しんどさ
何かできる気がしたんですよね。
私のタバコに火をつけながら、
あっけらかんとして彼女は言った。
池袋北口から路地を一本入った地下のキャバクラ。
そのボックス席の角にかけた私についたのは愛媛生まれの女性だった。
男三人で出向いたのだから当然他の二人にも女性はついていたし、
彼らについた女性は入れ替わっていたのだが、
不人気なのか私の右隣の彼女だけ席を立たなかった。
そのせいで彼女が暇を持て余したのか、ぽつぽつと話しだした。
大学を出なかった自分なりになにかになれる気がしたんです。
ふわりとした自信だけ持って、
東京に出てきて、フリーターやって、コンビニの店長からしょうもない嫌がらせを受けて、大好きなおばあちゃんに泣きついて、情けない愚痴を言って慰めてもらいました。その一方で積み上がる自意識とは反対に預金残高は減っていって。
スーパーの豆腐だって買えないぐらいには減りましたよ。
でも、そうやって、
なにか一つ眼の前のことを片付けるたびに、
何かもっとうまくやれたはずの自分とか、
何者かになれる気がしていた自意識が一つずつなくなっていくんですね。
でも、ちょっと私かわいいじゃないですか。
ビビりながら、私なら売れるんじゃないかなって思って日払いのあるキャバクラに電話したんですよ。
もう、suicaの残高と明日の食費ぐらいしか残ってなかったんじゃないかな。
とにかく働かせてくれって言って、
なんとか給料をもらって、今に至るんです。
まあ、お店はちょくちょく変えてますけど。
ああ、私は何者にもなれないのかも知れないって気づいてしまったように思うんです。
私のいい加減な相槌に合わせてけろりとした顔で、場所に似合わない独白をした彼女自身が、
この話題を引きずることを望んでいないように見えたので、
私が適当に相槌を打ち、他の男に水を向けた。
そこでこの話は続きもなく終わる。
しかし、この話はなかなかに当を得たもので、
所謂、人生のしんどさに通ずるものがあるように思うのである。
自分と、その人生に妥協し折り合いをつけること。
それが真剣に生きることでもあろうし、人生のしんどさなのだと思う。
受験でもいい、就職活動でもいい。
もっと望む進路を進めたかもしれない可能性、
もっと素晴らしい何者かになれたかもしれない可能性、
眼の前のことに一つ一つ取り組むことでその可能性を確定させ、
今の自分をほんの一欠片受け入れる。
文章を書くことでもいい。
一段落、一節、一文、いや、一文字でも。
ほんの一文字書くごとに、自分はその気になれば素晴らしい文章がかける、その可能性が確定していく。
自分の書ける文章が確定していく。
書かずに、挑まずに、目の前の物事を放置すれば、決して見ることのない確定した可能性を受け入れ、
甘い幻想を否定していく。
それと引き換えに、今の自分を、人生を、限界を、自分が何者であるかを、
ほんの一欠片ずつ受け入れていく。
この積み重ねに耐えうる時間の長さは、
確定させきらないだけの可能性の積み重ねや、
このしんどさを受け入れる準備が保証するのではないかと思う。
その準備がきっと、彼女にとってのおばあちゃんであったり、誰かにとっての恋人であったり、自分を無条件に愛する誰かを見つけることかもしれないし、
近所に安くて美味い鯖の味噌煮を出す定食屋を見つけることかもしれないし、
雨の日でも気分を良くするお気に入りの雨靴を持つことかもしれないし、
家に少しいいお酒を一本常に持っておくことかもしれない。
そうやって稼ぐ自分の残り時間が、
また新たな自分の可能性を作るのではないかと思っている。
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