第二十一話 あっけなく人は死ぬ
ロジーヌ・アルベルトの亡骸を抱えたまま、呆然とするピペタ・ピペト。
その後ろで、ゲルエイ・ドゥが、小さく呟く。
「なるほどねえ。そういうことだったのかい」
ゲルエイとメンチンの奮戦により、いつのまにか、周囲のモンスターたちは全滅していた。もう邪魔する者もいなくなったということで、ゲルエイはピペタの背後から、ロジーヌの残した告発状を覗き読んでいたのだ。
当然のように、ゲルエイの横には、メンチンが寄り添っている。
「……ってことは、ちょっと俺たちの見込み違いだったなあ。ギルベルトもラピナムも、クラトレス・ヴィグラムって役人に雇われただけ。ただ、それだけの関わりだったか」
「少なくとも、この女騎士が突き止めた範囲では、そういうことになるね」
「ああ。だが別件だとしも、連中が悪党であることには違いねえぞ。こうして無辜の命を一つ、奪ったわけだからな」
あらためてメンチンは、ピペタの腕の中のロジーヌに目を向ける。哀悼の意を、視線に乗せて。
対照的に、ゲルエイは感情を顔に出さないまま、メンチンに告げた。
「とりあえず、さっき言ってた『クラトレス人事官の秘密のアジト』ってやつだね。そこを調べれば、もう少し何かハッキリするだろうさ」
「ああ、そうだな」
メンチンとゲルエイは当初、適当なところで切り上げて、サッサと王都に戻る予定だった。あまりモタモタしていると王都守護騎士団の増援が来てしまうが、一般市民である二人は、ここに居るのを見られたくない。最悪の場合「森にハイキングに来ていた呑気なカップルです」という態を装うつもりだったのだが……。
その前に、森の奥まで踏み込んで、調査する必要が出てきたようだ。
「それなら、早速……」
と、ゲルエイが言いかけたところで。
「おーい!」
森の外から――王都の方角から――呼びかける声。
慌てて二人が振り向くと。
まだ遠くではあるが、一人の騎士が手を振りながら、こちらに向かってきていた。
「ますますもって、ここには居られねえな。おい、ピペタ! ちょっくら俺たちは、そのクラトレスのアジトを調べてくるからな!」
「当然だけど、あたしたちが手助けしたことは内緒だよ!」
ピペタに言い捨てて、森の奥へと入っていく二人。
少し恩着せがましい言い方だったかもしれない。「手助けしたのだから秘密にしろ」と言っているように聞こえたかもしれない。ゲルエイは、そうも思ったのだが……。
その心配は必要なかった。今のピペタには、メンチンとゲルエイの言葉は、届いていなかったのだから。
――――――――――――
メンチンとゲルエイが何か言っている……。
ピペタとしては、その程度の認識だった。二人が去っていくのも視界に入ったが、特にその意味を考えようともしなかった。
自分の腕の中で冷たくなっていくロジーヌに対してだけ、今のピペタの意識は向けられていたのだ。
「ロジーヌ殿……」
もう何度目であろうか。またもや、意味もなく彼女の名前を口にするピペタ。
そんなピペタだったが、
「おーい! おーい!」
大きな声で連呼しながら森に近づく者には、さすがに気が付いた。
ぼんやりとした頭で「いったい何事だ……?」と思いながら、ゆっくりとそちらに顔を向けると……。
こちらに向かってくる騎士鎧。だんだんと明らかになるその顔には、見覚えがあった。
「ネブリス・テーネ……?」
剣術大会決勝トーナメントの一回戦でピペタが打ち負かした騎士、通称『闇の魔剣士』だ。
ネブリスの方でもピペタの顔を認めたらしく、
「おお、ピペタ殿ではないか!」
と、どこか嬉しそうな表情を見せた。だが、その顔は瞬時に曇る。
「ややっ? ロジーヌ殿のその姿は……。まさか『
一目見ただけでネブリスは、ロジーヌが息をしていないと理解したらしい。そもそもピペタが来た時点で既に、彼女は死人のような顔色だったのだ。こうして冷たく動かなくなってしまえば、もうロジーヌの死は誰の目にも明らかだった。
一方、ピペタは、ネブリスを
「ネブリス殿、何故あなたが、ここに?」
剣術試合では互いに罵り合うような口ぶりの二人だったが、試合が終われば話は別。今は「ピペタ殿」「ネブリス殿」と呼び合っているように、一応は二人とも、礼儀正しい言葉遣いになっている。
だが、あくまでも口だけだ。ピペタにしてみれば、一人でやってきたネブリスは怪しく見える。詰所からの増援部隊とは思えないので「このネブリスもダーヴィト・バウムガルトの一味ではないのか? ロジーヌ殿を罠に嵌めた連中の仲間ではないのか?」という疑念が、心の中に湧いていた。
「おそらくあなたと同じでしょう、ピペタ殿」
「私と同じ……?」
個人的な感情もあって、ロジーヌを助けたいと思ったピペタ。そんなピペタとネブリスが同じはずはない。
だが、ピペタの内心の想いなど知る由もなく、ネブリスは言葉を続けている。
「ええ、そうです。街で、モンスター襲撃の噂を聞きつけたのです。ここの屯所の若者と出会って……」
経緯を聞く限り、その点は確かにピペタと同じようだ。
それでもピペタは、どこか納得いかず、つい聞き返してしまった。
「街で……? では、詰所から来たのではないのだな?」
増援部隊ではないというなら、ネブリスが一人で来たことにも説明がつく。
ネブリスは苦笑を浮かべてみせた。
「ああ、詰所にいたわけじゃありません。そもそも、今日の私は非番だったのですから」
「非番……? こんな時に?」
ロジーヌの件は抜きにして、ピペタは純粋に驚いてしまった。
一昨日から始まった、剣術大会の決勝トーナメント。
王都守護騎士団の精鋭たちを、三日連続で仕事から離れさせるわけにはいかない……。そんな配慮から、一日目と二日目の間には二日間のインターバルが、そして二日目と三日目――決勝戦――の間には一日の休みが置かれている。だから、試合と試合の間の日は、いつも以上に勤勉に王都守護騎士として仕事に励むべきであり、そんな時に休みを取っていては、それこそ本末転倒というものだった。
「恥ずかしながら、上司が気を利かせて、そういう勤務日程を組んでいたようです」
「気を利かせた……?」
「そうです。ほら、明日は、同じ一日のうちに、二回戦と三回戦があるでしょう? だから『その日こそが山場』『英気を養う意味で前日は休め』というつもりだったらしく……」
気恥ずかしそうに語るネブリス。
上役の余計な気遣いも、それが無駄になったことも、どちらも彼にとっては、肩身が狭い思いなのだろう。
まさか一回戦でピペタに敗れて、そうした上司の配慮が無駄になろうとは……!
しかし仕事の日程は、かなり前から決められているものだ。今さら「非番は無し」というわけにもいかず、今日一日ネブリスは、意味もなく休んでいたに違いない。
「そういうことか。それこそ非番ならば、この件にも関わらずに、黙って静観しておればよかっただろうに」
ネブリスの事情をあっさり流しつつ、ピペタは、そう口にしたのだが、
「何を言いますか! 微力ながら自分も役に立てそうな時に、それを見過ごす者は、もう騎士とは呼べません!」
ピペタが思いもしなかった剣幕で、ネブリスは反論してきた。
なるほど、ネブリスはネブリスなりに、騎士の誇りというものを持っているようだ。
剣術試合において、ネブリスはピペタのことを「生まれの卑しい者が王城の中庭に立つなんて!」と非難している。当然、ピペタとしては面白くなかった。
それにピペタから見れば、生まれや育ちにこだわる者は、ロジーヌを田舎者だと馬鹿にしていた連中と同じ穴の
騎士という格を過度に重んじて、名ばかりのプライドを持っていたようなダーヴィトとは、ネブリスは決定的に違う。悪い意味での『プライド』ではなく「騎士は庶民とは違うのだからこそ、立派な振る舞いをしなければならない」という確固たる矜持。一部では失われつつある騎士道精神が、ネブリスの言葉からは感じられるのだった。
「なるほど……」
あらためてネブリスという男を評価するピペタに対して、当のネブリスが、周囲を見渡しながら質問を投げかける。
「ところで、ピペタ殿。このゴブリンどもの死体……。ロジーヌ殿とピペタ殿が
「まあ、そんなところだ」
厳密には、ピペタが倒したゴブリンは、駆けつけた時の数匹だけ。大部分は、メンチンとゲルエイの成果だ。いや、ゲルエイが凍りつかせたモンスターは死体すら残らないのだから、今その辺に転がっているのは、ほとんどメンチンの手柄ということになるだろう。
だが、そうした事情を話すわけにもいかない。だから適当に誤魔化すしかなかった。
「実際には、ほとんどはロジーヌ殿が倒したゴブリンだ。彼女の話では、一匹だけ他より
「ああ、ピペタ殿が来た時には、まだロジーヌ殿は存命だったのですね!」
叫んだネブリスの視線に釣られて、ピペタは、自らの腕の中のロジーヌに目を戻した。
彼の「まだロジーヌ殿は存命だった」という言葉で、彼女が死んだことを、あらためて思い知らされる。今の今まで、どうでもいいようなネブリスの事情について話をしていたのは、ピペタにとっては一種の現実逃避だったのかもしれない。
「ああ、まだ生きていた。だが、もう毒矢に撃たれた後であり……。すでに手遅れだった」
「では、
最初にピペタが考えたのと同じように、ネブリスも
間違っているのだが、今のピペタは、訂正する気力なんて持ち合わせていなかった。現実逃避を終わらせたことで、ロジーヌが死んだという事実に、あらためて打ちのめされていたからだ。
「とりあえず……。この場のモンスターを一掃したのであれば、いつまでも森に
「ああ、そうだな……」
力ない声で、ネブリスの提案に頷きながら。
しっかりとロジーヌの亡骸を抱きかかえて、ピペタは立ち上がった。
そんなピペタの様子を見て、ネブリスの目には、気遣いの色も浮かんでいる。
「ピペタ殿、彼女の遺体は、あなたに任せますよ。代わりに周囲の警戒は、私が受け持ちましょう」
「ああ、頼む」
一応、まだモンスターが森の木陰から出現する可能性も考えて。
両手が塞がったピペタを守るようにして、ネブリスが剣を構えた。そして大袈裟なまでにキョロキョロと、周りを見回し始める。
そんなネブリスを隣に従えて、ピペタは、森の出口へと歩き出した。冷たくなったロジーヌを、その手に感じながら。
そして。
二人は南の森から出て、街と森との間にある、土がむき出しになった地帯へと入る。
「ああ、ようやく脱出ですな。ここまで来れば、もうモンスターの残党も追っては来ないでしょう」
ホッとしたような声のネブリス。
その言葉を聞き流しながら、大地を数歩、ピペタが踏み締めたところで。
「危ない、ピペタ殿!」
叫びながらネブリスが、ザッという足音と土煙を立てて、ピペタの背後へ回り込む。そのまま彼を庇うかのように、両手を広げて仁王立ちするのだが……。
「ネブリス殿……?」
首だけで後ろへ振り向いたピペタの目の前で、ネブリスの体が、地面に向かってグラリと倒れこむ。先ほどまでの元気が嘘みたいな、まるで糸の切れた操り人形のような振る舞いだった。
「ネブリス殿……! ネブリス・テーネ!」
慌てて叫ぶピペタだが、もう手遅れであることは、十分理解していた。
黒々とした鈍い金属の輝きで、その存在感を主張している一本の矢。それがブスリと、ネブリスの首を刺し貫いている。この状態で生きていられる者なんて、アンデッド系のモンスターくらいしかいないだろう。
「ロジーヌ殿に続いて……。ネブリス・テーネまで……」
人間というものは、案外あっけなく死ぬものなのだ。それをピペタは、今あらためて、思い知らされたのだった。
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