第二十二話 死者の告発

   

 森の中にいた時は、森の外の方角から弓で射られた。森を出たら、今度は森の中からだ。この場に弓使いが二人いると考えるよりも、射手は森の出口近辺に隠れ潜んでいると想定した方が自然だろう。

 つまり、ロジーヌ・アルベルトの命を奪った伏兵が――ダーヴィト・バウムガルトやクラトレス・ヴィグラムの仲間が――、そこにいるのだ!

 ピペタ・ピペトは彼女の亡骸を抱きかかえたまま、地面に横たわる『闇の魔剣士』ことネブリス・テーネを見下ろしていたが、ここでキッと顔を上げる。

「出てこい、卑怯者! 正々堂々、この私と勝負しろ!」

 声を荒げて叫ぶが、返ってくる言葉はない。

 シーンと静まり返る中、ピペタは目を凝らして森を見つめていた。

 今この瞬間にも、問題の伏兵は、次の矢を弓につがえているかもしれない。ならば、次に射ってくるのを見逃さないようにすれば、どこに潜伏しているのか突き止められるはず……。

 ピペタはそのつもりだったが、なかなか矢は来ない。

 そして、その代わりであるかのように、

「ピペタさーん! 大丈夫ですかー?」

 聞き慣れた女性の声が、王都の方角から飛んでくる。

 森に背を向けたくはないが、チラッとだけ振り返ってみると。

 王都からゾロゾロと、騎士鎧を着た一団が、こちらへ向かって来ていた。

 その先頭に立っているのは、遠くからでも視認できる金色の巻き毛。ピペタの上司である小隊長、ローラ・クリスプスだった。

「王都守護騎士の増援……。今ごろになって、ようやく来たのか……」

 ピペタの口から漏れる言葉。自分でも意識していなかったが、今のピペタは、恨みがましい口調になっていた。


 怪我人が出ていることも想定して、救援部隊は、担架も複数用意していたらしい。

 その厚手の布に乗せられて、ロジーヌとネブリスの遺体が、それぞれ運ばれていく。

 本当は、ピペタ自身の手でロジーヌを連れ帰りたかったのだが……。わがままを言える状況ではないことくらい、彼もわきまえていた。

 手ぶらになったピペタの横では、

「とりあえず……。ピペタさんだけでも無事でいてくれて、不幸中の幸いと言うべきかしら」

 ローラが神妙な面持ちで、正直な心境を口にしている。

 続いて彼女は、言葉を失ったかのように何も言えないピペタに対して、少し彼女側の事情を説明し始めた。

 まっすぐクリスプス伯爵家へと戻るのではなく、南部大隊の詰所に立ち寄ったローラ。そこには、同じく帰り際に顔を出した者や、予備員待機だったがまだ帰らずに残っていた者など、それなりの数の騎士がたむろしていた。

 そこへフェッロという若騎士が飛び込んできたのは、用事を済ませたローラが詰所を出ようとしていた時だ。その場の騎士たちに向かって彼は、南の森からのモンスター襲撃や、その後の顛末について語る。その中には、途中の街中まちなかで出会った二人――ピペタとネブリス――が一足先に現場へ急行した、という話もあった。

「もう、私は驚いてしまって……。だって、ピペタさんとは、ついさっき別れたばかりでしたもの! 何というか、心配で心配で……。こうして駆けつけて来たのですわ」

 詰所には中隊長や大隊長クラスはいなかったが、小隊長はローラを含めて数人。彼らは協力して、烏合の衆とならぬように詰所の騎士たちをまとめ上げ、臨時の増援部隊を率いて来たのだった。

「では、ピペタさん。この場は私たちに任せて、あなたは先に帰って、ゆっくり休んでくださいな」

「いや、でも……」

 ようやくピペタの口から出たのは、短い反論の言葉。

「詳しい事情説明は、後日で構いませんわ。ほら、あなたには、大事な剣術試合もあるのですから。ひとまず今日のことは忘れて、明日しっかり頑張ってくださいね」

 忘れられるものか! ふざけるな!

 怒りの言葉を口にしそうなピペタだったが、グッと我慢する。それは単なる八つ当たりだ、と思ったからだ。

「わかりました。ローラ隊長がそう言うのでしたら、お言葉に甘えて、私は退散します。ただし……」

 少し冷静になったピペタは、あらためて周囲の騎士たちを見回す。さらなるモンスターの襲撃に備えて気を配っている者もいれば、森の浅い部分まで立ち入って、ゴブリンたちの死体を検分している者もいた。

 とりあえず、簡単な事情説明だけは済ませておくべきだろう。

「私が到着した時点では、まだロジーヌ殿には息がありました。襲ってきたゴブリンたちは、ほとんど彼女一人で倒したようなものです」

「まあ! さすが『炎狐えんこロジーヌ』と呼ばれるだけのことはありますわね! でも、そんなロジーヌさんが、なぜ命を落とすような事態に……」

「毒矢で射抜かれて、その毒が全身に回ってしまったのです。私が来た時点で、もう命の残り火は消えかかっており……。かろうじて話が出来る程度でした」

「毒矢……? ボウゴブリンって、そんな危険な矢も使うのかしら……?」

 また同じ勘違いだ!

 内心の叫びとは裏腹に、ゆっくりとピペタは首を横に振り、落ち着いた声で告げる。

ボウゴブリンではありません。ロジーヌ殿の命を奪ったのは、生きた人間です」

「まさか! だってロジーヌさんは、立派な騎士でしょう? 他人に恨まれるような筋合いは皆無のはず……」

 ローラが目を丸くする。伯爵貴族のお嬢さんには、想像も出来ないのだろう。そう思いながら、ピペタは、ロジーヌの告発状をローラに渡す。

今際いまわきわのロジーヌ殿から託されたものですが……。これを見れば、少なくとも彼女の口を塞ぎたい者がいたことは、ローラ隊長にも理解できるでしょう」

 ローラは、この増援部隊の責任者の一人。しかも、伯爵家という確かな後ろ盾にも支えられている人間だ。ピペタ個人でロジーヌの件を上に訴え出るよりも、直接の上司であるローラに任せた方が良いかもしれない。ピペタは、そう判断したのだった。

「これって……」

 読み進めていくうちに、ローラの顔色が変わる。眉間にしわを寄せた彼女に対して、ピペタは補足した。

「ネブリス殿の首に刺さったままの黒い矢も、おそらく同じ矢でしょう。あれを調べれば『ボウゴブリンが使う武器ではない』という証拠になるはずです」

「そういえば、ロジーヌさんの他に、もう一人の犠牲者がいましたわね。この件に、彼はどう関わって……?」

 書面から顔を上げたローラに対して、ピペタは、少し言いづらそうに告げる。

「ネブリス殿は、私を庇ってくれたのです。私に向かって放たれた矢から、身を挺して……」

「まあ! ピペタさんまで狙われたのですか? 大変!」

 ピペタが言い終わるのを待てずに、いかにも重大事件といった口調で、言葉を挟むローラ。今までで一番のショックだったらしく、表情も歪んでいる。

 だが事態の重さとしては、命を落とした二人ほどではないはず。そうピペタは思うので、ローラを宥める意味も込めて、あえて軽く言い放った。

「いや、まあ、私の場合は『ついで』でしょうな。ほら、私もロジーヌ殿と同じく、決勝トーナメントで勝ち進んでいましたから……。『邪魔者になり得るならば、ついでに』と思われたのでしょう」

「笑い事ではありませんわ! それに……」

 ローラは、口元に手を当てて、真剣そうな声で続ける。

「……ピペタさんがロジーヌさんから詳しい話を聞いた、と思われたのかも。そうだとしたら、それこそロジーヌさんと同じく、口封じの対象になりかねないですわ」

 なるほど、それも一理ある。今の今までピペタは、なぜ自分も狙われたのか、あまり深くは考えていなかった。それどころではなかったのだ。

 ロジーヌの遺体を手放したことで、ようやく少しは、冷静になれたのかもしれない。また、報告という形でローラに話したことで、あらためて状況を整理し直すことも出来たのだろう。

 ローラはローラで、頭の中でピペタの話を再度、検討してみたらしい。一つ頷くような仕草を見せてから、真剣な目をピペタに向ける。

「わかりましたわ。とりあえず、この件は私に任せてください。その方が、あなた個人で立ち向かうよりも良いはずです」

「そうですな。お願いします、ローラ隊長」

 彼女の言葉を、ピペタも素直に受け入れた。

 そんなピペタを見て、ローラは念を押すように告げる。

「もう一度言っておきますが、ピペタさん、今あなたが考えるべきは、明日の試合のことだけ。よろしいですわね?」

「わかりました、ローラ隊長。隊長命令として、しかと承りましょう」

 とても試合に専念できる気分ではないが、それでも了承の意を口にするピペタ。

 そして、

「では、今度こそ、お言葉に甘えて。私は、これで……」

 ローラや他の騎士たちを残して、ピペタは一人、先にその場から立ち去るのだった。


――――――――――――


 翌日。

 王都守護騎士団の剣術大会、決勝トーナメント二日目。

 その南側の控え室で、ピペタは出番を待っていた。

 室内は整然と片付けられているものの、灰色の漆喰の壁そのままの殺風景な部屋であり、いくつかの丸椅子と簡易テーブルが一つ置かれているだけ。おそらく日頃は、倉庫か何かとして使われているのだろう。剣術大会の時期は一時的に、保管されていた荷物が別の場所へ移されているに違いない。

 本日の出場者は八人だが、控え室は北と南の二つに別れているため、今ここにいる騎士は四人だけ。ダーヴィトの息子ダミアン・バウムガルトは北側のようで、ピペタと同じ部屋ではなかった。

 ピペタとしては、昨日のロジーヌの一件があるだけに、試合前にダミアンの顔など見たくもない。その存在を頭から消し去りたいくらいだが、それは無理だった。ちょうど今も、控え室にいる他の騎士たちが、ロジーヌやダミアンの名前を口にしているのだ。

「おい、聞いたか? 今日の第三試合のこと……」

「ああ、『炎狐えんこロジーヌ』が出場できなくなったんだろ? 昨日、急に亡くなったとかで……」

「殉職したらしいぞ。それで、対戦予定だったダミアン・バウムガルトは不戦勝で、準決勝進出が決まったそうだ」

「そういやあ、ダミアンの方も、体調は万全ではないんだって? 昨日は仕事を休んで、屋敷で伏せってたとか……。もしかすると『炎狐えんこロジーヌ』に恐れをなして、布団かぶってブルってたのかもな」

「ダミアンなんて、そんな小物は、どうでもいい。それより『炎狐えんこロジーヌ』の欠場だ。これは大きいぞ! てっきり決勝の相手は彼女かと思っていたが……。ツキが向いてきたな!」

「なんだい、自分が決勝まで行ける気でいるのか? それより、そんな感じに殉職者のことを語るのは、さすがに不謹慎ってもんだろ……」

 ピペタとしては、聞きたくもない話だった。

 無責任な噂話にふけやからめ! 貴様らがロジーヌ殿の何を知っているのか!

 今すぐ怒鳴りながら、彼らを叩きのめしたいくらいだ。

 しかし。

 ここは控え室。その気持ちは、ここではなく、試合でぶつけるべきだろう。

「ふう……」

 大きく息を吐いて、気持ちを落ち着けてから。

 ピペタは心の耳を塞ぎ、周囲の騒音をシャットダウン。自分の殻に閉じこもるのだった。

 完全に、おのれを外界から切り離して……。


「第二試合、それまで! 勝者、ピペタ・ピペト!」

 その宣言で、ハッと我に返るピペタ。

 彼の前には、血まみれの騎士が一人、うずくまっていた。

「参った……。参ったと言っておろうに! この強戦士バーサーカーめ……」

 目の前の騎士は、恨みがましい顔で、ブツブツ呟いている。

 正直、ピペタには、この騎士を痛めつけたという意識はなかった。一応「第二試合、始め!」という合図を聞いたことだけは、おぼろげに覚えている。だがそこから先は、向かってきた敵に対して、無意識のうちに対処した結果……。

 いつのまにか、試合は終わっていたのだった。


 そして、同じことが繰り返される。

「準決勝第一試合、それまで! 勝者、ピペタ・ピペト!」

 やはり記憶が飛んでいたピペタの前には、尻餅ついた一人の若者。見覚えのない彼は、情けない姿を晒しながら、二回戦の敗者と同じように、何やら口にしていた。

「話が違う……。こんな鬼神のような戦い方だなんて、聞いてないぞ……」

 彼は出血の様子こそないが、鎧に守られていない部位は――腕や脚、顔などは――あざだらけになっていた。どうやら、無我夢中だったピペタの剣で、滅多打ちにされたらしい。

 誰が見ても「やり過ぎだ」「もっと早く止めるべき」という状態であり……。

 この日。

 一回戦とも昨年までとも違うピペタの戦いぶりを見て。

 陰で一部の騎士たちが『強戦士バーサーカーピペタ』とか『鬼神の孤児』とか呼ぶようになった。


 試合が終わって、控え室に戻っても、ピペタは殺気の塊に包まれていた。出場者も係員も誰も声をかけられない、そんな雰囲気だ。

 他の騎士たちが荷物をまとめて帰っていく中、ピペタは一人、鬼気迫る表情のまま、椅子に座り込んでいた。

 ここでの今日の用事は済ませたのだから、ピペタも早く王城から退去するべきなのだが……。本日の戦いが終わったことを理解していないかのように、ピペタは、じっと動かなかった。

 やがて。

 一人の若い女性が、そんなピペタに近づく。

「ピペタさん、お疲れ様でした。決勝進出、おめでとう」

 頬のそばかすと、カールのかかった金髪が特徴的な少女。ピペタの上司であるローラだった。

 ゆっくりと彼女に視線を向けて、ピペタは、無機質な声で尋ねる。

「ローラ隊長、どうしてここに……」

「まだピペタさんが残っているかもしれないと思って、立ち寄ったのですわ」

 ピペタは気づいていなかったが、とっくに一日の仕事も終わる時間となっていた。

 とはいえ、普通ならば王城アルチスは、ふらりと仕事帰りに立ち寄れる場所ではない。ローラの場合は、ピペタの関係者であることに加えて、伯爵家の令嬢という彼女自身の身分も影響したのだろう。

「ああ、それは……。わざわざ、ありがとうございます」

 ピペタの口調に、少しずつ、感情の色が甦り始めた。

 一方、

「礼を言われるほどではありませんわ。それに……」

 笑顔だった少女の顔が、わずかに曇る。

「あなたに報告するべきこともありましたから」

「報告……ですか?」

「ええ、そうです。実は……」

 言いにくそうに、いったん視線を外すローラ。彼女が再びピペタに向き直った時、その顔には、何か覚悟したかのような表情が浮かんでいた。

「悪いニュースですわ、ピペタさん。ロジーヌさんの告発状、上は、まともに取り合わない模様で……」

   

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