以上、この入り口を押さえておくのがゲルエイの役割だ。
それを自覚していた彼女は、
「あたしを甘く見るんじゃないよ、まったく……」
目の前までラピナムが迫ってきても、余裕の態度を崩さなかった。
女相手に油断するのは、いかにもチンピラらしい。内心そう思いながら、ラピナムの一挙手一投足を冷静に観察していた。だから彼が急にナイフを取り出して、ゲルエイに向かって突き出してきても、慌てず騒がず、落ち着いて対処するだけだった。
「ソムヌス・ヌビブス!」
ゲルエイが睡眠魔法ソムヌムを詠唱すると、ラピナムはナイフを手にしたまま、その場にパタリと倒れ込む。その姿を見下ろすゲルエイには、軽口を叩く余裕まであった。
「あんたの運勢、占ってやろうか?」
熟睡しているラピナムの耳には、当然、聞こえていない。承知の上で、ゲルエイは言葉を続ける。
「……いや、占うまでもないね。あんたを待っているのは『死』だ」
その『死』という予言を遂行するために、彼女は水晶玉を大きく頭上に掲げた。
メンチンの
ゲルエイは様々な魔法を使いこなす優秀な魔法使いだが、「攻撃魔法で直接人間を殺したくない」という妙なこだわりを持っている。あくまでも、人間相手に使うのは補助魔法だけなのだ。
そのポリシーに従って。
「えいっ!」
激しい勢いで丸い鈍器を振り下ろし、ラピナムの頭をグシャリと叩き潰すのだった。
こうして、ゲルエイがラピナムの始末を終えた時。
ダーヴィトの姿は、すでに部屋から消えていた。
「ちょっと、あんた! こりゃ一体どういうことだい?」
少し慌てたような口ぶりで、ゲルエイはメンチンに視線を向ける。
彼は頭の後ろで両手を組んでおり、いかにも「一仕事終わった」という感じだった。
「あっというまに仲間を二人とも殺されて、これはいかんと思ったんだろうなあ」
「呑気なこと言ってんじゃないよ。要するに、逃げられたってことだろ?」
ゲルエイがラピナムの相手をしている間は、メンチンが残りのダーヴィトを見張っていてくれるはず。そう彼女は思ったのだが、微妙に意思疎通が出来ていなかったようだ。
正面の入り口にはゲルエイがいたのだから、裏口から逃げていったことになるが……。
「ああ、うん。でも逃走ルートから考えるに、ピペタとダミアンが戦ってるところに合流だろ。なら大丈夫じゃないか? ピペタなら、二人同時に相手するくらい……」
「大丈夫なもんか!」
メンチンはピペタの腕前を高く買っているのだろうが、ゲルエイに言わせれば過大評価だ。
「あたしたちは、ピペタの助っ人に来たんだよ? ちゃんと一対一で戦える場を整えてやるのが、あたしらの今回の仕事じゃないかねえ?」
「うーん。そう言われると、そんな気もしてくるな……」
メンチンは、組んでいた手を下ろしながら、ウンウンと頷いてみせる。
「じゃあ、ダーヴィトを追っかけて……。場合によっちゃあ、俺たちで相手するのもアリか」
「そうだよ! あたしたちも行くよ!」
――――――――――――
ダミアンを追っている間に、ピペタは邸宅から出て、裏庭のような場所に辿り着いていた。
表側の庭園とは異なり、魔法灯で美しくライトアップされているわけではない。月明かりの他は、邸宅の窓から漏れてくる照明くらいしかなく、真っ暗闇ではないものの、かなり薄暗い状態だった。
特にピペタにしてみれば、初めて足を踏み入れた屋敷であり、どこに何があるのか予備知識すらないのだが……。それでも一応、ちょっとした広場――土の地面が広がっている場所――に来てしまったことくらいはわかるし、広場を囲むようにして低木の茂みが存在していることも理解できていた。
肝心のダミアンの姿は、少し前に見失ってしまったが……。
「隠れてないで出てこい! 私には見えているぞ!」
叫びながら、茂みの一つに体を向けるピペタ。
目で見る必要はなかった。隠しても隠しきれないような強い殺気が、そこから発せられているのだ。
「そのまま、そこの植木ごとバッサリ斬られたいのか?」
剣を構えたピペタが、一歩、そちらへ踏み出した瞬間。
「けっ、本当に見えてるようだな。なら隠れるだけ無駄か。ふん、どうせ、これじゃ俺も視界が悪いからな」
ガサゴソと音を立てながら、茂みの中から、ダミアンが姿を現した。
暗いので、はっきりとは見えないが……。
「まあ、いいさ。武器を取ってくるのは間に合ったんだ。これさえあれば、こっちのもんだ!」
まるでピペタに見せびらかすかのように、手にした得物を掲げてみせるダミアン。
かすかな月明かりが反射して、その『武器』の金属部分がキラリと光る。
形状からして、明らかに剣ではない。見慣れぬ武器であり、一瞬ピペタは考えてしまうが、ダミアン自らが答えを提供してくれた。
「剣術試合とは違う! 昼間とは立場が逆転だ、ピペタ・ピペト! この
「
「そうだ! 俺は、あの『
胸を張って告げるダミアン。視認できずともわかるくらいの、大いばりな口調だった。
「ピペタ・ピペト! あの時は、お前を仕留め損ねたが……。同じ毒矢で、今度こそ始末してやる!」
「貴様が……! 貴様がロジーヌ殿を……!」
今までピペタは、ダミアンのせいでロジーヌが死んだと思っていた。ダミアンを剣術大会で優勝させようという陰謀のせいで、ロジーヌは殺されたと考えていた。もちろんダミアンも、陰謀を企んだ一味に含まれているわけだが、あくまでも「関与している」という程度の認識だった。
ところが。
実際は「ダミアンのせいで」どころではなく、ダミアンこそが、直接ロジーヌの命を奪った仇敵だったのだ!
ピペタの心の中で、怒りの炎が激しく燃え上がる。それこそ、かつての『
そんなピペタの気持ちなど知る由もなく、ダミアンは勝利宣言を続けている。
「これは昼間の試合で滅多打ちにされた、俺の復讐だ。死ね、ピペタ・ピペト!」
同時に、ビュンという発射音。矢が飛来する風切り音も聞こえたが……。
「ふんっ!」
内心の怒りとは裏腹に、ピペタは冷静に剣を振るう。
カキンという音が、暗い裏庭に鳴り響いた。
今の一振りで、ピペタは的確に、毒矢を弾き飛ばしていたのだ。
「おおっ? 珍しいこともあるものだな。斬撃が偶然、飛んでる矢に命中するとは……」
まだ余裕のダミアン。彼は再び
「馬鹿な! なぜ当たらない?」
矢を叩き落としながら、ピペタは一歩ずつ、ダミアンに歩み寄っていく。
ダミアンは、じりじりと
「こっちは
ダミアンには理解できないようだが、ピペタにしてみれば簡単な芸当だった。
確かに、夜の闇の中では、黒い毒矢は視認できない。だが、
「言っておくぞ、ダミアン! こんなもの、児戯に過ぎぬ! 不意打ちでなければ、ロジーヌ殿だって、貴様ごときに殺されるものか!」
「ひっ……!」
ピペタの声に含まれた怒気に怯えたのだろうか。
ついにダミアンは、愛用の
「遅い!」
そうはさせじと踏み込んだピペタの突きが、ダミアンの背中に届く。
試合とは違って鎧も着込んでいない以上、ダミアンの身を守るものは何もなかった。
「ぎゃっ!」
ダミアンに出来るのは、潰れたカエルのように声を上げることくらいだ。
ピペタの騎士剣で――『近距離攻撃専門』と馬鹿にした武器で――、背中から深々と刺し貫かれて……。
ダミアンは絶命した。
その死体を見下ろしながら、
「
ピペタは、喜怒哀楽の見えない声で呟くのだった。
――――――――――――
自分の屋敷の中を逃げ回っていたダーヴィトは、まるで息子を追うかのように、同じく裏庭まで来てしまっていた。
しかも。
ちょうどダミアンがピペタに刺殺される場面を、少し離れた場所から目撃する形になっていた。
「まさかダミアンが……」
最愛の息子を失って唖然とするダーヴィトだが、茫然自失になっていられる場合ではなかった。
見れば、ピペタは今、ぼうっと立ちすくんでいる。今ならば、息子の
ダーヴィトは剣を構えて、こっそりピペタに近づこうとしたが……。
「そうはさせないよ」
彼の前に、黒いローブの娘ゲルエイが立ち塞がる。
ゲルエイはピペタの方を一瞥し、それだけで正しく状況を把握していた。
「あの武器……。どうやら、あのダミアンってやつこそが、女騎士を殺した張本人だったようだね。つまり、めでたくピペタは本懐を遂げたってわけだ」
「ああ、そうみたいだな。ならば、こいつは、俺たちで
後ろから聞こえてきた声に、ビクッとしてダーヴィトは振り返る。
すると、そちらに立っていたのは長い髪の男。クラトレスの命を奪った殺し屋メンチンだった。
つまり、挟み撃ちの状態だ。
実はダーヴィトは、クラトレスの最期は目にしたが、ラピナムの方は、殺される瞬間までは見ていない。途中までしか見ずに、部屋から逃げ出していたのだ。
だから、ゲルエイの方が相手しやすいと考えてしまう。
「小娘の分際で……!」
彼女の方に向き直り、斬り伏せるつもりで剣を振りかぶったが、その途端、足がぐらつく。なぜか突然、睡魔に襲われたのだ。
ゲルエイが小声で「ソムヌス・ヌビブス……」と唱えていたことなど、ダーヴィトには全く聞こえていなかった。
しかし、
「おっと! おねんねするのは、まだ早いぜ」
この後ろからの声は、はっきりと耳に入った。続いて、前からの声も聞こえてくる。
「わざと弱い魔法にしたからね。まだ意識は残ってるだろう?」
「眠ってるうちに死ぬなんて、そんな楽な死に方はさせねえぜ」
再び背後からの声を聞くと同時に、ダーヴィトは、激しい苦痛を胸に感じた。
視線を落とすと……。
「なっ……!」
まるで、胸から腕が生えたかのような有様になっている。
いや、正確には。
背中からズボッと、メンチンの手刀で刺し貫かれていたのだ。
しかも、その手に握られていたのは……。
「わ、わしの心臓……?」
たった今、持ち主の体から取り出されたばかりの、まだドクドクと脈打つ心臓。
それが、絶命の瞬間にダーヴィトの視界に映るものだった。
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