第十三話 花と緑の公園で(前編)

   

 ささやかな晩餐会――剣術試合一回戦の祝勝会とロジーヌ・アルベルトの誕生日会を兼ねたゆうべ――の翌日。

 穏やかな陽の光に照らされて、眠気を誘うくらいにポカポカとした陽気の中。

 ピペタ・ピペトは、ローラ小隊の仲間と共に、赤紫色が咲き乱れる花壇の間を歩いていた。


 ここは王都の南側の一画、クーメタリオ霊園公園。元々は、殉職した近衛騎士や王都守護騎士が葬られるための墓地であり、現在でも、その用途は残っているのだが……。

 死者に手向けるという意味で、四季折々の、色とりどりの花々が植えられた庭園。墓地を囲むように、それらがいくつも設置された頃から、ここは『霊園』というより『公園』という意味合いが強くなってしまった。

 王都の人々の間では、今や『クーメタリオ霊園公園』という正式名称よりも『南の植物園』という通称の方が浸透しており、花や緑に囲まれて憩いの一時ひとときを過ごす者たちの姿が、数多く見られる場所となっていた。

 そして。

 訪れる人の数が増えればトラブルも起こり得るということで、当然この『南の植物園』も、王都守護騎士団の巡回コースに含まれている。現在ここを担当するのは、ピペタの所属するローラ小隊となっていた。


「こういう天気の良い日は、いつもより人の数も多いですね」

「日光が必須な植物と一緒に、陽だまりの温かさを感じる……。おしゃれな感じもするのでしょうね」

 双子の兄弟――カストーレ・ジェモーとエディポール・ジェモー――が、そんな言葉を口にしたように。

 ピペタの目にも、確かに今日は、来園者が多いように映った。

 例えば、ちょうど彼らの進む先でも、一組の親子が自然を楽しんでいる真っ最中だ。

 母親に手を引かれた幼女が、赤紫の花に顔を近づけて、その香りを小さな胸いっぱいに吸い込んでいる。優しい笑顔で娘を見守っていた母親の方は、王都守護騎士の小隊が近づくのに気づいて、娘と手を繋いだまま「見回りご苦労様です」という態度で会釈してきた。

 それに呼応するかのように、

「ごきげんよう」

 小隊長であるローラ・クリスプスが、軽く声をかける。

 いちいち街の者に――見ず知らずの他人に――挨拶していてはキリがない、とピペタは思う。だが、これがローラのスタイルだった。おそらく、伯爵貴族の令嬢という育ちの良さが反映されているのだろう。勝手にピペタは、そう理解していた。

「あっ、騎士さま! いつも、ごくろうさまです!」

 声をかけられたことで娘の方も、すれ違う騎士小隊に気が付いて、挨拶を口にする。花をでるのを中断して、ピシッと姿勢を正した幼女の姿は――その年相応の口調も合わせると――、まるで『騎士ごっこ』をして遊ぶ子供のようにも見えて、何だか微笑ましい。

「あら、邪魔しちゃったわね。お花さんと遊ぶの、どうぞ続けてくださいな」

「はい、騎士さま!」

 ローラに一礼してから、花に向き直る幼女。

 幼女を見つめるローラの碧眼に、母親と同じ慈愛の輝きを感じて、ふとピペタは呟く。

「平和ですなあ」


 花壇の間の石畳を歩いて、もう声も届かないくらい親子から離れたところで。

「見回りの僕たちには毎日同じ花だとしても、遊びに来ている街の人々にとっては違うのですよね」

「いくら『南の植物園』が手頃な遊び場とはいえ、そう頻繁に通うわけじゃないでしょうし」

 カストーレとエディポールの発言。おそらく、あの親子を見て感じたことなのだろう。

 相変わらず顔も意見も同じ二人であり、いつものようにピペタは、騎士鎧の肩当ての装飾だけで双子を区別している。例えば今の発言に関しては、先に述べた方が、右肩にオレンジ色が入っているのでカストーレ・ジェモー、後から補足した方が、左肩に青色を施しているのでエディポール・ジェモー。そういう見分け方だ。

「そうだな。私たちにとっては、昨日も通った赤紫の花壇ということになるが……」

 と、ジェモー兄弟に賛同するような言葉をピペタは口にしたのだが、最後まで言い切ることは出来なかった。

「あら? あなたたちには、今日の花と昨日の花が同じに見えるのかしら?」

 そばかすが特徴的な顔に、いたずらっぽい笑みを浮かべて、ローラはピペタに視線を向ける。

「特にピペタさん。一流の剣士であるあなたは、観察眼も鋭いはず。そう私は思っていたのだけれど……。こういう分野は、少し勝手が違うのかしら?」

 フフッという小さな笑い声を挟んでから、ローラは花壇の一部を指差した。

「ほら、見て! 明らかに、昨日までとは違うでしょう?」

 ローラの示した先に、男たちの視線が集中する。

 確かに、よくよく見れば。

 赤紫色の花が咲き誇る中に、ポツリポツリと、白色や薄桃色が見て取れる。ローラの言う通り、昨日までは咲いていなかった種類の花々だろう。

「おお、さすがはローラ隊長。よく気が付きましたな!」

「あら、ピペタさん。そんな大袈裟な……」

 褒められて照れたらしく、少し身をくねらせるローラ。

 若い女性のこうした仕草は、ピペタには可愛らしく見える。あらためて「王都守護騎士団の小隊長とはいえ、やはり女性なのだな」と思いながら……。

 同時にピペタは「ローラ隊長だけではない。ロジーヌ殿でさえ、女性らしい一面があったではないか」と、昨夜のロジーヌの姿を思い出していた。目の前にいるのは騎士鎧を着込んだローラなのだが、頭の中では、ドレス姿のロジーヌを思い浮かべていたのだ。プレゼントした赤い石がよく映える、あの薄桃色のドレスを着たロジーヌ……。

 そんな幻をかき消すかのように、

「ところでピペタさん、知っていまして? こちらの白い方の花は、南の森から移植された植物だそうですわ」

 ローラの言葉が、ピペタを現実に引き戻した。

 今の今までロジーヌを想っていたことなど、おくびにも出さずに、ピペタはローラに対応する。

「ほう、南の森ですか。この植物園には、野外や他の都市からの草花も、かなりあるのでしょうなあ」

 もちろん、特に意味もなく、適当な言葉を口にしただけだ。

 一方、ジェモー兄弟はピペタとは異なり、王都守護騎士らしい観点から『南の森』という言葉に反応を示していた。

「南の森といえば、少し前に、妙な噂もありましたね」

「そうそう。野良モンスターの集団が森から出てきそうだ、という話が」


 南の森。

 王都の南門を出て、しばらく歩いた辺りにある緑の一画だ。ちょっとした村くらいの規模があり、王都近辺で一番の大森林となっている。

 豊かな自然を堪能できるということで、王都の人々の散策スポットにもなっているのだが……。『散策スポット』として使われるのは、あくまでも浅い部分だけ。森の奥深くには、危険な野生動物や野良モンスターがいると言われており、そこまで迂闊に立ち入る者は一人もいない。

 ケモノやモンスターの側でも、人々の前に顔を出せば狩られるとわかっているらしく、大森林の外周区域まで来ることは滅多になかった。南の森は、そのように住み分けされていたのだ。

 人々が足を踏み入れる区域まで、もしも野生動物や野良モンスターが来てしまった場合には、それこそ王都守護騎士団の出番だ。王都の人々を脅かす危険な存在ということで、抹殺の対象となるのだった。


「ああ、例のゴブリンの噂か」

 ピペタが、双子の言葉に頷いたように。

 少し前に何度か、森へ遊びに行った人々から「南の森でゴブリンらしき集団の影を見た」という報告があった。一匹や二匹の野良モンスターではなく『集団』というところが問題視されて、特別に編成された部隊が森の奥まで探索に出かけたのだが、何も発見できなかったらしい。

「その話でしたら……。王城の行政府では『もう一度、討伐隊を差し向けるべきではないか』という話も出ていたそうですわ」

 少し顔をしかめながら、ちょっとした情報を披露するローラ。伯爵家の屋敷を訪れる客の中には行政府の役人も多く、その縁で彼女は、普通の王都守護騎士では知り得ない話も耳にしているようだった。

 確かに、一度の捜索で何も出てこなかったからといって、それで「いない」と証明されたわけではない。もしも、本当に森の奥で徒党を組んでいるゴブリンたちがいるとして、それらが南の森を出て王都に襲いかかって来ることがあれば……。当然、最初に迎え撃つのは、南門屯所に詰めているロジーヌたちの部隊になるはずだ。

 ピペタは、再びロジーヌのことを思い浮かべてしまう。そんなピペタの横では、カストーレとエディポールが、ローラの発言に対して真面目に返していた。

「こんな時期に?」

「今は剣術大会で、ただでさえ人手が足りないというのに?」

 一昨日のローラ小隊のように、剣術大会の出場者がいる部隊は、その日は「非番の者がいる」という扱いで、街には出ずに詰所待機となっている。ローラ小隊の受け持ち区域の見回りも、他の小隊が兼任してくれる形だ。

 実際、剣術大会の時期には毎年、王都の警備が手薄になると思われて、街の犯罪者たちの動きが活発になるくらいであって……。

 ピペタも双子の意見に賛同したかったが、ローラは首を横に振ってみせた。

「こんな時期だからこそ、よ。もしも今、野良モンスターの集団に王都を襲われたりしたら、大変でしょう?」

「言われてみれば……。特に剣術大会決勝戦の日には、無法者であれモンスターであれ、王都で問題を起こして欲しくはないですからな」

 ローラの言葉に、頷いてみせるピペタ。別に追従おべっかのつもりではなく、本心から「言われてみれば尤もだ」と考え直したのだ。

 決勝戦に進む可能性があるからこそ、ピペタは、当日が安泰であることを願うのかもしれないが……。それだけではなく、出場者であるが故に、他の者たち以上に「決勝戦だけは警備の点から見ても特別」と理解していた。

 王城アルチスの中庭で行われる剣術大会。その中庭に面した『白王宮』は、王城のメインとなる王宮の一つではあるが、別に最深部に位置する建物というわけでもないし、王様が寝泊まりしている場所というわけでもない。

 しかし剣術大会の決勝戦は、いわば御前試合であり、その日だけは王様も『白王宮』までやってくる。ピペタのような一介のヒラ騎士でも御尊顔を拝めるくらいに、王様が、最も一般人に近い場所まで出てきてしまう一日なのだ。

 もちろん、街の犯罪者であれ外からの野良モンスターであれ、仮想敵が王城まで攻め込むことはあり得ないだろうが……。ピペタとしては、それでも「王様が一般人に近い場所まで出てきてしまう一日」である以上、何も起こらないに越したことはないと思うのだった。


「確かにピペタさんの言う通り、モンスターだけではなく、街には無法者もいるわけですからねえ……」

 ピペタの『無法者であれモンスターであれ』という言葉に思うところがあるらしく、双子の片割れであるカストーレが、しみじみと意味ありげな口調で呟いた。

 すると、まるで彼の考えを解説するかのように、エディポールが言葉を足す。

「ああ、そうか。最近は押し込み強盗が多発したり、一昨日の惨殺死体の件があったり……」

「そうそう! 何かと物騒だから、色々と油断は出来ないよなあ。特に、心臓を抜き取って殺すなんて、とても人間業とは思えないし……」

「それこそ、そういう特殊な殺戮手段を持ったモンスターかもしれないな。いつのまにか王都に野良モンスターが紛れ込んでいる可能性……」

「でも、さすがに街の真ん中にモンスターがいるわけないから……。隠れ住んでいるとしたら、こういう公園のような場所かな?」

 双子が言葉を交わすのを聞きながら、ピペタは思う。さすがに「王都に野良モンスターが紛れ込んでいる」は想像が飛躍しすぎではないか、と。

 そしてローラは、ピペタとは違う意味で、二人の話を受け入れがたいと感じたらしい。思いっきり顔をしかめながら、双子を叱りつけた。

「おやめなさい、二人とも! このクーメタリオ霊園公園に、モンスターが潜伏しているだなんて! そんなこと! 考えるだけでも、ここに眠る先人たちに失礼でしょう?」

 言葉と同時に、ローラは右斜め前方を指し示す。

 ピペタたちの現在地から見える範囲では、その方角にデンと構えているのは、大きなガラス張りの温室だ。だが彼女が示したいのが温室ではないことくらい、ピペタにもジェモー兄弟にも理解できていた。

 温室の向こうには墓地があり、殉職した近衛騎士や王都守護騎士が葬られているのだ。彼らに対するリスペクトがあれば、ここにモンスターが潜伏などという考えは、とても口に出来ない……。ローラは、そういう気持ちなのだろう。

「言われてみれば……」

「……ローラ隊長のおっしゃる通りです」

 二人揃って、シュンとなる双子。

 これで、南の森にいるかもしれないモンスター軍団の件や、そこから派生した犯罪者たちの話も、いったん終わりとなり……。

 ローラ小隊の四人は、新たな話題が出るまでの間、黙って花々の間を歩くのだった。

   

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