カメラロール
iPhoneのカメラロールはメモ代わりのスクリーンショットで埋まっている。
何かの折に昔の写真を探そうとすると、自分や友人の写真はほとんど無く、
無機質な画面のキャプチャばかりが目に入る。
意外に思われることが多いのだが、私は写真が苦手だ。
所謂セルフィーなんてもっての外だし、集合写真もそれほど好きではない。
今思えば、父も魂が取られるだの何だのと言って写真を嫌っていた覚えがある。
何も、そこを真似たわけでもないのだがあまり写真が好きではないのだ。
わざわざカメラを(専ら携帯電話が役割を代わったが)取り出して、
それを自分たちに向ける動作がどうにも大げさに思えてしまうのである。
しかし、カメラロールを覗いたときにあまりにも写真がないと、自分があの思い出の中に本当にいたのだろうかと考える。
私自身、友人は多い方ではあるし、本来であれば写真の数枚は残っているような場面も多い。
故に大抵、他人のカメラロールには私の居場所がある。
自分などというものは、他人の中にしかないのだという話もあるが、
私の姿は他人のカメラロールの中にしかないのである。
だが、他人の中の私を知ること程ではないが、
他人のカメラロールの中の私を見ることは難しい。
だからこそ、なんとなく、自分の証明がないような心許ない気分になるのである。
そして、そういうときに限って、イヤホンから流れる曲が思い出のものであったりして、
私に回り道を選ばせるのだ。
快便のときに読むとちょうどいい長さのエッセイ。 寿司 @zumis
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