第二十話 遅すぎた救いの手

   

 ダーヴィト・バウムガルトが屯所から立ち去って、しばらくの後。

 南門に駆けつけたピペタ・ピペトは、まず通用門側の大きな窓から、小屋の中を覗き込んだ。同時に、大きく叫ぶ。

「ロジーヌ殿は、おられるか?」

 すでにロジーヌ・アルベルトが自力で森から脱出して、屯所まで戻ってきている可能性……。それを考えたのだ。

 しかし中にいたのは、ピペタよりも年上の騎士が一人のみ。

「ロジーヌならば、まだ森の中でモンスター相手に……。ところで、貴殿は?」

 どこか体の具合が悪そうな声で、悠長な対応をする男。ピペタは少し苛つきながらも、端的に答える。

「南部大隊ローラ小隊所属のピペタ・ピペト! 森で孤立したロジーヌ殿を救いに参った! では、早速!」

「ピペタ・ピペト……? おお、あのピペト家の……」

 男が発した、感嘆の響きが混じる声を背に受けながら。

 ピペタは勝手に通用門の扉を開いて、王都の外へと飛び出していくのだった。


――――――――――――


 南門を通り抜けたピペタに、続くようにして。

 同じく屯所に近づく、一組の男女の姿があった。ただし今度の二人は、いきなり屯所に駆け込むわけではなく、少し離れた場所から、隠れて様子をうかがっている。

「おい、ゲルエイ。小屋ん中に騎士が一人いるぞ」

「そりゃあ、誰かしら残ってるだろうさ。門番が必要だからね」

「でもダーヴィトとは違うなあ、残念なことに」

「一堂に会す、って話にはならなかったね。ならば、戻るかい?」

「おいおい、ゲルエイ。そんなわけないだろう?」

 彼女が本気で言っているのではないことくらい、メンチンも理解していた。

 もしかするとダーヴィトは、別の場所へ行ってしまったのかもしれない。だが、南の森へ戻ったという可能性も、まだ残っている。仮にダーヴィトがいないにしても、少なくともロジーヌとピペタの二人は、南の森で一緒になるはずだ。

「わかったよ。だけど、あんた、一つ聞いておきたいんだけど……」

 訝しげな声で、あえて尋ねるゲルエイ・ドゥ。

「もしかして『場合によっては、こちらの正体を明かしてでも、ピペタとロジーヌを助けるべき』なんて思ってるんじゃないだろうねえ?」

「まあ『場合によっては』だな」

 少し前に「場合によっては『敵の敵は味方』ってことも起こり得る」と言った時と同じく、メンチンは、白い歯を見せてニッと笑う。

 ゲルエイは、軽く頭を横に振ってから、

「とりあえず……。南の森へ行くのであれば、邪魔な門番は眠らせておかないとねえ。ソムヌス・ヌビブス!」

 屯所の中の騎士に対して、睡眠魔法ソムヌムを詠唱する。

 ちょうど怪我人のようだから、怪我のせいで意識を失ったと思われるだろう。ゲルエイは、そこまで計算に入れていた。


――――――――――――


 必死の形相で、南の森に突入するピペタ。

 外からの陽の光も届くような、森のまだ浅い部分で、彼は目的の人物を発見した。

「ロジーヌ殿!」

 名前を呼びながら、慌てて駆け寄る。

 彼女はピペタが見慣れた騎士鎧の姿で、うつ伏せになって倒れていた。その体をゴブリンたちが取り囲んでおり、まるで死体をオモチャにするかのように、ナイフや槍で突っついている。

「貴様ら、どけ! ロジーヌ殿から離れろ!」

 手にした騎士剣で、モンスターを蹴散らすピペタ。食べ物に群がる虫を追い払うかのように闇雲に振るうだけでなく、実際に二匹、三匹と斬り伏せてみせた。

 これでゴブリンたちの方でも、新たな脅威がやってきたと理解したらしい。蜘蛛の子を散らす勢いで、ロジーヌの体から離れていく。

 ただし、完全に森の奥に引っ込んでしまうのではなかった。少し距離をとって、木の陰に隠れながら、遠巻きにピペタたちの様子を見ている状態だ。ピペタが隙を見せたら、また襲ってきそうだが……。

「ロジーヌ殿! しっかりしてくだされ!」

 周囲のゴブリンにチラッ、チラッと視線を送り、それらを目で牽制しながら、ピペタはロジーヌを抱き起す。

 うつ伏せではわからなかったが、一応、息はしている。意識は失っているものの、まだロジーヌは、死んだわけではなかった。

 ただし、顔は不自然なまでに青白く、唇も生気を失った紫色。まるで死人か病人のようであり、昨夜女子寮の前で別れた際のロジーヌとは、もう明らかに別人だ。

「ロジーヌ殿、ピペタです! わかりますか? 助けに来たのですぞ! もう何も心配は要りません!」

 ロジーヌが体のどこをどうやられているのか、ピペタにはわからない。下手に動かすのは危険かもしれないと思って、体を揺することすら出来ずに、とにかく声だけをかけ続けた。

 そのうちに、

「ああ、ピペタ殿……」

 ロジーヌが口を開く。意識を取り戻したのだ!

「あなたが来てくれたのか。ならば百人力だ。一番の強敵である漆黒ダークゴブリンは、この私が、もう倒しましたから……」

 まだ目も開かぬ状態で、フフッと口元に笑みを浮かべるロジーヌ。だがピペタには、空元気にしか見えなかった。

「ロジーヌ殿! 今は無理せず……」

 ピペタが彼女に、そう呼びかけた瞬間。

 森の外から、全く別の声が響いてきた。

「危ない、ピペタ!」


 ロジーヌを抱きかかえたまま、咄嗟に体を低くするピペタ。

 風を切る音と共に、一瞬前までピペタの頭があった位置を、何かが通り過ぎていった。

 周囲への警戒意識のレベルを高めながら、ピペタは、森の外の方へと振り返る。危険を知らせてくれた声には聞き覚えがあったのだが、案の定、こちらへ走ってくるメンチンとゲルエイの姿が視界に入った。

「なぜ、あの二人が……?」

 しかし、メンチンとゲルエイについて考えている場合ではなかった。

「今の音……。矢ですか、ピペタ殿?」

「そのようですな」

 ロジーヌに呼びかけられて、視線を戻すピペタ。

 彼女は視覚がおかしくなっているらしく、聴覚だけで状況を判断しようとしているようだ。だからピペタは、いつも以上にハッキリとした声で、彼女に応じたのだが……。

 近くの木の幹へ目をやって、ピペタはゾッとする。そこには一本の黒い矢が、深々と突き刺さっていた。

 メンチンの声がなければ、本来その矢は、ピペタの頭を射抜いていたことだろう。

 王都守護騎士は、一応は騎士鎧でその身を守られているが、彼らの鎧は頭部まではカバーしていない。別に戦争に出向くわけではないため、首から上は完全に剥き出し。それが、彼らの『騎士鎧』の構造だった。

 今の一撃は、いわば騎士鎧の弱点を、的確に狙ったということになるのだが……。弓矢を扱うモンスターは、そこまで賢いのだろうか? 獲物の急所を、本能的に察知できるのだろうか?

「ロジーヌ殿。ゴブリン軍団の中には、ボウゴブリンも含まれていたのか?」

 ピペタの問いかけに対して、ロジーヌの頭が、わずかに揺れる。首を横に振ろうとしたけれど、うまく動かせなかったらしい。

 これを見てピペタは「しまった!」と思う。悠長に会話なんてしている場合ではなかった。今のロジーヌは、喋ることすら辛い状態。大人しく休ませたまま、きちんとした手当の出来る場所まで、早く連れていくべきだ!

 だが、安静を保ったままソッと彼女を運搬するためには、まず周りのゴブリンたちを何とかしないと……。

 そう考えるピペタに対して、ロジーヌが告げる。

「違います、ピペタ殿。ボウゴブリンではなく、ダーヴィト隊長やクラトレス人事官の手の者でしょう。私も同じく、伏兵の毒矢でやられました」

「何だと!」

 衝撃のあまり、ロジーヌを抱きかかえた腕に、思わず力が入る。今は彼女を、無駄に揺らしたりしたくないのに。

 ピペタにしてみれば「ダーヴィト隊長というのは、ロジーヌ殿の上司だったかな?」という程度の知識しかなく、ましてやクラトレス人事官と言われても、誰のことなのかサッパリわからないのだが……。

 

 こうしてロジーヌにかかりきりのピペタは、モンスターから見たら、隙だらけに思えたのかもしれない。

 遠巻きに眺めていたはずのゴブリンたち。そのうち数匹が、いつのまにか、かなりピペタとロジーヌの近くまで寄ってきていた。

 しかし。

「こいつらは任せろ、ピペタ!」

 メンチンがゲルエイと共に、ゴブリンの集団に立ち向かっていく。

「だからピペタは、その女騎士の話を、しっかり聞いておけ!」

「やつらの悪事の証拠が掴めるなら、あたしたちも、力の出し惜しみはしないよ!」

 メンチンはともかくとして、若い占い師に過ぎないゲルエイに、何が出来るのか。

 一瞬そう思ってしまうピペタの目の前で、ゲルエイは、魔法の呪文を口にしていた。

「イアチェラン・グラーチェス・フォルティシマム!」

 ゲルエイの数歩先にいたゴブリンたちが、超氷魔法フリグガにより三匹まとめて凍りつき、パリンと粉々に砕け散る。

 魔法に疎い――騎士学院で習った内容をまともに覚えていない――ピペタであっても、今ゲルエイが唱えたのが氷の魔法であることくらい、一目で理解できた。

 そう、ロジーヌの炎とは違って、氷系統だ。これならば、森の草木に燃え移って火事になるという心配もない。モンスターと一緒に何本かの木も凍って砕けたようだが、それくらいならば、被害が広がらない分だけマシだろう。

「ゲルエイ・ドゥという娘……。魔女の仮装をした占い師ではなく、本物の魔法使いであったか!」

 感嘆の言葉を口にしたピペタは、続いて、メンチンの戦いぶりにも視線を向ける。

 ちょうど彼は今、右側にいたゴブリンに手刀を食らわせて、その胸をズボッと刺し貫いていた。同時に、左から迫り来る大柄なゴブリン――金属鎧を着込んでいるのでおそらく騎士ナイトゴブリン――の頭を、左手一本でキャッチ。力強く握りしめることで、グシャッと頭部を潰す。当然のように、どちらのモンスターも即死だった。

「やはり、あの髪の長い怪力男だったか……」

 長髪が坊主頭に変わったのは、別に急いで剃ったわけではなく、おそらく何らかのトリックなのだろう。今のメンチンは、昼間クーメタリオ霊園公園で見かけた時とは違って、両手の拳に厚手の黒い手袋グローブをはめている。これも、あの長髪の遊び人と同一人物であるという、状況証拠の一つだった。

 ピペタの呟きに答えるかのように、

「言ったろ? 力の出し惜しみはしない、って」

 ゲルエイが、童顔フェイスの口元に、ニヤリと笑みを浮かべた。続いて彼女は、再び呪文を唱えて、周囲のモンスターの数を減らしていく。

「イアチェラン・グラーチェス・フォルティシマム!」


「ああ……。ピペタ殿の他にも、応援の騎士が来てくれたのですね……」

 視力を失ったロジーヌは、音だけで、周囲の戦況を察知していた。そのため、モンスター集団と戦う二人を、助けに来た騎士だと誤解しているらしい。だが、あえて訂正する必要もあるまい、とピペタは判断する。

「もう少しの辛抱だ、ロジーヌ殿。周りのモンスターが一掃されたら、魔法治療のできる施設まで、慎重に貴殿を運んで……」

「いや手遅れでしょう、ピペタ殿。自分の体のことは、自分が一番よくわかっています。私が食らった毒矢は、そういうたぐいのものでした。その毒が全身に回った以上、もう……」

 理路整然とした発言だけ聞けば、ロジーヌは、しっかりとしているようにも思える。だが、彼女の言葉が飛び出てくる部位は、死人の唇のような色になっていた。顔色だって、もう魂が抜けたかのような……。

「ピペタ殿。ここに詳しい事情が、したためてあります」

 自分の鎧の胸元へ、右手を突っ込むロジーヌ。その程度、手を動かすだけでも、いかにも重たそうな手つきになっていた。

 かつての彼女の華麗な剣捌きを思い出し、あらためてピペタは、ロジーヌの重体ぶりを悟る。

 同時に、鎧の奥にしまわれていた赤い石が、ピペタの視界に入った。彼女が胸元から書面を引っ張り出す際に、一緒に少し、引きずり出されたのだ。

 昨夜ピペタが誕生日プレゼントとしてロジーヌに贈った、あのペンダント。ロジーヌが一日中、働いている間も肌身離さず持ち歩いていたと知って、ピペタは感動すら覚えてしまう。それどころではない状況なのに。

 目の見えないロジーヌは当然、そんなピペタの気持ちには気づかない。彼女は腕を震わせながら右手を伸ばし、取り出した書面をピペタに手渡した。

「口で言っても誰も信じてくれないから、告発状という形で、しかるべきスジに訴えるつもりでしたが……。もう無理なようです。だからピペタ殿、私の代わりに……」

「わかった、ロジーヌ殿。後のことは、私に任せてくれ」

 書類の内容を知らぬまま、そう言ってピペタは、しっかりとロジーヌの右手を握りしめる。彼女の右手は、ピペタに書類を渡した後、行き場を失くしたかのように宙にとどまっていた。

「お願いしますよ、ピペタ殿。あなたも、きちんと目を通しておいてください」

 言われて。

 慌ててピペタは、ロジーヌの告発状を開く。

 ダーヴィトがクラトレスという役人の個人的な利益のために働いているという話や、剣術大会でダミアンを優勝させて近衛騎士にするという計画、そのためにロジーヌに八百長をもちかけたことなどが書かれていた。

「なんと、これは……」

 ピペタの顔が、怒りで真っ赤になる。特に、八百長の話は許せなかった。八百長そのものもそうだが、交換条件としてロジーヌをバウムガルト家に嫁入りさせるというのは、思い上がりもはなはだしい。しかも、拒まれたら力ずくで陵辱しようと考えるなんて……!

「ああ、ピペタ殿。今日のことは、そこには書いてありませんが……。おそらく、南の森の奥には、クラトレス人事官の秘密のアジトが存在するのでしょう。今回のゴブリン軍団も、そこから送り込まれた可能性が……。私が倒した一匹も、自然に生まれたとは思えぬ、恐るべきモンスターでしたから……」

 気丈な口ぶりで、そこまで語るロジーヌだったが。

 言うべきことを言って、安心したのだろうか。彼女の全身から、フッと力が抜ける。

 異変に気づいたピペタが、

「ロジーヌ殿……? ロジーヌ殿!」

 冷静さを失って、彼女の体を大きく揺さぶるが……。

 もはやロジーヌは、うんともすんとも反応しない。

「ロジーヌ殿……」

 ピペタの声のトーンが変わる。さすがに、彼も気づいたのだ。

 三十歳の女騎士、ロジーヌ・アルベルト。『炎狐えんこロジーヌ』とも呼ばれた勇猛な彼女は、好敵手ライバルとして認め合ったピペタ・ピペトの腕の中で今、その生涯に幕を下ろしたのだった。

   

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