僕を受け入れてる時が分かる

僕は、相手が僕を拒絶しているか受け入れているかが分かる。話し方や視線や体の力の入れ方で。


正しくは、『僕を受け入れてる時が分かる』と言った方がいいかな。だから受け入れてないと感じた時は拒絶していると捉えるようにしてる。『どうでもいいと思ってる』っていうのも基本的に拒絶に分類してるかな。


だから僕は拒絶してる相手にしつこくすることはない。そういう意味ではつきまとったこともないか。妻も、がんが判明するまでは僕を受け入れてくれてた。でも、それ以降は拒絶してたのが分かる。


もちろん拒絶されて気分がいいい訳じゃないけど、そのおかげで諦めも早かったと思う。拒絶してる相手に好きになってもらおうとは思わないから。


その点では、美智果が僕を受け入れてくれてるのはすごく分かる。お風呂に一緒に入るのも全く拒絶されてない。ぎゅってするのも、美智果がそうして欲しいと思ってる時にする。それは二年生の時に、美智果が夢中になって本を読んでた時にぎゅっとしたら拒絶する形で力が入ったのが分かってからだった。


ゲームをやってる時とかにぎゅっとして『じゃま』って言われることはあるけど、それは本気で嫌がってないのも分かってる。本気で迷惑だと感じてる時は体に力が入って強張るんだ。『じゃま』なんて口に出したりさえしない。口に出すのは口に出す余裕があるからなんだ。


拒絶されたのが分かって以降、美智果が望まない形でスキンシップを取ることは避けてる。スキンシップにはちょうどいいタイミングとかがあると思う。本人が望んでない時に押し付ける形でやるのはむしろストレスになると思う。それも一種の過干渉ってことになるのかな。


子供をよく見るっていうのは、そういうのを見極める為にも必要だと感じてる。


そこまで気を遣ってて疲れないかと言われたことがある。だけど、自分が好きでやってる楽しいことを『疲れる』って感じるかな? 少なくとも楽しいことをやってるその時には疲れなんて感じないと思うけど? 僕が美智果のことを考えてる時も同じだよ。徹夜明けとかよっぽど無茶なことをしてない限りはね。


それに、


「パパ、だいすき」


って言ってもらえたらそれだけで疲れも吹っ飛ぶよ。その分、一人になった時なんかには疲れが倍になって戻ってきたりもするけどさ。


美智果が学校に行ってる間に一人になるとちょっと辛かったりもした。だからそれを紛らわすことになるかなと思ってドールを買ったんだ。


「わあ! 大きなおにんぎょう!」


それが、うちに届いてママがいつも座ってた場所に座ったドールを見た時の美智果の第一声だった。


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