第八話 祝勝会の誕生日会(後編)

   

 青いジャケットのピペタ・ピペトが、コンソメスープを口に運ぶ。タマネギやニンジンなど、溶け込んでいる野菜のエキスを、じっくりと味わう。

 その隣では、薄桃色のドレスに身を包んだロジーヌ・アルベルトが、

「これはまた……。ずいぶんと立派なエビですね。しかも、尾頭おかしら付きで!」

 と、エビ料理の見た目を賞賛していた。

 皿の上では、鮮やかな赤色にでられた大きめのエビが、薄黄色のクリームをかけられて、頭と尻尾を上に向けた状態で丸くなっている。

「今日は二人の祝勝会というだけでなく、ロジーヌさんの誕生日会でもありますからね。こうしたエビ料理には、長寿祈願の意味もあるのですよ」

 ピペタの予想通りの話を、養母マリアンが語っている。

 考えてみれば「腰が曲がるくらいの老人になるまで長生きする、という意味がエビ料理にはある」とピペタに教えたのはマリアンだった。だから『予想通り』になるのも当然だ、と心の中でピペタは納得していた。

「ああ、その話でしたら、私も小さい頃に聞いたことがあります。オンザウの鮮魚市場で、ピチピチと活きが良いエビを売っていた魚売りから……。あの時の魚売りのニコニコ顔を、今でも覚えています」

「そういえば、ロジーヌさんは交易都市オンザウの出身だと言っていましたな」

 養父フランツが言葉を挟む。ピペタが来るまでの間に、そうした会話がなされていたのだろう。

 ピペタ自身は、ロジーヌが地方都市から来たことは知っていたが、その街の名前までは聞いていなかった。もしかすると現時点では、フランツやマリアンの方が、ロジーヌの個人情報に詳しいのかもしれない。内心でピペタは、そう苦笑する。

「そうです。田舎街の出身なものでして……」

「あらあら、ロジーヌさん、そんなご謙遜を。交易都市オンザウといえば、いにしえの勇者伝説にも登場するくらい、歴史ある街ではないですか」

「ハハハ……。マリアン殿はそうおっしゃいますが、しょせん私なんて、王都では田舎者扱いですよ」

 冗談めかしたロジーヌの言葉に、フランツの目がキラリと光る。

「『王都では』ですかな? 『王都守護騎士団では』と言いたいのではなく?」

「これは厳しいお言葉ですね、フランツ殿」

 一瞬体を引いたロジーヌは、少し白ワインで口を湿らせてから、言葉を続ける。

「そうですね。確かに『王都守護騎士団では』の方が、正確かもしれませんが……」

「以前に聞いた話では……」

 と、ここでピペタも話に加わる。自分だけ会話の輪に入れていないことを嘆いたというよりも、むしろ「ロジーヌ自身が答えにくい話題になっている」と感じて、助け舟を出したつもりだった。

「……ロジーヌ殿は、前の街では、小隊長として都市警備騎士団で働いていたのですな? それが王都守護騎士団に来たら、一介の騎士。なるほど、これでは降格みたいなものだ」

「いや、ピペタ。それは違うぞ」

 ピペタの発言に対して、間髪入れずにフランツが言葉を挟む。

「『王都守護騎士団』と『都市警備騎士団』とでは、元々の格が違う。それは地方都市を馬鹿にしているという問題ではなく、そういう制度なのだ。都市警備騎士の小隊長から王都守護騎士団に転属するのであれば、それは降格人事ではなく、立派な栄転だ」

「……そういうものなのですか」

 今でこそ引退した身だが、かつてはフランツも王都守護騎士団の一員として働き、最終的には中隊長の職に就いていたほどだった。現役のピペタ以上に、王都守護騎士団の慣習しきたりには詳しいのだろう。

 だからピペタは、黙って従っておく。心の中では「その『格の違い』こそ、王都が地方都市を見下みくだしているという証ではないか」と思ったのだが。

「ええ、そういうものですよ。私も、オンザウの街の人々から祝福されて、王都にやって来たのです」

 ロジーヌも、フランツの言葉を肯定している。

 ピペタは黙って頷くと同時に、心の中で、ふと考えてしまった。


 今までピペタは、ロジーヌが――今日で三十歳になる彼女が――いまだにヒラ騎士であることを、少し不思議に思っていた。ロジーヌほどの剣士であれば、もっと早くに出世しているのが当然、と感じていたからだ。

 だが、今の話を聞けば、いくらかは納得できるような気がする。そもそも王都守護騎士としてのスタートが遅かったから、なかなか昇進させてもらえないのだろうが……。それだけではなく、王都守護騎士団がロジーヌを田舎者扱いしていること、こちらの方が大きく影響しているに違いない。

 例えばピペタは、ロジーヌよりも少し年上で、しかもロジーヌとは違って最初から王都守護騎士だったにもかかわらず、まだ小隊長にも上がれていない。『名門ピペト家』という箔が付いていても、それでもなお、だ。

 おそらく、ピペタの出自が庶民の孤児院だからだ。ピペタは、そう理解していた。そして、そのように個々の生まれを重視するような騎士団であるならば、地方出身者を不当に低く評価するのもあり得る話、と思ってしまうのだった。


「確かロジーヌさんの仕事は……。そうそう、外壁の門番でしたな」

 ピペタが考え事をしている間に、フランツはロジーヌに、別の話題を振っていた。

「ええ、そうです。毎日、南門屯所に詰めています」

 答えるロジーヌは、チラッとだけピペタに視線を送る。何か問いたげな目つきであり、一瞬ピペタがドキッとするくらいだった。

 まるで「門番勤務のこと、ピペタ殿が話したのか?」と尋ねたいようにも見えたが……。それは不自然だ、とピペタは感じてしまう。

 ピペタは養父母に対して、そこまで詳しくロジーヌについて伝えてはいない。そもそも、ロジーヌのような友人がいることを二人に告げたのは、昨晩の夕食の席が初めて。しかも、その場でロジーヌの名前を出したのも、一度きりだったはず。

 だから、今晩ピペタが不在の間に、そうした話題が出てきたのだろう。ロジーヌ自身が、フランツたちに話したのだろう。ピペタは、そう思っていたわけだが……。

 とりあえず「私ではない」という意味で、ピペタは小さく首を横に振る。だが、ロジーヌがピペタの方を見ていたのは、ほんの一瞬。すぐにフランツの方に向き直ってしまったため、そうしたピペタの挙動アクションが、彼女の視界に入ることはなかった。

 すでにロジーヌは、フランツとの会話に戻っている。

「なるほど。立派な仕事ですな、ロジーヌさん」

「立派……ですか? 南門屯所で無駄に時間を過ごすだけの毎日ですが……」

「いや、王都の守りである外壁、そこを守護するわけですから、それこそ重要な役割だ。ある意味、王都守護騎士団の中で一番、と言っても構わないくらいに」

 話を聞きながら、ピペタはロジーヌの隣で、大きく「うんうん」と頷いてみせた。

 ピペタたちが暮らす北の大陸は、大陸全土が一つの王国として統一されているため、王都の近くに『敵国』は存在していない。北の大陸から南東部の海峡を挟んだところには東の大陸、あるいは、南西部の火山地帯を越えれば西の大陸があり、そこまで行けば数多くの『他国』も存在している。

 だが、万一そうした国々が王国に攻め込むとしても、まず戦場となるのは南東部や南西部のはずであり、大陸中央にある王都まで軍勢が押し寄せることなど、とても考えられないのだ。

 だから外壁の守りというのは、他国の軍隊を想定したものではなく……。

「モンスターから王都を守護しているわけですな。私などは、騎士学院時代に演習で相手しただけですが……。ロジーヌ殿は、実際に王都守護騎士として、何度か野良モンスターと戦っているのでしょう?」

 会話に加わったピペタの問いかけに対して、ロジーヌが小さく首を縦に振る。

「ええ、まあ。それが仕事ですから」

「ほら、そうでしょう。『南門屯所で無駄に時間を過ごすだけ』なんて、真っ赤な嘘だ」

 と、冗談口調のピペタ。

 ロジーヌも、軽く笑いながら応じる。

「でも、野良モンスターが出てくるのは、本当に滅多にない出来事ですよ。しかも門の外で暴れるモンスターなんて、せいぜいが二、三匹のゴブリン程度ですから……。小隊メンバー四人で相手するというより、私一人でも十分なくらいで……」

「一人で十分……? それこそ『炎狐えんこロジーヌ』の武威あってこそ、という話ではないですか!」

 ロジーヌの言葉尻を捉えたピペタに続いて、マリアンも、目を細めてコメントする。

「おやおや、ロジーヌさん。これでは、謙遜したいのか自慢したいのか、どちらなのかわかりませんね」

 食事の席が、にこやかな笑いに包まれる。

 先ほど「『王都守護騎士団』と『都市警備騎士団』との、格の違い」という話をしていた時とは、かなりムードも変わっていた。もう会食の談話にふさわしい、当たり障りのない話題になったのだな……。

 そう感じて、ピペタは、パンを一切れ口に運んだ。


 やがて。

 テーブルの上の食べ物は四人の胃袋に収まり、メイドたちが運んできた追加の料理も同じ運命を辿り……。

「いやあ、素晴らしい料理の数々、堪能させていただきました。本当に、今夜はご馳走になりました」

 満腹満足という口調で、ロジーヌが席を立って、フランツとマリアンに頭を下げる。続いて、隣にいるピペタの方を向いて、

「ご招待ありがとう、ピペタ殿。あなたが誘ってくれたおかげで、一生忘れ得ぬ誕生日になりました。このような形で三十歳を迎えることが出来ようとは、思ってもみませんでしたよ」

 儀礼的な謝辞ではなく、本心からの言葉だ。彼女の表情から、そうピペタは確信する。

「そうです、誕生日なのですから……。ピペタ、何か忘れてはいませんか?」

「ああ、そうでした。母上、ありがとうございます」

 別に忘れていたわけではないが、プレゼントを渡すタイミングに困っていたピペタは、マリアンの言葉を絶好の助け船と感じた。

「おや、まだ何かあるのですか? それでは今夜の私は、幸せ者すぎる……」

 ロジーヌの軽口には敢えて応じず、ピペタはジャケットの懐から、忍ばせておいた包みを取り出す。

「誕生日おめでとう、ロジーヌ殿。ささやかながら、私からの、お祝いの品だ」

 妙に言葉を区切りながら、小さな包みを手渡すピペタ。

 ロジーヌはロジーヌで、一瞬言葉を失ってから、

「……今ここで開けてみても、よろしいですかね?」

「もちろん」

「では……」

 その場で包みを開く。

 中から出てきたのは、赤い石のついた金色の首飾り。ペンダント型のネックレスだった。

「おお! こんな高価そうなものを……」

「いやいや、ロジーヌ殿。別に宝石というわけではないので、あまり深く受け止めないでほしい。一応、赤い石には『炎の魔力を高める』という言い伝えがあるそうだから……。『炎狐えんこロジーヌ』には相応しいと思いましてな」

 一種の緊張感からか、変に説明口調になってしまうピペタ。ピペタは少し恥ずかしかったが、ロジーヌは気にすることもなく、純粋に喜んでくれているようだった。

「ありがとう、ピペタ殿! では早速……」

 薄桃色のドレスには、赤い石も映えるだろう。首飾りをつけようとするロジーヌを見ながら、そんなことをピペタは思ったのだが、

「待ちなさい、二人とも」

 フランツの一喝で、ロジーヌもピペタも動きが止まる。

 何を無粋なことを、と内心では憤慨すら覚えるピペタ。だがフランツの意図は、むしろ『無粋』とは逆だった。

「ネックレスをプレゼントするのであれば、相手に自分でつけさせてはいかん。つけて差し上げるのが、女性レディに贈り物をする騎士ナイトの礼儀だ」

「ああ、なるほど……」

「では、お願いしましょう、ピペタ殿」

 納得するピペタに、ロジーヌが首飾りを手渡す。

 それを手にして、ピペタはロジーヌの背中側に回り込もうとしたが、

「それも違いますよ、ピペタ」

 今度はマリアンから、ストップがかかった。

「後ろではなく、正面に立たないと……。前から首に手を回してつけてあげるのが、正しい作法です」

「……え?」

 信じられない。首の後ろで留めるものであり、女性が自分では見えない位置だからこそ、男性がつけてあげるのではないのか? これでは、男性側も「見えない位置で留める」ということになってしまうから、意味がないではないか!

 少し困った目でロジーヌを見れば、彼女もピペタと似たような顔をしている。それでもロジーヌは、

「この場は、言われた通りにしましょう」

 と、ピペタにだけ聞こえるような小声で告げる。

 だから。

 ピペタも、彼らに従うことにした。


 あらためて。

 ピペタは、ロジーヌの正面に立つ。彼女の首に手を回して、後ろでネックレスの留め具を操作する以上、非常に近い距離だ。

 本当に、顔と顔とを付き合わせるような距離だ。過去の試合において、互いの騎士剣で押し合う形になった時でも、ここまで近くで見つめ合ったことはないはずだった。

「少し照れますね」

「それは私の台詞ですよ、ロジーヌ殿。私は男ですからな」

「いや、こういう場合、男であろうと女であろうと……」

 苦笑するロジーヌの声と共に、その息遣いを感じる。ピペタは彼女の顔を直視できず、視線を外して、首の後ろへ回した両手に意識を集中する。

 留め金をガチャガチャとやりながら……。

 その『集中』を妨げるかのように、ピペタは嗅覚で、ロジーヌの存在を強く感じてしまう。

 この食堂に入ってきて、彼女の隣に座った時にも感じた、あの香り。

 これだけ密着すれば、当然、それは強くなる。

 体臭なのか、香水なのか、シャンプーの残り香なのか、あるいは、それらのミックスなのか。

 男の本能に訴えかけるような、幸せな香り。

 そう。

 ピペタは今、慣れないネックレスの装着に手間取りながらも。

 こうしてロジーヌと同じ時間を過ごしていることに、言葉では説明できないような幸福を感じてしまうのだった。

   

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