第十六話 彼らの思惑

   

 ゲルエイ・ドゥという黒衣の女が、昨夜ピペタ・ピペトに声をかけた占い師だったと確認できたり。

 あるいは逆に、坊主頭のメンチンが、昨夜ピペタ・ピペトと戦った遊び人だったとは確認できなかったり。

 所詮それらは些細なことであり、ローラ小隊の四人が二人に近づいた理由のメインは「クーメタリオ霊園公園の芝生広場で占い屋を開いているのか?」という点だった。だから目的は済んだということで、

「では、私たちはおいとましましょう。二人の時間を邪魔したみたいで、悪かったですわね」

 ローラ・クリスプス率いる騎士たちは、その場から去っていく。

「いえいえ、とんでもございません。これも騎士様のお仕事だと理解しております」

「本当に、いつも見回りご苦労様です」

 軽く頭を下げる、ゲルエイとメンチン。

 ローラ小隊の四人が立ち去って、再び巡回コースを歩き始めるまで、二人は黙って彼らの背中を見送っていた。


 四人の姿が完全に見えなくなってから。

 ゲルエイは、少し顔をしかめて、メンチンに告げる。

「こっそり遠くから様子を見よう……。あんたが言い出したことだったけど、どうやら失敗だったようだねえ」

「失敗……? それならゲルエイ、お前のせいだろうさ。こんなところにまで、水晶玉なんか持ってくるもんだから……」

 メンチンは苦笑しながら、軽く彼女を責めるような言葉を口にした。本気で非難している口ぶりではないはずだが、それでもゲルエイは、不満げな顔をしている。

 彼女の態度を見て、メンチンは肩をすくめた。

「まあ、いいさ。どうせ水晶玉なんかなくても、昨夜のことがあったからな。あのピペタってやつには、俺たちのこと、気づかれてただろうさ」

「『昨夜のこと』っていうのは、いつもの格好のまま、あたしが声をかけたことかい? それとも、あんたが裏仕事モードで、あの騎士と戦ったことかい?」

 ここで前者だと言えば、ますますゲルエイに責任転嫁する形になってしまうが……。実際メンチンとしては、いつも同じ姿の――魔法使いっぽい帽子と黒ローブの――ゲルエイを、迂闊だと思う気持ちもあった。彼自身のように、少しでも『裏』に関わる場合は、変装するべきだと思う。だが、今はそれを言うべき時ではないだろう。

「ああ、うん。両方だな。あのピペタには、俺の偽装カモフラージュも通じなかったようだし……」

 最初に『両方』と言ったのは、適当に誤魔化すつもりの言葉に過ぎなかった。だがこうして口にするうちに、メンチンは、本心からそう思い始める。だから、

「まあ、あれくらいの剣士ともなれば、外見よりも気配とか殺気とか、そういうもんで判断してるだろうしなあ」

 と、素直な意見を続けた。

「珍しいねえ。あんたが、そんなこと言うなんて……。それほどの相手かい?」

「いや俺だって、本気で戦えば負ける気はしないさ。でもまあ、ピペタの方でも、昨日は本気じゃなかったしなあ。ギリギリ本気じゃない程度で、本気っぽい殺気だけ見せる……。そんな器用な芸当を、あの野郎は披露してくれたんだぜ」

「なるほどねえ」

 メンチンの気持ちを想像して、ニヤリと笑うゲルエイ。

 基本的にゲルエイは、役人とか警吏とかを毛嫌いしているし、どちらかと言えばメンチンも同じ傾向のはず、と思っている。だがピペタについて語るメンチンの口調からは、好意的な雰囲気が感じられるのだった。

 そもそも。

 ゲルエイに対して「二人で直接ピペタって騎士について見定めよう」と言い出したのはメンチンの方だ。その結果、こうして、わざわざピペタの見回りルートにまで出張でばってきたわけだから……。もうその時点で「かなりメンチンがピペタのことを買っている」と気づくべきだった。

 昨夜の邂逅は――拳と剣とを交えたことは――、それだけ強く、彼の心に残ったのだろう。

「まあ、あたしの印象でも……。ありゃあシロだね。少なくとも、例の一味ではないだろうさ」

「そりゃそうだろう。昨日のピペタは、強盗の仲間を助けるような行動をとったが……。本来あいつの立ち位置は、強盗一味であることが濃厚な騎士の、その部下である女騎士の、そのまた友人ってところだからな」

 そう。

 昨日の出来事があるまで、二人は、特にピペタという騎士の存在を意識していたわけではなかった。

 標的だった強盗の仲間らしき騎士、ダーヴィト・バウムガルト。その部下である――戦力的には重要な手駒になり得る――女騎士、ロジーヌ・アルベルト。この辺りまでは『関係者』という認識で調査対象だったが、ロジーヌの友人であるピペタまで「仲間かもしれない」とは、さすがに思っていなかったのだ。

 ところが昨夜、メンチンからラピナムを救い出すような動きを見せた騎士が、そのピペタだった。ラピナムの正体を知らずに、ただ単に警吏として振る舞っただけなのか。あるいは、実はピペタも、連中の仲間だったのか。

 後者の可能性は限りなく低いとしても、もしもピペタまで一派に加わっているのだとしたら、ピペタとダーヴィトを繋ぐロジーヌも仲間ということに確定するだろう。そんな考えから、今日の午前中、急遽ピペタについても調査を始めて……。

 午後には「二人でピペタという男を見極めよう」ということで、この植物園で待ち構えていたのだった。

「あたしたちの最初の見立て通り、仮にダーヴィトって警吏まではクロだとしても、やっぱり女騎士から先はシロみたいだねえ」

「まあ、そうだろうな。ここまでの調べでは、むしろ女騎士は、ダーヴィトってやつとは対立しそうな感じだし……」

 メンチンとゲルエイが集めた情報の中には、ロジーヌが騎士団内でダーヴィトのことを悪く言って回っている、という噂も含まれていた。

 あくまでも噂は噂に過ぎないし、うがった見方をするならば「共犯関係を隠すために仲が悪いさまを装っている」という可能性だって考えられる。だが、メンチンもゲルエイも「その可能性は極めて低いだろう」と考えていた。

「……場合によっちゃあ『敵の敵は味方』ってことも起こり得るかもな」

「さっきのピペタってやつも含めてかい?」

「ああ、そうだ。ほら、噂ん中には『ピペタはロジーヌにホの字らしい』っていうのもあっただろ? だからロジーヌがダーヴィトに反旗を翻したら、当然ピペタも、そっちにつくだろうさ」

 白い歯を見せて、ニッと笑うメンチン。

 ゲルエイも、彼に合わせて、黙って笑顔を浮かべてみせたが……。

 内心では「騎士たちを『敵の敵は味方』と見做すのは、さすがに楽観的すぎる」と思うのだった。


――――――――――――


 夕方。

 王都守護騎士団の詰所から続く、南の大通りまで出たところで。

「さて、皆さん。今日は、これで解散としましょうか」

 小隊長であるローラが、振り返りながら、後ろを歩く三人に向かって宣言した。

「はい、お疲れ様でした!」

「……お疲れ様でした!」

 双子の兄弟――カストーレ・ジェモーとエディポール・ジェモー――が、わずかにタイミングの違う同じ言葉を残して、騎士寮へと帰っていく。

 彼らの騎士寮と、ローラのクリスプス伯爵家と、ピペタのピペト家は、この場所からだと、それぞれ別々の方角になっていた。

「では、私も……」

 軽く頭を下げてから、ピペタも帰宅のために、きびすを返して歩き出す。だが数歩も進まないうちに、

「あっ! ちょっと待って、ピペタさん」

「……?」

 ローラに声をかけられて、首だけで振り返った。

 見れば、ローラは彼の方へ手を伸ばしている。空中に浮かぶ何かを掴むかのような、あるいは、届かぬ人に向けているかのような、とにかく仰々しい格好だ。

 細かい意図はわからずとも、少なくとも「彼女は身振り手振りまでつけて呼び止めている」ということだけは理解して、ピペタは全身でローラに向き直った。

「何でしょうか、ローラ隊長?」

「えーっと……」

 言い淀んだローラは、少しモジモジと身をくねらせてから、自分に気合いを入れるかのように姿勢を正して、ピペタに告げる。

「ピペタさん、明日は剣術大会の二回戦・三回戦ですわね?」

「ああ、そのことですか。迷惑をかけて申し訳ない」

 ピペタが大会出場のために仕事を休むので、同じ隊の三人も通常勤務とは異なり、予備員として詰所待機となる。それに関する一言なのか、と思ってピペタは頭を下げた。

 だが、そうではなかったらしい。ローラは大袈裟に手をバタバタさせながら、全身で否定してみせる。首と一緒に、金色の巻き毛も揺れる勢いだ。

「あら、違いますわ! 私たちのことは構いませんから……。とにかく、明日は頑張ってくださいね!」

 キラキラした碧眼に、いっそうの輝きを込めて、ピペタを見つめるローラ。一瞬ドキッとしたピペタは、半ば照れ隠しで、突き放した言葉を口にしてしまう。

「はあ。もちろん試合は頑張りますが……。でも、それが何か? わざわざ、帰り際に……」

「何か、ってほどでもないですけれど……」

 ちょっと困ったような顔をしてから、ローラは、取り繕うかのように続ける。

「ほら、ピペタさんの戦績は、小隊の名誉にもなりますから! ピペタさんが勝ち進めば勝ち進むだけ、小隊長である私も鼻高々ですわ!」

 取って付けたようなローラの言葉を聞きながら。

 ピペタは自分でも「照れ隠しとはいえ、少し意地悪だったかもしれない」と思う。

 小隊の評判とか小隊長として誇らしいとか、口では言っているが……。本心ではローラは、純粋に応援してくれているのだろう。

 ローラの好意的な態度は、一応はピペタにも伝わっている。自分が異性として好意を持たれているとまでは思わないが、少なくとも、良い部下だと思われているという程度は、ピペタも理解していた。

 だから。

「わかりました、ローラ隊長。ありがとうございます。ローラ隊長の期待を裏切らないためにも、行けるところまでは勝ち進んでみせますよ」

 と、言ってから。

 先ほどの『意地悪』を詫びる意味で、もう一言、付け加えることにした。

「こうやってローラ隊長に応援されると、力がみなぎってくる気がします。ひょっとしたら、あなたの声援のおかげで、今年は優勝できるかもしれません」

 だが、今度は逆の意味で言い過ぎた。ここまでくると完全に社交辞令であり、ピペタは「歯が浮くような台詞だ」とさえ思ってしまう。自分で聞いていて恥ずかしいのだが、相手はどう思うのだろうか……。

 もうピペタは、ローラを直視することも出来ずに、

「では、これで!」

 慌てて身を翻して、駆け足気味に去っていく。

「ピペタさん……」

 ローラは少し瞳を潤ませて、小声で名前を呟く。しばらく彼女は、その場に立ちすくんでいたのだが……。

 ピペタは本当に『慌てて身を翻した』ために、そんな彼女の表情を目にすることはなかった。


――――――――――――


「ああ、もう! あんな発言、私には似合わぬではないか!」

 しばらく歩いても、まだ気恥ずかしさが残っているピペタ。独り言を口にするのはピペタの癖だが、それも今は、いつもより大声になっていた。

 頬に当たる夕方の風は心地良いが、逆にいえば、それだけ顔が火照っている証なのだろう。自分が発した恥ずかしい台詞で顔を赤くするなんて、それこそ、きまりが悪い。十代や二十代の若者ならばともかく、ピペタは三十代の大人なのだから。

「そうだ、ロジーヌ殿も言っていたではないか……」

 ふと、昨夜の別れ際の発言を思い出す。「同じ三十代ではあっても同じ三十歳ではない」とか「私がピペタ殿に追いつくことはない」とか……。その真意はわかりづらいが、文字通りの意味だとしたら、単純に「ピペタの方が大人だ」と言いたかったに違いない。

 ロジーヌの昨夜のドレス姿も脳裏に浮かぶが、ピペタは軽く首を振って、そのイメージをかき消した。

「明日は剣術試合。またロジーヌ殿と顔を合わせるのだから……」

 頭の中の光景が王城アルチスの中庭に変わり、脳内ロジーヌの姿も騎士鎧に変わったタイミングで。

「あっ! ピペタ・ピペトだ!」

 彼の名前を叫ぶ声が、ピペタの耳に入ってきた。

 反対側から走ってくる、若い騎士だ。よほど急いでいるのか、肩で息をしている。ピペタの知り合いではないようだが……。

「申し訳ない、ピペタ殿!」

 若騎士はピペタの前で立ち止まり、まずは呼び捨てに関して誤った。膝に手をついて、ゼイゼイと息苦しそうにしているが、体の具合が悪いというより、限界を超えて走ってきたという感じだった。

「どうしたのだ? 私に急用でも……?」

「いや、それは……」

 若い騎士は息を切らしながら、下を向いたまま、途切れ途切れに言葉を続ける。

「騎士団本部か、詰所まで……。応援を頼みに行くところでしたが……。あなたに会えたのは、運が良かった……」

 彼は顔を上げて、

「申し遅れました。私はダーヴィト小隊のフェッロ。南門屯所に詰めている者です」

 と、ようやく呼吸が整った口ぶりで名乗った。

「南門屯所? というと、ロジーヌ殿の……」

「そうです!」

 ロジーヌの名前に反応して、若騎士フェッロはピペタの肩をガシッと掴む。

「ピペタ殿のことも、彼女から聞きました! あの『炎狐えんこロジーヌ』に勝るとも劣らぬ腕前だとか! そのピペタ殿にお願いです! 救援をお願いします!」

「救援……?」

「森からモンスターの大群が……! それで南門から打って出て……! でも森まで追い返したものの、ゴブリンどもに囲まれて、撤退を余儀なくされて……」

 フェッロの言葉遣いが、また少しおかしくなったようだが……。そんなことに構っていられる場合ではなかった。

「今はロジーヌさんが、一人で殿しんがりを引き受けており……」

「それを早く言え!」

 まるで怒号のように、大きく叫ぶピペタ。

 最後まで話を聞いている余裕もなく、フェッロの手を振りほどいて、ピペタは走り出した。

 南の森からゴブリンの大群。ロジーヌが一人で相手をしている……。それだけ状況が把握できれば、もう十分。何よりも、ロジーヌの危機だという焦燥感に駆られて、ピペタの体は勝手に動いていた。

「お願いします、ピペタ殿! 僕は今から、騎士団本部と詰所へ行って、援軍を要請します!」

 まだ詰所待機の予備員が少しは残っているかもしれないとか、逆に仕事帰りに詰所に立ち寄る騎士がいるかもしれないとか。色々とフェッロが、まくし立てているが……。

 走り出したピペタには、声は聞こえているものの、もう頭には入って来ていなかった。今のピペタは、ロジーヌの心配で、心がいっぱいになっていたのだ。


――――――――――――


 往来の真ん中で騒ぐ二人の騎士の姿は、夕暮れ時の街中まちなかでは、かなり目立つ。通りを歩く人々は「何だろう?」という好奇の視線を向けていたし、モンスターの襲撃という言葉まで聞き取った者たちは、ざわざわと騒ぎ始めていた。

 そんな野次馬たちの中には……。

「あのピペタって警吏、例の女騎士のところへ向かったようだねえ」

「ピペタとロジーヌだけじゃないぞ。南門の辺りで騒動だっていうなら、それこそダーヴィトってやつも、おんなじ場所にいるはずだ」

 曲がり角の店の軒下で、建物の陰に隠れるようにして様子をうかがう、一組の男女の姿もあった。黒と白の飾りの入ったオレンジ色の半袖服の男と、とんがり帽子からローブまで黒一色の女……。つまり、メンチンとゲルエイだ。

「ちょうどいいじゃないか。ピペタの件がなければ、本当は今日だって、ロジーヌやダーヴィトの様子を見に行くつもりだったんだろう?」

「ああ、そうだ。今からでも遅くはない。ピペタまで加わってくれるなら、奴らの関係を観察するには、絶好のチャンスってもんだ。俺たちも行くぞ!」

 そっと二人は、その場を離れて。

 ピペタを追うようにして、南門へと向かうのだった。

   

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