第二十四話 復讐を決意して
「ほう……」
ピペタ・ピペトは眉をひそめながら、メンチンの頭に目を向ける。
テカテカと光った、長い黒髪。あの夜は整髪料を塗りたくっているように見えたが、なるほど、今にして思えば、そもそも偽物だったのか。本物の髪ではないが故の、光沢だったのだ。
いわゆる
ピペタだって頭髪は薄いが、貴族ではなく騎士であるピペタは、
だが、変装の手段はともかく、メンチンがあの夜の遊び人であったことは、別に驚くことではない。
「なんだい、ピペタ。知ってたって顔だな。少しくらいは驚くかと思ったのに……。まあ、南の森で派手に暴れたからなあ」
やや残念そうなメンチン。
ゴブリン相手の戦いぶりで正体がバレたと思っているようだが、そもそもピペタは、クーメタリオ霊園公園の芝生で二人と出会った時点で、すでに「例の怪しい遊び人ではないか」と疑っていたのだ。
さらに言うならば。
あの時、二人と会う直前、ピペタは「あの遊び人こそが、惨殺事件の犯人ではないか。心臓を抜き取って殺すという、独特の手口を用いる男ではないか」とも考えたくらいだった。
ならば……。
「お前と出会った辺りで数日前に見つかった、中年男性の変死体。あれの胸に手を突っ込んで殺したのも、要するにお前なのだな?」
特に断定すべき証拠は何もないが、メンチンを驚かせる意味で、ピペタは推察を口にしてみた。
メンチンは、目を丸くしている。面白いくらいに、狙い通りの反応を見せてくれた。
そんなメンチンの肩を、横に立っているゲルエイ・ドゥがポンと叩く。
「どうやらピペタは、あたしたちが思ってた以上に、鋭い警吏だったみたいだね」
「ああ、そうだな。まあ、その方が、話が早いんだが……」
そのメンチンの言葉に頷いてから、ゲルエイは、ピペタの方に向き直った。
「でも、ピペタ。あんた、今日こうして仕事を休んでるってことは……。その警吏の仕事を辞めたくなったってことじゃないのかい? 王都守護騎士ってやつに、失望したんじゃないのかい?」
ピペタの表情が渋くなる。
「痛いところを突かれた、って顔だね。いいんだよ、そうでないと、あたしたちも困る。あんたが真面目な警吏のままなら、メンチンをしょっ引いちまうだろうしね」
そうだ。
王都守護騎士であるピペタの前で、この二人は、殺人犯であることを認めたようなものなのだ。
それどころかメンチンは、
「よし、ピペタ。それじゃあ、腹を割って話そうか。まず最初に言っておくと、俺は、いわゆる殺し屋ってやつだ」
とまで言ってのける。
いくら『腹を割って』とはいえ、さすがにこれは、予想もしない発言だった。それでもピペタは、平然とした口調で返す。
「ふん。このピペト家に乗り込んできて、殺し屋を名乗るとは……。大胆なものだな」
「ただし、間違わないでくれ。俺は、悪い殺し屋じゃぁない」
ひどい話だ。殺し屋に、良いも悪いもあるものか。
そうピペタが思ったところで、横からゲルエイが口を挟む。
「この人の言葉、矛盾してるけど、そこは聞き流してやっておくれよ」
「ああ、うん。つまり俺は、金ではなく情で動く殺し屋なのさ。悪党を専門に殺してる、って言った方がわかりやすいかな?」
「あたしに言わせれば、殺し屋は殺し屋である時点で、もう善人とは言えないけどね」
それはそうだ。
たとえ相手が悪人であっても、個人が勝手に裁いて良いものではない。悪人は、警吏である王都守護騎士が捕らえるべき存在だ。
ピペタはそう考えたが、ここで殺し屋と主義主張を議論するつもりはなかった。それよりも話を進めたくて、ピペタの方から水を向ける。
「結局のところ、お前が
「そういうことだ。あいつの名前はギルベルト。あの男こそ、近ごろ王都を騒がせていた、押し込み強盗だったのさ」
「ほう」
感嘆の声が、ピペタの口から漏れた。
同じ小隊のジェモー兄弟から聞いた噂話が、まさに事実だったことになるからだ。
噂というものも、案外、突拍子もない話ばかりではないのだろう。そうピペタが感心している間にも、メンチンは説明を続けていた。
「あの押し込み強盗のせいで、いくつかの店は潰れてしまったわけだが、その一つにグローサ商店があって……」
グローサ商店と言えば。
ピペタとメンチンが邂逅したのは、暗緑色の商家の裏手だったが、その店こそ問題のグローサ商店だった。
店主夫婦が殺された後、生き残った一人娘は、地方都市の親戚のもとへ。その彼女が王都を去る前に、ゲルエイを介して「恨みを晴らしてほしい」と依頼したのだという。
「なるほどな」
ピペタは、チラッとゲルエイに視線を送る。占い屋ならば、秘密の相談事を聞かされる機会も多く、殺し屋の窓口としては、うってつけなのだろう。
それに、先ほどのメンチンの「金ではなく情で動く殺し屋」という言葉。普通ならば、潰れた店の一人娘では、殺し屋に払う依頼料も工面できないはずだが……。おそらくメンチンは、格安で引き受けたのだろう。
「それで俺は、無事にギルベルトって強盗を始末したわけだが……。それで仕事が終わり、って感じでもなかった。あの野郎には仲間がいるらしい、ってことになったのさ」
「ギルベルトは確実にクロってことで、真っ先に標的にしたけど……。他の連中も強盗の一味ならば、そいつらも始末しとかないと、恨みを晴らすことにならないからね」
メンチンとゲルエイが調べたところによると。
ギルベルトには、行政府の役人のために動いているような様子があった。この役人は王都守護騎士団の小隊長の一人と懇意にしており、その関係があるために、ギルベルトの犯行が露見しないよう、裏から手を回されていたようだ。
「その程度は、すぐに判明したが……。問題の小隊長は、役人子飼いのギルベルトに便宜を図っていただけなのか、あるいは、そいつ自身も強盗団の一味だったのか。そこまでは、俺たちにはわからなかった」
「この行政府の役人が、強盗事件の黒幕である可能性もあるからね。行政府で政争に明け暮れるには金もかかるだろうし、押し込み強盗で得た金を政治資金に充てていたかもしれない……。あたしたちは、そうも考えたのさ」
この二人とは別に、ラピナムという男もいた。ギルベルトが元々、殺し屋時代から組んでいた男だ。こちらは「役人や警吏以上にクロである可能性が高い」というのが、メンチンやゲルエイの判断。だが、さっさと始末してしまう前に、ラピナムの口から連中のことを聞き出そうと考えて……。
「直接とっつかまえて締め上げているところに、あんたが介入してきたってわけさ」
「ああ、なるほど。あの夜の男が、そのラピナムなのか。あの時は、商人風の服を着て、いかにも気弱そうな顔つきだったが……。それは表向きに過ぎなかったわけだな」
「そういうことだ。結果的にピペタがラピナムを助ける形になったから、もしかしたら、あんたも連中の仲間かもしれんと俺たちは考えてしまったが……」
ひどい侮辱だ。
内心で憤慨すると同時に、ここでピペタは、先ほどのメンチンとゲルエイの話を思い出す。少なくとも一人の騎士が――王都守護騎士団の小隊長が――強盗ギルベルトと繋がっていたようだから「ならば他にも」と考えるのは、それはそれで仕方のない話かもしれない。
いや、それよりも。
その王都守護騎士団の小隊長、もしかしたら、ピペタの知る人物かもしれないではないか。その場合は「便宜を図っていただけなのか、あるいは、強盗団の一味だったのか」に関して、ピペタからも意見が出来そうだ。
そう考えたピペタは、尋ねてみる。
「ところで、メンチン。先ほど『行政府の役人』『王都守護騎士団の小隊長』という言い方をしたが……。具体的な名前を言ってくれれば、私からアドバイス出来るかもしれん。まあ『行政府の役人』の方は知らない確率が高いが、でも『王都守護騎士団の小隊長』の方は……」
すると。
メンチンは、ゲルエイと顔を見合わせてから。
複雑な表情で、その答えを口にする。
「今のあんたには、気に障る名前だろうが……。俺たちが調べていたのは、クラトレス・ヴィグラム人事官と、ダーヴィト・バウムガルト小隊長だ」
「……!」
まるで雷にでも打たれたかのように、ピペタに衝撃が走った。
「その関係で、俺たちも、南の森のゴブリン事件に首を突っ込んで……。あんたと一緒に、ロジーヌっていう女騎士の最期に立ち会うことになったわけだ」
「あの時あたしたちは、ついでに森の奥まで調べさせてもらったよ。クラトレスってやつの秘密の研究所を見つけて、そこの資料も見てみたが……」
メンチンとゲルエイは説明を続けているが、もうピペタの耳には入っていなかった。仇敵の名前を聞いたことで、心の中で怒りの炎が再燃し、メンチンたちの事情なんて考えられない状態になっていたのだ。
クラトレス・ヴィグラム! ダーヴィト・バウムガルト!
ロジーヌ・アルベルトを邪魔者として、亡き者にした連中ではないか!
今の今までピペタは、メンチンたちの話に付き合うことで、現実逃避していたわけだが……。
こうしてロジーヌのことを思い出してしまえば、メンチンとゲルエイが来るまで自問自答していた悩みも、一緒になって蘇ってくる。
騎士というものに失望し、これでは王都守護騎士であり続けるのは無理だ、と思ってしまうピペタ。
同時に、孤児院からピペト家に引き取られた立場としては、王都守護騎士を辞めることも出来ない、と考えてしまうピペタ。
いったい、どうしたら良いものか……。
そんなピペタの内心は、全て顔に出ていたらしい。
メンチンより先に、ゲルエイがそれに気づく。
「今のあんたは、捨て鉢な気分かもしれないが……」
彼女は、いかにも年長者といった雰囲気を漂わせながら、静かな声で告げた。
「忘れるんじゃないよ、ピペタ。人間は皆、いつかは死ぬんだ。大切なのは、その死の瞬間までどう生きるか、ってことさ」
「……ロジーヌ殿のことか?」
顔を上げて、ゲルエイを睨むピペタ。いつのまにか自分がうなだれていたことに、ピペタは今の今まで、気づいていなかった。
ロジーヌは無念の死を遂げたかもしれないが、その生き様は立派だった。そうピペタは思うのだが、
「女騎士の話じゃない。あんたのことだよ、ピペタ」
ゲルエイは、首を横に振る。
「仕事にも行かずに、屋敷の一室で
「それは……!」
言葉が続かないピペタ。ロジーヌのことを言われたら、返す言葉がなかった。確かに、今のピペタの有様は、彼女に見せられるものではない。あの世から笑われてしまうだろう。それは、ピペタも認めるところだった。
だが、今のピペタに何が出来るのか。ロジーヌの訴状すら握り潰されて……。
「なあ、ピペタ。あんた、悔しくないのかい?」
何を言い出すのか! 悔しいに決まっている!
ゲルエイに怒鳴りつけたいピペタだったが、彼が口を開くより早く、メンチンが言葉を挟んだ。
「せめて、女騎士の
「
気持ちを落ち着けて。
ピペタは、冷静にメンチンを見つめ直す。
「なるほど、殺し屋の流儀か。グローサ商店の娘のように、私に代わって、お前が恨みを晴らしてくれるというのか?」
「そんなことは言わねえよ」
苦笑するメンチン。
「あの娘のケースとは、話が違う。ピペタ、あんたは、それなりに力のある剣士だ。悪党を殺すくらい、あんた自身で出来るだろう?」
とんでもない提案だった。
実力的には可能だろうが、それは非合法な話だ。それをやってしまったら、ピペタも単なる殺人犯となってしまう。
とはいえ、合法的に訴え出ても受け付けてもらえないのであれば……。
そう考えるピペタに向かって、メンチンは言葉を続けていた。
「ただし、相手は一人じゃないからな。クラトレスにダーヴィトに、場合によっては、新たにクラトレスの手駒となったラピナムや、ダーヴィトの息子であるダミアンも、
メンチンの話を聞いて、ピペタは思い出す。八百長の提案の場にその四人がいた、とロジーヌの訴状に書かれていたことを。
「あたしたちもちょうど、強盗事件の方でラピナムを追っていて、クラトレスやダーヴィトについても調べていたからね。どうやらラピナム以外は、押し込み強盗には関わってないみたいだけど……」
「確かに、俺たちが受けた依頼では、ダーヴィトたちまで始末する必要はないだろう。だが、こいつらはこいつらで、見過ごせねえ悪党たちだと思う」
「あたしたちにしてみれば、いわば『乗り掛かった船』だねえ」
「だから、あんたが復讐するっていうなら、俺たちも手を貸すぜ。さすがに一人じゃ大変だろうからな、ピペタ」
要するに「手を組まないか」という話だ。メンチンとゲルエイの言葉を、そうピペタは受け取った。
「この私に、殺し屋の仲間になれというのか……?」
口にしてみると、やはり、とんでもない提案だと思う。鼻先でフフンと笑い飛ばしたくなるくらいだが、
「そうだな。騎士に失望した今の私には、ある意味、ちょうど良いかもしれん」
自嘲気味に呟いてから、ピペタは胸を張って宣言する。
「よろしい! やってやろうではないか! ならば、早速……」
続いて、勇ましくベッドから立ち上がるピペタ。部屋の中で一日ウジウジしていたのが嘘みたいに、今のピペタは、決然とした表情になっていた。
しかし、
「まあ、待て!」
「慌てるんじゃないよ、ピペタ」
メンチンとゲルエイが二人して、そんなピペタを制止する。
特にメンチンは、がっしりと肩を掴んで、ピペタを再び座らせるくらいだった。
「こういうことは、慎重にしないとね」
「ゲルエイの言う通りだぞ、ピペタ。お前はまず、王都守護騎士として、明日の試合に出場しろ」
メンチンの言葉に、ピペタは顔をしかめる。
「今さら……? 騎士の剣術大会など、もう私には関係ない……」
ピペタは素直な気持ちを吐露したつもりだったが、それをゲルエイがバッサリと否定する。
「違うよ、ピペタ。あんたが最初にやるべきは、連中の仲間であるダミアンを、試合で正々堂々と倒すことさ。公衆の面前で、そいつの無様な姿を晒してやれ。
「なあ、ピペタ。大会で優勝することこそ、死んだ女騎士への手向けであり、供養になるんじゃねえか? 騎士って、そういうもんなんだろ?」
二人がかりで諭されて、ピペタは、自分をあざ笑いたくなった。
今の自分は騎士というものに失望しているが、だからと言って、騎士でもない二人から――しかも殺し屋という裏の世界の人間から――、騎士としての在り方を説かれるとは……。
立派な騎士として死んでいったロジーヌを想いながら、ピペタは頷く。
「わかった。では、まず私は、明日の大会で優勝してみせよう。その後、夜になってから……」
ピペタとメンチンとゲルエイの三人しかいない部屋の中。
いかにも秘密の相談事といった感じで。
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