第12話 攻防

 その夜、不死の丘を襲撃したのは、当初行商に身をやつした盗賊だと思われていたが、統制のとれた動きや優れた剣技とその珍しい装束から、遠方にある一部族だと判明した。

 昨年カノエの家を襲った輩と同じ装束だったので、不死の丘側の上官が敵を捕らえて城塞の中で問い質すと、昨年の男達は偵察隊だったということだ。正体は昨年の飢饉で窮乏した部族が決起して賊と化したものらしい。

 敵情を探り、地理を調べ抜き、冬の間に兵を整え、万端の準備を期していたらしい。

 敵の数は先に行商姿で訪れた十数人だけではない。決行する夜のために身を潜めていたのか、今や不死の丘の人口よりも多い数千の軍勢となっていた。

 将軍達は麾下の者達に女子供を城塞に避難させ、防戦させつつ作戦会議を経て配置に付いた。

 ユーリンは城塞から出て一族の誇りである騎馬軍団を指揮し、自らも勇ましく戦った。

 ロシスは屋上からの射手の指揮を執り、城の防御に徹した。濠から這い上って来る敵や投石器の操縦者を強弓でことごとく射殺した。

 王の帯刀でもあるレフィーラの軍は城の防御全般と逃げ遅れた者達の救出に奔走した。

 そして平常時は門番を務めるカノエの父、オドは、跳ね橋が上がった城の外周の監視を務めながら、侵入しようとする者を拒むべく弓と剣で闘った。

 濠を渡ろうとする敵に弓を射て一撃で仕留め、背後から襲いかかる数人の敵を剣で瞬殺するオドの剣技は、バルコニーからの射手軍団の援護射撃があるとはいえ神がかっていた。

 戦闘中、オドは丘の裾野から駆けて来る一団に気付いた。遅れて来た女子供の一団だ。

 非常用に用意されていた城に続く秘密の入り口は、すでに岩で封鎖されている。城に入るには跳ね橋を下ろすしかないのだ。

「跳ね橋を下ろしてくれ! 仲間がいる」

 それを聞いて門の前に敵が殺到した。

 オドは薙ぎ倒して、上の歩廊で開門を渋る歩哨兵に再び叫んだ。

「入れてやってくれ!」

「おじさん! 無茶だよ!」

 歩哨の一人、ロシスの小姓を務めているサウスが気付いて返答した。

 だがオドの覚悟を知って、急ぎ城の反対側の司令本部にいるロシスに知らせた。

「跳ね橋を下ろせ! 皆、オドを援護しろ! 食い止めている間に仲間を入れるんだ!」

 事情を知ったロシスの指示で、射撃は門の前に集中した。

 跳ね橋が下りて、便乗しようとした敵がばたばたと倒れていく中で、女子供が悲鳴を上げて中に走り込む。

 侵入口が発生したことで、敵が群がった。

 殺到する無数の敵に、オドは雄叫びを上げて斬りかかる。

 月明かりの下で銀色の光が乱舞した。

 見守るロシス達射手軍団は息を飲んだ。

「我こそは、剣聖グラグネルの一番弟子、オド・ロクサーヌなり」

 その場にいる者達を一人残らず討ち倒し、屍の中でオドは佇んだ。

 そして跳ね橋が上がったのを見届けてから、自らも倒れ伏した。

 ロシスは目頭に手を当てて、不死の丘の死者を追悼する時の祈りの言葉を呟いた。

 再び跳ね橋が下りることはなく、戦は続き、松明と戦火とが丘の上を照らした。

 夜が明けようとする頃、敵がユーリンの騎馬隊の猛攻をくぐり抜け、荷車に載せて火器を持ち出して木製の城門を焼き、新たにやって来た投石器がロシス隊の防戦も敵わず城の石壁を砕き始めた。

 城の奥の、戦の争乱が微かに届くのみの静かな部屋で瞑想に耽っていた王が、ゆっくりと瞼を開けた。

 アルジェは立ち上がり、壁に掛けてあった剣を手に取り、腰に差した。

 侍女が戦装束を着けようとするのを辞退して、部屋を後にした。

 外で吹き渡るゆるやかな風には、爛漫の春の花の香りに混じって、敵味方の体から流れ落ちる血の匂いが染み込んでいたが、アルジェはさして感慨のない様子で、弓隊のいる最上階のバルコニーへ向かう。

「王のおなりだ」

 アルジェに付き添って来たレフィーラの声で弓隊と地上の兵士達が一斉に後方を振り向き、振り仰ぐ。

 王の登場は、不死の丘の民にたちまち波及して、士気を鼓舞させた。

 最上階のバルコニーに姿を現したアルジェ王を見た敵は、風を孕んで広がった王の纏う漆黒の衣装に、その威風に、人間離れした美貌に、夜明け前の空に再び闇が訪れたのかと錯覚した。   

 早速王めがけて無数の矢が飛んで来たが、アルジェは袖を一閃させて矢の向きを変え、敵を射た。

 次に胸壁に足を掛け敵を睥睨したと思いきや、そのまま飛び降りた。

 落ちたら命はないと思われる高さから飛び降り、人が泳ぎ渡る幅の濠まで越えて難なく着地した、その人ならざる業に怖れおののいている隙に、アルジェは敵に肉薄した。

 上空から見れば、それは戦の中に旋風が巻き起こっているようだった。

 次々と近付く敵を血祭りに上げ、または風圧で遠くに飛ばし、矢が飛んで来ようものなら、剣を振り回して壁を作り、各所に送り返す。

 しまいには敵は一人の人間相手に兵器まで持ち出したが、火器もアルジェの袖の一閃によってあっけなく風向きを変えられ、投石器で投げられた石も剣の先で弾き返してしまう。

 敵将と対峙しては、まるで剣技が児戯に等しいと嘲弄するように、相手から剣を用いて磁石のように絡め取った剣を切っ先で回してから、遠くへ放り投げた。

 敵兵を殲滅して剣の血を払うアルジェは、呼吸も乱れておらず、超然としていた。

 その頃カノエは戦況を見て、リリアの遺体を背負って物陰に身を隠しつつ城塞へ移動していた。

 せめて遺体だけでもロシスの元に無事に送り届けなければならない。

 次第に夜が明けていき、夜襲を受けた村里の惨状が浮彫りになる。

 民人の家屋が破壊行動によって倒壊し、または焼け落ち、畑や川には敵味方両方の死体が転がっていた。

 死者の中に見知った顔を見付けては名を呼び、介抱したくなる気持ちを押さえてカノエは戦場を走り抜けた。どの道、死んでいる。

 不死の丘の王家の旗を掲げた伝令の、敵兵を殲滅させたとの知らせを聞き及んで、城塞のすぐ側までたどり着いたカノエは芝生の上に膝を着いた。

 城門が開き、救護の兵と村の婦人達が散って行く。

 カノエはリリアを芝生に降ろし、婦人から水を受け取ると、ひと息で飲んだ。

 戦が終息したのだ。家の者は無事だろうか。

「カノエ、無事だったんだね。その人は……っ」

 カノエが芝生に寝かせた娘の遺体を見て、婦人は声を震わせた。

 頷いて、カノエは力を振り絞ってリリアを両手で抱いて立ち上がった。 

 カノエは城の中に入ってから、城内を歩き回っていたロシスの家人にリリアの死を知らせると、すでに春先の気温のせいで死臭が漂い始めている敷地内に幌で仮設された死体安置所の寝台にリリアを寝かせてから、ロシスを待った。

 上の階から駆け降りて来たロシスは、血に染まった妹の骸を見て室内が震動するほど叫ぶと、カノエの方に向かって拳を立て続けに数撃食らわせた。

 ただでさえ体力を消耗している体には、致死に至るほどの衝撃だった。

 最後の一発で壁に叩き付けられたカノエは、口から血を流してそのまま地面にうつ伏せに倒れた。

「間に合いませんでした……俺が行った時にはもう屋敷は敵の襲撃に遭っていてお嬢様も……お嬢様のご伝言です……イサイ家の娘、お兄様の妹のリリアは、悪漢を返り討ちにしましたと……」

 喉元で小さな声を上げて立ち竦んだロシスは、カノエを抱き起した。

 ロシスがまくし立てる声が、殴られて朦朧としているカノエの鼓膜に響く。

「すまなかった。妹の骸を守って届けてくれたんだな。すまない、本当に……お前だって辛いのに……」

 お前だって、辛いのに。

 拾った言葉が、意識を手放すのを制止させる。

 家の者に何かあったのだろうか。

「俺ん家……誰か……」

 口が切れて、うまく言葉が出ない。

 血の味がする。

 入口から新たに死人が運び込まれて来た。

 カノエはグラーネの姿がが視界の隅をよぎって、ロシスの腕から離れて彼女の側へ行った。

 椅子に座ってうなだれるグラーネの前の寝台に横たわっている満身創痍の男は誰だ。

 訪れた兵士達が倒れた男の偉業を讃える。

 男は城門の前で遅れて来た人々を避難させるべく、無数の敵兵を相手に一人で奮闘したという。

 出自がわからない男だったが、まさか諸国を放浪している剣聖グラグネルの弟子だったとは、道理で並外れた剣技だったはずだ、と。

 隻眼で距離感が掴めないのが戦闘で足を引っ張り、急所を突かれ、死に至ったという。

「グラーネ……!」

 残された者同士、哀しみを分かち合おうと身を寄せたその時。

 胸を押され、激しい拒絶に遭った。

「オドが死んだのはお前のせいだ」

 息子を見上げるグラーネの琥珀色の瞳は憎しみに染まっていた。

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