私が愛した女騎士(『異世界裏稼業 ウルチシェンス・ドミヌス』外伝:エピソード0)

烏川 ハル

第一話 彼の試合

   

 さわやかな風薫る、明るい初夏の一日。

 王都守護騎士団の一員であるピペタ・ピペトは、いつもの騎士鎧で身を固めて、王城アルチスの中庭に立っていた。

 王城アルチスは複数の王宮から構成されているが、そのメインの一つ――通称『白王宮』――は、中庭の西側に面して、そびえ立っている。さらに中庭は、『コ』の形を成す壁のような建物で他の三方を囲まれており、ある意味、閉鎖的な空間だった。近衛騎士団が秘密裏に軍事鍛錬を行う場合にも、この中庭が使われるのだという。

 敷き詰められた芝生は、何度も強く踏みしめられた影響で、ところどころ禿げていた。剥き出しになった茶色い土の上で、同じ場所に立ったであろう先人のことを思いながら、ピペタは己の足に力を込める。

 今日は、王都守護騎士団の剣術大会、その決勝トーナメントの初日だ。一回戦の八試合が行われ、十六人から八人に絞られる。

 毎年のように成績優秀者として名を連ねるピペタは、今年も決勝トーナメントへ駒を進めており……。

「第四試合、始め!」

 彼の本日の戦いが、今、スタートするところだった。


 両手で握った騎士剣を構え直し、ピペタは、改めて対戦相手に目をやる。

 男の名前は、ネブリス・テーネ。ピペタと同じくオーソドックスな構えを見せているが、見た目からではわかりにくい特色があることを、ちゃんとピペタは知っていた。

 なんとネブリスは、呪文を唱えることで、いくつかの魔法を発動できるのだ。

 いにしえの勇者伝説によれば、昔々の人々は、大半が魔法を使えたそうだが……。現代の人々は、誰でも潜在的な魔力こそ有しているものの、それを呪文詠唱で『魔法』に変換可能な者――いわゆる魔法使い――は少ないと言われている。

 そんな中、ネブリスは卓越した剣士でありながら、同時に、かつて闇系統と言われた魔法を――特殊な補助魔法を――使いこなすらしい。だから彼は、一部の騎士たちから『闇の魔剣士』という通り名で呼ばれていた。

 同じ王都守護騎士であっても、ピペタとは所属する大隊が異なるため、個人的な面識はない。それでもピペタは、以前の剣術大会において、ネブリスが不思議な魔法で相手の動きを鈍らせるのを目撃したことがあった。

 あれをまともに食らったら、自分でも苦労するに違いない……。かつてのネブリスの戦いぶりが、ピペタの脳裏にちらついた瞬間。

「はあっ!」

 気合の叫びと共に、ネブリスが斬り掛かってきた。大上段にふりかざした構えに変わっており、一見、隙だらけの格好にも思える。だが、決勝トーナメントまで勝ち上がってくる剣士が、そのような『隙』を作るはずもなかった。

 互いの剣と剣とが届く距離に入る頃には、ネブリスの剣は、勢いよく斬り下ろされている!

「ふんっ!」

 ピペタは下から斬り上げる形で、これを迎え撃つ。

 二人の剣がぶつかり合い、ガキンという大きな音と共に、火花が散る。

 まずは互角。一旦距離を取って、再び打ち合おう。そうピペタは考えたし、相手の足腰の動きにも、後方へジャンプしようとする予兆が見て取れた。

 だからピペタは、大きく後ろへ跳び退くために、大地を蹴ったのだが……。

 その瞬間。

「ソムヌス・ヌビブス!」

 ネブリスは後方へ跳びながら、魔法の呪文を唱えた。

 ピペタにとっては、宙に浮いた一瞬という、回避不能なタイミング。だから魔法は、まともに命中する!


「くっ!」

 急激な眠気に襲われるピペタ。それでも、意識を失うことはなかった。己の精神力のみで、睡魔の誘惑に打ち勝ったのだ。

「これが睡眠魔法か……」

 魔法など使えぬピペタであっても、騎士学院に通っていた頃、魔法については一通り教わっている。魔法使いと戦うことを想定して、そのような座学があったのだ。

 その中で、それぞれの魔法の詠唱文も覚えさせられたが、勉強の苦手なピペタは、当然のように忘れてしまっていた。それでも、こうして実際に食らってしまえば、今のが睡眠魔法ソムヌムであったことくらい、はっきりとわかる。

 確か睡眠魔法は、時々は不発になることもある魔法。ただし発動さえすれば――不発でなければ――相手を眠りに落とせるはずであり、本来ならば『精神力のみで耐える』なんて無理なはずだ。

 ピペタは、かろうじて覚えていた知識を頭の奥底から引きずり出し、ネブリスの魔法使いとしての力量不足を悟った。

「未熟者め! それに、剣と剣との勝負に、このような魔法を……。卑怯な!」

 眠気覚ましの意味もあって、必要以上に力強く叫ぶ。魔法の使用がルールの範囲内であることも承知の上で、また、負け惜しみに聞こえることも理解した上で。

 ピペタの挑発に乗って、ネブリスが口を開く。

「卑怯……? ピペタ・ピペトが『卑怯』という言葉を使うとは、まさに片腹痛いですな」

 ピペタは、あえてフルネームで「ピペタ・ピペト」と呼ばれたことから、ネブリスの含意を察した。続くネブリスの言葉は、ほぼピペタの予想通りだった。

「生まれの卑しい者が王城の中庭に立つなんて! それこそ『卑怯』というものです!」

 ピペタは生粋の騎士ではなく、孤児院から養子として名門ピペト家に拾われた身だ。それをよく思わない者も、騎士の中には多いのだろう。騎士団で働くうちに、そんな空気をピペタは肌で感じるようになっていた。

 しかし。

 ここは剣術大会の場だ。

 問われているのは、剣の腕前のみ。

 生まれも育ちも、関係ないではないか!

 ピペタの心の中に、小さな怒りの炎が宿る。それは「発言すること・会話することで、少しでも眠気を吹き飛ばそう」というピペタの意図以上に、睡眠魔法ソムヌムの効果をかき消すものとなった。

「だが、さすがは、腕を見込まれてピペト家の養子に迎えられた男。そこだけは認めましょう。まさかあなたが、力任せに私の魔法を跳ね除けるとはね!」

 最後の語気を荒げたネブリスは、再び斬り込んできた。

 初撃よりも一段上のスピードで、剣も低く構えた上での突進だ。

「斬り払うつもりか? ならば!」

 ネブリスの次の挙動を推測し、これをピペタが迎え撃とうとした時。

「ネルボルム・レゾルティオ!」

 再び、ネブリスの呪文詠唱。

 ピペタの背筋に、ゾッとするような嫌な悪寒が走る。

 先ほどの魔法とは違う。今度は、絶対に食らってはならない!

 そんな本能的な予感と共に、ピペタは、横に跳んで魔法を避けた。

 いや、正確には、避けようとしたのだが……。

「くっ!」

 直撃は避けたものの、回避しきれなかったらしい。一瞬ピペタは左半身が急激に重くなったように感じ、続いて、左の手足の感覚を失った。

 左脚は棒のように動かず、左腕も、もはや剣を握ることは出来ずに、肩からダラリと垂れ下がるのみ。

 麻痺してしまったのだ。

 ネブリスの『闇の魔剣士』という異名は、先ほどの睡眠魔法ソムヌムよりも、むしろこの麻痺魔法トルポルに基づくものだったのだろう。今頃になって、ピペタは悟った。

 そして。

 ネブリスの方では、ピペタの姿を見て、早くも勝利を確信したらしい。

「左半身だけでも十分! それでは、もう剣は使えまい!」

 口元に笑みまで浮かべて、突っ込んできた!


「甘いな!」

 一声叫ぶと共に、ピペタは騎士剣を握り直した。

 それこそ、ピペト家の養子になる前の、孤児院時代。子供同士の喧嘩の場において、しばしばピペタは、木の棒を『剣』に見立てて武器にしていたのだが……。まだ正式に剣術を習っていなかった影響か、あるいは、無意識のうちに片手は空けておきたいと判断したのか。ピペタはもっぱら、右手一本で『剣』を操っていたのだ。

 体に染み付いた動きが、今、蘇る。

「はっ!」

 右手一本で、やや体を捻りながら、突きに転じるピペタ。

 両手で正面に構えるより、片手で横向きに突いた方が若干リーチが長くなることもあって、ネブリスの斬撃より早く、ピペタの一撃が決まった。

「ぐふっ!」

 苦痛の呻き声と共に、ネブリスが崩れ落ちる。

 殺し合いの場ならば、今こそ追撃のチャンスかもしれないが……。

 ここは戦場ではなく剣術大会のトーナメント。ダメージを負ったネブリスの体から戦意が失われていることは、ピペタだけでなく、見ている者の目にも明白だった。

「第四試合、それまで! 勝者、ピペタ・ピペト!」


 一礼して、試合会場となっていた中庭から去る。

 ピペタは、まだ少し痺れの残る左脚を引きずりながら、南壁と呼ばれる建物――中庭を囲む『コ』状の建築物の一面――へと向かう。その先にある控え室へ行くつもりで、南壁は普通に取り抜けるつもりだったのだが、

「さすがはピペタ殿。『闇の魔剣士』の魔法など、あっさり対処してしまいましたね」

 入ってすぐのところで、知り合いから声をかけられて、足が止まった。

「やあ、ロジーヌ殿。控え室ではなく、こちらにいたのですか……」

「どうせ、私の試合は次ですからね。それに、あなたの試合も見ておきたかったし」

 ロジーヌ・アルベルト。『炎狐えんこロジーヌ』とも呼ばれる、凄腕の女剣士だ。

 炎の魔法を操ることに加えて、すっきりとした細い顎や、わずかに吊り上がった細い目つきなど、狐を連想させる顔立ち。それらが異名の理由となっているらしい。

 しかしピペタから見れば、彼女の外見的な特徴は『狐』を思わせる個々のパーツではなく、むしろ長くて艶やかな黒髪の方だった。もちろん今は、剣術試合の邪魔にならぬよう、ポニーテールに束ねられており、ピペタは内心「これでは正面から見えにくいから、少し惜しい」と思うほどだった。

「ああ、そうでしたな。貴殿は第五試合だ。健闘を祈る……などと言う必要もなく、貴殿ならば、無事に勝ち上がるでしょうが」

 彼女の髪に想いを馳せていたことなど、おくびにも出さずに、ピペタは笑顔で返した。

「ハハハ……。もちろん油断は禁物ですが、でも、こんな一回戦で負けていられませんからね。今年こそ、あなたと決勝戦で戦うためにも」

 そう言い捨てて。

 ロジーヌはピペタに背を向けて、中庭へと歩き始めた。


 その後ろ姿を――特に揺れる黒髪を――何気なく見ていたピペタは、

「ならば私も……。控え室へ戻るのではなく、ここで試合を見させてもらうとしよう」

 自分に対して説明するかのように独り言を口にしてから、通路の壁にもたれかかった。

 ピペタとロジーヌは同じ南部大隊に所属しているが、彼女はピペタとは違って、王都を守る外壁の門番。他の王都守護騎士のように朝の詰所に集まることもなく、南門屯所と呼ばれる小屋へ直接向かう。だから仕事で顔を合わせる機会は滅多になかった。

 だから、こうして毎年の剣術大会で言葉を交わすくらいの親交しかないのだが……。それでもピペタは、年齢が近いこともあって、ロジーヌに対して親近感をいだいていた。彼女のことを「良き好敵手ライバル」と思ってきたし、たった今ロジーヌから「あなたの試合も見ておきたかった」とか「あなたと決勝戦で戦うため」とか言われた時には、心の中をくすぐられたかのような奇妙な喜びもあった。

 参加者十六名のトーナメントである以上、第一試合から第四試合までの八人と、第五試合から第八試合までの八人は、いわば別ブロックという形になる。勝ち進んだところで、決勝戦までは当たらない。それをロジーヌも意識している、ということだった。

「彼女との戦績は、三勝三敗……。五分と五分だ。今年だって、どちらが勝つか、わかったものではない」

 いつもの癖で、考え事が口に出るピペタ。

 実力伯仲といえば聞こえはいいかもしれないが、彼女との戦いには、いつも『後に引きずる』という感覚があった。特に二回戦でロジーヌと当たった場合には、三回戦――準決勝――が同日に行われるせいもあって、たとえロジーヌに勝てても疲労困憊したまま準決勝を迎える形となり、そこで嘘のようにアッサリ負けてしまう。ピペタが「これでは私に負けたロジーヌ殿まで『弱い』と思われてしまう!」と悔しくなるくらいだった。

「だが今年は、その心配もない。互いに万全の状態で、決勝戦という晴れの舞台で戦うことが出来る!」

 そこまで口にしたピペタは、心の中でだけ「ただし二人とも決勝まで勝ち抜いた場合の話だが」と付け加えた。


 そんなピペタが見守る中。

「第五試合、始め!」

 ロジーヌの試合が始まった。

   

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