第七話 祝勝会の誕生日会(前編)

   

 王都の南側の一画に、赤いレンガ塀で囲まれた、森のような区域がある。

 敷地内には、緑の葉が生い茂った大木が、塀の外からでもわかるくらい大量に植えられており、もしも知らない者が通りかかったら「公園か何かなのかな?」と思うかもしれない。

 しかしそこは、街の人々のための公共施設などではなかった。ピペト家という騎士の家系が暮らす、個人の屋敷だったのだ。

「すっかり遅れてしまった……」

 そこの住人であるピペタ・ピペトが今、屋敷の門をくぐる。

 門の両脇に設置された魔法灯――人々の潜在的な魔力を利用した照明――は、すでに点灯している。つまり、もう夕方ではなく、完全に夜の時間帯になっていた。

 塀の中でも、街灯のような魔法灯が、木々の間にポツリポツリと点在している。ちょっとした森林のような、あるいは夜の公園のような、とにかく広い庭園を抜けて……。

 ようやくピペタは、建物の玄関に辿り着いた。

「おかえりなさいませ、ピペタ様。お客様がお見えになっています」

 出迎えのメイドが、頭を下げながら端的に告げる。

 誰のことなのか聞くまでもなかったが、ピペタは反射的に聞き返していた。

「お客様?」

「はい。王都守護騎士のロジーヌ・アルベルト様でございます」

「ああ、そうか……。わかった、すぐ行く。ありがとう」

 ピペト家の者に聞かれて答えるのはメイドの仕事の範疇であり、別にピペタが礼を言う必要もないのだが。

 同じ庶民の出であるという意識からか、ピペタは簡単に「ありがとう」を口にする。だが今回の場合は、ロジーヌの来訪を告げられて嬉しかったから、という気持ちもあったのかもしれない。


 食堂ホールに急行すると、すでに三人はテーブルについていた。

「父上、母上。今、帰りました」

「ようやく帰ってきたのですね、ピペタ。お客様がいらしているというのに」

「ちょっと帰りにゴダゴタがありまして……」

 養母マリアンに言葉を返してから、ピペタは、その『お客様』に向き直る。彼女はピペタを出迎えるかのように、わざわざ椅子から立ち上がっていた。

 その全身に目をやりながら、ピペタは挨拶する。

「申し訳ない。すっかり待たせてしまいましたな、ロジーヌ殿」

「いやいや、構いませんよ。ピペタ殿のご両親が、お相手をしてくださって……。それより、ゴタゴタというのは?」

「ああ、たいした話ではありませんぞ。帰宅途中で、街の住人の喧嘩に出くわして、仲裁をしておりました」

 ピペタが割って入ったことで争いは収まったようだから、嘘にはならないだろう。危うく相手の男に剣を折られそうになったが、そこまで話す必要もあるまい。ピペタは、そう判断する。

「なるほど。さすがピペタ殿、勤務時間が終わっても、職務に忠実ですね」

「いや当然のことをしたまでで……」

 社交辞令だとしても、ロジーヌから誉められたら、ピペタは嬉しい。表情にも、それが出てしまっていた。

 そんなピペタに対して、

「こらこらピペタ、いつまで立ち話を続けるつもりだ? 食事が始められないではないか」

「そうですよ。早く着替えてらっしゃい」

 養父フランツと養母マリアンが注意を与える。確かに、騎士鎧のまま晩餐会というわけにはいかないだろう。

 それに、

「普段着ではなく、少しはキチッとした格好をするのだぞ」

 と口にしたように、フランツ自身は、ややフォーマルなスーツを着込んでいた。ガチガチの正装や礼服というほどではないが、来客をもてなす主人に相応しい服装だ。

「青いジャケットがあったでしょう。あれが良いのではないですか? それに水色のシャツを合わせて、下はクリーム色のスラックスで……」

 マリアンに至っては、具体的に着る服を提案してくる始末。まるで小さな子供の服を選ぶ母親のようだ、とピペタは感じるが、あえて逆らう必要もなかった。

「ええ、そうですな。母上の提案に従って、着替えてきます」

 わざわざ二人がピペタの服装について言ってきたのも「来客に合わせろ」という意味なのだろう。

 そう考えたピペタは、食堂ホールを去り際に、あらためてチラッとロジーヌに視線を送る。ちょうどロジーヌは、椅子に座り直すところであり……。

 今夜の彼女の格好を、ピペタは目に焼き付けた。

 

 今日までピペタは、鎧姿のロジーヌしか見たことがない。しかしロジーヌだって、食事に招かれた以上、騎士鎧で来るはずはなかった。

 今夜のロジーヌが着ているのは、薄桃色のドレス。「騎士団で働く活発な女性」というイメージに相応しく、下半身がスカートではなくズボンの形状になっている、いわゆるパンツドレスだった。ただしピチッとした細いズボンではなく、パンツドレスにしては裾幅が広い、ゆったり目のタイプ。最初ピペタは、裾狭のスカートと見間違えたほどだった。

 上半身は、首回りはV字状になっているが、豊かな胸の谷間が見えるほどではないので、いやらしくもなければ男に媚びている感じもしない。両腕は、長袖とも半袖とも言えない、肘くらいまでの長さになっていた。

「ドレス姿のロジーヌ殿……。良いではないか。案外、女性らしい体つきなのだなあ。騎士鎧ではわかりにくかったが、今夜は、はっきりと拝めるぞ」

 彼女の姿を脳裏に浮かべながら、マリアンのアドバイス通りに着替えるピペタ。「彼女と並んでも恥ずかしくないように」と思うと、ただの着替えなのに気合が入る。まるで騎士剣を手にしている時のように。

「それに……。やはりロジーヌ殿の黒髪は素敵だ」

 試合の時に見たポニーテールとは異なり、今夜のロジーヌは、長髪をアップに束ねていた。だから、ポニーテール以上に正面からは見えにくいし、また、揺れることもない。

 それでも、艶やかなきらめきに変わりはないし、何よりも今日のドレス姿には良く似合っていた。似合っているのだから結構ではないか。そう考えると、思わずピペタの口元に笑みが浮かぶ。

 残念ながらピペタは、少し頭髪が薄いので、髪に関しては「彼女と並んでも恥ずかしくないように」は無理と自覚しているのだが……。今だけは、自分の髪については忘れることにした。


 ピペタがダイニングルームに戻ると、それまでフランツやマリアンと談笑していたロジーヌが言葉を止めて、ピペタに目を向ける。ピペタは彼女の瞳に、いたずらっ子を思わせるような輝きを感じた。

「おお、ピペタ殿! いつもの騎士鎧とは、一味ひとあじ二味ふたあじも違いますね!」

「いやいや、ロジーヌ殿こそ……。これほど美しく着飾られては、見惚れてしまうくらいですぞ」

 ロジーヌの冗談口調に被せて、ここぞとばかりに本心を告げるピペタ。「魂が抜かれてしまうくらいに」と付け加えたい気持ちもあったが、さすがに、そこまで口にするのは照れくさいと感じた。

 とりあえず、養父母と対面する形で、ロジーヌの隣に座る。ピペタが着替えに行っていた間に、テーブルには料理が並べられており、いかにも「そこに座れ」と言わんばかりの配置になっていた。

 本来のマナーとしては、ピペト家の当主であるフランツあるいは客であるロジーヌを上座に座らせるべきなのだろうが、現在『上座』は空席になっている。この無駄に長いテーブルでそこに座ると、話しにくくなるという配慮なのだろう。元々が騎士でも貴族でもないピペタにとっては、この方が居心地も良かった。

「ハハハ……。『見惚れる』とは大袈裟ですね」

「そんなことはありませんよ、ロジーヌさん」

 同じ女性であるマリアンが、優しい声をロジーヌにかける。若者とは違う、成熟した大人の口調で。

「ピンクのドレス、あなたにぴったりじゃないですか」

「あらためて言われると、少し恥ずかしいですね」

 ロジーヌは苦笑いしながら、視線を落として、自分のドレスを見直している。それから再び顔を上げて、

「実は、このドレス……。買い物に付き合ってくれた友人が、選んでくれたものなのです。『炎狐えんこロジーヌ』と呼ばれるくらいだから赤系統が良いだろう、って」

「ほう」

 感心したような声が、ピペタの口から漏れる。

 ピペタ自身、いったい自分が何に感銘を受けたのか、よくわかっていなかった。ロジーヌが女性らしく買い物を楽しむことなのか、それに同行するような女性の友人がいることなのか、あるいは、今夜のドレスが『炎狐えんこロジーヌ』という異名を意識していることなのか……。

 そんなピペタの声を耳にして、

「まあ赤といってもピンクなので、ちょっと『炎』とは違う気がするのですけどね」

 当のロジーヌが、照れ気味の笑顔を彼に向ける。若い乙女のような恥じらいも含まれた表情だ。

 ピペタは、彼女が急に自分の方を向くから、ドキッとしてしまう。

 間近でロジーヌの顔を直視して、あらためて「ロジーヌ殿は美しい」と思うと同時に、ふわっと良い香りが漂うことに、初めて気づいた。

 テーブルに並べられた料理からも良い匂いが立ちのぼっているが、それとは違う。食欲をそそる香りではなく、もっと別な……。

 ちょうどピペタが料理に意識を向けたところで、フランツが言葉を挟む。

「女子供ならば、服装の話だけでも楽しめるのかもしれないが……。だが、それでは腹は満たされぬ」

「そうですね。冷めてしまう前に、料理をいただかなければ!」

 フランツの言葉に呼応して、テーブルの上のグラスに手を伸ばすマリアン。

 なるほど、その通りだ、とピペタも思う。

 あらためて、テーブルの上の料理に目を向けると……。

 時間と手間をかけて、じっくりコトコト煮込んだコンソメスープ。チーズをまぶした青野菜と赤いプチトマトの、シンプルなサラダ。「腰が曲がるくらいの老人になるまで長生きする」という意味の込められた――おそらく誕生日会であることを意識した――、有頭海老のクリーム添え。柔らかい口当たりに焼いた、仔牛肉のフィレステーキ。食べやすいサイズにスライスされた、パリパリのバゲット・パン……。

 純白のシャーベットも用意されているが、デザートにしては、全体のメニューが少なすぎる。これでは、例年の祝勝会よりも貧弱なくらいだ。今年はロジーヌの誕生日会も兼ねて、より豪勢にしているはずだから……。おそらく、コース料理のように後から追加が来る予定であり、このシャーベットもデザートではなくソルベ――コース料理で途中に出される口直しの氷菓子――のつもりなのだろう。

 ならば、厨房では今頃、メイドたちが早く次の料理を運びたくてウズウズしているに違いない。自分たちの空腹の問題だけではなく、彼女たちを待たせるのも悪い気がする。

 そんなことも考えて、ピペタは、白ワインの注がれたグラスを手に取った。すでにマリアンだけでなくフランツや来客のロジーヌもグラスを手にしており、特にフランツとマリアンは、ピペタに意味ありげな視線を送っている。

 何を促されているのか、ピペタは理解して……。

「では……。私たち二人の勝利と、ロジーヌ殿の生誕を祝って! 乾杯!」

 グラスを掲げて、乾杯の音頭を取った。

   

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