第十話 上司の屋敷

   

 管理人には「今から早速」と告げたロジーヌ・アルベルトだが、実際には、きびすを返して女子寮を発つわけではなかった

 ダーヴィト・バウムガルトの屋敷へ行く前に、まずは、自分の部屋へと向かう。

 いつもの廊下を――クリーム色の内装に薄茶色のマットが敷かれた通路を――歩くうちに、隣人のプローシアとすれ違った。

「あら、ロジーヌ。今帰り? おめかしして、デート?」

「いやいや。ちょっと晩餐に呼ばれただけで……」

「照れることないじゃないの。だってロジーヌ、そんなペンダント、持ってなかったわよねえ?」

 プローシアは、まるでゴシップの匂いを嗅ぎつけたニュース屋のように、ニヤニヤ顔になる。

 今夜ロジーヌが着ているドレスを買いに行った際に付き合ってくれたのが、このプローシアなのだ。だからロジーヌが持っている衣類や装飾品など、彼女にはバッチリ把握されているのだった。

 ドレス選びのアドバイスには感謝もしている。ならばお礼の意味で、そのドレスがどう役に立ったのか、報告するのも悪くない。

 そう考えて、ロジーヌは、少し詳しく話すことにした。

「まあ、そうね。誕生日プレゼントということで貰ったのよ。でも今夜の晩餐会は……」

「あら! そういえば、ロジーヌの誕生日って、今日だっけ? おめでとう! じゃあ誕生日パーティーだったのね!」

「ああ、ありがとう。でも『誕生日パーティー』というより、剣術大会一回戦の祝勝会って感じかな。私の誕生日の件は、あくまでもオマケ」

「何言ってるの! 剣術大会のお祝いだとしても、あなたのための会でしょう?」

「いや、それも少し違うのよ。相手も一回戦を勝ち進んでいるから、私の祝勝会も、ついでみたいなもので……」

「ふーん。そう……」

 プローシアは、好奇心に満ちた目で、あらためてロジーヌを上から下まで眺めてから、首飾りに視線を戻した

「でも、ロジーヌ。相手の男性は、ちゃんと、あなたへのプレゼントを用意していたわけでしょう?」

「それはそうだけど……」

「赤い石のペンダント。ロジーヌにぴったりね!」

 プローシアとの会話を続けながら、ロジーヌには「立ち話をしている場合ではない」という気持ちもあった。

 だが話し好きなプローシアは、なかなか止まりそうもない。だからロジーヌの方から、はっきりと告げる。

「ごめん、プローシア。今から私、また行かなきゃならないところがあって……」

「あら、誕生日パーティーのハシゴ? あなたも隅に置けないわねえ」

「そんなんじゃないわ。ダーヴィト隊長から、急に呼び出されて……」

「ダーヴィト隊長って、確か、あなたのところの小隊長よね?」

 プローシアが眉間にしわを寄せる。

 以前にロジーヌがダーヴィトに関する愚痴を言っていたのを、しっかりプローシアは覚えていたらしい。

「なるほど。それなら、着替えないといけないわね」

「そうそう。小隊の隊長の屋敷に行くのだから、ちゃんと騎士鎧でないと……」

「そうじゃなくて。今の格好、その隊長に見せるの、もったいないでしょう? そのために買ったドレスでもないし、せっかく貰ったネックレスですものね!」

 それを言うならば、このドレスを購入したのは、ピペタ・ピペトから招かれる前。だから別に「ピペタに見せるために買った」というわけでもないのだが……。

「じゃあ、早く着替えてらっしゃい!」

 ポンとロジーヌの背中を叩くプローシア。

「うん。じゃあね!」

 ようやく立ち話が終わり、ロジーヌは、再び自室へ向かって歩き出す。

 そして。

 プローシアと別れたところで、今ごろになって気が付いた。

 隣室に住む彼女とすれ違ったということは、プローシアは今から外出する方向だったのだ。こんな時間に、一体どこへ行くつもりなのだろう?

 いやいや、自分と違ってプローシアは、友好関係が比較的派手な女性。それこそ、色々なパーティーのお誘いなどもあるのだろう……。

 ロジーヌは首を左右に振って、プローシアのことを頭から追い出した。


 少し駆け足で、自室に戻ったロジーヌ。

 ごくごく淡いピンク色で塗られた部屋のゆかには、壁よりも少しだけ濃い色のカーペットが敷かれており、同じ色のカーテンが窓を覆っている。ベッドカバーも、壁や天井と同じく薄桃色だ。

 全体的にピンク系統で統一された部屋だが、別にロジーヌの趣味というわけではなく、この女子寮の部屋はこうなっている、という基本カラーだった。

 ベッドも机も小さな棚も、元から設置されている備品であり、ロジーヌが自分で用意したのは、一枚の大きな鏡――つまり姿見――だけ。

 着替えのために早速ドレスを脱ごうとするロジーヌだったが、その手をふと止めて、白い縁取りの姿見へと目を向けた。

「そういえば……」

 鏡の前で、姿勢を正してみる。

 ドレスを着る際にも、この鏡で「どう見えるか」を確認していた。だが今は、少しだけ見え方が違っている。

 胸元を飾るペンダント。ピペタからのプレゼントは、ロジーヌのドレスの色にお似合いの、赤い輝きを発していた。

 この状態の全身像を、ロジーヌ自身が見るのは初めてだが……。なるほど、プローシアがニヤけていたのもわかる気がする。それくらい、赤い石が美しく目立っているのだ。

「ならば、これは……」

 プローシアの「せっかく貰ったネックレス」という言葉を思い出す。

 確かに、ダーヴィト隊長には見せたくないかもしれない。その意味では、外して部屋に置いていくのが正解なのだろう。だが、同時に『せっかく貰った』からこそ肌身離さずつけておきたい、という気持ちもあった。

「うーん……」

 少しの逡巡の後。

 いつもの騎士鎧に着替えたロジーヌは、あらためて首飾りを装着。鎧の胸元の内側へ、落とし込むようにして赤い石をしまった。そうすると、ペンダント部分だけでなく、金色のチェーンも一緒に見えなくなる。

「これでよし!」

 ちょうど「見せない」と「身につけておく」を両立できる状態になった。

 彼女にしては珍しいくらいの、爽やかな笑顔を浮かべて。

 すっきりとした気持ちで、ロジーヌは自分の部屋を出た。


 ピペト家と比べたら規模は劣るものの、ダーヴィト・バウムガルトも王都で名の通った騎士だけあって、それなりに立派な屋敷を構えていた。

 黒い鉄格子のような豪華な門をくぐり、魔法灯で無駄にライトアップされた庭園を抜けて、横に広い邸宅へと入っていく。

 ダーヴィトの妻が既に亡くなっていることは、ロジーヌも承知していた。この屋敷にいるのは、当主であるダーヴィトと、その息子であるダミアンと、彼らに仕える使用人だけ。特にこんな時間では、通いの使用人たちは帰った後であり、少数の住み込みしか残っていないはず……。

 ロジーヌはそう考えていたので、案内された部屋で目にした光景に、まず驚いた。部屋にいたのはダーヴィトとダミアンだけではなく、ロジーヌ以外にも客が来ていたのだ。

 男たちが囲むテーブルの上には、酒のグラスや、食べかけの――中途半端に汚く食べ散らかした――料理の皿もある。ささやかな酒宴が開かれていたらしい。

「遅くなりました。ロジーヌ・アルベルト、お呼びにより参上いたしました」

「おお、ロジーヌ。ようやく来たのか。待っておったぞ」

「申し訳ありません、ダーヴィト隊長。今晩は用事があって、外出していたもので……」

 驚きの気持ちなど一切表情には出さず、挨拶を交わすロジーヌ。

 テーブルから少し離れた場所に椅子を見つけて、腰を下ろしながら、心の中で状況を考えてみる。

 冷静になってみれば、他の来客の存在自体は、不思議ではなかろう。「明日の仕事に関する打ち合わせで」という理由で呼ばれたわけだから、それならば関係者がいるのは当然。例えば、もしも同じ小隊の二人――フェッロとグレアム――が同席しているのであれば、驚く必要はなかったはずだ。

 だが、その二人は呼ばれていなかった。ならば、ここで行われる『明日の仕事に関する打ち合わせ』とは、小隊の中で最も腕の立つロジーヌだけが知っておくべき内容、ということになりそうだが……。

 問題は、この場に同席している二人。一人はロジーヌの知らない男だが、もう一人は、よく知っている人物。それも、ロジーヌから見てダーヴィト隊長と同じくらい好ましくない男、クラトレス・ヴィグラム人事官だったのだ。


 そもそも。

 ロジーヌがダーヴィトを『好ましくない』と感じている理由にも、このクラトレスが関わっている。

 クラトレスは、王城アルチスにある行政府の役人であり、政治組織の一員だ。だから街の警吏である王都守護騎士とは、本来は無関係な人間のはず。

 だがロジーヌの目には、クラトレスとダーヴィトが妙に繋がっているように見えるのだった。それも、個人的な友好関係というレベルを超えて。

 例えばクラトレスは、ダーヴィト小隊が勤務する南門屯所へ、結構頻繁に顔を出す。そして南門を越えて、王都の外まで足を延ばすのだ。

 もちろん、門外へ出ること自体は禁止されている行為ではない。一般庶民でも、野原や森までハイキングやピクニックに出かける者はいるし、それらの者たちのおかげで「野良モンスターが出現した!」という連絡が屯所に入ることもある。

 だがクラトレスの外出は、そうした個人的な行楽とは思えないほどの頻度になっていた。仮に一般庶民であっても、あまりに頻繁に王都を出る場合は記録しておくべきなのに、ましてや彼は王城の役人だ。そのような立場の者が王都の外で怪しい動きを見せているのであれば、それこそ王都守護騎士団として対処すべき事態になるだろう。

 ところがダーヴィトは「記録するほどのことではない」と言う。ロジーヌが「何らかの陰謀の可能性だって考えられるのに」と訴えても、逆に「考え過ぎだ!」と一喝されるだけだった。

 ロジーヌにしてみれば、これは「ダーヴィトがクラトレスのために便宜を図っている」ということにほかならない。大げさな言い方をするならば、政治家と警吏の、一種の癒着だ。

 由々しき事態ではないか。もしも問題が起きたら、王都守護騎士は警吏である以上、たとえ相手が城の役人であっても捕縛しなければならない立場だというのに……。

 そして。

 こうした点を問題視したロジーヌが、ダーヴィトの行動を批判したところで、なぜか周囲からは相手にされない、というのが最近の状態だった。


「こんばんは、ロジーヌ殿」

「あら? これはこれは……。どうも、こんばんは。あなたまでいらしてたのですね、クラトレス人事官」

 わざとらしく「今気づいた」という声で、ロジーヌはクラトレスにも挨拶する。

 続いて、クラトレスの傍らに控えている男に目を向けた。

 ひょろっと痩せた体格で、青い着物は、商店の旦那というイメージ。男はロジーヌの視線に気づくと、小さく頭を下げながら、ボソッと呟いた。

「ラピナムです。よろしく」

 その小声をかき消すかのように、クラトレスが言葉を被せる。

「このラピナムは、見かけによらず、なかなか腕の立つ男でしてね。私の用心棒のような仕事をやってもらっています。ほら、こう見えて私も、色々と敵の多い身の上ですからな。王城の役人だけあって」

 今までロジーヌが見たことないくらいに、口数の多いクラトレスだった。話しながらもグラスを手放そうとしない彼の様子から、ロジーヌは、かなりクラトレスが酔っているのだと理解する。

 同時に、ダーヴィトとダミアンが少し渋い顔をしているのも視界に入った。酒の入ったクラトレスが余計なことを喋るのではないか、そう心配しているのかもしれない。

「クラトレス人事官。配下の紹介など、後でもよかろう」

 遮るように言ったダーヴィトだが……。ロジーヌは心の中で「ダーヴィト隊長の言葉も、一種の失言ではないか」と考える。クラトレスの『用心棒』という言い方ではなくダーヴィトの『配下』という表現になると、まるで「悪い政治家がかかえた手駒」というニュアンスに聞こえるのだ。

「もう時間も遅いし、さっさと本題に入ろうではないか」

「そうですね、ダーヴィト隊長。明日の仕事に関する打ち合わせ、と聞いていますが……。明日は通常の屯所待機ではなく、何か急な任務でも入ったのでしょうか?」

 ダーヴィトの「もう時間も遅い」には、ロジーヌが遅く来たのを責める意味も含まれていたのだろう。わかった上でロジーヌは敢えて無視して、シレッと返したのだった。

 彼女としては、これでダーヴィトが仕事の詳細を語り出すと思ったのだが……。

「ああ、そうだな。確かに、そう言ってロジーヌを呼び出したわけだが……。まあ、それは口実に過ぎない。本当の用件は別にある」

「……えっ?」

 思わず、驚きの言葉が飛び出すロジーヌ。だが『驚き』の本番は、まだまだこれからだった。

「実はな……。ここにいるダミアンに、勝ちを譲って欲しいのだよ。剣術大会の二回戦、つまり明後日の試合で」

   

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