第十四話 花と緑の公園で(後編)
花壇の間に敷かれた石畳の上を、順路通りに歩いていくローラ小隊。小隊長であるローラ・クリスプスが先頭を進み、ほとんど隣とも言えるくらいの斜め後ろにピペタ・ピペト、少し遅れて双子の兄弟――カストーレ・ジェモーとエディポール・ジェモー――という布陣になっていた。
これも街の見回りの一環なので、四人は、キョロキョロと周囲に目を配っているのだが……。特に人もいない場所でも視線を動かすローラの様子に、ふとピペタは「彼女は、ここを訪れている人々というよりも、ここに咲いている花々を眺めているのではないか?」と感じてしまう。そして「これでは巡回というより、植物園を散策しているようなものではないか」とも。
花の美しさを楽しんでいるようにも見えるローラから視線を外し、ピペタは少し、物思いに耽る。先ほどまでの会話――ローラの言葉で打ち切られた話題――について、あらためて考えてしまうのだった。
一昨日に発見された
双子のどちらかが「心臓を抜き取って殺すなんて、とても人間業とは思えない」という言葉を発していた。その『とても人間業とは思えない』という発想から、双子の会話は、野良モンスターの可能性に繋がっていったのだが……。
今頃になって、ピペタは気づいたのだ。ちょうど昨夜、自分は『とても人間業とは思えない』ような力の持ち主と戦っているではないか、と。
朱色の縁取りがある暗色の着物に身を包んだ、長い黒髪の遊び人。特に武器も持たずに、厚手の
あの時は、早く屋敷に帰ろうという意識で――ロジーヌ・アルベルトの誕生日パーティーのことで――頭がいっぱいだったせいか、気づかなかったが……。
今にして思えば。
あの男の徒手空拳ならば『心臓を抜き取って殺す』なんて真似も、可能なのではないだろうか?
しかも。
ピペタが問題の遊び人と出くわした場所は、押し込み強盗で潰れた商家の裏手であり、ちょうど惨殺死体が発見された近辺だったのだ。
「これは……。偶然とは思えんな」
考えをまとめるかのように、小さく呟くピペタ。
無意識の小声ではあったが、すぐ近くにいた者の耳には届いてしまう。
「ピペタさん、何か言いまして?」
「いや、何でもありません。ただの独り言です、ローラ隊長」
「あら、そう」
それ以上は聞こうともせず、あっさり流すローラ。昨日や今日の付き合いではないから、考え事を口にするのがピペタの癖であることも、とっくに承知しているのだ。
ピペタとしても、あまり詳しく追求されたくはない話だった。
王都守護騎士としては本来、街で怪人物に遭遇したならば、報告する義務がある。だがピペタは、それを怠っていた。今の今まで、惨殺死体の一件と結びつけて考えてはおらず、たいした話だとは思っていなかったからなのだが……。だからこそ、今さら持ち出すのは、少しバツが悪い気がする。
それに、一昨日の怪死体の話は、ちょうど少し前に終わったばかりではないか。それも、ローラ隊長の一喝によって。だから、少なくともこの植物園にいる間は、避けておいた方が良い話題なのだろう。
ピペタは、そう判断するのだった。
赤紫色の花壇の次は、黄色い花が群生する区域を抜けて……。
いつも通りの巡回コースを辿る四人は今、芝生広場と呼ばれる場所を歩いていた。遠くに見える大木で囲まれた区画であり、一面の緑が広がっているエリアだ。
「やはり今日は、ここも人の数が多いですね」
「まあ芝生広場は、今日ほど天気が良くない日でも、この公園で最も人が集まる場所ですからねえ」
芝生でくつろぐ人々を眺めながら、当たり障りのない感想を口にするジェモー兄弟。
二人の言葉に釣られるようにして、あらためてピペタも、ぐるりと広場を見回した。
追いかけっこをしている子供たちがいたり、ひなたぼっこをしている大人たちがいたり……。体を動かしている者よりも、のんびりと座っている者たちの方が多い印象だ。
家族連れだけでなく、カップルの姿も見受けられるのだが、そのうちの一組が、ピペタの注意を引いた。
「おや? あれは……」
「ピペタさん、どうしましたの? 何か、気になることがありまして?」
ローラの尋ね方も、先ほどとは違う。ピペタの声の調子から、単なる独り言――つい考え事が口に出たという感じ――とは違うのだと、ローラにもわかったらしい。
ならば、きちんと答えなければなるまい。変に誤魔化したりせずに、ピペタは正直に答えることにした。
「あそこに座っている二人組に、見覚えがあるのです。特に女性の方は、昨晩、私に声をかけてきた者のようで……」
ピペタが指差したのは、芝生にレジャーシートを敷いて休んでいる男女のカップルだった。
男の方は、頭を丸坊主にしているが、別にスポーツ少年というわけではない。明らかに三十代くらいだ。一方、彼と一緒にいるのは、まだ二十歳くらいに見える少女。髪は左右で三つ編みにして、顔立ちも丸っこいから、余計に若く感じるのかもしれないが……。
着ているものは、ぽかぽか陽気の昼間の公園には似つかわしくない、黒一色。勇者伝説に出てくる魔法使いを思わせるような、つばの広いとんがり帽子と、ゆったりとした黒ローブの組み合わせ。
昨日のような暗い場所では見えにくい部分もあったが、それでも服装や大まかな特徴が一致するから間違いない。今ピペタの視線の先にいるのは、あの時ピペタを――争いの気配を察知したピペタを――呼び止めた、あの女占い師だった。
「まあ!」
大袈裟なくらいに、ローラが大声を上げる。
「ピペタさん、夜の街で、若い女に声をかけられたのですか? それって、いわゆるナンパというやつですの? それとも、夜の商売? どちらにせよ、許せませんわ!」
ピペタを許せないのか、それとも、女の方を許せないのか。この言い方では少し微妙だ。内心でピペタが苦笑していると、
「でも、そういう商売女の格好とは違いますよね」
「それに、恋人がいるみたいですから、ナンパってこともないのでは」
ローラの言葉を否定する方向性で、横から双子が口を挟む。
年が離れすぎているようにも見えるから、今一緒にいるのが本当に『恋人』なのか、それは定かではないが……。とりあえずピペタは、ジェモー兄弟の言葉に乗っておく。
「どちらでもありません、ローラ隊長。私を呼び止めたのは、占い屋としての客引きだったようで……。顔に水難の相が出ているとか、だから占わせてくれとか、そのようなことを言われたのです」
「あら、占い?」
激しい剣幕だったローラが、あからさまにトーンダウン。ころっと表情を変えて、美しい碧眼に好奇の色を携えて、あらためてピペタに尋ねる。
「それでピペタさんは、占ってもらいましたの? 実際に『水難』に出くわしましたの?」
「どちらも返事は『いいえ』ですな」
どこまで詳しく話そうか。一瞬だけ悩んでから、ピペタは言葉を続ける。
「その時ちょうど、近くでゴロツキが喧嘩をしていましてね。その仲裁に向かうところでしたから、占いの余裕なんて、とてもとても……」
「あら、喧嘩!」
「いや『喧嘩』といっても、わざわざ報告するほどの、大きな揉め事でもなかったようです。私が割って入ったら、それで争いは収まりましたから」
結局、この程度の説明に
相手が異常な力の持ち主だったのは事実だとしても、それを惨殺死体の一件と結びつけて考えたのは、あくまでもピペタの推測に過ぎない。根拠の乏しい噂話と同レベルだ。だから今の段階では、あえて口にする必要もないだろう。
ピペタは、そう判断したのだった。
「あと『水難』に関しては、まだ昨日の今日ですからなあ。本当に水の災いが降りかかるとしても、もう少し先の話かもしれません」
こちらに関しては、自分でも「違うだろう」と思いながら、適当に誤魔化すピペタ。
昨夜は「やめた方がいいですよ、そっちに行くのは」とも言われたわけだから、占い師の口ぶりでは、あの時あの場所で『水難』に見舞われるという感じだった。その意味では、彼女の占いは既に外れている、ということになる。
ただし『水難』ではなく『災難』という意味では、怪人物と戦って危うく剣を折られそうになったことが、それに相当するのかもしれないが……。
「でしたら、今日一日くらいは、水辺に近づかない方がいいですわね」
ローラは冗談半分といった表情で、一応はピペタを心配するような言葉を口にする。
彼女以上の笑い顔で、双子もローラに続いた。
「この公園にも、池とか噴水とかありますからねえ」
「ピペタさんに何かあったら大変です。僕たちが、水から守りましょう」
この話は、これで終わりかと思いきや。
「ところで、あの二人って……。本当に恋人同士なんですかね?」
双子の片割れであるカストーレが――右の肩当てにオレンジ色の装飾がある方が――、問題の占い師に視線を向けながら、新たな疑問を持ち出した。
珍しく双子の以心伝心が上手くいかなかったとみえて、エディポールが質問する。
「ん? カストーレ、いったい何が言いたい?」
「だって、ほら。よく見ると、そういう関係にしては、男女の間で年齢差があり過ぎないか?」
それはピペタも感じていることだが……。
ピペタが何か言うよりも早く、ローラが顔をしかめて、非難の言葉を口にした。
「そういうのは、あまり詮索するものではありませんわ。私たちが立ち入るべきではない、個人のプライベートです」
なるほど、それもそうだ。もしも年の差カップルが、それを理由に
そう考えてピペタは、大袈裟に頷いてみせる。
「全く、ローラ隊長の言う通りですな。私たちの職務は……」
「ほらごらんなさい、ピペタさんも私と同じ意見ですわ。ねえピペタさん、あれくらいならば、恋人同士にしても適度な年齢差ですわよね? 二十代と三十代に見えますから、ちょうど私とピペタさんくらいでしょうし……」
言葉が尻すぼみになるローラ。妙にソワソワと体を動かしているのは、自分の言葉に照れているのだろう。目の前の『恋人同士』らしき二人組の話をする上で、いくら年齢的に当てはまるとはいえ、自分たちを例に出すのは……。さすがにローラでも恥ずかしくなったのではないか。そうピペタは解釈した。
そもそもピペタがローラに賛同したのは、二人の年齢差が適度だと思ったからではないのだが……。微妙に自分の意見をねじ曲げられた気がするが、別に重要な話ではないと判断して、あえてピペタは訂正しなかった。
「まあ確かに、二人の言う通り、親子にしては年が近すぎるから、その意味では恋人関係って見た方が理に
と言いかけてから、エディポールはカストーレに向き直る。
「ああ、そうだ。親子でも恋人でもなく、兄妹って可能性もあるな。年齢的には、それが最も相応しいかも。カストーレも、そう言いたかったんだな?」
ようやく兄弟で意見が一致したらしい。そう言いたげなエディポール。
だがカストーレは、残念そうに苦笑いしながら、首を横に振った。
「違うよ、エディポール。それにローラ隊長もピペタさんも、僕の言いたいことが全くわかってない! 別に親子であれ兄妹であれ恋人であれ、それなら僕ら王都守護騎士には、関係ないじゃないですか!」
「あら? カストーレは、あくまでも王都守護騎士として、何か言いたいことがあるのかしら?」
「そうですよ、ローラ隊長。僕が言いたかったのは……。あの二人、占い屋とその客なんじゃないか、ってことです。つまり、芝生でピクニックしてるわけじゃなくて……。ここクーメタリオ霊園公園の中で、無許可営業してるんじゃないか、ってことです」
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