第六話 怪しい髪の遊び人
「ちょっと、そこの騎士様。やめた方がいいですよ、そっちに行くのは」
突然の女の声に、ピペタ・ピペトは驚きながらも、聞こえて来た方角に顔を向ける。
今の今まで気づかなかったが……。ちょうど問題にしていた暗緑色の商家と、その隣の薄灰色の建物とに挟まれた、細い隙間。二軒の陰に隠れるようにして、小さな露店が一つ、ポツンと営業していた。
いや『露店』というのも大袈裟だろうか。紫色の布一枚を敷いた上に、大きな水晶玉が一つ置いてあるだけなのだから。
そうした商売道具を前にして座っているのは、陰に紛れるような色合いの女性。つばの広い黒いとんがり帽子も、ゆったりとした黒ローブも、
いかにもな格好だが、魔法を使える者は少なくなったと言われるこの時代、優秀な魔法使いが市井の片隅で露店を営んでいるとは思えない。水晶玉から考えて、おそらく占い師なのだろう。魔法なんて使えぬ女が「私は魔法を用いて占っているのです!」というハッタリのために、こんな衣装を着ているのだ。
そうピペタは判断したが、
「こんなところで、何をやっている?」
と、思わず聞いてしまった。
道具と格好からは『占い師』と判別できるが、それにしては、妙なのだ。
左右に垂らしたブルネットの三つ編みが、丸っこい顔立ちによく似合っており、一見したところ二十歳くらい。顔の造作も悪くないようだし、これくらいの年齢の若い娘ならば、こんな目立たぬ暗い場所で占い屋を開くよりも、もっと他に良い仕事があるだろうに……。
ピペタは、そう感じてしまった。別に、露店や占い屋というものを蔑むつもりはないのだが。
「何を、と言われましても……。見ての通りの、しがない占い師です」
ぬけぬけと答える少女を見るうちに、ピペタは、自分が彼女を『妙』と感じた理由が、もう一つあることに気づいた。
最初は言葉にならない違和感という程度だったし、今でも具体的に述べることは出来ないのだが……。
こうして少し言葉を交わしただけで、少女が身に纏う空気の中に、年不相応の老獪さを感じ取ったのだ。
「そうか……。それで、私に何の用だ? 私は今、忙しいのだが……」
この奇妙な女占い師も気になるが、それよりも今は、商家の裏手の争い事だ。物事には優先順位というものがある。
「はい、騎士様。このあたしに、騎士様を占わせてもらえませんか?」
「……客引きか。忙しいと言っておろうに。またの機会にしてくれ」
「いえいえ、そうはいきません。騎士様は、この建物の裏へ行くつもりのようですが……。占うまでもなく、顔に水難の相が出ているのです。この魔法の水晶玉で占えば、もっと詳しくわかるはずですから……」
「その暇はない!」
キリがないので、ピペタは一方的に話を打ち切り、走り出した。
女占い師としては、単なる商売根性なのか、あるいは親切心なのか。どちらにせよ「まずは水難の詳細を把握してから、騒動に首を突っ込め」と言いたいのだろう。そうピペタは受け取ったが、彼の騎士としての本能が「それでは手遅れになってしまう」と告げていた。
そうしてピペタが、ぐるりと建物の周りを回って、姿が消えたところで。
一人その場に残された、黒衣の女占い師が呟く。
「あたしは忠告したからね。どうなっても知らないよ」
声こそ若いが、どこか老婆を思わせる口ぶりの彼女は、誰も聞いていないのを承知の上で、さらに言葉を続ける。
「あの警吏……。身のこなしからすると、結構な腕前の剣士みたいだね。まあ、あれなら命を落とすこともないだろうさ」
ピペタの身を案じているのか、あるいは、別の誰かを思い浮かべたのか。少女の顔には、わずかに心配の色が浮かんでいた。
――――――――――――
「おい、何をやっている!」
ピペタが現場に到着した時。
ひょろりと痩せた男が、がっしりとした男の腕力によって、商家の壁に押さえつけられているところだった。
二人とも、ピペタと同じく三十代前半くらいだろう。痩身の方は商人風の服装で、いかにも気弱そうな細面の顔立ちだ。
一方、体格の良い方は、見るからに遊び人という感じだった。
漆黒と
男のくせに長い黒髪を有しており、テカテカと光っているところを見ると、どうやら整髪料を塗りたくっているようだ。ピペタは、顔の造作に関してはそう悪くもないのだが――二枚目半とも言われるくらいだが――、頭は同年代の男たちよりも少し薄くなっている。だから遊び人の長髪を目にしただけで、本能的な敵愾心を
いや、そんな『敵愾心』なんて別にしても。
この状況では明らかに、長髪の方が加害者であり、商人風の方が被害者に見える。
左手一本で相手を壁に押し当てた長髪男は、右手は拳を握りしめて、大きく振りかざしていた。今にも殴りかからんとするポーズだ。
その格好のまま、彼はチラッとピペタに目をやって、忌々しそうに吐き捨てる。
「チッ。警吏の役人が来ちまったか」
さらに、
「あいつ、足止め役のはずが……。手ぇ抜きやがったな」
と小さな独り言が続いたのを、ピペタは聞き逃さなかった。
もしかしたら先ほどの奇妙な女占い師のことかもしれないが、そうではないとしても、どこか近くに『足止め役』の仲間がいることになる。
そう認識したピペタは、周りの気配にも気を配りながら、
「つまり、王都守護騎士に見られては困るようなことをしていた、という意味だな?」
相手の言葉尻を捉えて、わざとらしく大声で問いかけた。
遊び人は、慌てて左手を痩身の男から放し、そっと右手も振り下ろす。そして両手を、背中の後ろに回した。
「いえいえ、滅相もございません」
「そうか? だが私には、争っていたようにしか見えないが……」
「争っていた? まさかぁ!」
長髪の遊び人は、笑い飛ばすような口調でピペタに応じてから、
「違うよなあ? 俺たち、じゃれ合ってただけだよなあ?」
と、黙ったままの男に迫る。
もう暴力には訴えていないと示す意味で、後ろ手を組んでいるのだろうが……。グイッと胸を反らす格好で相手に迫っている以上、威圧的な態度であることに変わりはない。力ずくで肯定の言葉を引き出そう、という魂胆が明らかだった。
「……」
痩身の男は頑なに口を閉ざしたまま、遊び人の圧迫から逃げるように、壁伝いに横へ体をずらして……。
「あっ、待て!」
ピペタが止めるのも聞かずに、その場から走り去ってしまった。
残された遊び人は、
「あーあ。行っちまいやがった」
全く残念そうではない口調で、そう言ってのける。
若干ポーズも変わっており、頭の後ろで腕を組んでいる様子から、ピペタは「むしろ、いなくなって清々しているのではないか」と感じてしまう。これでもう、遊び人が自身に都合の良い証言をしたところで、否定できる者はいないのだから。
正直、この遊び人が痩身の方を追ってくれたら、ピペタも二人まとめて追いかけることが出来たのだが……。こうして二人が別れ別れになった以上、ピペタは、この場に
結果として二人とも怪我一つしていないようだが、少なくともピペタが目にした範囲では、この遊び人の方こそ相手を追い詰めていた加害者側。だから注意を向けるべきは、こちらということになる。
「それで、結局、何を揉めていたのだ?」
「やだなあ、騎士様。揉めてなんかいませんよ。じゃれ合ってただけ、って言ったじゃないですか」
「ふん。そんな言葉が信じられるものか」
相手の飄々とした言葉に対して、ピペタは冷たく応じたのだが……。
「でもね、騎士様。百歩譲って、揉め事だったとしても……。騎士様が来たことで、終わったわけですから。それ以上の詮索は、やめにしましょうや」
男は、頭の後ろにあった両手をダラリと垂らしながら、
「ほら、騎士様は仲裁に来てくれたわけでしょう? だったら、それは成功したということで……。はい、お仕事ご苦労様でした!」
という理屈を返してきた。
だが一応の話の筋は通っているとしても、その口ぶりは――特に最後の「はい、お仕事ご苦労様でした!」の部分は――、騎士であるピペタを馬鹿にしているようにも聞こえる。それに「それ以上の詮索は、やめにしましょうや」というのも、脛に傷持つ者が言うセリフだろう。
やはり、この男は放っておけない。
ピペタは直感に従って、改めて男を睨みつける。
「お前……。いったい何者だ?」
「いやあ、名乗るほどの者でも……」
あくまでも誤魔化すつもりか!
舌戦はピペタの得意とするところではない。相手は騎士ではないので「剣で語り合う」というわけにもいかないが……。
あえてピペタは、腰の騎士剣を抜く。
「ちょっと、騎士様? 何も悪いことなんてしてないのに、俺を斬るんですかい?」
剣を構えたピペタに対して、一応は慌てた様子を口にする男。だが口調も態度も、それほどではない。まだまだ余裕綽々だった。
さすがにピペタだって『斬る』つもりはないが、とりあえず殺気をぶつけてみれば、何かわかるだろう。
そう考えて。
「いくぞ! このピペタ・ピペトの剣、見事、受け止めてみせよ!」
あえて気合を込めた大声で宣言してから。
ピペタは剣を振り下ろしつつ、大きく一歩、踏み込んだ。
これだけで十分、届く距離だ。
「おいおい、騎士様!」
相手も、さすがに慌てているようだが……。
もちろんピペタは、ギリギリで止めるつもりだった。自分の力量ならば、本気の殺気を出しつつも、それでも寸止めに出来るという自信があった。
しかし。
「仕方ねえなあ!」
相手の遊び人は、ピペタの斬り込みを避けるどころか、ピペタが止めるより早く、その剣の
「何っ!」
驚愕するピペタ。
口では「受け止めてみせよ」と言ったものの、本当に止められるとは思ってもみなかったのだ。
真剣白刃取りという、刀身を両手のひらで挟み込む技術があることは、ピペタも聞いたことがあった。実現困難な技ではあるが、不可能ではないらしい。
だが、目の前の男がやってみせたのは、それとも違うのだ。『挟み込む』のではなく、右手一本で、
「そんな馬鹿な……」
ありえない。普通ならば、今ごろ男の右手は両断されているはずだった。
確かに男は素手ではなく、厚手の
騎士剣だって無銘とはいえナマクラではないし、ましてや剣術の技量は、王都守護騎士団の剣術大会でも上位に入るレベルなのだから。
「これは……。少し自信を失ってしまうな。世間は広いということか」
自嘲気味に呟いたピペタは、己の騎士剣からパッと両手を放して、ザッと後ろへ飛び
「あれあれ? 騎士様が、大切な剣を手放しちまって、いいんですかい?」
「私だって、状況くらい理解できる。貴様のような怪力男と、接近戦を繰り広げるつもりはないぞ」
普通に考えて、右手の力だけ突出しているとは考えられない。もしも空いた左手で殴られたら、それこそピペタは大怪我を負ってしまうだろう。
あるいは右手と同じく、今から左手も、剣を掴む方に使われるかもしれない。この怪力で両手ならば、ピペタの剣なんて、力任せにポッキリ折られてしまうだろう。
どちらにせよ、ピペタとしては避けたい事態だった。そのためには、自分から剣を捨てて距離を取るのが最善。そう判断したのだ。
「やはり貴様……。単なるゴロツキではないようだな?」
「ゴロツキどころか、俺は……。ただの普通の、無害な遊び人ですぜ」
「そんな『普通』があるものか! お前のような男が普通に街に溢れていたら、今ごろ王都守護騎士団は大忙しだ!」
武器は失っても、ピペタが男を睨む視線には、強い力が込められていた。
謎の遊び人は、それを平然と受け止める。
「でも、まあ、今の一撃でよくわかりましたよ。騎士様の方でも、本気で俺を斬る気はなかった、ってことが。だから……」
男は、口元に不敵な笑みを浮かべて、
「これは、お返ししますぜ!」
ピエタの方に、剣を投げて返した。
「あっ!」
無意識のうちに、ピペタの目が己の剣を追ってしまう。投げられた剣は、空中で弧を描くような軌道で、ピペタの足元から大きく右へずれた場所へと落ちていった。
「力自慢でも、投擲のコントロールは悪いようだな」
と呟きながら、ピペタは落下地点へと駆けていき……。
彼が剣を拾い上げた時には、もはや遊び人の姿は消えていた。
遠くから、誰かが走り去っていく足音だけが響いてくる。
「そういうことか。あいつ……」
別に「投擲のコントロールが悪い」わけではなかった。むしろ逆だ。ピペタが拾うのに少し時間を要するように、わざと見当違いの方向へ投げたのだ。
「やるではないか」
自分でも意識しないまま、ピペタの口から、男を評価する言葉が出てしまう。
それに。
「無理して追ったところで……。今と同じ攻防が、また繰り返されるだけか」
と、考えて……。
男の逃げていく音が完全に聞こえなくなるまで、じっとピペタは、その場に佇むのだった。
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