第十八話 森の奥まで立ち入って
南の森には、他では見られないような草花が生えていると言われている。木々の緑も生きが良く、何もかも覆い隠すような大きな葉が、枝からは生い茂っていた。
はっきりとした遊歩道は存在しないが、それでも木と木の間隔が広くなっている部分には、何者かが下草を踏みしめた痕跡があり、自然と
入ってすぐの辺りでは、外からの陽の光も、まだ届いている。だが、しばらく進むと森の自然に遮られて、昼でも薄暗い、鬱蒼とした状態になり……。
「そろそろだな……。二人とも、気をつけろよ」
「はい、隊長」
小隊長であるダーヴィト・バウムガルトの言葉に対して、言わずもがなと思いながらも、ロジーヌ・アルベルトは素直に頷く。
昼間の太陽の光がほとんど届かなくなったということは、もう森の外周区域ではないということ。つまり、王都の人々が散策スポットとして使っている『人間の領域』ではなく、危険な動物や野良モンスターが隠れ住む『野生の領域』に足を踏み入れた、ということだった。
南門担当のロジーヌであっても、今までは、森の外まで出てきたモンスターと戦うばかり。森の奥まで立ち入るのは、これが初めてだった。
少し前に、南の森でモンスターが徒党を組んでいるという噂が上がり、探索隊が送り込まれたことがある。日頃は王都の見回りをしている小隊のいくつかをかき集めて、王城から派遣された近衛騎士の一団を加えた、特別編成の部隊だ。ロジーヌたちのダーヴィト小隊は、それに加わることなく、通常通り南門屯所で待機させられていた。
何か起こった時のことを思えば、南門屯所を留守に出来ないというのは理解できる。だが、この辺りのモンスターに対して、最も実戦経験豊富なのはロジーヌたちのはず。せめてロジーヌとグレアムの二人だけでも、特別部隊に加えられても良さそうなものなのに……。
あの時、ロジーヌとしては「自分たちは、しょせん門番としか思われていないのか」と、少し悔しい気持ちもあった。
そんな経験のせいだろうか。彼女の心の中には今、緊張感だけではなく、妙な高揚感も存在しているのだった。
さらに進んで、細かった
右手の茂みがガソゴソと、不自然な音を立てる。
「来ましたぞ!」
真っ先に声をあげたのはグレアムだが、彼だけではなく、ロジーヌとダーヴィトの二人も、そちらに向けて剣を構えていた。
案の定、数匹のゴブリンが飛び出してきたのだが……。
「斬りかかれ!」
ダーヴィトの合図で、ロジーヌたちが走り出したのと同時に。
「ギギギ……!」
奇声を発しながら、反対側の茂みからも、モンスターの集団が襲いかかってきた。
「小賢しい! 挟撃のつもりか!」
「ダーヴィト隊長! こちらは、私が引き受けます!」
叫びながら、反転するロジーヌ。
新手の集団の方が数が多いし、
「アルデント・イーニェ!」
弱炎魔法カリディラを詠唱するが、狙いはモンスターそのものではない。自然の木々や野草に囲まれた森の中では、モンスター相手に炎を放つのは、火事の恐れがあるから危険。それくらいロジーヌだって理解している。
だから。
剣術試合の場合と同じく、
「ハッ!」
今や灼熱の魔剣と化した武器を振るうロジーヌ。
一撃では致命傷にならないような上級種のモンスターであっても、この状態の
「容赦はせぬぞ!」
最下級のゴブリンであれ、
相手を確認する時間も惜しんで、周りを取り巻くモンスターたちを、ひたすらバッタバッタと斬り伏せていくロジーヌ。
あっというまに、敵の数は半減していくのだが……。
「……!」
背中を走った嫌な予感と同時に、ロジーヌの体が、反射的に横へ跳ぶ。
ザッと飛び退いた先で振り向けば、つい今しがたまで彼女が立っていた場所を、巨大な棍棒が薙ぎ払っていた。人間の胴体ほどもある金属製の棍棒であり、近くに生えていた小さな木など、根元からポッキリと折られているくらいの勢いだった。
続いてロジーヌは、その武器の持ち主に視線を向ける。
「何だ、こいつは……?」
片手で棍棒を掲げているのは、大柄の体躯のモンスターだった。
一応はゴブリン系モンスターなのだろうが、普通ゴブリン系といえば茶色のヒト型なのに対して、このモンスターの体は、茶色というより黒色。いかにも剛毛といった感じの硬そうな黒い体毛で、全身を覆われていた。顔自体は他のゴブリン系と似ているが、腕が異様に長いせいか、ヒト型というよりゴリラを連想させる。
「新種のゴブリンなのか……?」
少なくとも、騎士学院で習ったゴブリン亜種の中に、こんなモンスターは出てこなかった。とりあえずロジーヌは、便宜上こいつを『
その
「あっ、待て!」
慌てて叫ぶロジーヌ。
その巨躯に似つかわしくない機敏な動きで、
だがロジーヌの今の場所からでは、
「ダーヴィト隊長! グレアム! 強いモンスターが行きます!」
ロジーヌとしては、剣を振るいながら、大声で注意を促すのが精一杯。二人ともチラッと彼女の方を向いて、頷く様子を見せるが、強敵が来るとわかっていても、やはり対処する余裕はなさそうだった。
ならば。
ロジーヌはロジーヌで、できる限りの援護を試みる。
「アルデント・イーニェ!」
もしも炎を避けられて、近くの木や草に誤射したら、それだけで火事になってしまうだろう。あるいは、うまく
そうならないように、ロジーヌは確実に相手を狙って、しかも小さく集めたピンポイントな炎を用いたのだが……。
「……グワッ?」
威力を弱め過ぎたらしい。背中を焼かれた
それでも、足止めの効果があっただけでも十分。
ロジーヌはさらに二匹、近くのゴブリンを斬り殺してから、
「もう貴様は、その場から動けまい! そこで焼け死ね!」
先ほどよりも少しずつ威力を上げながら、弱炎魔法カリディラを連打する。
「アルデント・イーニェ! アルデント・イーニェ!」
最初の一撃を元にして、火力を調節したつもりだった。森に被害を与えない程度に、それでいて、
しかし。
直撃した炎は、
「そんな馬鹿な!」
周りのゴブリンと戦いながら、視界の端で、
最初の炎が弱過ぎたというのは、彼女としても自覚があったから、それは構わない。だが第二第三の炎は、そうではなかったはず。『
「本当に強敵です! 気をつけて!」
再び注意を喚起するロジーヌに対して、
「大丈夫だ、こちらは二人いる!」
「そちらはそちらで、頑張ってくだされ!」
ダーヴィトもグレアムも、威勢の良い言葉を返したのだが……。
周りのゴブリンの対処で、一瞬ロジーヌが二人から目を切った隙に。
「くっ!」
ドスンという重い音と同時に聞こえてきたのは、グレアムの悲痛な叫び。ダーヴィトの焦ったような声も続いている。
「グレアム!」
見れば、グレアムは大木の根元にうずくまっていた。呻き声を上げているから、生きているのは確実だが、重傷を負ったかもしれない。おそらく、
当の
ロジーヌと目が合ったダーヴィトが、大声で宣言する。
「わしの見通しが甘かった! 撤退だ!」
「はい、ダーヴィト隊長!」
大きく頷いたロジーヌは、
「アルデント・イーニェ!」
牽制の意味で、
その隙にダーヴィトは、グレアムを背負ってロジーヌのところに合流。三人は森の出口を目指して、敗走し始めるのだった。
「ダーヴィト隊長、かたじけない……」
「怪我人は黙っておれ! しっかりと、わしに掴まっておけ! それだけに集中しろ!」
背中のグレアムが意識を失わないように、時々ダーヴィトは声をかけている。それだけではなく、もちろんロジーヌにも指示を出していた。
「ロジーヌ!
「任せてください、ダーヴィト隊長!」
実際ロジーヌは、何度も足を止めて、迫り来るモンスターに剣を振るっていた。そのため、少しずつダーヴィトとの距離は開いている。ダーヴィトは、人間一人背負っているとは思えぬくらいの健脚ぶりを見せていた。
三人を追走するモンスター軍団には、例の
ロジーヌとしても、今の状況で強敵と
やがて。
明るい光が見えてきた。鬱蒼とした暗い森の出口が近いということだ。
この辺りは、もう森の外周部――人々の散策エリア――のはずだが、ゴブリンたちの追撃は、まだ続いている。
「一度は森へ逃げ帰ったくせに! 調子に乗って!」
無意識のうちに、ロジーヌの口から忌々しげな言葉が飛び出した。
だが、ここまで来れば、森を出るまで残りわずか。野草も生えていないような土の地面の上ならば、火事の心配もなく、思う存分炎が使えるのだ。
「森を出た時が、貴様らの最期だぞ……」
それはモンスターの側でも理解していたのだろう。問題の
「あと少しだというのに!」
こいつは、背中を向けたまま相手できるようなモンスターではない。
ロジーヌは完全に足を止めて、体を反転。強敵と対峙した。
「来い! ここで決着をつけてやる!」
彼女の言葉が届いたかのように、
身を屈めて避けたロジーヌは、その体勢も利用。バネのように全身を屈伸させて、勢いよく下から
「グワッ?」
よろめく
ロジーヌの斬撃は、モンスターの顎にヒットしていた。ただし『斬り裂いた』というほどではない。硬い体毛が天然の鎧となっているため、淺く薙いだ程度に過ぎなかった。
「ならば!」
やはり剣で
返す刀で、一応は脚に斬りつけるが、これはフェイント。本命の攻撃は……。
「アルデント・イーニェ!」
狙い澄ましたロジーヌの炎が、
「ギャワァッ!」
一瞬のうちに眼球の水分を沸騰させられて、悶え苦しむ
ロジーヌは、剣を構えたまま、慎重に歩み寄って……。
「これで……。終わりだ!」
いかに体毛の硬いモンスターといえども、口の中までは防御されていなかった。特に口奥の天井には、軟口蓋と呼ばれる――その名の通り柔らかい――部位もあるのだ。
ブスリと上顎を刺し貫いた剣を、ロジーヌはグリグリと脳まで押し進めながら。
さらに、念には念を入れて、
「アルデント・イーニェ!」
「終わった……」
まだ周囲には、いくらかゴブリンたちが残っている。だがボス格のモンスターが倒されたことで、彼らも動揺しているらしく、まるで硬直したかのように動きを止めていた。
今のうちに、少しでも敵の数を減らすか。あるいは、敵がじっとしているうちに、さっさと逃げのびるか。
一瞬ロジーヌも動きを止めて、次の行動を逡巡する。それが、彼女の命取りとなった。
「……!」
突然、右脚に激痛が走る。
視線を落とせば、膝裏に一本の矢が刺さっていた。黒光りする金属製の矢であり、ちょうど場所は、騎士鎧で覆われていない、隙間のような関節部だ。
「偶然か? あるいは、狙われた?」
矢を引き抜きながら、考えてしまう。
モンスター集団の中に、
いや、そもそも。
まだロジーヌは、森の奥の方へと体を向けていたのだ。それなのに膝裏を射抜かれたということは、森の中というより、外の方角から撃たれたことになる!
驚愕と共に、ガバッと振り返るロジーヌ。
仲間の姿が、視界に入る。すでにダーヴィトは、グレアムを背負ったまま、森の外まで逃げきっており、今や森の中に
もちろんダーヴィトは、弓も矢も手にしていない。
しかし。
ロジーヌの視線に気づいたかのように、こちらを振り向いたダーヴィトの顔には……。
まるで「してやったり」と言わんばかりの、不敵な笑みが浮かんでいるのだった。
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