第九話 帰寮後に待っていたもの

   

「今夜は、本当にありがとうございました」

 首から下げられた赤い石を胸元でキラリと輝かせながら、ロジーヌ・アルベルトがいとまを告げた時。

 先ほどのネックレス装着のように、ピペタは養父母――フランツとマリアン――から、再び予想外の提案をされてしまう。

「何をやっておるのだ、ピペタ。お前がこちら側に立っていては駄目だろう」

「そうですよ、ピペタ。ちゃんとロジーヌさんを送っていかないと」

「なんだ、その顔は。まさか、こんな時間に、女性レディを一人で帰らせるつもりだったのか?」

「暗い夜道の一人歩きは、女の人には危険ですからね。帰り道は、あなたがエスコートするのが当たり前です」

 ピペタとロジーヌは、戸惑い気味に顔を見合わせる。ロジーヌは立派な女騎士であり、か弱い一般女性とは違う。『炎狐えんこロジーヌ』という異名を持ち、剣術大会でピペタと武勇を争うほどの、凄腕の剣士だ。

 今さらピペタが護衛する必要などないのだが……。

 結局。

 そうした実務的な話ではなく、あくまでも礼儀マナーの問題なのだと理解して。

 ピペタはロジーヌに付き添って、自分の屋敷をあとにするのだった。


 明るい建物の中から、暗い夜の闇へ。

 ピペタとロジーヌの姿が消えていくのを、フランツとマリアンは、薄黄色の魔法灯で照らされる玄関にて見送った。

 とっくに二人が見えなくなっても、すぐには部屋へ戻らず……。

 その場に立ちすくんだまま、マリアンが口を開く。

「ああやって並んでいるところを見ると……。なかなか、お似合いではないですか」

「ああ、そうだな」

「彼女の素行調査みたいな真似までするなんて……。あなた、少し心配し過ぎだったのでは?」

「何を言う、マリアン。お前だって、気にしていただろうに」

 二人に対して、ピペタがロジーヌの話を持ち出したのは、昨晩の夕食の席だった。その際ピペタは「ロジーヌ殿の前では」と名前を口にしていたし、他に、剣術大会や年齢などの情報もあった。だから一日あれば、かなりのことを調べることが出来たのだ。

 王都守護騎士団に勤めていた頃の伝手つてを頼って、集めた話によると……。

 騎士団におけるロジーヌには、少し悪い噂もあったようだ。

 彼女は剣士としては一流であり、外壁門番という勤務地は――野良モンスターを相手にすることもあるので――、その腕を活かせる部署でもあった。ある意味、適材適所なわけだが、そこでいくら成果を上げても、彼女は出世できていないのだ。

 噂によれば、ロジーヌ自身は「女だから、それに地方から来たから、正当に評価されていない」と感じているらしい。「上のポストが空けば出世できるはず」とでも考えているのか、事あるごとに、直属の上司である――同じ隊の小隊長である――ダーヴィト・バウムガルトの仕事ぶりを悪く言って回っているらしい。無理にでも上司を失脚させて、その後釜に自分が収まろうと狙っているらしい……。

「おそらくピペタは、彼女の悪い噂など一切、耳にしていないのだろうが……」

 あくまでもピペタが知るのは、剣術試合で戦う相手としての『炎狐えんこロジーヌ』だけなのだろう。それくらいのことは、フランツもマリアンも理解していた。

「でも、どうでした? あなたの目から見て、ロジーヌさんは、そんな悪い噂通りの人物に思えましたか?」

「うむ。人を見る目には、多少なりとも自信はあるつもりだが……」

 ふとフランツは、過去の部下たちを思い浮かべる。

 小隊長時代はともかく、中隊長になってからは、日頃あまり顔を合わせないような部下も多くかかえる状況になっていた。そういう時、人を見抜く力が乏しい上司は、性悪しょうわるな部下に振り回されて大変な目に遭ってしまう。その点「自分は大丈夫だった」という自負が、フランツにはあるのだった。

「……しょせん噂は噂に過ぎない。そういうことかもしれん」

 もちろん、フランツが直接ロジーヌを目にして言葉を交わしたのは、今晩の会食という短い時間の一度きりだ。

 それでも。

 一日かけて集めてきた人づての噂話よりも、実際に会った上での評価の方が、より信頼できる……。そう感じるのだった。

「そうでしょう? ほら見なさい。あなた、ちょっと心配性の部分があるのですよ」

 と、最初の発言に戻るマリアン。

「いやいや、この件に関しては、お前も同じだったぞ。そもそも、お前が気にしていたからこそ、騎士団時代の友人に連絡を取って、話を聞いて回ったわけで……」

 苦笑を浮かべたフランツは「自分も話が同じところに帰ってきた」と感じて、ますます苦笑いを深めるのだった。


――――――――――――


 ぽつりぽつりと街灯が点在しているため、かろうじてその周囲だけは明るくなっているが、基本的に夜道は暗い。

 通りに面した商店も、この時間には扉が閉ざされており、昼間は人々の往来で賑わう大通りも、今は閑散としていた。それでも全く無人というわけではなく、時々は夜の通行人とすれ違う。

 そんな中を、ピペタはロジーヌと並んで、彼女の住む女子寮へ向かっていた。

 無理に話題を作ることもなく、街並みの静寂に溶け込むかのように、黙って足を進める二人。相手によっては沈黙を気まずく感じるピペタだが、こうしてロジーヌと一緒に無言で歩いていても、特に居心地が悪いとは思わなかった。むしろ「これが自然な間柄だ」という感覚まであった。

 やがて。

 商店街から住宅街を抜けてさらに行くと、全体的に丸みを帯びた、白い石造りの建物が見えてくる。一部では『白亜の離宮』とも呼ばれる、王都守護騎士団の女子寮だ。

 男性であるピペタは、女子寮内部に足を踏み入れたことはない。近くを通りかかったことは何度かあるが、昼間でも『離宮』というほど豪華な建物とは思えず、初めて見た時には「完全に名前負けだろう」と感じたのを覚えている。その後に聞いた話によると、どうやら『白亜の離宮』というのは、勇者伝説において女性勇者が住んでいた施設の名前であり、それにあやかって誰かが言い出した通称らしい。

 視界の中で少しずつ大きさを増していく『白亜の離宮』。それを見ていると、ピペタの口から、無意識のうちに言葉が飛び出す。

「そろそろですな」

 自分でも驚いた。言葉遣いこそロジーヌに呼びかける形式だが、半ば独り言のようなものだ。考え事が口に出てしまう、いつものピペタの癖。その延長みたいなものだった。

 ピペタは己の声に「名残惜しい」という響きも感じ取った。もう少しロジーヌと一緒にいたい……。そんな気持ちが彼女にも伝わってしまうのではないか、そうだとしたら恥ずかしい。

 だからピペタは、横を歩く彼女の顔に視線を向けたのだが……。

 おぼろげな月明かりや遠くの街灯だけでは、女性の表情を読み取ることは普段以上に難しく、その内心は全く理解できなかった。

 ロジーヌは表情を変えずに、ピペタの発言に呼応するかのように、軽く頭を下げる。

「ピペタ殿。先ほども言いましたが……。今夜は、本当に感謝している。素敵な誕生日になりました」

 そう、まさに「先ほども言いました」という言葉の通りだ。

 食事の終わりに彼女が口にした台詞を、ピペタは一字一句はっきりと覚えていた。

「一生忘れ得ぬ、三十歳の誕生日ですか……」

「ええ、そうです。あなたのおかげです」

 ロジーヌも自分の発言を覚えていたらしく――あるいはピペタに言われて思い出したらしく――、口元に笑みを浮かべる。さらに彼女は、自分の胸元へ手をやって、ピペタから貰った首飾りの、赤い石に触れた。

「このような形に残るものまで、いただいて……」

 感慨深げなロジーヌの口調に、ピペタは「どういたしまして」の言葉を飲み込んだ。

 どう対応するべきか、一瞬わからなくなる。とりあえず何か言わないといけない。そう考えたピペタの口から出たのは、年齢に関する話だった。

「三十歳の誕生日。ある意味、節目の誕生日ですからな」

 あまり『三十歳』を強調するのも良くないだろう。女性であるロジーヌにしてみれば、嬉しいことではないはずだ。

 頭の中ではそう考えるピペタだったが、いったん開いてしまった彼の口は、思考とは裏腹に止まらなかった。

「これで……。今日から、貴殿も私と同じ三十代だ、ロジーヌ殿」

 なぜ自分は、いつまでも年齢の話を続けてしまうのか。ピペタの脳裏に浮かんでいた小さな疑問は、自分の発言がフィードバックする形で今、解消された気がする。

 そう、同じ三十代。これがポイントだ。二人の共通項を、強調したかったのだ。

 ピペタの中には、ロジーヌと『同じ』ことが一つ増えたのを嬉しく思う気持ちがあり、できれば彼女にも、その想いを共有して欲しかったのだ。

「ハハハ……。同じ三十代、ですか。確かにピペタ殿の言う通りだ」

 彼の発言を受け入れてロジーヌは笑う。

 ここまではホッとするピペタだが、すぐにロジーヌの表情が変わった。続く口調にも、わずかに影が混じる。

「でも……。私とピペタ殿とでは、同じ三十代ではあっても、同じ三十歳ではない」

 当然だ。二人は同年代だが、厳密にはピペタの方がロジーヌより少しだけ年上なのだから。

 だが、何故わざわざロジーヌは『違う』という点を強調するのか。

 自分でも意識しないうちに、ピペタの表情も少し暗くなる。

 それはロジーヌが気づくほどの変化ではなく、彼女は、普通に言葉を続けていた。

「……いつまでも、私がピペタ殿に追いつくことはないのです」

「それは……」

 どういう意味なのか。

 聞き返そうとしたピペタの言葉に被せるように、

「ああ、ピペタ殿。ありがとうございました。ここまでで結構ですよ」

 そう告げたロジーヌの顔は、明るくなっていた。

 心情的な意味だけではない。女子寮の玄関からの光に照らされて、物理的にも明るくなったのだ。

 つまり。

 言葉を交わしている間に二人は、女子寮『白亜の離宮』の前まで辿り着いていた、ということだった。


 送ってくれたピペタと玄関前で別れて。

 ロジーヌは、住処すみかである女子寮に入っていく。

 玄関の先には、共用スペース――天井が高く広々とした印象を与える区画――があり、管理人室も、そこに隣接している。管理人室には、通路に面した形で窓口も用意されており、女子寮に部外者が黙って出入りしないよう、管理人が目を光らせていられる構造になっていた。

 今だって、窓口からチラッと管理人室を覗けば、管理人の姿が見える。もちろんロジーヌは部外者ではなく住人だが、一応、挨拶しておく。「帰ってきました」という報告の意味を兼ねて。

「こんばんは、寮母さん」

 やさしそうな印象を与えるくらいに、適度に太った女性。四十代半ばくらいの管理人は、女子寮の住人たちから、親しみを込めて『寮母さん』と呼ばれていた。

「ああ、ロジーヌさん! ようやく帰ってきたのですね!」

 いつもの対応とは違う声だ。この時点で、ロジーヌは察する。

「何かあったのですか?」

「ロジーヌさんに連絡がありまして……。王都守護騎士団の小隊長、ダーヴィト・バウムガルト様がお呼びです」

「ダーヴィト隊長が?」

 ロジーヌはダーヴィト小隊の一員であり、彼とは毎日仕事で顔を合わせている。明日も朝から南門屯所で一緒になるというのに、それまで待てないのだろうか。

「ええ。何でも、明日の仕事に関する打ち合わせで、今日のうちに済ませておきたい話が出てきたのだとか……。だからダーヴィト隊長の屋敷まで来て欲しい、とのことです」

 今日の仕事終わりの時点では、明日特別な仕事をするような予定はなかったはずだが……。ロジーヌは、少し不審に思いつつも「行けばわかるだろう」と考えて、自分を納得させることにした。

「わかりました。では早速、今から伺うとしましょう」

 今この場で用件を推測しようとしても、わかるわけもないから無駄なことだ。

 気持ちを切り替えたロジーヌに対して、管理人が笑いかける。

「帰ってきたばかりで……。バタバタしますね。ロジーヌさんにしては珍しく、今夜は忙しい夜になったみたい」

「ハハハ……。まあ、これも騎士の職務のうちですよ」

 ロジーヌは適当に返しながら、無意識のうちに、首から下げた赤い石に手を伸ばす。そして心の中では「いきなり慌ただしい感じで、三十代がスタートした」と苦笑するのだった。

   

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