第4話特殊な耳を持つ人達ー霊の声を聞く少女
「亜美ちゃん、どこ見てるの?」
友人から声をかけられて、
「な、なんでもないよ!」
身体亡き者たちの声に静かに別れを告げて、亜美はランドセルを背負って友人たちが待つ廊下へと駆け出した。
亜美は、どこにでもいる小学5年生だ。身長は高めで、体型はすらりとしている。髪型はショートカットで、明るく元気で友達も多い。
死者からの声が聞こえるようになったのは、2年前の祖父の死がきっかけだった。
おじいちゃん子で時間があれば祖父と遊んでいた亜美にとって、祖父の死はあまりにも大きいものだった。祖父は病院で亡くなり、最期は呼吸もままならなかったから遺言らしいものも残さなかった。
お通夜と葬儀を終えて祖父を火葬し、骨壺に入って小さくなった祖父をお墓に入れて。四十九日も終えた。悲しくて寂しくて、亜美の心の中には大きな穴が開きっぱなしになってしまっていて、祖父の死以来、亜美はすっかり元気をなくしてしまっていた。
その夕食にもほとんど手を付けないまま、お風呂に入って部屋に戻った。
―おじいちゃんの声が聞きたい…
涙は流しすぎて、少し枯れ気味だった。その時、亜美の耳に聞こえるはずの声が届いた。
『亜美、ちゃんとご飯を食べなさい』
耳に馴染んだその声は、祖父のもので間違いない。亜美はその場から勢いよく立ち上がり、周囲を見渡してみたが、やはり祖父が居るわけはなくて。今のは何だったのだろうかと思いながら、その場に腰を下ろす。するとまた祖父の声が聞こえてきた。
『亜美、ご飯を食べなさい。お母さんにおにぎりを作ってもらいなさい』
ああ、私はおじいちゃんに会いた過ぎて、おじいちゃんの声を脳内再生してしまっているんだ。亜美はそう思い、小さくため息をついた。すると祖父の声は、それを見透かしたように再度亜美に声をかけてきた。
『おじいちゃんの体はなくなってしまったけど、おじいちゃんは亜美のことをいつでも見ている。ご飯を食べない亜美を、おじいちゃんはここ最近で一番心配している。お母さんがまだ台所に居るから、おにぎりを作ってもらいなさい』
亜美は自分に聞こえてくる祖父の声を、半分信じて半分疑ったまま、部屋を出て台所に向かった。
台所に向かっている途中で、祖父は亜美にこう告げた。
『おじいちゃんの声は、亜美にしか聞こえていない。霊の声が聞こえることは、ほかの人には言うんじゃないぞ』
祖父の声に、亜美は脳のてっぺんから声を送った。
『そうだね。いじめられちゃうかもしれないもんね』
そうすると、祖父から返答があった。
『そうだよ。いじめられてしまうことにもつながるかもしれない。亜美はお化けと話ができるけれど、これは亜美がおじいちゃんのところに来るまでの何十年間、ほかの人には内緒にしておくべきことなんだ』
祖父が生きていた時と同じように、亜美は脳のてっぺんで祖父との会話を楽しむ。
『どうして?』
誰かに話してはならないと言われると、仲良しの友達くらいには話したくなってしまうのが、亜美くらいの年代の子どもの素直な心理だ。秘密の能力という、その辺の人にはない力を持ってしまった以上、それを誰かに自慢したい気持ちを持つまでに何秒もかからなかった。
『他人に話してしまうと、おじいちゃんやほかのお化けの人とも会話ができなくなってしまう。それだけじゃなくて、亜美がおばあさんになって天国に逝くとき、おじいちゃんは亜美を迎えに行けなくなる。おじいちゃんは今天国に居るが、亜美がこの力を他言してしまうと、亜美は天国に来ることができない』
おじいちゃんと同じ天国に逝けないのは、絶対に嫌だ!というのが、亜美が抱いた強い思いである。
『それは困る!おじいちゃんが天国からお迎えに来るその日まで、誰にも言わない!』
『じゃあこれは、おじいちゃんと亜美の秘密の約束だ』
『うん!』
涙に暮れていた亜美は、誰も居ない廊下の暗がりで、亡き祖父と約束を交わしてそっと笑顔を取り戻したのだった。
時間的に母親は台所に居ることはないと思っていたが、祖父の言う通り母は台所に居て食器を洗っていた。
亜美は母におみぎりをねだり、台所にある小さな椅子に座って母の作ったおにぎりを頬張った。亜美のその様子を見て母は胸を撫でおろしていたし、亜美もおにぎりを一口食べたら食欲がわいてきて作ってもらったおにぎり2つをぺろりと完食したのだった。
その日を境に、亜美はいろいろな霊の声を聞くようになった。
姿は見えない霊たちからの声は、亜美が驚くほどに親切なものばかりである。心霊番組でささやかれているような、殺意や恨みのこもった声はとても少ない。
『ほらほら、前見なきゃ電柱に当たりますよ!』
親切なおじさんの霊の声に、何度も助けられた。
『宿題分かんねぇ!?こんなんも分かんねぇのか!しょうがねぇな、お兄さんが解き方教えてやるから、ちゃんとついて来いよ!』
多分不良だろう若いお兄さんの霊から、何度も算数の宿題の解き方を教えてもらった。このほかにも友達と口喧嘩をしたときにアドバイスをしてくれたり、恋の悩みも聞いてもらったりと、霊たちは体は見えないものの皆親切なのだ。
親切ではあるが、テストのときはどんなに脳のてっぺんから声を上げても誰も助けに来てくれないあたり、霊は亜美よりもずいぶん大人である。
亜美が霊の声を聞き始めて2年。祖父と会話することもあれば、ほかの通りすがりの霊と話をすることもある。亜美の周りには、生きている人間だけでなく身体を天国に返した人間もたくさんいて、彼女が一人ぼっちになることはほとんどない。
ただ気を付けておかなければならないことが、ひとつだけある。それは、亜美が向ける視線と彼女自身の表情だ。
霊と話をしているときは、恐らく霊はここに居るであろうと思われる場所を見つめているし、霊と会話をしているときは表情が緩むことも少なくない。
部屋で一人の時は、感情に任せて笑っても凹んでも問題ないが、人通りのある場所で霊と会話をする際には極力無表情でないと、変な目で見られてしまう。
つい先ほども教室に居たおばあちゃんの霊と話しているとき、無意識に霊が居るであろう場所を見ていたようで、友人からどこを見ているのかと声をかけられてしまった。
―気を付けなきゃ!
祖父との約束が破れてしまわないように。誰かに気がつかれないように。これからもいろんな霊と、楽しく過ごしていくために。亜美は自分にそう言い聞かせて、友人たちのもとへと走った。
亜美の変化は思春期だからだと、家族は思っている。
父親も祖母も、兄二人も、亜美がどこかをぼんやり眺めたり、たまに何もない場所を見て軽く笑っているのも、思春期特有のソレなのだろうと思っているのだ。
兄二人は亜美と年齢が離れているため、亜美が可愛くて仕方ない。彼らも思春期を経験し、長男は社会人、次男は大学生になっている。こんな時期、俺たちにもあったなと思っては、亜美が時折見せるそれを微笑ましく見守っている。
父と祖母は、少し亜美のことを心配している。おじいちゃん子だった亜美が、時折何もない場所を見て笑うという行動を取り始めたのが、祖父の死んだ時期からだからだと分かっているからだ。気が触れてしまったのかと心配することもあるが、亜美がこれ以上のアクションを起こすこともないので、今は彼女を見守っている。
だが、母親だけは違う。亜美が“なにか”を感じていることはわかっていた。
そのことを深く追求しなかったのは、母自身確信が持てなかったから。亜美は何かを見えているのか。それとも何かが聞こえているのか。目に見えない何かと会話をしているのか、それとも立ち聞きしているのか。どれか分かれば亜美にその話をしてみようと、彼女はひっそりと目論んでいる。
亜美は家族が自分へどんなことを思っているのかなど、知る由もない。霊と会話ができるということさえ見破られなければ、どんな霊と話しても支障はないのだから。
ごくたまに、霊にも荒んだ人がいる。
『呪い殺してやる』
『明日お前を殺す』
こんな物騒なことを言う霊もいるわけだが、彼らは殺意を口にしている時点で、殺しに来ないことを亜美は心得ている。本気で殺したいなら、黙って背後から殺しに来るはず。殺し方なんて選びたい放題なのに殺意を口にして脅してくるということは、かまってほしい時だと分かっているのだ。
『どうしたの?私でよければ話を聞くよ?』
こんな風に頭のてっぺんから霊に話しかけると、彼らは自分の無念の思いを語り、彼らの辛かった思いに亜美は耳を傾け彼らに時間が許す限り寄り添う。
そうすると霊は、亜美のもとから去っていく。身体を失っても、生身の人間とそう変わらない。ただ身体がないからこそ、はけ口がない。
未練に囚われて成仏できずにいる。その苦しみを、ほんの少しだけ軽くしてあげたい。亜美は霊から日々恩恵を受けている。だからその恩返しをする気持ちで、殺意を向ける霊に耳を傾け心を開き、彼らに寄り添って少しでも心を軽くしてあげたいというい思いを、いつからか持ち始めていた。
春の終わり。梅雨が始まり、雨が続いて庭の小さな庭に紫陽花が咲く。しとしとと連日雨が降り、昼間でも部屋の電気をつけるような日が続いている。
「ただいま」
亜美はいつも通り学校から帰宅した。雨足は強くないが、継続的に降り続ける雨の量は少ないものではない。傘と雨靴を使っていても、亜美の膝小僧とランドセルはしっかりと濡れていた。
『雨に当たったんなら、タオルで拭かなきゃ風邪を引いてしまうからね』
今日話しかけてきたのは、以前話したことがあるおばさんの霊だ。もちろん親族でも何でもない。知り合いの霊、というべきだろうか。
『そうだね、ありがとう。思ったより濡れてる』
亜美は家に入ってリビングにたどり着くまでの間、歩きながらおばさんの霊と会話をしてリビングのドアを開けた。
「おかえり。はい、タオル」
母親がちょうどよくタオルを準備してくれていた。
「ありがとう」
手渡されたタオルを受け取り、テーブルの近くにランドセルをおろして、汗と雨でしっとりと湿った靴下を脱いでその辺の置く。膝小僧の雨を拭き取って、ランドセルの雨水を拭き取っていると、母親が亜美と自分の分の麦茶をテーブルに置いた。
『靴下を洗濯機のところまで持っていかなきゃ』
おばさんの霊は、何と言ってもおばさんなのだ。言うことが母親とよく似ている。
『わかってるって』
亜美は脳のてっぺんで彼女にそう受け答えしながら、ランドセルの水分を拭き取る。
「わかってるんなら、さっさとしなさい」
母の声。亜美はとっさに顔をあげて、母親に視線を向けた。
「靴下。洗濯機のところまで、持っていきなさいって言われてるじゃない。さっさと持って行きなさい」
どうしていきなり霊との会話に母が加わってきたのだろうか。亜美は混乱しながらも、しらを切った。
「な、何言ってんのお母さん。面白いな…」
ハハハハという亜美の乾いた笑い声がリビングに響く。亜美の引き攣った表情を横目で確認し、母親は小さくため息をついた。
「母さんが気がついていないとでも思ってるの?」
そんなこと言われてしまうと、逃げ台詞が浮かんでこない。なんだかんだ言っても、亜美はまだ小学生なのだ。
「ちょっと…待ってよ…」
どうして母親が自分の能力に気がついているのか、理由はよくわからない。だが当てずっぽうで言っているセリフではないことも亜美にはわかる。
「母さんもね、聞こえるの」
母親の次の言葉が怖い。何と返せばよいのだろうか。
私も聞こえていると、素直に言ってしまえばよいのだろうか。
そんなのあるわけないじゃんと、冗談ぽく返せばよいのだろうか
あれでもない、これでもないと、亜美の頭の中にいろいろなことが渦巻いていると、母親の唇が今にも動ぉ始めようとしているではないか。
―どうすればいい…!どうすればいい…!!
追い詰められた亜美の脳裏に、祖父との約束が駆け抜けた。
『亜美がこの力を他言してしまうと、亜美は天国に来ることができない』
亜美の意識と目がカッと開く。
亜美の手が、勢いよく母親の口を塞ぐ。母親は亜美の行動の意味がわからないようで、驚いた様子で亜美の顔に視線を落とした。
「ダメだよ!言えない!言っちゃいけない!これ以上ダメなんだからね!!!」
今までに見たことのない剣幕で亜美は母に迫り、彼女を黙らせた。
祖父との約束。守るべきそれを破ることは、絶対に許されない。たとえ母が相手だとしても、それは許してはならないのだ。
母親は亜美の迫力に精神的に押し倒されてしまい、亜美のそれに応えるように何度か頷いた。
それ以降、母親が亜美に同じ話を持ち掛けてくることはなくなった。
亜美は今も祖父との約束を、純粋に守り続けている。破ってはならない約束。これを破ってしまわないよう、祖父はいつまでも亜美を見守り続けている。
遠くなく、近くない存在。それが今の亜美と霊の距離感なのかもしれない。
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