第十七話 森からの襲撃者

   

 話は少し遡る。

 夕方ではなく、まだ太陽が頭上にあって、人々が穏やかな陽気を楽しんでいた昼間の時間帯。

 つまり、ピペタ・ピペトがローラ小隊の仲間と共に、クーメタリオ霊園公園の中を見回っていた頃。

 ロジーヌ・アルベルトは、勤務地である南門屯所で、いつものように待機していた。


 王都の東西南北には、それぞれ巨大な門が設置されている。『大門』と呼ばれるそれは、ちょっとした民家くらいの大きさなのだが、原則として固く閉ざされており、開閉されるのは事前に申請された場合のみ。それも、人や荷物を運ぶ馬車の通行時に限られていた。

 人々が徒歩で王都を出入りする際は、この大門ではなく、横にある小さな通用門――通称『小門』――を使う。だから王都守護騎士団の屯所も、小門に隣接する形で、小門を通る人々を監視できるような位置に設置されていた。

 ロジーヌは今、この小門に面した窓口を担当しており、同じ小隊の若者フェッロと並んで座っている。二人で一緒に、王都を出入りする人々をチェックするのが、今日の彼女の仕事だった。

「平和ですねえ、ロジーヌさん。街を行き交う人々も、のんびりとしていて……。ここの窓から見える限りでも、わかるくらいですよ」

 大きな窓から入り込む日差しに眠気を誘われたのか、あくびが出そうな顔で、フェッロが呟いた。

 あまり褒められた態度ではないのだが、特に注意することもなく、ロジーヌは彼の言葉に応じる。

「ああ、私もそう思うよ。何事も起こらないのが一番だ。私たち警吏が退屈なのは、街が平和な証だからね」

 ロジーヌから見たフェッロは、いかにも若者といった感じの騎士だ。まだ王都守護騎士となってから日が浅く、正直に言えば、彼の未熟さに苛立つこともある。だが今日のロジーヌは、フェッロが相棒で良かったと思っていた。

 ここ南門屯所での仕事は、二人ずつで行う形だ。例えば今日は、ロジーヌとフェッロが小門窓口の担当で、残りの二人――グレアムと小隊長ダーヴィト・バウムガルト――が、門外の監視を受け持っていた。

 グレアムはロジーヌより年上の騎士であり、剣の技量は、ダーヴィト小隊の中ではロジーヌに次ぐ二番目だ。ロジーヌとグレアムがダーヴィト小隊の二大エースという扱いであり、戦力を片側のコンビに固めてしまわないために、ロジーヌとグレアムは常に別々。ロジーヌは今日のようにフェッロと組まされるか、さもなければ、ダーヴィト隊長と組む形になっていた。

 だから。

 もしも今日の相棒がフェッロでなければ、一日中、ダーヴィト隊長と並んで座ることになったのであろうが……。


 グレアムたちの方へ、ロジーヌはチラッと視線を向ける。

 王都の外壁側に空けられた、横に長い監視孔。その小窓の前に置かれた二つの丸椅子に、それぞれグレアムとダーヴィトが腰を下ろしていた。

 今日ここまで、なるべくダーヴィトのことは視界に入れないように意識してきたが……。こうして後ろ姿を見る限りでは、職場でのダーヴィトは、しっかりと『小隊長』をやっているように思える。

 だからロジーヌも、仕事は仕事として割り切ることにして、この屯所では、昨夜の話は持ち出していなかった。バウムガルト家におけるダーヴィトやクラトレス・ヴィグラムたちの所業は、とても信じられないレベルだったのだが。

 もし仮に、フェッロやグレアムに話したところで「そんな馬鹿な!」「悪い冗談!」と流されてしまうのがオチだろう。ダーヴィトは王都守護騎士団の中で、ロジーヌの目から見ればクラトレス絡みで多少の問題はあったものの、基本的には「尊敬すべき立派な小隊長」として振る舞ってきたのだから。

 ただし。

 頭では理解していても、気持ちの上では納得できないこともある。今日のロジーヌは、ダーヴィトの顔を見るだけでムカムカする、という気分だった。朝の挨拶も、視線を合わせずに口だけで「おはようございます」と告げたのだが、その際、明らかに自分の表情が歪むのをロジーヌは自覚していた。

 いや、顔だけではない。今こうして背中を見るだけでも、心の中に黒いモヤモヤが浮かんでくる。嫌な思い出も悪感情もまとめて振り払うかのように、軽く頭を振ってから、ロジーヌは正面に向き直った。

 そうやって、ちょうど彼女の視界からダーヴィトの姿が消えたタイミングで。

「ん? あれは……」

 ダーヴィトの声だ。今度は視覚ではなく聴覚から、その存在を主張してくるというのか。

 忌々しく思いながらも、彼の言葉の響きから「問題が発生した」と理解して、再びダーヴィトたちの方へ視線を向けるロジーヌ。

「ダーヴィト隊長、どうかしましたか?」

 と、彼女が質問したのと。

 ダーヴィトの隣でグレアムが叫んだのが、同時だった。

「モンスターの集団です、ダーヴィト隊長!」


 椅子に座って、監視孔を覗いたまま、グレアムが発した声。

 真っ先にそれに反応したのは、小隊の中で一番若いフェッロだった。

「ええっ? モンスター軍団?」

 叫びと共に、ガバッと立ち上がるフェッロ。ロジーヌの目には、彼の姿は威勢が良いというより、むしろ少し腰を抜かしているかのように映った。

「そうだ! ゴブリンたちが徒党を組んで、この王都にやってくる!」

 朗々とした声で端的に状況を説明しながら、グレアムも腰を上げる。こちらはフェッロとは対照的に、歴戦の騎士の風格が漂う、決然とした体の動きだった。

「迎え撃つぞ! ロジーヌ、グレアム! わしについてこい!」

 ダーヴィトも、即座に指示を飛ばす。

 二、三匹のゴブリンが森から出てきたのであれば、偵察がてらロジーヌかグレアムのみを派遣することもあるのだが、今回は、そんな状況ではない。なるべく多くの戦力で対処するべき状況だった。

「はい、ダーヴィト隊長!」

「了解です、ダーヴィト隊長」

 ロジーヌも素直に返事をする。緊迫した場面なだけに、昨夜の諍いからくる嫌悪感や日頃のクラトレス関連の不信感など、ダーヴィトに対する個人的な感情は、もはや完全に頭から消え失せていた。

「フェッロ、お前は留守番だ! 通用門も固く閉ざして、誰も出入りさせるな! わしたちが戻ってくるまで、何があっても開けるでないぞ!」

「わかりました、ダーヴィト隊長。この場は、お任せください!」

 姿勢を正して、フェッロも命令を受領する。足手まといという意味ではなく、誰か一人は屯所に残る必要がある以上、一番の若輩者であるフェッロがその役を引き受けるのは、当然の話だった。


 小門をくぐって、王都の外に飛び出した三人。

 南の外壁のすぐ外には、野生の芝地が広がっている。その一面の緑を越えると、土がむき出しになった地帯が続き、さらにその先に『南の森』と呼ばれる大森林が存在しているのだ。それらは、いつもならば、のどかな自然の風景なのだが……。

 今や『のどか』とは程遠い光景が、目の前に広がっていた。

 監視孔から様子を見ていたダーヴィトやグレアムとは異なり、問題の集団を初めて目にしたロジーヌ。彼女たちが芝地に足を踏み入れた時点で、モンスターの集団は、すでに土のエリアの半分以上まで進軍してきていた。この分では、接敵するのは、緑の芝の上――かなり王都に近いという感覚の場所――になるだろう。

「急ぐぞ!」

「はい!」

 ダーヴィトの言葉に反射的に応えてから、ロジーヌは、あらためて前方に視線を向けて、敵対する集団をよく観察する。走りながらなので、だんだん視界の中で相手の姿も大きくなっていき、少しずつ情報も増えてくるのだが……。

 グレアムの「ゴブリンたちが徒党を組んで」という言葉の通り、一見すると、敵は全て『ゴブリン』に思える。だが、どれも茶色のヒト型モンスターであり、赤い帽子を被っているという共通点まであるにもかかわらず、大きさや手にした武器はバラバラだった。身長の倍以上ある槍を掲げているモンスターや、生意気にも金属鎧を装備しているモンスターまでいた。

 厳密には『ゴブリン』というのは、ゴブリン亜種の中で最弱のモンスターに与えられた種族名であり、手にしている得物も小型のナイフと決まっている。普通の『ゴブリン』より一回り体格が大きくて、槍を持っていたり、弓矢を扱ったり、金属鎧を着込んだりしているゴブリンは、それぞれ『ランスゴブリン』、『ボウゴブリン』、『騎士ナイトゴブリン』という別種族なのだ。

 ロジーヌは、騎士学院で教わったモンスターの知識を、あらためて記憶の奥底から引っ張り出していた。今まで南門勤務で相手する野良モンスターの多くは普通のゴブリンであり、ごく稀にランスゴブリンが出てくることもあったが、騎士ナイトゴブリンを目にするのは、これが生まれて初めてだ。とりあえず、今回の集団にボウゴブリンは含まれていないようだが……。

「ロジーヌ! そろそろ射程距離ではないか?」

 ダーヴィトの言葉に、ロジーヌは黙って頷く。「はい」と言うのも惜しんで、代わりに口にしたのは、呪文の詠唱語句だった。

「アルデント・イーニェ!」

 得意の弱炎魔法カリディラだ。『炎狐えんこロジーヌ』の名に恥じぬ業火が、前方のモンスター集団に襲いかかった。


 今回のロジーヌの炎は、一匹を確実に仕留めるというより、広範囲魔法として敵全体に向けたもの。相手の数を減らすことよりも、足止めを目的とした一撃だった。

 それでも、思いっきり直撃した数匹には、『足止め』というレベルを超えたダメージを与えている。範囲を広げた分だけ威力は分散しているはずだが、モロに食らったモンスターたちは、その場で苦しそうにバタバタと悶えるだけで、もうまともに行動できなくなっていた。

 そもそもゴブリンたちは、遠距離から攻撃されることなど、想定していなかったに違いない。焼かれなかったゴブリンたちも、かなり驚いている様子だ。

 集団の一部は、早くも撤退を決意。森へ逃げ帰る素振りを見せていた。

 また何匹かのモンスターたちは、次の行動を決めあぐねているらしく、その場でオロオロと、無駄に右往左往している。

 もちろん、構わず前進を続けるモンスターたちもいた。よく見れば、火傷したゴブリンの一匹も、そんな勇敢組に含まれており、痛々しく体を引きずりながら、王都に向かってきていた。


「斬りかかれ!」

 ダーヴィトの号令に従って、剣を手にしたロジーヌたちが、ゴブリン集団に突撃していく。

「ハッ!」

 ロジーヌは気合の声と共に、愛用の魔剣『炎魔剣フレイム・デモン・ソード』を振るう。

 小型ナイフを手にしたゴブリンを一刀両断。返す刀で、金属鎧に覆われたモンスター――騎士ナイトゴブリン――に、突きを食らわせる。鎧で守られていない顔面を狙って、的確に一撃で眉間を刺し貫いていた。

 その剣を引き抜くと同時に、

「アルデント・イーニェ!」

 反対側から迫るモンスター目がけて、弱炎魔法カリディラを放つ。長い槍を手にしていたのが見えたので、剣と槍との間合いの差を考慮して、魔法攻撃を選択したのだ。

 今度は開幕の炎とは異なり、確実に一匹を狙った一撃だったので、ランスゴブリンは火だるまになっていた。自慢の武器も振るえないモンスターを、とどめとばかりに、炎魔剣フレイム・デモン・ソードで斬り伏せる。

 このように彼女は、剣と魔法を駆使して、周囲のゴブリンたちの数を減らしていった。

 戦況確認のために見回せば、モンスターだけではなく、仲間の姿も視界に入ってくる。

 グレアムはロジーヌと違って魔法は使えないが、それでもロジーヌ同様、取り囲むゴブリンたちを確実に屠っていた。

 ダーヴィトも、ロジーヌやグレアムほどの剣士ではないものの、それなりにモンスター相手に奮戦している。

 やがて。

 ロジーヌの炎にも気圧けおされずに進軍を続けていた連中と、その場で右往左往していたモンスターたちは、完全に一掃された。ロジーヌの近くに立っているのは、もはやグレアムとダーヴィトの二人だけとなっていた。


「……やれやれ、一段落ですな」

 肩で息をしながら、ホッとしたよう声で、グレアムが呟く。

 ロジーヌも同じ心境だったのだが、

「いや、まだだ」

 隊長であるダーヴィトが、大きく首を横に振ってみせた。

 彼はグレアム以上に苦しそうな顔で、ゼイゼイと息を吐きながら、南の森の方角を指し示す。

 撤退を選択したゴブリンたちの中には、まだ森に戻りきっていないものもおり、それらの後ろ姿が見えていたのだ。

 ロジーヌは、ダーヴィトの言わんとするところを理解するが、賛成しかねる気持ちもあった。

「あの連中ですか……? しかし、深追いは禁物なのでは?」

「我らの任務は、王都南門の守り。追い返しただけで十分と考えるべきでしょう」

 グレアムもロジーヌと同じ考えらしく、やはりダーヴィトに意見する。

 だがダーヴィトは、少し息を整えてから、さらに強く首を振った。

「いや……。いったん戻ったとはいえ、また出てくる可能性はある。今のうちに、少しでも減らしておくべきだ」

「たった三人で?」

 そう言ってロジーヌは、チラッとグレアムに視線を向ける。口にこそ出していないが、表情を見る限り、彼もロジーヌと同じことを言いたいようだったが……。

「そう、こちらは三人。だからこそ、この機を活かすのだ」

「ああ、なるほど。モンスターが気勢をそがれて逃げ腰の今こそ、少数でも対処できるから、追撃の好機……。そういうことですな?」

 ダーヴィトの説明で、グレアムは意見を変えたらしい。

 そんなグレアムを見て、ダーヴィトは満足そうに頷く。

「そうだ。わしたちが援軍要請している間に、ゴブリンどもが立て直す可能性もあるからな」

 ここまで言われれば、ロジーヌだって「その考えにも一理ある」と思う。それに、ダーヴィト小隊が南門担当である以上、この程度のモンスター相手に援軍を要請するなど、部隊の恥だとダーヴィトは考えているのかもしれない。

「そうですね。この近辺の野良モンスターを駆除するのも、私たちの仕事ですからね」

 ロジーヌが頷くと、ダーヴィトの顔に、うっすらと笑顔が浮かぶ。一瞬、その意味を図りかねるロジーヌだったが……。

「では、行くぞ!」

 号令と共に駆け出す隊長に続いて、ロジーヌとグレアムも、南の森へと向かうのだった。

   

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