第二話 彼女の試合
ロジーヌ・アルベルトの対戦相手は、まだ若い男性騎士だった。
「先手必勝!」
若い男は叫びながら、ロジーヌに向かって突進してくる。スピードには自信があるのだろう。神速の踏み込みだ。
「ハッ!」
気合の声と共に、剣で受けるロジーヌ。
剣と剣とがぶつかり合う音が、中庭に鳴り響くタイミングで。
「アルデント・イーニェ!」
ロジーヌは、弱炎魔法カリディラを唱えた。
「ほう……。早くも切り札の魔法剣を使うのか」
感嘆の声が、観戦していたピペタ・ピペトの口から漏れる。
ピペタは自分の試合の中で、闇の魔法を用いたネブリス・テーネに対して「卑怯な!」と罵ったが……。
それとは大きく異なり、ロジーヌの魔法に関しては、全くネガティブな印象を持っていなかった。
そもそも、ロジーヌの魔法は攻撃魔法。ネブリスの用いた補助魔法とは全く違う。
攻撃魔法を至近距離から対戦相手に向かって放つのであれば、ピペタであれ誰であれ「騎士らしくない戦い方だ」と眉をひそめるかもしれない。だがロジーヌは、そんな戦い方は決してしない。
では、彼女は魔法をどう使うのか。
その答えは、ロジーヌが両手で握っている剣にある。
ピペタが『魔法剣』と口にしたように、ロジーヌの剣は今、彼女の魔法を受けて、刀身が真っ赤な炎に包まれていた。
ロジーヌの剣は特殊な武器、いわゆる魔剣の
単に伝説にあやかって、そう呼びたいだけなのだろう。そもそも勇者伝説に出てくる
それでも、こうして炎の魔法に耐えうる刀身である以上、十分に便利な魔剣だ。特に『
「魔法は対戦相手に当てるのではなく、あくまでも武器のパワーアップに
一人で頷きながら、ロジーヌに対して賞賛の言葉を口にするピペタ。そんなピペタの視線の先で、今、ロジーヌの戦いは……。
「くっ!」
対戦相手の男の口から、忌々しそうな声が漏れる。手にした剣を通して、炎の熱が伝わっていたようだ。
剣と剣とをかち合わせるだけでも危険。そう判断したらしく、男は、跳んで距離を取ろうとするが、
「逃がさん!」
男の動きに合わせて、さらに一歩、ロジーヌが踏み込んだ。同時に、灼熱の魔剣を振るう。
「……!」
男は男で、咄嗟に剣を突き出し、ロジーヌの剣を跳ね除けようとする。
だが。
その動きまで、彼女は読んでいた。
途中で斬撃の軌道を変えて、男の体めがけて斬りつける!
体を捻ることで、さらなる回避を試みる男だが、急所への一撃を避けるのがやっとだった。
「ぎゃっ!」
ロジーヌの斬撃は男の右腕をかすり、ジュッと肉の焦げる音がしたのと同時に、男は手から己の剣をこぼしていた。
「これがロジーヌ殿の魔剣の恐ろしさだ。浅い一撃だったのに、かすっただけで、あの威力……。焼きごてを押し当てられるようなものだ。あの若い騎士、腕を焼かれることなど想定していなかったのだろうな」
あらかじめ予想しておれば、さすがに大事な剣を取り落とすことはあるまい。ピペタは頭の中で「自分ならば」をシミュレーションしながら、試合に視線を送る。
「いや、もはや見るまでもないか……」
嘲笑気味にピペタが呟いたように。
武器を手放した男の喉首に向かって――寸止めとは言えないくらい余裕のある距離で――、ロジーヌが剣を突きつけていた。
すでに彼女は、魔法剣の状態を解いており、魔剣から赤い光は消えている。
男の口から「参りました」の言葉は出なかったが……。
それでも。
「第五試合、それまで! 勝者、ロジーヌ・アルベルト!」
試合の終了が宣告された。
「さすがですな。あのような若者、貴殿の敵ではなかった」
ピペタが南壁の通路でロジーヌを出迎えると、彼女は少し意外そうな表情を浮かべる。
「おや、ピペタ殿。控え室には戻らなかったのですか」
「ええ、私も貴殿の戦いぶりは、是非この目で見ておきたかったので」
ピペタは、自分が言われて嬉しかった言葉を意識しながら、そう返した。
続いて、ロジーヌの顔に少しでも喜びの色が出ていないか、目を凝らして観察したが……。ピペタには女性の気持ちを読み取ることなど難しく、そこは期待外れに終わった。
「ハハハ……。今さら私の試合など見ても、あなたほどの剣士には、勉強になる点もないでしょうに……。いや、決勝戦のための偵察という意味ですかね?」
「まあ、そうですな。五日後の決勝戦、楽しみですよ」
決勝トーナメントは、今日の一回戦八試合の後、二日間の休みを置いてから、三日後に二回戦の四試合と準決勝の二試合、合わせて六試合。さらに一日の休みの後、決勝戦が行われる。
決勝戦の日は一試合しかないことになるが、準決勝までとは違って三本勝負となるため、あまり「たった一つ」感はない。
これが、毎年恒例の大会日程だった。
本来ならば、二日及び一日の空白期間など挟まずに、続けて三日間で終わらせてしまうべきなのかもしれないが……。
何しろ、これは王都守護騎士団の剣術大会だ。特に、予選を勝ち抜いた騎士たち、つまり強豪ばかりが出場する決勝大会だ。
街を守るべき王都守護騎士団の精鋭たちに、三日連続で仕事を休ませるわけにはいかない……。そんな配慮から、こうしたスケジュールが組まれているらしい。
それでも、実際。
剣術大会の時期には、出場者以外の中でも「今年の大会はどうなるのだろう」と
特に今年は、ここ最近、同一犯によるものと思われる押し込み強盗が頻発しているくらいだった。
「認めましたね、偵察?」
ロジーヌが、冗談めかした口調と共に、子供っぽい笑顔を浮かべる。
彼女のこうした表情を見られるのは、貴重かもしれない。大の大人が『子供っぽい笑顔』というのは、似合わない人には本当に似合わないものだが、ロジーヌの場合は可愛らしく見えるではないか……。
ピペタが内心で、感激に近い気持ちになっていたら、
「では、私も……。二回戦のための『偵察』を行うとしましょう」
そう言ってロジーヌは、くるりとピペタに背を向けた。
「えっ?」
「だって、次は第六試合ですから」
振り向きもせずに、簡潔に返すロジーヌ。
言われてみれば当たり前だ。第五試合を勝ち上がったロジーヌは、今から行われる第六試合の勝者と、三日後の二回戦で対戦することになる。
何故こんな明白なことを忘れていたのだろう。ピペタは、自分の愚かさを笑いたくなった。特に、少し前まで「ロジーヌと二人で一緒に、控室まで戻ろう」と考えていた自分を。
「それに……」
ここでロジーヌはチラッと振り返るが、もうその顔には、先ほどのような笑顔は浮かんでおらず、真面目な表情になっていた。
「……第六試合には、我が小隊の隊長の一人息子も出てきますから。その意味でも、私には、見ておく義理があるでしょう」
「ああ、なるほど」
曖昧な返事をするしかないピペタに対して、
「だからピペタ殿は、どうぞ先に控え室へ戻っていてください。あなただって、王城には興味あるでしょう?」
ロジーヌは少しだけ表情を和らげながらも、ある意味、無慈悲な言葉を送ってきたのだった。
ピペタたちは王都守護騎士であって、近衛騎士ではない。王都守護騎士団が守るべき『王都』は、あくまでも街であり城の外。一方、城内は近衛騎士団の管轄だ。
だからピペタたち王都守護騎士が王城アルチスに足を踏み入れる機会は、毎年の剣術大会だけだった。この機会に少しでも王城を見学したいという気持ちで、控え室近辺を――立ち入り禁止ではない範囲内を――うろうろする騎士たちは多い。
それは決してミーハーな気分ではなく、ごく当たり前の好奇心だと扱われていた。特に今年は「今大会の優勝者は近衛騎士団にスカウトされる」という噂が流れているせいもあって、騎士たちの『王城』への関心は、いっそう強くなっているように見えた。
「まあ、そうですな。では、私は、これで……」
不自然ではないように、ピペタは、先に一人で控え室へ向かおうとしたが……。
「ああ、そうそう。一つ大事なことを、言い忘れておりました」
歩き出してすぐに、その足を止めて、再びロジーヌに向き直る。
「おめでとう、ロジーヌ殿」
「おめでとう……? ああ、一回戦を勝ったこと……」
「いや、それもそうだが、もう一つ。明日はロジーヌ殿の誕生日でしたな? だから、おめでとう。これで、あなたも……」
「しっ、黙って! 続きは、この試合の後で!」
もはやロジーヌは、ピペタの方を向いていなかった。「ストップ!」と言わんばかりの仕草で、手だけを突き出してくる。
さすがに、ピペタも口を閉ざした。
ロジーヌの視線の先に目を向ければ、すでに第六試合が始まっていた。
若い痩身の騎士と、
「ほう……」
観戦モードに気持ちを切り替えたピペタの口から、感嘆の声が漏れる。
斬撃の威力は中年騎士に
「せっかくの重い一撃も……。当たらないようでは、無用の長物ですな」
ピペタがコメントしたように。
中年騎士の攻撃は空振りばかり。
そして。
何度かそれが続くうちに、わずかに体勢が崩れた。
その一瞬の隙に、若い騎士の素早い一撃を急所に食らい、
「第五試合、それまで! 勝者、ダミアン・バウムガルト!」
ピペタとロジーヌの横を、恰幅の良い中年騎士が、すごすごと下を向いたまま通り過ぎていく。ピペタの目には、試合中は勇ましく思えた
敗者の姿が完全に視界から消えるのを待って、ロジーヌは口を開いた。
「さて。では、私たちも控え室へ戻りましょうか」
軽く微笑みかけながら、促すように、ピペタの肩をポンと叩く。
「何か私に話があったのでしょう? 待たせてしまって、申し訳ない。結局ピペタ殿にも観戦を付き合わせる形になって……」
「いやいや、構いませんよ。むしろ、喜ばしいことでした。どんな試合であれ、やはり興味深いですから」
途中までは思いっきり本心だが、後半は、とってつけたような理由だった。
そのまま二人は、並んで通路を歩き出す。特にピペタは、気持ちも軽い足取りで。
「確かピペタ殿は、私の誕生日について言いかけていたような……」
「そうです。一日早いが、おめでとう、ロジーヌ殿。あなたも私と同じ、三十代の仲間入りだ」
「ハハハ……。三十路に突入する誕生日など、めでたくも何でもないですけどね」
ロジーヌの口元に苦笑いが浮かぶ。
彼女でも歳を気にするのか、やはり女性なのだな、とピペタは新鮮に感じた。
「では、今年は誕生日祝いなどもナシで……?」
「『今年は』どころか、もう何年も、そんなもの無縁ですよ」
「特に予定がないのならば……」
ここまでは、順調な話の展開だ。
そう思いながら、ピペタは慎重に、次の言葉を続けた。
「我が家で明日、貴殿の誕生日会というのは、どうですかな?」
「誕生日会……? この歳になって……?」
「いや、そんなに大げさに考えないでいただきたい。今日の二人の祝勝会を兼ねる形、という程度の意味ですな。
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