第二十三話 失望の騎士

   

 翌日。

 ピペタ・ピペトは仕事を休んだ。

 自室に閉じこもるどころか、布団にくるまったまま、ベッドから一歩も出ようとしない有様だった。

 魔法灯もつけずに、窓のカーテンも閉めきった室内。隙間から少しは外の光が差し込んでくるので、完全な真っ暗ではないものの、昼間とは思えぬ薄暗さは、ちょうどピペタの心情を反映しているかのような暗度だった。

 ロジーヌ・アルベルトを失った痛手で寝込んでいる、と養父母――フランツとマリアン――は理解。体調不良の旨を王都守護騎士団に連絡し、結果、この日のピペタは『病欠』という扱いになっていた。

 しかし……。

 もちろん『ロジーヌを失った痛手』もあっただろうが、それだけではない。

「何ということだ!」

 今のピペタは、騎士という存在そのものに、すっかり失望していたのだった。


 昨日の試合の後、王城アルチスの控え室でローラ・クリスプスから聞かされた話は、それほどの衝撃をピペタに与えていた。

「上がまともに取り合わない……ですと? つまり、あの告発状が無視されたのですか? いったい何故!」

「私も残念ですの。どうやら、ロジーヌさんには悪い噂があったらしく……」

 上司ダーヴィト・バウムガルトを追い落とすために、常日頃からダーヴィトを誹謗中傷していた、という噂。

 ピペタは初耳だったが、わずか一日でフランツが集めた話にもあったくらいだ。ちょっと調べれば出てくる程度には、広まっている風評だった。

 だから今回の訴えも、その出所でどころがロジーヌというだけで「ああ、またか」という対応をされてしまったらしい。たとえ伯爵令嬢であるローラ小隊長を介した訴状であっても、信用できない情報源ソースである以上、そういう扱いになってしまったのだ。

 一方、ダーヴィトは、王都で名の通ったバウムガルト家の現当主。王都守護騎士団においても、長年真面目に小隊長として働いてきた男として信頼されている。それなりに影響力のある友人知人も多く、よほど確たる証拠がない限り、告発されることはない立場だった。

「そんな馬鹿な……! 上の者たちは、ダーヴィト隊長は信用できて、ロジーヌ殿の言葉は信じられないというのですか!」

 ピペタの怒りに対して、ローラは暗い表情を見せるだけで、肯定も否定も口に出さない。

 伯爵貴族の令嬢であるローラには、世間知らずのお嬢様のような一面もあるのだが……。逆に貴族だからこそ、しっかりと小さな頃から、人間関係や世論の重要さというものを教えられてきた部分もある。

 だからローラとしては、この結果も「納得せざるを得ない話」として受け止めることが出来た。だが、そうした事情をこの場でピペタに詳しく解説するのは忍びない、と思うのだった。


「これが騎士団の実態か……。ロジーヌ殿の訴えを無下むげに却下する者たち……」

 ローラから聞いた話を改めて思い出しながら、ピペタは今、布団の中で丸くなっていた。

 いや、ローラの報告だけではない。

 地方都市から来たというだけで田舎者扱いして、なかなかロジーヌを出世させなかった王都守護騎士団。ピペト家の養子であるピペタを、しょせん庶民の孤児院出身と蔑む王都守護騎士団……。

 ロジーヌの誕生日会で考えたような内容が、再びピペタの頭の中で回り出す。

 そう。

 今にして思えば、こうなってしまう兆候は、いくらでも存在していたのだ。


 そうした嫌な騎士たちばかりではないことくらい、ローラ小隊の仲間の顔を思い浮かべれば、ピペタにだってすぐにわかるだろう。

 だが、今は彼らの顔を思い出すことも出来なかった。むしろ「しょせん彼らも『騎士』なのだから」と、善良な仲間まで悪く思えてしまいそうで、仲間と顔を合わせることも出来ない状態だった。

 そして。

 騎士そのものに絶望したピペタとしては、自分もその騎士の一員であることが、何よりも許せない気分なのだ。

「これでは……。もう私は騎士など続けられぬ……」

 自暴自棄になるピペタ。

 しかし。

 自分を孤児院から引き取ってくれた養父母のことを思えば、簡単に「騎士、辞めます」とも言えない。

「どうすれば良いのだ、私は……」

 朝から何度も繰り返してきた自問自答を口にしながら。

 ピペタは、あらためて頭まで布団を被る。

 ちょうどその時。

 トン、トンとドアを叩く音が聞こえてきた。


「誰だ?」

 ガバッとベッドから起き上がり、誰何すいかする。

 ノックの主は、名乗る代わりに、

「静養を妨げて申し訳ありません、ピペタ様。お客様をお連れしました」

 と、用件を告げた。

 声からすると、メイドの一人だ。なるほど、ならば名前を答えるのではなく、これが正しい対応だろう。

 騎士には失望していても、まだ庶民に戻ったわけではなく『ピペト家』の人間として、そう考えるピペタ。

「わかった。着替えるから、少し待っておれ」

 寝間着のまま来客の前に出るのは失礼と思ったピペタだが、きちんと着替えるほどでもない、と考え直す。ナイトガウンを羽織って、しっかり腰の紐を締めて、中の寝間着が見えないようにして……。

 いや、そもそも、応対する格好は『来客』次第だ。最初はローラあたりが心配して様子を見に来たのかと思ったが、よく考えてみれば、ローラ小隊は仕事中だ。ピペタが『急病』で休んだために、予備員の一人を臨時に加えて、四人で見回りをしているはず。この屋敷まで来られるわけもなかった。

「お客様というのは、いったい誰のことだ?」

 廊下のメイドに向かって、大声で呼びかけるピペタ。

 すると扉越しに、すぐに返事があった。

「街でピペタ様にお世話になったという、市民の方々です。お名前は……」

「わかった、すぐ行く」

 ピペタは、メイドの言葉を遮ってしまった。

 いつもの見回りで顔をあわせる露天商とか、喧嘩の仲裁をしたことのあるゴロツキとか、その程度の連中なのだろう。巡回のローラたちから、ピペタが病欠だと聞いたのではないだろうか。そして律儀にも、見舞いに来たのではないだろうか。

 ピペタは、そう解釈したのだった。ならば、ピペタの方では「顔を見ればわかるが、相手の名前までは覚えておらず、聞いてもわからない」という可能性が高い。それに、そういう相手であるならば、このナイトガウン姿で十分だ。

 そう考えて、ピペタはガチャリと、中から自室の扉を開けた。

 すると。

 かしこまった顔のメイドに連れられて、ドアの前に立っていたのは……。

「なんと! お前たちだったのか!」

 オレンジ色の半袖服を着た坊主頭と、つばの広いとんがり帽子を被った黒ローブの娘。つまり、メンチンとゲルエイ・ドゥだった。


 案内してきたメイドは、一礼して去っていく。

 逆にメンチンとゲルエイの二人は、ピペタが許可する前から、ずかずかと室内に入ってきた。

 特にメンチンは、部屋の隅にあった丸椅子を勝手に引っ張り出して、そこに腰を下ろしたくらいだ。

 その様子を横目で見ながら、ピペタはベッドに戻り、沈み込むようにして座る。メンチンやゲルエイ相手ならば、これで十分。来客として接する必要もない、と考えたのだ。

 それでも、さすがに横にはならずに、ラクな姿勢で座ったまま、ピペタは物憂げな声で問いかける。

「一体いつ、私がお前たちを世話したというのだ?」

「まあ、嘘も方便ってやつさ。そうでも言わないと、俺たちがピペタの見舞いなんて、不自然だからなあ」

 軽く笑いながら、答えるメンチン。クーメタリオ霊園公園で出会った時とは異なり、今日のメンチンは、ピペタに「騎士様」と呼びかけるのではなく、完全にタメ口で接していた。

 その点に関して、ピペタは特に不快感を示すこともなく、普通に言葉を返す。

「ふむ。世話云々を言うならば、むしろ私の方が世話になったくらいだな。礼を言う」

「世話した……? 俺たちがあんたを……?」

「そうだ。お前たちがゴブリンの相手をしてくれたおかげで、ロジーヌ殿の最期を看取ることが出来た。それについては、感謝している」

 あの時、メンチンとゲルエイが来なければ、ピペタはゴブリンと戦うのに手一杯で、ロジーヌの最後の言葉を聞くことも出来なかっただろう。

 それくらいの状況は、ピペタにも理解できていた。だが苦い思い出でもある以上、ロジーヌの名前を口にした瞬間、胸がチクリと痛む。わずかにピペタは、顔を歪めた。

「ああ、そのことか。まあ、それについては気にするな。俺たちは俺たちの都合で、あの場に介入しただけだからな」

 そうメンチンが告げたところで、突然、室内が明るくなる。ゲルエイが、窓のカーテンをシャーッと開けたのだ。

 朝から暗い部屋の中にいたピペタは、まぶしさを感じて目を細める。

「勝手なことをしおって……」

「あんた、気持ちが沈み込んだままだろう? そういう時は、まず部屋を明るくするんだよ。それが復活の第一歩さ」

 言葉だけ聞けば、小さな子供を諭す母親か老婆のようだが……。外見的には、ゲルエイは二十歳くらいの童顔だ。クーメタリオ霊園公園では「こう見えて二十九歳ですから!」と言っていたが、それでもピペタよりは年下ということになる。

「不愉快なものだな。お前のような若い娘から、赤子扱いされるなんて……。ままごとをしている気分だ」

 先ほど二人に対する礼を述べた同じ口で、つい文句を言ってしまうピペタ。

 これを耳にして、ゲルエイ本人より先にメンチンが反応する。

「いやいや、ピペタ。こう見えてもゲルエイは、百歳を超えてるんだぞ? ピペタの母親どころか、祖母みたいなもんだ」

「ふん、つまらん冗談だな。騙されんぞ」

 顔をしかめたピペタとは対照的に、ゲルエイが目を丸くしている。

「ちょっと、あんた!なんてこと言うんだい!」

「いいじゃねえか。どうせ今日は、腹を割って話すつもりで乗り込んだんだろ? だったら……」

「だからって、あたしの素性までバラす必要ないじゃないか!」

 二人のやりとりを聞いて、ピペタは「おや?」と思った。

 ゲルエイはメンチンの冗談を責めたのではなく、秘密の暴露を咎めたという感じだが……。これでは、メンチンの発言が『冗談』ではなく、事実だということになってしまう。本当にゲルエイが百歳以上の老婆ということになってしまう。

 そんなことがあり得るのだろうか?

 疑問をいだくと同時に。

 ふとピペタは、南の森での、ゲルエイの戦いぶりを思い出した。あの時、彼女は魔法を使っていたのだから……。

「ああ、そういうことか」

 ピペタの口から、納得の声が小さく漏れる。

 あの場でゲルエイが使った魔法は、詠唱の最後に、魔法のレベルを上げる共通語句「フォルティシマム」が付随していた。個々の呪文詠唱までは覚えていないピペタでも、聞けば何となくわかる程度の『共通』部分だ。

 そうした高レベル魔法を発動できるのだから、つまりゲルエイは、上級の魔法使いだったのだ。ならば、ピペタが知らないような――騎士学院では教えていないような――魔法を用いて「実は老婆なのに若い娘の姿をしている」という可能性も考えられるだろう。

 それに、初めてゲルエイと出会った時に感じた、見た目には不相応な独特の雰囲気。実年齢が百歳を超えているならば、あの時のピペタの感覚も、間違っていなかったことになる。


「ん? 何か言ったかい、ピペタ?」

 二人で軽く言い合いをしていたメンチンは、ピペタの呟きを耳にしたらしい。

「いや、何でもない。それより……」

 ピペタは軽く首を横に振って、鋭い視線を二人に向ける。

「腹を割って話す、と言ったな? お前たち、やはり今まで、私に隠し事があったのだな」

「まあ、そんなところだ。南の森での一件があったから、薄々あんたも勘づいてると思うが……」

 メンチンは、一瞬ゲルエイと顔を見合わせる。

 彼女は頷いて、荷物の中から黒い塊を取り出し、彼に手渡した。

 それをメンチンは頭に被りながら、ピペタに告げる。

「……この通り。先日の夜、あんたと一戦やらかした遊び人は、実は俺だったのさ」

 今、ピペタの目の前で。

 坊主頭だったはずのメンチンは……。

 三日前にピペタと戦い、その剣を受け止めたあの長髪男に、姿を変えていた。

   

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