第十九話 強敵の正体
「まさか……? ダーヴィト隊長が……!」
ロジーヌ・アルベルトは叫びながら、引き抜いた矢を放り投げる。地面に転がり、カランと乾いた音を立てるが、聞いている余裕など彼女にはなかった。
「くっ……!」
ガタッと膝をつくロジーヌ。
射抜かれた膝の激痛は、鈍痛に変わっていた。膝からジワジワと、右脚全体に広がっていく感じだ。重くて脚が動かない、という感覚に近い。
ロジーヌは顔を歪めながらも、今しがた目にしたものについて考えてしまう。
「ダーヴィト隊長の、あの意味ありげな笑い顔……」
表情から見て、このアクシデントに彼が一枚噛んでいるのは、まず間違いないだろう。
そう思ったところで、昨夜の出来事が頭に浮かんでくる。今の今まで、頭を仕事モードに切り替えることで、意識的に忘れるようにしていたが……。
ロジーヌに剣術大会の八百長を持ちかけた、ダーヴィト・バウムガルト。優勝者が近衛騎士団にスカウトされるよう手はずを整えたという、クラトレス・ヴィグラム。父ダーヴィトと一緒になって「ロジーヌをバウムガルト家の嫁に」という話をしていた、ダミアン・バウムガルト。承諾しないロジーヌに対して実力行使を試みた、クラトレスの配下ラピナム……。
思い出すだけで
しかも。
こうした悪感情は、程度の差こそあれ、ロジーヌの側だけの話ではないはず。
あの場を立ち去る際に、ロジーヌは「後日、しかるべき
ダーヴィトたちはダーヴィトたちで、このままロジーヌを放置できない、とまで思っていたのかもしれない。
「つまり、口封じか……。まさか、そこまでするような人間とは思わなかったが……」
あの場では下っ端だったはずのラピナムの、一番凶悪だった面構えを思い出す。他の面々も、顔にこそ出ていなかったが、実は同じくらいの悪人だったのかもしれない……。
右脚からの鈍痛とは逆に、ロジーヌの頭は冴えていく。
彼女がダーヴィトを『好ましくない』と思うようになった発端は、クラトレスとの癒着だった。目に見える具体的な繋がりの中には「クラトレスが怪しいくらい頻繁に南門を出入りしているのに、ダーヴィトは一切それを記録しようとしない」という話もあった。
では、その『頻繁に南門を出入り』というのは……。クラトレスは、毎回どこへ出かけていたのだろうか?
時間的に、他の都市まで出向いていたとは考えられない。せいぜいが王都の近く、それこそ、南の森くらいまでだったはず。
ならば……。
「南の森の中に、クラトレス人事官の秘密のアジトが存在するのか……? では、まさか今回のゴブリン軍団も、その秘密のアジトと何か関係が……?」
こうしてロジーヌが考えている間に、彼女の周囲では変化が生じていた。
おそらく、弱った獲物に対する、本能的な行動なのだろう。片膝ついたロジーヌを見たゴブリンたちが――先ほどまで固まっていたモンスターたちが――、ナイフや槍を手に、にじり寄ってきていたのだ。
――――――――――――
「ロジーヌさんに、グレアムさんに、ダーヴィト隊長……。みんな、大丈夫かなあ?」
一人屯所に残ったフェッロは、心配そうに呟きながら、小屋の中をウロウロと歩き回っていた。
彼は留守番役として、通用門――通称『小門』――を閉ざしておくという、それなりに大事な任務を命じられている。本来ならば、小門に面した窓口のところで、椅子に座って待つべきなのだろう。だが、じっとしていられる気分ではなかった。待つ身の辛さというやつを、フェッロはヒシヒシと感じていたのだ。
小門に面した窓は、外壁側の監視孔とは違って、横にも縦にも広い。だからフェッロは一応、しっかりと人々の通行が見えるように、屯所全体を徘徊するのではなく、窓の近辺だけを行ったり来たりするようにしていた。与えられた仕事は、きっちりとこなしているつもりだったのだ。
今のところ、王都の外に出ようとした住民は、あれからは五人だけ。二人組と、一人の者と、また二人組だ。
フェッロは当初、モンスターの件を告げるべきか誤魔化すべきか、少し悩んだが……。最初の二人組は、「今は小門は通行禁止です」と説明されただけで、何か察したらしい。チラッと窓から屯所の中も覗いていたので「ここに一人しかいないということは、残りの三人は街の外へ緊急出動している」ということまで、推察したのかもしれない。特に深く詮索することなく、あっさり引き下がってくれた。
独り者も、ほぼ同じ。最後の二人組だけは「はあ? 通れないなんて話、聞いてねえぞ」「そういうのは、あらかじめ通達しておくべきべきだろう?」と、少しゴネていたが……。それでも、騎士のフェッロが低姿勢で「すいません、すいません」と何度も頭を下げたら、それなりに溜飲が下がったとみえて、大人しく帰っていった。
だから結局、まだフェッロは、王都の市民には「モンスター軍団が襲ってきた!」という話は、告げずに済んでいた。無用なパニックを引き起こす可能性があるから、やはりギリギリまで言うべきではないのだろう。今のフェッロは、そう判断していた。
「ああ、もう! 早く戻ってきてくれないかなあ? とにかく、みんな無事で……」
焦れたような声で、フェッロが小さく叫んだ瞬間。
「わしだ! 戻ったぞ! 開けてくれ!」
ドンドンと小門を叩く大きな音と、ダーヴィトの声が聞こえてきた。
「ダーヴィト隊長!」
急いで屯所を飛び出すフェッロ。三人の姿を想像しながら、小門に差してあった
「え……? 二人だけですか? ロジーヌさんは……?」
「ロジーヌは
門をくぐったダーヴィトが、ぐったりとしたグレアムを背負ったまま、苦渋の表情でフェッロに告げるのだった。
とりあえず、ゴブリンたちを森へ追い返すのには成功したこと。追撃のためダーヴィトたちも森へ入っていくと、思わぬ強敵が現れたこと。グレアムが負傷し、撤退を決意したが、まだロジーヌが森に残っていること……。
簡単に事情を説明したダーヴィトは、
「わしは門番を兼ねて、ここでグレアムを介抱する! フェッロ、お前は応援を呼びに行け!」
「はい、ダーヴィト隊長! 北門屯所よりも、東や西の方が近いから……」
「馬鹿者! 門番勤務の人手を割こうとするな! それに、南部大隊の詰所や、騎士団本部の方が近いだろう!」
「ああ、そうでした!」
と、フェッロを使いに出してから……。
「グレアム、まだ痛むか?」
「かたじけない、ダーヴィト隊長……」
「わしは回復魔法なぞ使えんからな。今は、これで我慢してくれ」
屯所にあった救急箱から薬と包帯を出して、とりあえずの応急措置を試みる。
「これでよし」
ダーヴィトの言葉に対して、グレアムの返事はない。回復のために体が休養と睡眠を欲しいているらしく、いつのまにかグレアムは、完全に意識を失っていた。
奥に一つだけある――普段は使われていない――ソファーにグレアムを横たえてから、ダーヴィトは、窓の前の椅子にドカッと座り込む。
「ふう……」
ため息を吐くダーヴィト。その顔には、まるで問題が解決したかのような、安堵の色が浮かんでいた。
モンスターの襲撃を受けて、部下を危険な場に残してきた隊長としては、相応しい表情ではないが……。むしろ、これこそ彼の本心だったのだろう。
今回、森に隠れ住むゴブリンたちが襲ってきたのは、強力なモンスターに扇動されたからだった。
ロジーヌが
「なるほど、あれならば、普通のゴブリンとは段違いだな」
小さく呟くダーヴィト。グレアムは眠ったままであり、この場には誰も聞いている者なんていないという油断から、声に出てしまったのかもしれない。だが、もしも聞かれたとしても、この程度ならば問題ない範疇のはずだ。
ダーヴィトが裏で繋がり始めた頃には、すでに一介の人事官に過ぎなかったクラトレス・ヴィグラム。ただし、かつての彼が行政府の軍事関係で働いていたことを、きちんとダーヴィトは理解していた。
クラトレスが頻繁に南門を出入りする理由も、はっきりと聞かされたわけではないが、ダーヴィトは薄々察知していた。南の森の奥には、クラトレス個人で所有する秘密の研究所があるのだ。
「あれが、かつての遺産か……」
軍事部門にいた頃に得た技術や
実際に目にしたことで、ダーヴィトは、そこまでクラトレスの思惑を読み取ったつもりだった。
「だが、しょせんは実験体、いわば試作第一号。まだ実戦投入は、早かったのではないかな?」
ダーヴィトの口元に、不敵な笑みが浮かぶ。
クラトレスは盟友だが、一蓮托生の同志とまでは思っていない。少しくらいクラトレスが困るような事態に陥っても問題ない、という認識だった。
もしも今回のことで虎の子のキメラを失うことになれば、クラトレスは今まで以上に、ダーヴィトを頼ることになるだろう。それは不都合どころか、むしろダーヴィトには好都合な話だった。
「結局のところ、あのキメラでは『
彼女の戦いを最後まで詳しく見届けたわけではないが、ダーヴィトは、そう考えていた。あのキメラ・モンスターに、それほどロジーヌが苦戦するとは思えないのだ。
そもそも今回の計画において、キメラ・モンスターの役割は、南の森のゴブリンたちをけしかけること。ロジーヌを打ち倒すことまでは、期待されていなかった。
いや、もしかするとクラトレスは「自分のキメラだけで十分」と自信を持っていたかもしれないが、少なくともダーヴィトの見解は異なっていた。だからこそ、森の出口に伏兵を配していたのだ。
弓矢を装備した伏兵。その毒矢で、今ごろロジーヌは……。
「ダーヴィト隊長、ありがとうございました。もう大丈夫です」
突然、グレアムの声が小屋の中に響く。ダーヴィトが長々と考え込んでいた間に、意識を取り戻したようだ。
「無理はするな、グレアム。怪我人は休んでおれ」
「そうはいきません。私だって……」
横になっていたソファーから、体を起こすグレアム。だが、その動きはヨロヨロとしており、何より、口から出てくる声も弱々しい。まだ回復しきっていないのは明らかだった。
「グレアム。そんな状態では、とても役には立たんぞ」
「はい、ダーヴィト隊長。今の私では、戦力にはならんでしょう。ですが、門番くらいは出来ますぞ」
グレアムは、鋭い眼光でダーヴィトを見据える。
「南門の門番は私に任せて、ダーヴィト隊長は、応援を呼びに走ってくだされ」
「そうか? お前が、そこまで言うなら……」
救援要請に関しては、すでにフェッロを派遣している。まずは南部大隊の詰所に急行したはずであり、それから王都守護騎士団の本部へも向かうはずだ。
「わかった。まだフェッロは、大隊の詰所を目指している頃だろう。その間にわしは、騎士団本部へ行ってくる!」
わざと勇ましく口にするダーヴィト。
奥のソファーから窓口の席へ、グレアムが場所を移すのを見届けながら……。
心の中では、全く別のことを考えていた。つまり、ロジーヌのことだ。
用意した伏兵が毒矢でロジーヌを射抜くのを、振り返った時にダーヴィトは確認している。ならば、ロジーヌが明日の試合に出られないほどのダメージを負ったのは、間違えようがない事実だ。
計画の成功を確信したダーヴィトは、傷ついたグレアムを一人残して、南門屯所を
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