第十一話 受け入れられない裏取引

   

「なっ……!」

 ロジーヌは絶句した。

 文字通り言葉を失って、それ以上、何も言えなくなってしまった。

 この男は、いったい何を言い出したのだ? 勝ちを譲れ、だと? 神聖な王城で行われる、あの剣術試合で?

 表面的な言葉の意味だけはわかったが、それ以上の理解を、頭が拒否している感じだった。

 代わりにロジーヌ・アルベルトの脳裏に浮かんだのは、正々堂々ロジーヌと立ち合うことを望んだ、好敵手の姿。昨日ロジーヌに対して「五日後の決勝戦、楽しみですよ」と言っていた、ピペタ・ピペトの笑顔だった。


 目を丸くしているロジーヌの顔を見れば、彼女が驚いていることは、その場の誰にとっても一目瞭然だっただろう。

 ただし、彼女が何も言わないせいで、その真意を誤解してしまう者もいた。例えばダーヴィト・バウムガルトは、ロジーヌの沈黙を『絶句』ではなく『熟考』と受け取っていた。

 つまりダーヴィトは「ロジーヌは今、わしの提案について考え込んでいる」と思ってしまったのだ。だから、話を畳み掛けるチャンスと考えて、さらに条件提示を始めた。

「もちろん、ただで勝ちを譲れ、とは言わん。それではロジーヌには、何の利益もないだろう。だから……」

 ここで言葉を区切ったダーヴィトの口元に、不敵な笑みが浮かぶ。そのことに自分でも気づかぬまま、彼は続けた。

「……交換条件だ。ダミアンを三回戦に進ませてくれるのであれば、ロジーヌ、お前をがバウムガルト家の嫁にしてやろうではないか!」

 ダーヴィトから見れば、ロジーヌは地方都市から来た田舎の女騎士だった。

 彼女の前任地は、交易都市オンザウ。『交易都市』と呼べば大袈裟だが、要するに田舎の商人が集まる、ちっぽけな街……。ダーヴィトは、そう認識していた。

 オンザウは『いにしえの勇者伝説にも出てくる、由緒正しい街』と言われることもあるが、ダーヴィトが読んだ書物に書かれていたのは『オンザウ村』だった。そう、『街』とか『都市』とかではなく、しょせん『村』と記される規模だったのだ。

 そのような田舎騎士のロジーヌが、王都の名門騎士バウムガルト家の一員になれるというならば……。願ったり叶ったりの話のはず! 確かに剣術大会で勝ち進むことは剣士として栄誉なのだろうが、それだけでは実利はないのだから。「名を捨てて実を取る」という言葉もあるように、まともな神経の持ち主ならば、この話を断れるはずがない!

 ダーヴィトの価値観では、そう考えてしまう。

「悪い取引ではないだろう? 王都守護騎士団の剣術大会は、どうせ来年も開かれるのだ。何も今年にこだわる必要なんてないではないか!」

 ダーヴィトたちにとっては、クラトレス・ヴィグラム人事官の計画――剣術大会の優勝者を近衛騎士団に推挙するという話――があるだけに、今年にこだわる意味はある。だがロジーヌには、そんな話は存在しない。今年の剣術大会も、去年以前や来年以降と何も変わりないはず。

 来年になればダミアンも出場しない――もう『王都守護騎士』ではなく『近衛騎士』になっている――予定だから、そこでロジーヌが優勝してくれても、ダーヴィトは何も困らない。いや困るどころか逆に、来年には『ロジーヌ・アルベルト』ではなく『ロジーヌ・バウムガルト』になっているのだから、彼女が優勝すれば「バウムガルト家から二年連続で優勝者が輩出された!」ということになり、バウムガルト家の名を上げる結果になるだろう。むしろダーヴィトにとっても、ありがたい話だ……。

 こうしてダーヴィトが『来年』まで思い描く間、ロジーヌは一切、何も語らなかった。

 まだ考え込んでいるのか、こんな簡単な話を……。ダーヴィトが返事を催促しようと思ったタイミングで、息子ダミアンが口を挟んだ。

「ロジーヌ殿。一応、言っておきますが……。『バウムガルト家の嫁に』というのは、あくまでも形だけですからね? 父上の嫁として――私の継母として――この家に入るにしては、あなたは若すぎる。だから私の嫁という形になるのでしょうが……」

 何を思ったのか、ダミアンは、眉間にしわを寄せている。

「……私に年上趣味はないですからね。籍を入れても仮面夫婦に過ぎず、あなたを抱くつもりは一切ない。私は適当に外で女遊びをするので、あなたはあなたで、好きにやってください。まあ、どうしても体が寂しいともなれば、父上が相手してくれるのではないですかね?」

 ダミアンの発言を耳にして、最初ダーヴィトは「馬鹿なことを言い出した」と思ったが……。よくよく考えてみると、あながち『馬鹿なこと』でもないのかもしれない。案外、ロジーヌが答えを渋っている理由にも、関係しているのかもしれない。

「なんだ、ロジーヌ。もしかして、そのような点を心配しておったのか? 安心せい、バウムガルト家に嫁入りするのは、あくまでも取引のためだ。今ダミアンが言った通り、本当にダミアンの『妻』になる必要はない。適当に外で遊んでくれて構わん。ただし……」

 ダーヴィトは、まるでロジーヌの体を見定めるかのように、上から下まで視線を這わせた。

 今は騎士鎧を着込んでいるから肉眼では確認できないが、その鎧の下に、剣士特有の引き締まった肉体が――魅力的な若いメスの体が――存在していることを、ダーヴィトは十分理解している。

「……どこの馬の骨ともわからぬ男の子種を宿すのだけは、やめてもらいたい。ロジーヌの産んだ赤子が、バウムガルト家の跡取りになってしまうのでな。だから子供を作る場合には、それこそダミアンが言ったように、わしが相手をしてやる。若いダミアンにはわからんようだが、なぁに、わしから見れば、お前は立派に色気ある女性であり……」

「ああ、父上! それは良いプランですね! 跡取りのことまで考えていませんでしたが、私も『弟』を『息子』として育てることに抵抗はありません。大賛成ですよ!」


――――――――――――


 バウムガルト父子の――ダーヴィトとダミアンの――言葉を耳にして。

 ロジーヌは、驚愕を通り越して、もう唖然としていた。まさに「呆れて物も言えない」という状態になっていた。

 八百長を持ちかけられた時点で、既に信じられない話だったのだが……。

 この『交換条件』として持ち出された『嫁入り』の件。ここまで来ると、頭がどうかしているとしか思えない。

 いったい何様のつもりだ! バウムガルト家なんて、しょせん王都の一騎士ではないか! どうして、そんな大層なものだと思えるのか!

 しかも。

 仮面夫婦とか「わしが相手してやる」とか……。

 女を何だと思っているのだ!

 そもそもダーヴィトと肌を重ねるなんて話、耳にしただけでもゾッとする。想像すらしたくない。身の毛が逆立つ思いだ。

 衝撃、怒り、嫌悪など、様々な感情が内心を渦巻き、ぶるぶる震えそうなくらいのロジーヌだったが、冷静な観察眼も保っていた。

 現在のダーヴィトの顔には、ロジーヌが今まで見たことのないような、下卑た表情が浮かんでいる。盛り場で女性にイタズラをしたゴロツキを、ロジーヌは以前に――オンザウの都市警備騎士だった頃に――何度も捕縛した経験があるのだが、ちょうど彼らが、こんな顔をしていた。

 おそらくダーヴィトも酒が回っているのだろうが……。だが「酔っているから」で済まされる話ではない。酔っているが故に女性をこのような目で見てしまうというのであれば、これがダーヴィトという男の本性なのだ。とても王都守護騎士団の小隊長に相応しい男とは思えない。

 そんなことを考えるロジーヌに対して、

「ロジーヌ殿にも、少し、今回の話の背景を説明しておきたいのですが……」

 クラトレスが穏やかな口調で、横から口を挟む。

「今年の剣術大会の優勝者は近衛騎士団にスカウトされる、という噂。ロジーヌ殿も聞いたことくらいあるでしょう?」

 その噂ならば、ロジーヌの耳にも入ってきていた。ロジーヌは「しょせん噂」と真面目に取り合わなかったが、一部の出場者たちは本気にしているらしく、例年よりもギラギラした態度を見せたり、逆に浮ついた雰囲気を示したりしているのを、彼女は少し苦々しく感じていた。

 それを思い出して、渋い顔でロジーヌは頷く。

 するとクラトレスは、

「『火のないところに煙は立たぬ』という言葉もあるように、どんな噂にも、少しの真実は含まれているもの。例えば今回の場合、優勝者が必ずしも近衛騎士になれるとは限りませんが……」

 ここで仰々しくダミアンを指し示して、芝居がかった口調で続ける。

「このダミアン殿が優勝したあかつきには、その実績をもって、近衛騎士団に推挙されることが決まっておるのです!」

「ああ、そういうことですか。噂の背景には、あなたの根回しがあったのですね」

 ボソッと呟くロジーヌ。

 クラトレスは『人事官』だ。「近衛騎士団に推挙される」という受け身の言い方をしたが、その『推挙』をするのは、他でもない、このクラトレスということになる。「前々から目をつけていた騎士が剣術大会で優勝するほどの凄腕だった」と判明すれば、優秀な人材を発掘したということで、人事官という仕事の上では一種の手柄になるのだろう。

 だが、それだけではなく、おそらく……。

 そこまで考えたところで。

 クラトレスがラピナムを紹介した時の『用心棒』発言や、ダーヴィトの『配下』という言葉が、ロジーヌの頭に思い浮かぶ。

「なるほど。そうしてダミアン殿も、クラトレス人事官のの一人になるわけですね」

 ロジーヌは、結論部分だけを敢えて口に出した。しかも『手駒』という部分に少しアクセントをつけて強調しながら。

 視界の端で、ダミアンがムッとした表情を浮かべるのが見えた。

 先ほどの失礼な発言に対する、ささやかな仕返しだ。ざまあ見ろ、とロジーヌが内心で少しだけ溜飲を下げていたタイミングで、

「クラトレス人事官。わざわざ今、そこまで説明することもなかろう」

 もう一人の『失礼な発言』の主、つまりダーヴィトが話に割って入った。

「いえいえ、ダーヴィト隊長。ロジーヌ殿もバウムガルト家の一員になるというのであれば、彼女も我々の仲間の一人。計画の全貌を知った上で、話に加わってもらうのがスジというものでしょう?」

 そもそも彼らの視点では、ロジーヌをバウムガルト家に嫁入りさせるというのは、八百長の交換条件という意味だけではないのだろう。日頃からダーヴィトに楯突く様子を見せる彼女を、いっそのこと仲間に引き込んでしまおう、という意図もあったに違いない。

 一種の懐柔策だ。だから、

「ふむ。言われてみれば……。それもそうかもしれん」

 クラトレスに反論されて、あっさり意見を翻すダーヴィト。

 それにしても。

 二人とも、完全に「ロジーヌは提案を受け入れるに決まっている」という前提で話をしている。なんということだ!

 色々と冷静に考えることで、今までロジーヌの怒りも、少しは抑えられていたのだが……。彼らの会話がきっかけで蘇ってしまい、限界突破する。

「冗談ではない! この私が、あなたがたの仲間になぞ、なるわけないでしょう!」

 声を荒げて叫びながら、ロジーヌは椅子から立ち上がった。

 そして、

「そもそも! 騎士は政治家の私兵ではない! 王のため、王国のため、王都のために働くのが、王都守護騎士というものです! 間違っても政争の道具になってはいけないのです!」

 朗々と響く声で、自身の主張を口にするロジーヌ。

 ダーヴィトとクラトレスの癒着を知って以来、彼女の胸の中でモヤモヤしていた思いが、ようやく今、明確な言葉となって吐き出されたのだった。

   

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