第9話特殊な脳を持つ人達ー未来の景色を見る老婆

 彼女は戦後まもなく、笹影ささかげ家の末娘として生まれた。

 名前はヨウ。

 彼女は自分が生まれた瞬間の記憶を老婆という年齢になった今でも鮮明に思い出すことができ、幼少期から目を閉じて神経をとがらせることで近未来の光景を覗き見ることができる能力を持っている。

 だか彼女は、具体的に見えたそれを、誰かに話すことはない。それが禁忌とされていることを、知っているからだ。





 未来を見越すことのできる能力は、笹影家が代々受け継いできた能力である。

 その能力は非常に高く、それを活かして生計を立ててきた。

 この能力を外部に漏らさない為、能力を守るため、笹影家は基本的に近親者と結婚する。数十年に一度、血が濃くなりすぎないよう外部から嫁か婿を取る。

 外部から来た嫁や婿以外の、笹影家の人間の血が流れている者は、必ずこの能力が先天的に身についている。嫁や婿の血が半分流れていようが、笹影家の能力の濃さが勝るのから、半分が外部の人間の血だたとしても子どもは笹影家の能力を必然的に受け継ぐ。例外はない。


 明るく日の当たる世界の真裏。暗く、空気の滞った裏社会で、笹影家は古くから名を馳せてきた。今もそれは変わらない。

 そして笹影家の血が濃ければ濃いほどに能力は高く、そして短命である。ヨウの父はヨウが5歳の頃に、母はヨウが8歳の頃に亡くなった。そのあとを追うように兄や姉も結婚し子どもが能力者として自立した頃合いを見計らったように死んでいった。

 変わりゆく家族内の人間模様と、変わらない笹影家の稼業。それをヨウは、おおよそ90年間見守り続けてきた。


 笹影家は、山奥の古びた日本家屋を拠点としている。

 稼業が稼業なので、お金が入らない時期はない。いつの時代だって、政治家や企業主や世間をにぎわせているタレント等、意識無意識関係なく人の恨みを買ってしまう可能性のある金持ち達が、絶え間なくこの山中の家に足しげく通ってくる。


 今の笹影家の家長は、ヨウの一つ上の兄の息子の息子。ヨウにとって孫みたいな存在。彼は今年35歳。笹影家の人間にしては長生きな方である。家長の名はキリ。嫁は約50年ぶりに迎えた外の人間。子どもは3人いて、第一子は12歳で能力者として自立可能な実力をつけたらしく、つい先日祝いの議を執り行ったところだ。



 ヨウは兄や姉の死後、残された子孫たちを支え、時に叱りそして人生の終焉を看取ってきた。90年の人生で、たくさんの祝い事と生命の誕生に触れてきたが、その数と変わらないくらいの別れも経験した。

 ヨウの夫は、母の妹の末の息子だった。彼も能力者であり、本家であるヨウの家に婿養子として入った。

 家の雰囲気は、多分戦前戦後の一般家庭とそう変わらないと思う。義務教育期間中は麓の学校に大人が車で送り迎えをして、義務教育が終了すれば稼業を継ぐ。一昔前の日本では、よくある話だ。

 ヨウもそうやって育ち、娘2人と息子5人をそうやって育てた。


 娘2人は能力者として開花が早く、ずば抜けた能力を持っていた。

 容姿も端麗だったため、主に政治家の小汚いオジサンから絶大な支持を受けていた。しかし彼女たちの未来を見越す能力は、いつも残酷なものばかりを告げていた。

「海外旅行先でテロに巻き込まれて死亡します」

「汚職が明るみに出て、社会的に息ができなくなります」

「不倫相手から絞殺されます」

「今いじめているお嫁さんから見放されて孤独死します」

近い未来起こる事実なのに、自分の都合が悪いことには人間は耳を貸さない。信じないのだ。その結果、未来を伝えても相手は死んでしまう。

 彼女たちは悪くない。報酬と引き換えに起こる未来を伝えただけなのに。死神と言われ始め、先に次女が精神を病んで自殺し、長女が後を追って自殺した。

 息子5人も全員能力者として覚醒し、最年少は18歳で最年長でも40歳でこの世を去った。気が狂ったもの、病死や変死など、お世辞にも良い最期とは言えないものばかりだった。

 ヨウは夫と自分の子ども、息子たちの嫁を全て看取った。孫も何人も育てて、看送った。自分の人生はいったい何だったのだろうかと思うことが、生きている時間の大半を占めていた気がする。



 ヨウはどうしてこんなにも長生きなのか。それは、彼女が能力を口外していないから。他人の人生に介入する助言をしなければ、命は縮まらない。笹影家には代々能力を使わず家を支える人間が存在していて、ヨウはその役割を担っている。

 よく親族が死ぬ笹影家ではあるが、子どもの人数は多い。一夫婦当たり最低3人は子供を作る。女性はできるだけたくさんの子どもを産むよう、笹影家では教育をされている。でなければ家が絶えてしまう。

 現在の笹影家には、未成年が15人。大人は仕事で家を空けることが多く、長期で家を空ける人間も少なくないし、出先で死ぬこともあるから正確な人数は把握していない。


 そんなヨウの傍には今、孫娘のマイが居る。彼女はヨウの跡取りとして、様々なことを学んでいる最中なのだ。根が明るい性格で、陰湿になりがちなこの家の雰囲気を良くしてくれるマイの存在は、この家には欠かせない。



 時代の流れをテレビで眺め、変わらぬ稼業を支えること。これは人生をかけた奉仕だ。笹影家という家を支え、家の裏側をすべて担うことにもつながっている。だからこそ、善良な人間でなけでなければ跡を継がせるわけにはいかないと、ヨウは長年自分の跡取りを探し続けて、性格的な面を重視してマイを跡取りとして育てた。

 ヨウはとても優しい性格なので、跡取りとして選ばれたマイは運がよかったと、家にいる子どもたちは内心思っていた。短命な一族の一員として、ゆったりと人生を過ごすことができる見守り役はうらやましいという感情を抱きやすい。

 看取る側、看取られる側。その立場に立たなければ、それぞれの立場の苦痛はわからない。




 ヨウが病気で寝たきりになったのは、秋口だった。専門医の見立てでは、末期がん。年齢を考慮すると手術は適切ではないという話をされ、延命は望まないことをヨウは医師と家族に告げた。

 がんによる激痛を覚悟していたが、それをあまり感じることなく起き上がれなくなった。自分でも恐ろしさを感じずにはいられないくらいに、日を追うごとにヨウの体は弱って行った。


―これが人間の最期か


何人も看取ってきた家族のそれとは、全く違う自分に訪れる穏やかな死。昨日まで見えていたはずの目が、見えなくなっていく。呑み込めていたはずの唾も呑み込めず、子どもたちがかわるがわる痰や唾を細い管で吸引してくれる。

 ある日突然変死した兄や、首をつって死んだ姉。気が狂い裏山に駆け込んでいって遭難し、白骨化した状態で見つかった親族。いろいろな人間の最期がヨウの脳裏をかすめていく。


―私もようやく。息子娘、親兄弟と夫の元へ旅立てる…


 長い人生だった。

 辛いことが多かった。

 ようやく楽になれる。

 最期にヨウはマイを呼んだ。


 これはヨウの最初で最後の仕事。マイの近未来を見て、彼女に導きの言葉を残す。これも笹影家の伝統。

「マイ…」

ヨウのかすれた声。

「はい」

マイの声が、はっきりとヨウの耳に届く。

目はもう見えないが、彼女の声が震えていることは感じ取れた。

「もう少しすると…、あなたは婿を取る。この家を仕切り、家が大きく繁栄するのが見える…。これは10年以内に起こる、近い未来…。この家にはまた子どもが増えて、もう一軒家を買う。都会の一等地…、そこでマイは暮らしている…、そして…」

ああ、この子は間違いを犯してしまうのだ。表に立ってはならない笹影家の人間が、金にものを言わせてしまうのだ。マイが豪遊している姿が見えてしまう。震えていた声は、悲しみからくるものではなく、恐らく歓喜のそれだ。

 まだ言いたいことはたくさんあるのに、身体がもういうことを聞いてくれない。声が出ず、息も吸えない。

「ありがとう、おばあちゃん。ゆっくり休んで」

マイの手がヨウのしわだらけの手を包み込む。

 まだ話さなければいけないのに。


 心臓は力尽き、肺も空気を取り入れなくなって。最期にわずかに残った聴覚が、遠くで笑うマイの声を拾ったところで、ヨウの人生は幕を閉じた。




 ヨウの予言通り、マイは結婚して子どもを産んだ。家にあったマイと子どもたちが一生遊んで暮らせる金額の大金をごっそりと持ち逃げし、マイは都内の一等地の家を購入して優雅な暮らしを送っている。




 マイは知らない。

 ヨウの予言は、あれがすべてではない。

 ヨウが伝えたかった予言の最後はこうだった。




『そしてそこに住み始めて数年後。親族の手にかかって、マイも子どもも命を落とす。未来を変えなければ、あなたは子どもも命も失うのよ』




 パンドラに触れることは、命を縮める行為。

 それを熟知してヨウは力を公言せず、最期に温存しておいたのに。



 力を使い損ねてしまった。





 ヨウ死後、9年が経った頃。

 新聞の一面に、殺人事件の見出しが大きく載っていた。


『都内一等地で母子変死事件 犯人見つからず』


 笹影マイと彼女の子どもたちは、笹影家の手によって葬られた。

 マイは能力を使っていない。

 しかし笹影家のタブーに触れてしまったのだ。

 金の持ち逃げと、一族からの離脱。

 よって彼女の命は、家長であるキリの手によって絶たれてしまった。



「未来を見ることができる、約束を破ると命を刈る一族」



 マイの事件以降、笹影家は闇の業界でこう呼ばるようになった。

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