第四話 近衛騎士になるために

   

 王城の行政府は、城だけでもなく王都だけでもなく、王国全体を動かすことのできる政治機構だ。

 かつてはクラトレス・ヴィグラムも軍事部門の末席に連なり、その辣腕を振るっていたのだが……。城の中での政争に敗れた結果、今では人事官という閑職に追いやられていた。

 もしも人事権を完全に掌握できるならば、自分の息がかかった者だけを様々な役職に取り立てることで、一大派閥を築くことも出来よう。だが一介の人事官に、そこまでの権限はない。

 今回の件でも、城内における手駒を増やす意味で、新たに一人、近衛騎士団に送り込むのが精一杯だった。

 しかも、ただクラトレスが推挙しただけで近衛騎士に任命される、というわけでもない。何らかの実績が必要だった。そのために彼は、行政府の中で「剣術大会で優勝するような凄腕の騎士ならば、即戦力になるのではないか」という空気を作り上げてきたのだ。

 これで、彼と癒着してきたダーヴィト・バウムガルトの息子が――ダミアン・バウムガルトが――、近衛騎士団の一員として、王城に入り込むことになる……。それがクラトレスの計画であり、ダーヴィトやダミアンの野望でもあった。


 そう。王都守護騎士団で隊長職を務めるダーヴィトとしても、息子ダミアンが近衛騎士になるならば、こんなに嬉しいことはないのだ。

 王様のお側に仕えるというだけで、身分的にも一段階アップした感じがする。もしも妻が生きていれば大いに喜んだはず、とダーヴィトは思う。

 ダミアンの母親は没落貴族の末娘であり、バウムガルト家だって騎士としては名門であるにもかかわらず、嫁入りの際には「社会的地位が降格した」と感じていたらしい。それほど彼女が『貴族』を『騎士』より遥かに格上の存在と思っていることは、共に暮らす中で、ダーヴィトにもヒシヒシと伝わってきていた。

「王城で働く近衛騎士……。もはや騎士というより、貴族の一員みたいなものだな」

 亡き妻を想い浮かべて、思わずダーヴィトの口から飛び出した言葉。

 息子のダミアンも、城の役人であるクラトレスも、ぽかんとした顔になる。「何を言っているのだ?」と呆れているに違いない。

 ダーヴィトは慌てて、自分の言葉を上書きするつもりで、現実的な話へと切り込んだ。

「実務的なことを考えても……。ダミアンが城に上がれば、クラトレス人事官にとっては、優秀な手駒となるであろうな」

「おやおや、ダーヴィト隊長。ズバリ直裁的な物言いですね。まあ確かに……」

 クラトレスは苦笑いを浮かべて、

「……間諜スパイとして使ってきた者を、ちょうど一人、何者かに始末されたばかり。今の私は、一人でも多くの手勢が欲しいところです」

 正直な思いを吐露してから、キュッと酒をあおった。

 先ほどのメイドが、再び酒をぎに行く。今度は彼女は、その場から動くことなく、従順な商売女のようにクラトレスに寄り添った。彼が無意識のうちに彼女の腰に手を回して、その体をギュッと抱き寄せても、娘は文句一つ言わない。器量良しの顔には、営業スマイルのような表情が浮かんでいた。

 それを見届けてからダーヴィトは、クラトレスが持ち出した話に乗っかることにした。

「そういえば、街で今朝発見された、あの惨殺死体。クラトレス人事官の手の者であったな。あれは……。あなたの敵対派閥にられたのであろうか?」

「いや、あいつには副業もあったので……。そっちの関係でしょう。叩けば埃が出るようなやつでした。あまり深く詮索されると、私としても困るわけです」

「それについては、心配する必要はない。まあ、わしに任せてもらおう」

 脛に傷持つ者との繋がりが明るみに出るのは、王城の役人としては望ましくない。そのあたりの事情は、ダーヴィトも心得ている。

 今回は、身元不明の死体ということで、あっさり処理されるはずだった。ダーヴィトの担当ではないが、裏から手を回しておいたのだ。ダーヴィトとしては、クラトレスに一つ貸しを作ったつもりであり、釘を刺す意味もあって、今あらためて口に出したのだった。


 そもそも。

 クラトレスは「副業」「そっちの関係」と言ったが、当の間諜スパイにしてみれば、クラトレスのために働くことこそ『副業』だったのではないだろうか。

 その『間諜スパイ』の名前はギルベルト。以前にダーヴィトが調べたところによると、ギルベルトの本業は殺し屋だったらしい。自分の利益のためならば、年端のいかない子供でも平気で殺せるような、悪逆非道の殺し屋だ。

 元々は盗賊だったようで、最近でも時々、大きな商家に押し入って、強盗として荒稼ぎしていた模様だ……。ダーヴィトは、そう睨んでいた。

 王都守護騎士としては、そんな悪党は捕縛するのが当然。だがクラトレスの配下の者であればこそ、ダーヴィトは見逃してきた。ギルベルトの方でも、そういう利点があるからこそ、クラトレスの手駒になっていたのだ。

 そして。

 そんな悪党を用いるしかないクラトレスが、王城の行政府の役人としては小物であることも、ダーヴィトは十分理解していた。

 それでも、互いに利益があると思えばこそ、彼はクラトレスと結びついている……。

 

「ところでダミアン殿、本当に大丈夫なのでしょうな? 優勝してもらわないと、本当に困るのですぞ!」

 クラトレスの強い口調にハッとして、ダーヴィトは思索を打ち切り、頭を切り替えた。

 いつのまにか、ダミアンの近くで、面と向かって話をしているクラトレス。少し語気を荒げて、先ほども口にしたような内容を繰り返している。かなり酒が回ってきたのだろう、とダーヴィトは感じた。

「大丈夫です。バウムガルト家の名にかけて、絶対に優勝してみせます」

 ダミアンの「優勝してみせます」も、今夜ここで耳にしたのは、一度や二度ではない。しかも軽々しく「バウムガルト家の名にかけて」と口にするとは……。

 ダーヴィトは少し苦々しく感じるが、その気持ちが顔に出ていたらしい。気づいたクラトレスが、ダーヴィトに向き直る。

「ダーヴィト隊長。ダミアン殿の二回戦の相手は、あの『炎狐えんこロジーヌ』。優勝候補の一人ですよね。どうします?」

「うむ。ロジーヌか……」

 あらためて考えてしまう。『優勝候補の一人』どころの話ではなく、ダミアンが優勝するためには、彼女こそ最大の障壁となるだろう。逆に、ロジーヌさえ何とかすれば、あとは有象無象。どうにでもなると思うが……。

 ダーヴィトの表情が、ますます険しくなった。

 対照的に、ダミアンは和やかな口調で、自信のほどを述べ立てる。

「クラトレス人事官も父上も、心配し過ぎです。『炎狐えんこロジーヌ』などと言われていても、しょせんは女。私のスピードをもってすれば……」

 ダーヴィトとて「うちのダミアンが一回戦で負けるはずはない」と言うくらいであり、息子の腕前を信じている。剣の才に関しては、昔から「わしの息子は神童だ!」と思ってきたくらいだ。だからこそ「剣術大会で優勝して、近衛騎士に」というクラトレスの計画にも加わっているのだ。

 だが、さすがに今の発言は聞き捨てならなかった。あまりにも安請け合いが過ぎる!

「ロジーヌを侮るな、ダミアン!」

 ダーヴィトの剣幕に、ダミアンは言葉を飲んで、硬直してしまう。クラトレスまで、酒のグラスを口に運ぶ手が止まるほどだった。

「それほどの相手ですか、炎狐えんこは? 確か彼女は、ダーヴィト隊長の部下でしたな?」

「うむ。ロジーヌは……」

 そもそもダーヴィトの小隊は、王都守護騎士団の中でも少し特殊な部隊だ。

 王都の治安を守るためという名目で街の見回りをする警吏ばかりの中、ダーヴィト小隊の勤務地は南門屯所。近辺で騒ぎが起きれば、門の内側だけではなく、門外も彼らの担当となる。

 つまり。

 野外をうろつくモンスターと戦うのも、ダーヴィトたちの仕事だった。

 いにしえの伝説の時代に四人の勇者が四大魔王を討ち滅ぼし、魔王の庇護が消えたことで弱体化したモンスターたちは、人間に飼い慣らされるレベルにまで落ちぶれたと伝えられているが……。

 実際には、今でも時折、街の外で野良モンスターが発見されることもある。野良モンスターは、ペット屋で売られているような馴化されたゴブリンとは違って、恐ろしく凶暴だ。

 そうした野良モンスターと戦う時、ダーヴィト小隊の中で主戦力となるのは、やはり『炎狐えんこロジーヌ』。だからダーヴィトは、誰よりもロジーヌの強さを知っているつもりだった。

「実戦的な我が小隊の中でも、彼女は随一の実力者だ。わしは何度も、炎狐えんこの炎に焼かれるウィスプや、一刀のもとに両断されるゴブリンを見てきたのだ」

「しかし父上。モンスター相手の戦闘と剣術試合とでは、まるで話が異なります」

 ダミアンには父親の言葉は通じておらず、まだ楽観視しているらしい。

「知っていますか? 彼女は試合では、得意の炎を相手に当てようとしないのですよ。女性ゆえの優しさなのでしょうが、そんな甘さがあるようでは、とてもとても……」

「馬鹿者! それが騎士道というものだ! 炎の魔法を直撃させたら、それで終わってしまう! 剣の試合にならぬではないか!」

 さすがにダミアンを一喝するダーヴィト。これにはダミアンも反論できず、口を閉ざして、シュンとした顔になる。

 代わりに、今度はクラトレスが口を挟んできた。

炎狐えんこと当たるのが二回戦というのも、ちょっと都合が悪いですなあ。直後に三回戦がある。過去の大会でも、あの炎狐えんこを打ち負かすほどの剣士が、力を使い果たして三回戦では嘘のようにボロ負けしたとか……」

 そう。たとえダミアンがロジーヌを倒したとしても、その疲れから同日の三回戦で負けてしまっては意味がない。準決勝のベスト4に入るという中途半端な名誉ではなく、優勝という確かな実績が必要なのだ、近衛騎士になるためには。

「どうです、ダーヴィト隊長の部下なのですから……。隊長命令で、手加減するように指示してみては?」

「八百長を持ちかけろというのか? 王城で行われる、えある剣術大会で?」

 ダーヴィトの顔に浮かぶ驚きの色に、

「何を今さら……」

 と、呆れたように呟くクラトレス。

 確かに『今さら』だ。クラトレスと裏で繋がっている時点で、もう『えある剣術大会』などと口にする資格はなかった。自分が十分に汚れ仕事もしてきたことを、あらためてダーヴィトは実感する。

「そうだな……」

 つい先ほども考えたように、残ったメンバーの中で、ダミアンが手こずりそうな相手はロジーヌだけ。他は真っ当に戦っても、ダミアンの勝利となるはず。そう、問題は、ロジーヌだけなのだ。

「だが、わしが命じたところで、素直にロジーヌが聞き入れるとも思えぬ……」

 そこまで言いかけたところで。

 ダーヴィトの頭に、一つのプランが浮かんだ。

「待てよ? 単に命じるのではなく、取り引きを持ちかけるという手はあるな」

「取り引き……ですか?」

「ああ、そうだ」

 聞き返してきたクラトレスに対して、ダーヴィトは、満面の笑みを見せる。

「交換条件だ。ロジーヌにも、それなりの利益を与えてやれば良いのだ。剣術大会の優勝などよりも大きな、実務的な利をな」


――――――――――――


 一夜明けて、剣術大会一回戦の翌朝。

 いつものようにピペタ・ピペトは、王都守護騎士団の南部大隊の詰所へ向かっていた。

 騎士といってもピペタたち王都守護騎士は、王様にじかに仕えているわけではない。王都の見回りが主な任務であり、しょせん街の警吏に過ぎないのだ。彼らは四人一組の小隊――伝説にある四人の勇者にちなんで四人組――で行動するのが基本のため、まずは詰所で小隊メンバーが集合するところから、一日の仕事が始まるのだった。

 南部大隊のほぼ全員が一堂に会するため、そこには『詰所』という言葉のイメージよりも大きな建物がある。かつて、広々とした白い詰所に初めて足を踏み入れた時、ピペタは感動すら覚えたものだったが……。

「さすがに昨日『白王宮』を目にしたばかりだからな。同じく白い建物というだけで、もう立派にも豪華にも見えなくなってくる」

 独り言と共に苦笑しながら、ピペタは詰所に入っていった。

   

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